67 / 112
5章 武道家の女子、現る
66 名乗りをあげる
しおりを挟む
解は唇を動かした。
唇はふるえた。
解は口を開いた。
身体がふるえた。
それでも無理やりに声をしぼりだした。
「トウィードさんがやるのはべつのことだ。」
シン、とその場がしずまりかえった。
真っ暗ななかでだれの顔も見えないのに、解にはその場にいる者がみんな解の声に耳をそばだてたと感じた。解の足がふるえた。
「まだ他にもいたのか。お前は?」
カク・シの声が聞こえた。なめらかな声だった。
解の声がカク・シの話を中断し、反対したことを咎めだてる響きはなかった。
まるでカク・シの味方がもう一人増えたとでもいうような声だ。
解の心臓が痛いほど高く鳴った。
それでも解は言った。それがどうしても必要なことだったからだ。
「ぼくは小松解。レシャバールさんの遺言をみんなに伝えるためにここまで来た。あなたがレシャバールさんにしたことや、あなたがほかの天流衆の人達に内緒で地徒人を骨鉱山で働かせていることも伝える。」
カク・シがハッと息をのむ気配がした。ほとんど同時に、
「動かないで。」
花連の声がするどく響いた。
ドンッと音がした。花連が抱えた蘇石骨を放した音だ。
直後にジャリッと人の足が土を踏む音も聞こえた。そしてすぐに、
「しまった!」
という花連の声が響いた。
「使師の娘御! 大丈夫か!」
トウィードがどなり、それに花連が、
「逃がしました。」
とこたえた。
「一瞬で姿を消しました。」
「あの男はシェルギの暗き影を通ってべつの場所へ姿を消したというのか?」
「おそらく。」
草履が土を踏む音と革の靴が土を踏む音が響いた。
花連の声に悔しそうな気配が混ざっていた。
「父から今回の首謀者の名前を聞いておけばよかった。私はあの男がそうだと、すぐに気づけませんでした。」
こんなときなのに、少しだけ解はわらいそうになってあわててそれをこらえた。
会ったこともない花連の父と花連が会話する光景を想像してしまったのだ。きっと父と娘の両方とも余計なことは一切口にせず、そのために本当に最低限の会話だったのだろう、それこそカク・シという名前すら省くほどに。
トウィードも解とおなじことを想像したのかどうかわからない。
が、彼の口から花連を責める言葉は出なかった。
トウィードは言った。
「仕方ないことだ。たしかに消えたな。」
「私たちも急ぎましょう。」
花連の声はふたたび淡々としたものへもどった。
「いまの話も父に伝えます。」
解はハッと息を吐きだした。
いろいろなことがあった今日のなかでも今の出来事がいちばん緊張した。
圧迫感もあった。強く圧されたような息苦しさがまだ残っている。
(あの男はぼくの名前を知った。)
解はそう思った。
はじめに出会ったときなら、そのことで誇らしい気持ちになったかもしれない。
いまはちがった。ずしん、と気が重くなった。
暗闇のなかでカク・シが解の顔を見ていないことをよかったと思うくらいだ。
一行は一度止めた足をふたたび進めた。暗闇のなかでしずかに歩いた。
解はそれをずいぶん長く感じた。
まだ到着しないのだろうか、そう思ったとき花連が、
「おかしい。」
と声をあげた。
「もう抜けてもいいはず。」
「たしかに長いな。どういうことだ。」
「だれか、さっきの男に連なる者が、べつの場所で私たちを引いているのかもしれません。」
「えっ? 引いているって?」
解がたずねると、トウィードが説明してくれた。
「シェルギの影のなかは真っ暗だ。それなのにどうやって目的の場所へたどりつくかわかるか?」
「いいえ。」
「ただ歩くだけでは無意味だ。それでは永遠に暗闇のなかをさまようことになる。シェルギの影の向こうで、歩く者の気配を引き、たぐりよせる者が必ず必要だ。」
「気配、武道では『氣』といいます。」
花連が補足した。
トウィードがさらに言葉をつづけた。
「その引く力があってはじめて人がシェルギの影を通りぬける。」
「ということはあのときぼくたちのことを大河内が引いたのか。」
解はつぶやいた。花連がたずねた。
「大河内ってだれ?」
解が手早く説明すると、花連は言った。
「その人には無理。修練を積んだ者でないと。つまり、四使のだれかがカク・シについている。」
解もトウィードも黙りこんだ。
花連の言葉には不吉な響きがあった。
もちろんカク・シのやっていることはカク・シ一人でできることではなかった。
解はあの運転手にも大河内にも会ったし彼らがカク・シに従っていることも知っている――でも。
一体どれほどの数の人間がカク・シに従っているのだろうか、と解は思った。
それからべつのことに気づいて解は首をかしげた。
「あれ、花連さんが放牧篭に来たのは? 放牧篭にいたアシファット族の人のだれかが花連さんを引いたんですか?」
これにはトウィードがこたえた。
「シェルギとの間に強い結びつきがあれば、引くだけでなく押すことができる。そんなことができるのはよほど力のある四使のみだが。亜陸からべつの亜陸へ移動するときにはそういう四使の力を必ず必要とする。花連どのの場合はおそらくお父上の力だろう。」
唇はふるえた。
解は口を開いた。
身体がふるえた。
それでも無理やりに声をしぼりだした。
「トウィードさんがやるのはべつのことだ。」
シン、とその場がしずまりかえった。
真っ暗ななかでだれの顔も見えないのに、解にはその場にいる者がみんな解の声に耳をそばだてたと感じた。解の足がふるえた。
