天流衆国の物語

スズキマキ

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5章 武道家の女子、現る

66 名乗りをあげる

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解は唇を動かした。
唇はふるえた。
解は口を開いた。
身体がふるえた。
それでも無理やりに声をしぼりだした。

「トウィードさんがやるのはべつのことだ。」

シン、とその場がしずまりかえった。
真っ暗ななかでだれの顔も見えないのに、解にはその場にいる者がみんな解の声に耳をそばだてたと感じた。解の足がふるえた。

「まだ他にもいたのか。お前は?」
カク・シの声が聞こえた。なめらかな声だった。
解の声がカク・シの話を中断し、反対したことを咎めだてる響きはなかった。
まるでカク・シの味方がもう一人増えたとでもいうような声だ。
解の心臓が痛いほど高く鳴った。
それでも解は言った。それがどうしても必要なことだったからだ。
「ぼくは小松解。レシャバールさんの遺言をみんなに伝えるためにここまで来た。あなたがレシャバールさんにしたことや、あなたがほかの天流衆てんりゅうしゅうの人達に内緒で地徒人アダヒト骨鉱山こつこうざんで働かせていることも伝える。」

カク・シがハッと息をのむ気配がした。ほとんど同時に、
「動かないで。」
花連の声がするどく響いた。
ドンッと音がした。花連が抱えた蘇石骨ベラットを放した音だ。
直後にジャリッと人の足が土を踏む音も聞こえた。そしてすぐに、
「しまった!」
という花連の声が響いた。
「使師の娘御! 大丈夫か!」
トウィードがどなり、それに花連が、
「逃がしました。」
とこたえた。
「一瞬で姿を消しました。」
「あの男はシェルギの暗き影を通ってべつの場所へ姿を消したというのか?」
「おそらく。」
草履が土を踏む音と革の靴が土を踏む音が響いた。
花連の声に悔しそうな気配が混ざっていた。
「父から今回の首謀者の名前を聞いておけばよかった。私はあの男がそうだと、すぐに気づけませんでした。」
こんなときなのに、少しだけ解はわらいそうになってあわててそれをこらえた。
会ったこともない花連の父と花連が会話する光景を想像してしまったのだ。きっと父と娘の両方とも余計なことは一切口にせず、そのために本当に最低限の会話だったのだろう、それこそカク・シという名前すら省くほどに。
トウィードも解とおなじことを想像したのかどうかわからない。
が、彼の口から花連を責める言葉は出なかった。
トウィードは言った。
「仕方ないことだ。たしかに消えたな。」
「私たちも急ぎましょう。」
花連の声はふたたび淡々としたものへもどった。
「いまの話も父に伝えます。」
解はハッと息を吐きだした。
いろいろなことがあった今日のなかでも今の出来事がいちばん緊張した。
圧迫感もあった。強く圧されたような息苦しさがまだ残っている。
(あの男はぼくの名前を知った。)
解はそう思った。
はじめに出会ったときなら、そのことで誇らしい気持ちになったかもしれない。
いまはちがった。ずしん、と気が重くなった。
暗闇のなかでカク・シが解の顔を見ていないことをよかったと思うくらいだ。

一行は一度止めた足をふたたび進めた。暗闇のなかでしずかに歩いた。
解はそれをずいぶん長く感じた。
まだ到着しないのだろうか、そう思ったとき花連が、
「おかしい。」
と声をあげた。
「もう抜けてもいいはず。」
「たしかに長いな。どういうことだ。」
「だれか、さっきの男に連なる者が、べつの場所で私たちをのかもしれません。」
「えっ? 引いているって?」
 解がたずねると、トウィードが説明してくれた。
「シェルギの影のなかは真っ暗だ。それなのにどうやって目的の場所へたどりつくかわかるか?」
「いいえ。」
「ただ歩くだけでは無意味だ。それでは永遠に暗闇のなかをさまようことになる。シェルギの影の向こうで、歩く者の気配を引き、たぐりよせる者が必ず必要だ。」
「気配、武道では『氣』といいます。」
花連が補足した。
トウィードがさらに言葉をつづけた。
「その引く力があってはじめて人がシェルギの影を通りぬける。」
「ということはあのときぼくたちのことを大河内が引いたのか。」
解はつぶやいた。花連がたずねた。
「大河内ってだれ?」
解が手早く説明すると、花連は言った。
「その人には無理。修練を積んだ者でないと。つまり、四使よつかいのだれかがカク・シについている。」

解もトウィードも黙りこんだ。

花連の言葉には不吉な響きがあった。
もちろんカク・シのやっていることはカク・シ一人でできることではなかった。
解はあの運転手にも大河内にも会ったし彼らがカク・シに従っていることも知っている――でも。
一体どれほどの数の人間がカク・シに従っているのだろうか、と解は思った。
それからべつのことに気づいて解は首をかしげた。
「あれ、花連さんが放牧篭コロメルに来たのは? 放牧篭コロメルにいたアシファット族の人のだれかが花連さんを引いたんですか?」
これにはトウィードがこたえた。
「シェルギとの間に強い結びつきがあれば、引くだけでなく押すことができる。そんなことができるのはよほど力のある四使のみだが。亜陸からべつの亜陸へ移動するときにはそういう四使の力を必ず必要とする。花連どのの場合はおそらくお父上の力だろう。」
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