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3章 二つの誓約、ぜったいに
41 知らない場所へ
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それに解はちゃんとタンに歯磨き粉を渡した。
約束は守ったんだ、と解は思った。
これ以上タンに関わったって意味がないと思った。
(置いていってもいいんだ、連れていくほうが大変だ。)
そのときふと解はレシャバールや結生の顔を思いだした。彼らならどうするか、という考えが解の頭をよぎった。
解は気づいた。
(レシャバールさんはぼくに縄を切るのを許可した。結生くんはぼくと別れて元の場所へもどった。そっちのほうが大変なことになるのに、ううん、大変だからそっちを選んだんだ。きっと楽なほうがまちがいで、大変なほうが正しいんだ。)
タンと同行してどうなるか、解は考えてみた。
答えはさっぱりわからなかった。
次にタンを同行することはぜったいに無理かどうかを考えてみた。
大変だけど、ぜったいに無理ってことはないかも、と思った。
そう、ただ単に大変なだけだ。
「タン、おいでよ。」
解はタンに声をかけた。
「またカラジョルが追いかけてきたら、タン一人でいるよりもぼくと一緒のほうがいいよ。」
卵の殻から二つの目がキョロリと解を見た。
タンの目の虹彩がネーブルオレンジの色だと、はじめて解は気づいた。
タンが言った。
「カラジョル、きらイ。」
「じゃあ歩こう。」
「あるくのも、きらイ。」
勝手にしろ、という言葉を解はぐっと飲みこんだ。
「どっちのほうがきらいなんだよ?」
「……タン、あるク。」
解は歩きだした。タンがその後からついてくる。
地徒人の少年と変な生きもの、卵はしげみや木々の間を縫うようにして進んだ。
獣道と呼べばいいのか、狭いすき間を進んだ。
ときとき木の根に足をとられて解はつんのめった。
木と木の狭いすき間が二股にわかれた場所では、解は少しでもまっすぐに先へ続きそうに見えるほうを選んだ。
もちろんそれはただの勘で、しばしば外れた。
わずかな間まっすぐでもすぐに曲がりくねる場合もあるし、行きどまりになってしまうこともあった。
そうなると一度引きかえすしかない。
進む先を決めるたび解は、肩にずしっとなにかが乗しかかるような感触をおぼえた。
それに手のひらにほんの少しだけ、ジンワリとしびれるような感覚も発生した。
緊張するのだ。
地図がないんだぞ、と解は思った。
それどころか、ぼくは天流衆国のことなんかまったく知らないんだぞ、それなのに、と思った。
ガサガサと音がするたびに解はビクッとした。
ウサギやタヌキなどの小動物かと思って足を止めた。
いや、小動物ならまだいいが大きくて獰猛な獣と遭遇したらどうしようと思って身体がすくんだ。
野犬とか、もしかしたら狼とか。
(どんな動物がいるんだろう。)
だが音はするものの、獣が姿を現すことはなかった。
やがて背の高い木々が途切れた。
解とタンは野原に出た。
解はあたりを見わたした。
芽吹いた草がどんどん伸びようとする姿がそこかしこに見えた。
あおくさい草のにおいと湿った土のにおい、それに日なたのにおいが混ざりあって解の鼻をくすぐった。
ザアーッと風が通りぬけた。
背の高い草が風の進みによって次々に傾いてまたもとに戻る。
透明な生きものが走りぬけたみたいだ、と解は思った。
行く手に森が見え、その向こうに山が見えた。
尾根がいくつもの山の峰をつなげていた。
どの峰の高さもだいたいおなじくらいで、どちらかといえば低い山々だ。
木々が山まで連なり、山裾から峰までを黒っぽい緑色で覆いつくしている。
ほとんどが針葉樹だ。
解は真上を見あげた。
空がとても広い。
ビルも電柱も電線もないのだ。
空のうちある方向が色を変えている。
「夕焼けだ。」
解は声に出して言ってみた。
きれいな光景だと思った。解はもう一度声を出した。
「あの山を越える。」
平坦なところを選んで進むほうが足は楽だが、それではおそらく迷ってしまうと解は考えた。
山のてっぺんを目指すのであれば道の傾斜を上へ向かえばいいはずだ。
峰々の高さを見ると、十二歳の子どもの足でも登れるだろうと解は踏んだ。
ましてや飛翔するカラジョルなら難なく越えられる山に見えた。
もしそうなら、生まれたばかりのタンを追いまわしたというカラジョルはあの山の向こうから来たのではないだろうか。
解はふたたび歩きはじめた。
もし夜の訪れと解やタンが競走をしているとしたら、勝負は圧倒的に夜の勝ちだった。
解が進みタンが進み、日暮れも進む。
空気がだんだん冷たくなる。
風が吹き、木々が枝を鳴らす。風が空気を切る音も、木々が葉と葉をこすらせて鳴る音もとぎれてはまた生まれ、ときどき強くなった。
解は自分のことをひどくちっぽけな存在に感じた。