「まだ他にもいたのか。お前は?」
カク・シの声が聞こえた。なめらかな声だった。
解の声がカク・シの話を中断し、反対したことを咎めだてる響きはなかった。
まるでカク・シの味方がもう一人増えたとでもいうような声だ。
解の心臓が痛いほど高く鳴った。
それでも解は言った。それがどうしても必要なことだったからだ。
「ぼくは小松解。レシャバールさんの遺言をみんなに伝えるためにここまで来た。あなたがレシャバールさんにしたことや、あなたがほかの天流衆の人達に内緒で地徒人を骨鉱山で働かせていることも伝える。」
カク・シがハッと息をのむ気配がした。ほとんど同時に、
「動かないで。」
花連の声がするどく響いた。
ドンッと音がした。花連が抱えた蘇石骨を放した音だ。
直後にジャリッと人の足が土を踏む音も聞こえた。そしてすぐに、
「しまった!」
という花連の声が響いた。
「使師の娘御! 大丈夫か!」
トウィードがどなり、それに花連が、
「逃がしました。」
とこたえた。
「一瞬で姿を消しました。」
「あの男はシェルギの暗き影を通ってべつの場所へ姿を消したというのか?」
「おそらく。」
草履が土を踏む音と革の靴が土を踏む音が響いた。
花連の声に悔しそうな気配が混ざっていた。
「父から今回の首謀者の名前を聞いておけばよかった。私はあの男がそうだと、すぐに気づけませんでした。」
こんなときなのに、少しだけ解はわらいそうになってあわててそれをこらえた。
会ったこともない花連の父と花連が会話する光景を想像してしまったのだ。きっと父と娘の両方とも余計なことは一切口にせず、そのために本当に最低限の会話だったのだろう、それこそカク・シという名前すら省くほどに。
トウィードも解とおなじことを想像したのかどうかわからない。
が、彼の口から花連を責める言葉は出なかった。
トウィードは言った。
「仕方ないことだ。たしかに消えたな。」
「私たちも急ぎましょう。」
花連の声はふたたび淡々としたものへもどった。
「いまの話も父に伝えます。」
解はハッと息を吐きだした。
いろいろなことがあった今日のなかでも今の出来事がいちばん緊張した。
圧迫感もあった。強く圧されたような息苦しさがまだ残っている。
(あの男はぼくの名前を知った。)
解はそう思った。
はじめに出会ったときなら、そのことで誇らしい気持ちになったかもしれない。
いまはちがった。ずしん、と気が重くなった。
暗闇のなかでカク・シが解の顔を見ていないことをよかったと思うくらいだ。
一行は一度止めた足をふたたび進めた。暗闇のなかでしずかに歩いた。
解はそれをずいぶん長く感じた。
まだ到着しないのだろうか、そう思ったとき花連が、
「おかしい。」
と声をあげた。
「もう抜けてもいいはず。」
「たしかに長いな。どういうことだ。」
「だれか、さっきの男に連なる者が、べつの場所で私たちを引いているのかもしれません。」
「えっ? 引いているって?」
解がたずねると、トウィードが説明してくれた。
「シェルギの影のなかは真っ暗だ。それなのにどうやって目的の場所へたどりつくかわかるか?」
「いいえ。」
「ただ歩くだけでは無意味だ。それでは永遠に暗闇のなかをさまようことになる。シェルギの影の向こうで、歩く者の気配を引き、たぐりよせる者が必ず必要だ。」
「気配、武道では『氣』といいます。」
花連が補足した。
トウィードがさらに言葉をつづけた。
「その引く力があってはじめて人がシェルギの影を通りぬける。」
「ということはあのときぼくたちのことを大河内が引いたのか。」
解はつぶやいた。花連がたずねた。
「大河内ってだれ?」
解が手早く説明すると、花連は言った。
「その人には無理。修練を積んだ者でないと。つまり、四使のだれかがカク・シについている。」
解もトウィードも黙りこんだ。
花連の言葉には不吉な響きがあった。
もちろんカク・シのやっていることはカク・シ一人でできることではなかった。
解はあの運転手にも大河内にも会ったし彼らがカク・シに従っていることも知っている――でも。
一体どれほどの数の人間がカク・シに従っているのだろうか、と解は思った。
それからべつのことに気づいて解は首をかしげた。
「あれ、花連さんが放牧篭に来たのは? 放牧篭にいたアシファット族の人のだれかが花連さんを引いたんですか?」
これにはトウィードがこたえた。
「シェルギとの間に強い結びつきがあれば、引くだけでなく押すことができる。そんなことができるのはよほど力のある四使のみだが。亜陸からべつの亜陸へ移動するときにはそういう四使の力を必ず必要とする。花連どのの場合はおそらくお父上の力だろう。」
0
あなたにおすすめの小説
「いっすん坊」てなんなんだ
こいちろう
児童書・童話
ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。
自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました
藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。
相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。
さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!?
