天流衆国の物語

スズキマキ

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3章 二つの誓約、ぜったいに

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「いますぐ家に帰れたらいいのに!」
解は大声をあげた。
「目の前にご飯があればいいのに! メロンパンとかピーナツサンドとかハンバーガーとかチョコレートとかお煎餅があればいいのに! お風呂があって布団があればいいのに! 洗った下着があればいいのに! ううん、屋根だけでもいいよ!」
「おまエ、うるさイ。」
背後から声がした。
解は顔をあげた。
上体だけ起こして後ろを振りかえるとタンが立っていた。
解の声にあきれたような声だ。
タンのくせに、と解はつい思ってしまった。
空気が読めないにもほどがあるだろ、といっそう腹立たしくなった。
「タンはその殻があるからいいだろ。それに歯磨き粉だってまだある。ぼくにはなににもないんだぞ。」
「おまえのことバ、たいくツ。」
「なんだよ、少しはぼくの身にもなれよ。どうせ君には無理だろうけど!」
「ないもののことバ、たいくツ。」
解は一瞬、グッと詰まった。
それからなんとか言いかえした。
「なんだよ、タンなんか。」
解は唇をへの字に曲げた。
それからもう一度、どうにかして言葉をひねりだした。
解自身も負けおしみだとわかっているが、それでもだ。
「タンなんか、ぼくについてくるだけじゃないか。君が結生くんやレシャバールさんと約束したわけじゃないんだぞ。ぼくは大変なんだよ。」

本当にそうだろうか、と解は思った。

レシャバールの手を握った感触がよみがえった。
結生が頬の涙をぬぐった感触もだ。
メロンパンやチョコレートや新しい着替えやお風呂はタンの言う通り「ないもの」だけど、あの感触はちがう。
それに約束もだ。
二人との約束があるから大変なわけじゃなくてその反対だ、と解は思った。
約束があるから、ここで死んでしまったらどうしようという気持ちを押さえることができるんだ、と思った。
解はつぶやいた。
「カ ヒ ク ス ト 。」
レシャバールの遺言だ。
解がつぶやくと骨鉱山こつこうざんのときとおなじように、とぎれとぎれの声になった。
そのことが、レシャバールと出会ったなによりの証拠だ。

解は立ちあがった。
のろのろした動きだがとにかく立った。
そして膝の土を払った。悔しいけれどタンの言う通りだと思った。
(なんだよ、タンのくせに。)
ないものを声にだしても頭に浮かべても仕方ない。
解はべつのことを頭に浮かべた。
(――あの山を登る。)
解は思った。
天流衆てんしゅうしゅうのだれかに会うんだ。)
木の実は見つからないけど、足元に道があった。
その道が出会うだれかに向かってまっすぐにつづいている。そう思った。進むのだ。
本当のところ、それは解の足元にある道でもあったし、ちがう道でもあった。
この道の先につづくのは、解の心のなかにめばえた道だ。
行ったことも歩いたこともない道であり、どこまでもつづく道だ。
それは「ないもの」とはちがった。解のなかに、たしかに現れたのだから。
そしてこのとき解に必要なのは、すばしっこく視線を走らせて見つめたさまざまな、たくさんのモノではなかった。
心のなかの一本の道だけだった。

解は森のなかの景色を見るのを止めた。
どのみち木々の枝や葉が視界をさえぎって遠くまで見わたせないのだ。
木々のあいだに分けいりながら、解は心に浮かんだ道だけを見た。大きな木にぶつからないように曲がりくねって進むのだが、浮かんだ道はまっすぐだ。
あいかわらず空腹だが、たどりつく道なら途中の苦痛は大したことではないように感じた。
横たわることもできずに一夜をすごしたので身体のあちこちがきしんだが、そのこともごくささいなことに感じた。
天流衆てんしゅうしゅう国に来てから毎日少しずつ、ときには一度にたくさん、解の身体に溜まりつづけた疲れが、しだいに解になじみはじめた。
疲労がどこかへ去っていくことは決してないが、そのかわり解を苛むことを止めた。
(森でも、山でも、天流衆国でも、ここがどこでも、進むんだ。)
解はそうした。
ゆるやな傾斜がはじまった。ゆるやかであっても膝には負担がかかった。
それでも解は進んだ。何時間も進んだ。
やがて時間のことも気にならなくなった。
一歩進むたびに前の一歩よりも高い位置に足が届いた。
坂がどんどん急こう配になった。
膝や足の裏にグッと体重がかかる。
ぬかるみを避けるために乾いた岩をさがしてその上に足を乗せると、硬い岩石のせいでいっそう足の裏に負担がかかり、そのぶんどうしても歩みが遅くなった。
それでもかまわなかった。
解は一歩、また一歩と足を運んだ。

そして不意に山の頂上が出現した。

急に視界が広がった。
解は山の先にあるものを見た。
解は大きく目を見ひらいた。


行く手にとんでもなく大きなコバルトブルーの球体が出現したのだ。
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