解はカク・シがレシャバールへ吐きかけた言葉を思いだした。
もしここでぼくが死んでもだれも気づかないんだ、と思った。
約束は守ったんだ、と解は思った。
これ以上タンに関わったって意味がないと思った。
(置いていってもいいんだ、連れていくほうが大変だ。)
そのときふと解はレシャバールや結生の顔を思いだした。彼らならどうするか、という考えが解の頭をよぎった。
解は気づいた。
(レシャバールさんはぼくに縄を切るのを許可した。結生くんはぼくと別れて元の場所へもどった。そっちのほうが大変なことになるのに、ううん、大変だからそっちを選んだんだ。きっと楽なほうがまちがいで、大変なほうが正しいんだ。)
タンと同行してどうなるか、解は考えてみた。
答えはさっぱりわからなかった。
次にタンを同行することはぜったいに無理かどうかを考えてみた。
大変だけど、ぜったいに無理ってことはないかも、と思った。
そう、ただ単に大変なだけだ。
「タン、おいでよ。」
解はタンに声をかけた。
「またカラジョルが追いかけてきたら、タン一人でいるよりもぼくと一緒のほうがいいよ。」
卵の殻から二つの目がキョロリと解を見た。
タンの目の虹彩がネーブルオレンジの色だと、はじめて解は気づいた。
タンが言った。
「カラジョル、きらイ。」
「じゃあ歩こう。」
「あるくのも、きらイ。」
勝手にしろ、という言葉を解はぐっと飲みこんだ。
「どっちのほうがきらいなんだよ?」
「……タン、あるク。」
解は歩きだした。タンがその後からついてくる。
地徒人の少年と変な生きもの、卵はしげみや木々の間を縫うようにして進んだ。
獣道と呼べばいいのか、狭いすき間を進んだ。
ときとき木の根に足をとられて解はつんのめった。
木と木の狭いすき間が二股にわかれた場所では、解は少しでもまっすぐに先へ続きそうに見えるほうを選んだ。
もちろんそれはただの勘で、しばしば外れた。
わずかな間まっすぐでもすぐに曲がりくねる場合もあるし、行きどまりになってしまうこともあった。
そうなると一度引きかえすしかない。
進む先を決めるたび解は、肩にずしっとなにかが乗しかかるような感触をおぼえた。
それに手のひらにほんの少しだけ、ジンワリとしびれるような感覚も発生した。
緊張するのだ。
地図がないんだぞ、と解は思った。
それどころか、ぼくは天流衆国のことなんかまったく知らないんだぞ、それなのに、と思った。
ガサガサと音がするたびに解はビクッとした。
ウサギやタヌキなどの小動物かと思って足を止めた。
いや、小動物ならまだいいが大きくて獰猛な獣と遭遇したらどうしようと思って身体がすくんだ。
野犬とか、もしかしたら狼とか。
(どんな動物がいるんだろう。)
だが音はするものの、獣が姿を現すことはなかった。
やがて背の高い木々が途切れた。
解とタンは野原に出た。
解はあたりを見わたした。
芽吹いた草がどんどん伸びようとする姿がそこかしこに見えた。
あおくさい草のにおいと湿った土のにおい、それに日なたのにおいが混ざりあって解の鼻をくすぐった。
ザアーッと風が通りぬけた。
背の高い草が風の進みによって次々に傾いてまたもとに戻る。
透明な生きものが走りぬけたみたいだ、と解は思った。
行く手に森が見え、その向こうに山が見えた。
尾根がいくつもの山の峰をつなげていた。
どの峰の高さもだいたいおなじくらいで、どちらかといえば低い山々だ。
木々が山まで連なり、山裾から峰までを黒っぽい緑色で覆いつくしている。
ほとんどが針葉樹だ。
解は真上を見あげた。
空がとても広い。
ビルも電柱も電線もないのだ。
空のうちある方向が色を変えている。
「夕焼けだ。」
解は声に出して言ってみた。
きれいな光景だと思った。解はもう一度声を出した。
「あの山を越える。」
平坦なところを選んで進むほうが足は楽だが、それではおそらく迷ってしまうと解は考えた。
山のてっぺんを目指すのであれば道の傾斜を上へ向かえばいいはずだ。
峰々の高さを見ると、十二歳の子どもの足でも登れるだろうと解は踏んだ。
ましてや飛翔するカラジョルなら難なく越えられる山に見えた。
もしそうなら、生まれたばかりのタンを追いまわしたというカラジョルはあの山の向こうから来たのではないだろうか。
解はふたたび歩きはじめた。
もし夜の訪れと解やタンが競走をしているとしたら、勝負は圧倒的に夜の勝ちだった。
解が進みタンが進み、日暮れも進む。
空気がだんだん冷たくなる。
風が吹き、木々が枝を鳴らす。風が空気を切る音も、木々が葉と葉をこすらせて鳴る音もとぎれてはまた生まれ、ときどき強くなった。
解は自分のことをひどくちっぽけな存在に感じた。
解はカク・シがレシャバールへ吐きかけた言葉を思いだした。
もしここでぼくが死んでもだれも気づかないんだ、と思った。
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