ひごめの赤い石

スズキマキ

文字の大きさ
48 / 55
第6章 願いごとは赤い文字で

48

しおりを挟む
 ひびきあうたくさんの声がおなじ言葉で洞穴を満たした。

「われ を まねる こと が できる のは つよき もの のみ
 しん に つよき もの が われ を まねる」

 唱和する声におくれて、つぶやく低い声がミチの背後から聞こえた。

「強き者のみ――真に強き者が、まねる」
 ミチはいそいで振りかえった。
 そこには進一郎がいた。

 進一郎のメガネの奥の目も頭上を見上げていた。
 ヒリ、とミチの左手の手首が反応した。手首の赤いアザだとミチはすぐ気づいた。かさぶたが出来たときに似ているようでもあり、かすかな火傷みたいでもあった。
 ミチは地面を踏んでいるはずの足の裏の感覚が急に消えてしまったように感じた。
 進一郎はうごめく黒い影、いま生まれようとしているアヤたちを見ているわけではなかった。メガネの奥の大きく見開かれた目は、赤い目を一心不乱に見つめていた。
「進一郎さん」
 ミチは進一郎の名を呼んだ。声はかすれて頼りなかった。
 それでもどうにか進一郎の耳に届いたようだ。
 進一郎が赤い眼球から視線をはずしてミチを見たので、ミチはホッとした。
 が、それはほんの一瞬だけだった。
 ミチは息をのんだ。

 進一郎の二つの目のうち、片方だけ色が変化していた。
 虹彩が赤い。
「進一郎さん――」
 もう一度その名を呼んで、ミチは立ちつくした。唇がわなないた。

 人間の寄主とアヤがその立場を変えようとしていた。
 まねした者がまねられる者へ、まねられた者がまねする者へ、入れ替わりが起きようとしていた。
 ミチは進一郎の顔を見つめた。穴があくかというほど見つめた。
 赤い虹彩と黒い虹彩、色のちがう二つの目を同時にぎゅっと見た。

 声が聞こえた。
「ミチどの、迷うな」
 津江さんの声だ。
「進一郎どのは進一郎どの。他の何者でもないぞな。声をかけや、かけておやり」
(声って、でも、何を言えばいいんだろう)
 ミチは口を開け、しかしすぐには言葉が出てこなかった。手首がひりついた。
 それが苦痛ならよかった。ところが肌の感触はぜんぜん苦痛じゃなかった。
 それはまるでこれから楽しいこと、わくわくすることが起きる兆しのようだった。興奮していてもたってもいられなくなる直前、椅子から腰を上げて立ちあがる数秒前みたいな感覚だった。
 進一郎もおなじ感触を得たはずだ。いいや、もしかしたらミチが感じているよりもずっと興奮しているのかもしれなかった。だって進一郎の手首のアザのほうがミチのものよりずっと濃くてはっきりしているのだ。
 この感覚に逆らうことなんかできるのだろうか。
 するとまるでミチの考えを読みとったみたいに、津江さんが言った。
「目が問題ぞな、ミチどの。あのアヤは目。したがって目と目を合わせたときがもっとも危ないぞな。誘惑も命令も、まねることも、あのアヤの力はすべて目を合わせることで生じる。視線を向けてはいけないえ」
 ミチはあることを思いだした。
「むかしばなし、ひごめの」
「その通り。あそこには大切なことが書いてあったぞな」
「進一郎さんが目を合わせている」
「外させや、まずそれをせねば」

(やらなくちゃ)
 ミチは思った。

「進一郎さん」
 声をかけたが返事はない。ミチは何度も進一郎の名を呼んだ。
 が、進一郎は赤い目を見つめたまま黙りこくっている。
(なにか言わなくちゃ、でも、なにを言えばいいんだろう)
 どんなことを言ってもムダな気がした。が、ミチは必死でその考えを打ち消した。できないなんて思っている場合ではないのだ。
「進一郎さん、ねえ、進一郎さんってば、お願いです、こっちを向いてください」
 ミチの口から出る声はふるえた。
「進一郎さん、進一郎さん。お願いです、進一郎さん」
 しだいに声が半泣きになった。
 無理だ、とミチは思った。
 だって手首がひりつくのだ。そのたびに気がはやって、なんでもできそうな高揚感がふわっと湧き上がってくるのだ。こんなに気持ちのよいことよりも、もっと強い言葉なんて見つかりっこない――無理だ、ミチは思った。
 そしてそう思った途端、ミチの口が動いた。
「だめだ」
 ふるえた、みっともない声が出た。
 それでもミチは必死で唇を動かして息を吐いた。
「そんなのまねしちゃだめだ、進一郎さん」
 進一郎がまたたきをした。もしかしたらミチの言葉が耳に入ったのだろうか。
 ミチは無理矢理に口を動かした。何を言えばいいのかわからないまま、言葉を考えつくよりも先に、とにかく声を出した。
「あんな、あんなの――あんなのは、ただのアヤだ」
 進一郎が身じろぎした。ミチは強引に言葉をつづけた。
「あんなの、ぜんぜん強いやつじゃない」
 ミチの手首がどくんと脈打った。ミチは自分に怒りが向かってきたのを感じた。
 まるで刃物をまっすぐつきつけられたみたいだ。
 赤い眼球の怒りだ。初めてはかのなかであの壁画を見たときにも感じた怒り。
 ミチはこぶしをぐっとにぎりしめた。

 一瞬、だれかの言葉が浮かびあがった。
『なすべきことをなせ、だとさ』

 だれから聞いた言葉だったか、ミチはすぐに思いだした。その人の顔も。
 ミチは言った。
「強いやつって、羽根島先生みたいな人のことだ」
 進一郎がハッとした顔になった。
 メガネの奥の赤い目と黒い目、二つの色の目がゆれたように、ミチには見えた。
 ミチは言葉をつづけた。津江さんが羽根島先生に伝え、羽根島先生がミチに伝えた言葉、それぞれがまねていっそう何かを得た言葉を。
「本当に強いのって自分が何をすればいいのかわかる人のことだ。あんなの、あんなアヤ、あんなのは、ただ自分を強いやつって思いたいだけだ。進一郎さんはちがう、あんなの、まねしなくていいんだ。進一郎さんは羽根島先生のお弟子さんでしょう、そしたら進一郎さんがまねするのは先生だ。あんなのよりずっと――」

 進一郎が――目を閉じた。

 そして右手で左手の手首をおさえた。
 一瞬、進一郎が身ぶるいをした。
 ミチもふるえた。手首のアザがビリビリふるえたのだ。
 まるで電流を流されたかのようだった。

 進一郎は顔をふせた。
「おれは――」
 声がふるえていた。
 ミチにとってはひどく長い間、だけど実際にはわずかに一瞬、進一郎は歯をくいしばった。進一郎の歯がカチカチと鳴った。メガネの奥でまぶたがぎゅっと閉じられ、眉毛がぎゅうっと寄った。
 やがて、進一郎は低い声で言った。
「おれは――おれの手本は、あんなやつじゃない」

 重なりあう声が洞穴にひびきわたった。

「ちから を あたえる ぞ」

「お前にもらう筋合いはない」
 唱和する声に比べると進一郎の声はずっと小さく聞こえた。
 小さくて、だけど確かな、しっかりした声だった。
 進一郎はゆっくりとまぶたを開けた。

 声がまたとどろいた。

「かぎりある ひと を こえる ちから を あたえる ぞ」

「お前からは何もいらない」
 進一郎が、歯の奥から押し出すようにして声をあげた。
「おれはお前のまねなんかしない。わかったか、化けもの」
 ミチの手首からひりつく感触がしだいに遠のいていった。はじめ気のせいかと思う程度に、やがてはっきりと。
 ミチはハッと息を一つ吐き出した。
 そのとき進一郎の目が動いた。
 特に赤いほうの目が、きょろりと動いて視線が遠くへそれた。
 そして表情が変化した。進一郎はハッとした顔になった。
「進一郎さん?」
 ミチが名を呼ぶのと、津江さんが、
「これはいかぬ」
 というのがほとんど同時だった。
「水かさが増してきたぞな」
 津江さんのいう通りだった。
 ジャバジャバ、ジャバジャバ、という水の流れる音が、さっきよりもずっと大きくなった。ミチは片足を持ち上げた。びちゃッと水がはねた。もう長い間ぬれたままの靴下を履いているせいで、水量がどれほど増えたのかわからなかったが、たしかに地面が水に浸かりはじめていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

星降る夜に落ちた子

千東風子
児童書・童話
 あたしは、いらなかった?  ねえ、お父さん、お母さん。  ずっと心で泣いている女の子がいました。  名前は世羅。  いつもいつも弟ばかり。  何か買うのも出かけるのも、弟の言うことを聞いて。  ハイキングなんて、来たくなかった!  世羅が怒りながら歩いていると、急に体が浮きました。足を滑らせたのです。その先は、とても急な坂。  世羅は滑るように落ち、気を失いました。  そして、目が覚めたらそこは。  住んでいた所とはまるで違う、見知らぬ世界だったのです。  気が強いけれど寂しがり屋の女の子と、ワケ有りでいつも諦めることに慣れてしまった綺麗な男の子。  二人がお互いの心に寄り添い、成長するお話です。  全年齢ですが、けがをしたり、命を狙われたりする描写と「死」の表現があります。  苦手な方は回れ右をお願いいたします。  よろしくお願いいたします。  私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。  石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!  こちらは他サイトにも掲載しています。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

生まれたばかりですが、早速赤ちゃんセラピー?始めます!

mabu
児童書・童話
超ラッキーな環境での転生と思っていたのにママさんの体調が危ないんじゃぁないの? ママさんが大好きそうなパパさんを闇落ちさせない様に赤ちゃんセラピーで頑張ります。 力を使って魔力を増やして大きくなったらチートになる! ちょっと赤ちゃん系に挑戦してみたくてチャレンジしてみました。 読みにくいかもしれませんが宜しくお願いします。 誤字や意味がわからない時は皆様の感性で受け捉えてもらえると助かります。 流れでどうなるかは未定なので一応R15にしております。 現在投稿中の作品と共に地道にマイペースで進めていきますので宜しくお願いします🙇 此方でも感想やご指摘等への返答は致しませんので宜しくお願いします。

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

ナナの初めてのお料理

いぬぬっこ
児童書・童話
ナナは七歳の女の子。 ある日、ナナはお母さんが仕事から帰ってくるのを待っていました。 けれど、お母さんが帰ってくる前に、ナナのお腹はペコペコになってしまいました。 もう我慢できそうにありません。 だというのに、冷蔵庫の中には、すぐ食べれるものがありません。 ーーそうだ、お母さんのマネをして、自分で作ろう! ナナは、初めて自分一人で料理をすることを決めたのでした。 これは、ある日のナナのお留守番の様子です。

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

少年イシュタと夜空の少女 ~死なずの村 エリュシラーナ~

朔雲みう (さくもみう)
児童書・童話
イシュタは病の妹のため、誰も死なない村・エリュシラーナへと旅立つ。そして、夜空のような美しい少女・フェルルと出会い…… 「昔話をしてあげるわ――」 フェルルの口から語られる、村に隠された秘密とは……?  ☆…☆…☆  ※ 大人でも楽しめる児童文学として書きました。明確な記述は避けておりますので、大人になって読み返してみると、また違った風に感じられる……そんな物語かもしれません……♪  ※ イラストは、親友の朝美智晴さまに描いていただきました。

処理中です...