「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」
星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。
「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」
「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」
ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や
帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……?
「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」
「お前のこと、誰にも渡したくない」
クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。
少年騎士
克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞参加作」ポーウィス王国という辺境の小国には、12歳になるとダンジョンか魔境で一定の強さになるまで自分を鍛えなければいけないと言う全国民に対する法律があった。周囲の小国群の中で生き残るため、小国を狙う大国から自国を守るために作られた法律、義務だった。領地持ち騎士家の嫡男ハリー・グリフィスも、その義務に従い1人王都にあるダンジョンに向かって村をでた。だが、両親祖父母の計らいで平民の幼馴染2人も一緒に12歳の義務に同行する事になった。将来救国の英雄となるハリーの物語が始まった。
村から追い出された変わり者の僕は、なぜかみんなの人気者になりました~異種族わちゃわちゃ冒険ものがたり~
楓乃めーぷる
児童書・童話
グラム村で変わり者扱いされていた少年フィロは村長の家で小間使いとして、生まれてから10年間馬小屋で暮らしてきた。フィロには生き物たちの言葉が分かるという不思議な力があった。そのせいで同年代の子どもたちにも仲良くしてもらえず、友達は森で助けた赤い鳥のポイと馬小屋の馬と村で飼われている鶏くらいだ。
いつもと変わらない日々を送っていたフィロだったが、ある日村に黒くて大きなドラゴンがやってくる。ドラゴンは怒り村人たちでは歯が立たない。石を投げつけて何とか追い返そうとするが、必死に何かを訴えている.
気になったフィロが村長に申し出てドラゴンの話を聞くと、ドラゴンの巣を荒らした者が村にいることが分かる。ドラゴンは知らぬふりをする村人たちの態度に怒り、炎を噴いて暴れまわる。フィロの必死の説得に漸く耳を傾けて大人しくなるドラゴンだったが、フィロとドラゴンを見た村人たちは、フィロこそドラゴンを招き入れた張本人であり実は魔物の生まれ変わりだったのだと決めつけてフィロを村を追い出してしまう。
途方に暮れるフィロを見たドラゴンは、フィロに謝ってくるのだがその姿がみるみる美しい黒髪の女性へと変化して……。
「ドラゴンがお姉さんになった?」
「フィロ、これから私と一緒に旅をしよう」
変わり者の少年フィロと異種族の仲間たちが繰り広げる、自分探しと人助けの冒険ものがたり。
・毎日7時投稿予定です。間に合わない場合は別の時間や次の日になる場合もあります。
ノースキャンプの見張り台
こいちろう
児童書・童話
時代劇で見かけるような、古めかしい木づくりの橋。それを渡ると、向こう岸にノースキャンプがある。アーミーグリーンの北門と、その傍の監視塔。まるで映画村のセットだ。
進駐軍のキャンプ跡。周りを鉄さびた有刺鉄線に囲まれた、まるで要塞みたいな町だった。進駐軍が去ってからは住宅地になって、たくさんの子どもが暮らしていた。
赤茶色にさび付いた監視塔。その下に広がる広っぱは、子どもたちの最高の遊び場だ。見張っているのか、見守っているのか、鉄塔の、あのてっぺんから、いつも誰かに見られているんじゃないか?ユーイチはいつもそんな風に感じていた。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる