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5章 武道家の女子、現る
64 その声
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どこへ、なんのために、いくつもの疑問がどっと解の頭にめばえた。
解は無意識に息をつめた。
「あなたは?」
花連がカク・シにたずねた。
カク・シの声がまた響いた。
「私はカク・シ。黒の亜陸において意裁官をつとめる者だ。意裁庁の管轄のうち一件がいそぎの事態になったゆえ、兆却亀を使っている。お嬢さん、あなたは?」
「四流派のうち北流の者。意裁官どの、国王陛下の使としてあなたにたずねます、お答えください。いそぎの事態とは?」
「地徒人の子どもが一人、天流衆国に迷いこんだという報告があったのだ。その子は意裁庁の裁決を経ずして天流衆国のどこかにいる。」
解はハッとした。
(ぼくのことだ。)
花連の声が聞こえた。
「兆却亀を使う必要がありますか?」
「おお、あなたの疑問はもっともだ。これが黒の亜陸にとどまる話であればわざわざ兆却亀の影を通る必要はない。だがその子ども自身が一体なにをどうやってか、兆却亀の影を通りぬけてしまったのだ。」
解は混乱した。
(ぼく、そんなことした?)
一体いつの間にシェルギの影なんか通りぬけたんだ、と考えて解は気づいた。
カク・シは嘘をついている。
だけどその声にはよどみがなかった。
これがもし解自身の話でなければ、解だってカク・シの話を信じてしまうところだった。
事実、解と一緒に成田駅から来た人がみんなこの声と言葉にだまされたのだ。
カク・シの声がつづいた。
「このあとその子どもが一体どこへ姿をあらわすかまったく予断を許さない。亜陸と亜陸のあいだでは距離がありすぎて伝話貝でも会話が不可能だ。この伝話という仕組みも地徒人から導入したときにはずいぶん便利だと思ったが、しかし何事にも限界はあるものだ。遠からず工術庁で亜陸間通話の試みがなされると聞くが、完成にはまだ時間がかかるらしい。それはともかく、それぞれの亜陸の意裁庁へ話をつけるために私が直接赴くことになったのだ。」
嘘だ、と解が口に出すよりも一瞬早く声をあげた者がいた。
トウィードだ。
「そして我ら一族の放牧篭を襲わせたのか? ずいぶんなことをしてくれたものだ。」
強い怒りを含んだ声だった。
それほど間をおかずカク・シの声があとにつづいた。
「ほう、連れがいたのか。そっちの男は何者だ?」
「アシファット族の族長トウィードだ。なぜあの雑夙に我らの放牧篭を襲わせた? おかげで私の一族があやうく命を落とすところだった!」
「アシファット族。」
カク・シが低い声でつぶやいた。
舌の上でその言葉を転がして味わうような、そんな声だった。
カク・シはそのあとつづけてこう言った。
「命を落とすところだった、それはつまり無事ということであろう。なによりではないか。さすが音に聞こえた勇敢なアシファット族だ。」
カク・シがトウィードの言葉を否定しなかったことに、解は気づいた。
(じゃあ本当にこの人があの大きな雑夙を放牧篭へ寄こしたんだ。)
解は呆然とした。
もちろんあんなことをするのはカク・シに決まっている。
だけどそれを推測するのと、実際にカク・シがそれを認めるのとで、衝撃がまったくちがった。それはおそらくカク・シにどれほど力があるのかということに改めて気づいた衝撃だった。
トウィードが怒気をはらんだ声を出した。
「ふざけるな。」
「私は本心から誉めているのだよ。私の耳にも、アシファット族の話は聞こえてくる。」
暗闇のなかで響くカク・シの声はなめらかで美しかった。
音楽のようでもあるし、呪いのようでもあった。
解はついその声に引きこまれた。
そしてそうなったのは解だけにとどまらなかった。
カク・シの言葉のあとだれも声をあげなかった。
トウィードも花連もカク・シの次の言葉を待っているんだ、と解は気づいた。
そのことをカク・シはよくわかっているようだった。
言葉がその場にいる者のなかへよーく浸透するのを待つような間のあと、ふたたびカク・シは声をあげた。
「王府の“大会”、なかでも闘技や騎術で幾度もアシファット族の者が優勝している。そして同時に青の亜陸をよく知る者からはアシファット族の待遇を惜しむ声もよく聞く。アシファット族の強さと、亜陸候によるアシファット族の引きたては、差し引きが合わぬ、と。」
カク・シが、ふ、と息だけでわらう気配がした。
「青の亜陸候はアシファット族にもっと目をかけていいだろうに、と。」
トウィードの返事はなかった。
暗闇のなかをふたたび沈黙が支配した。
今度のはいやな沈黙だった。
なぜなら、その沈黙をカク・シの声で消してほしいと願ってしまうからだ。
カク・シの声をただ待つのと、声を聞きたいと願うのでは、彼に惹かれる強さがちがう
知らず知らずのうちにその場にいる者がみんなカク・シの言葉のつづきを願ったのかもしれなかった。
そしてカク・シの声はそれをかなえた。
解は無意識に息をつめた。
「あなたは?」
花連がカク・シにたずねた。
カク・シの声がまた響いた。
「私はカク・シ。黒の亜陸において意裁官をつとめる者だ。意裁庁の管轄のうち一件がいそぎの事態になったゆえ、兆却亀を使っている。お嬢さん、あなたは?」
「四流派のうち北流の者。意裁官どの、国王陛下の使としてあなたにたずねます、お答えください。いそぎの事態とは?」
「地徒人の子どもが一人、天流衆国に迷いこんだという報告があったのだ。その子は意裁庁の裁決を経ずして天流衆国のどこかにいる。」
解はハッとした。
(ぼくのことだ。)
花連の声が聞こえた。
「兆却亀を使う必要がありますか?」
「おお、あなたの疑問はもっともだ。これが黒の亜陸にとどまる話であればわざわざ兆却亀の影を通る必要はない。だがその子ども自身が一体なにをどうやってか、兆却亀の影を通りぬけてしまったのだ。」
解は混乱した。
(ぼく、そんなことした?)
一体いつの間にシェルギの影なんか通りぬけたんだ、と考えて解は気づいた。
カク・シは嘘をついている。
だけどその声にはよどみがなかった。
これがもし解自身の話でなければ、解だってカク・シの話を信じてしまうところだった。
事実、解と一緒に成田駅から来た人がみんなこの声と言葉にだまされたのだ。
カク・シの声がつづいた。
「このあとその子どもが一体どこへ姿をあらわすかまったく予断を許さない。亜陸と亜陸のあいだでは距離がありすぎて伝話貝でも会話が不可能だ。この伝話という仕組みも地徒人から導入したときにはずいぶん便利だと思ったが、しかし何事にも限界はあるものだ。遠からず工術庁で亜陸間通話の試みがなされると聞くが、完成にはまだ時間がかかるらしい。それはともかく、それぞれの亜陸の意裁庁へ話をつけるために私が直接赴くことになったのだ。」
嘘だ、と解が口に出すよりも一瞬早く声をあげた者がいた。
トウィードだ。
「そして我ら一族の放牧篭を襲わせたのか? ずいぶんなことをしてくれたものだ。」
強い怒りを含んだ声だった。
それほど間をおかずカク・シの声があとにつづいた。
「ほう、連れがいたのか。そっちの男は何者だ?」
「アシファット族の族長トウィードだ。なぜあの雑夙に我らの放牧篭を襲わせた? おかげで私の一族があやうく命を落とすところだった!」
「アシファット族。」
カク・シが低い声でつぶやいた。
舌の上でその言葉を転がして味わうような、そんな声だった。
カク・シはそのあとつづけてこう言った。
「命を落とすところだった、それはつまり無事ということであろう。なによりではないか。さすが音に聞こえた勇敢なアシファット族だ。」
カク・シがトウィードの言葉を否定しなかったことに、解は気づいた。
(じゃあ本当にこの人があの大きな雑夙を放牧篭へ寄こしたんだ。)
解は呆然とした。
もちろんあんなことをするのはカク・シに決まっている。
だけどそれを推測するのと、実際にカク・シがそれを認めるのとで、衝撃がまったくちがった。それはおそらくカク・シにどれほど力があるのかということに改めて気づいた衝撃だった。
トウィードが怒気をはらんだ声を出した。
「ふざけるな。」
「私は本心から誉めているのだよ。私の耳にも、アシファット族の話は聞こえてくる。」
暗闇のなかで響くカク・シの声はなめらかで美しかった。
音楽のようでもあるし、呪いのようでもあった。
解はついその声に引きこまれた。
そしてそうなったのは解だけにとどまらなかった。
カク・シの言葉のあとだれも声をあげなかった。
トウィードも花連もカク・シの次の言葉を待っているんだ、と解は気づいた。
そのことをカク・シはよくわかっているようだった。
言葉がその場にいる者のなかへよーく浸透するのを待つような間のあと、ふたたびカク・シは声をあげた。
「王府の“大会”、なかでも闘技や騎術で幾度もアシファット族の者が優勝している。そして同時に青の亜陸をよく知る者からはアシファット族の待遇を惜しむ声もよく聞く。アシファット族の強さと、亜陸候によるアシファット族の引きたては、差し引きが合わぬ、と。」
カク・シが、ふ、と息だけでわらう気配がした。
「青の亜陸候はアシファット族にもっと目をかけていいだろうに、と。」
トウィードの返事はなかった。
暗闇のなかをふたたび沈黙が支配した。
今度のはいやな沈黙だった。
なぜなら、その沈黙をカク・シの声で消してほしいと願ってしまうからだ。
カク・シの声をただ待つのと、声を聞きたいと願うのでは、彼に惹かれる強さがちがう
知らず知らずのうちにその場にいる者がみんなカク・シの言葉のつづきを願ったのかもしれなかった。
そしてカク・シの声はそれをかなえた。
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