上 下
34 / 44

海とビキニ

しおりを挟む
     
「チャラチャラしやがって」
 吐き捨てるように言い放った梅香の顔には、忌々しいと書かれていた。
「梅香だろ。海に行きたいって言い出したのは」
 確かに、海パンに花柄のシャツを羽織り、ビーチサンダルを履いて、キャップにサングラスまでしている俺は、チャラチャラしている風に見えるだろう。しかし行き先は真夏の海。むしろこれが正装だ。
「親友が傷心で海に行きたいって言ってるのに、なんでそんなウキウキと海水浴の準備してくるかな?」
「だって今真夏よ? 夏休みだよ?」
「あー、もう。杏ちゃんは勝手に沖まで泳いで戻ってを繰り返せばいいよ。私は今、傷心の女の子なの。ただ静かに海が見たいだけなの……」
 梅香はそう言って、どこでもない遠くを見た。

 そのやりとりがあったのは、ホテルまで梅香を迎えに行った、今から1時間前のことだ。そして現在、目の前に広がるビーチには、日除けのテントやカラフルなパラソルが所狭しとならび、ファミリーからカップルまで、幅広い年代のレジャー客でごった返している。
「傷心の女の子が、ここで何をするつもりだったんだよ?」
 とりあえず、空気入れのポンプを踏み、浮き輪を膨らませながら梅香に問いかける。
「なんか、思ってた海と違う……暑すぎる。水着も持ってきてないし……杏ちゃんとドライブもしんどいしなぁ……どうしよ」
 しんどくて申し訳ありませんね。心の中で回答しながら、今朝、海に行く準備をしていた時らいちに持たされた『梅香セット』を彼女に渡す。
「なにこれ?」
「らいちが、梅香に渡せって」
 梅香は中身を確認しながら雄叫びを上げた。
「おああああああああ? これ、らいちの? 着た? 水着ダァああああああああ」
 テンションがおかしい。
「通販で買ったらサイズ小さかったんだって」
「日焼け止めもサンダルまであるぅ。クッソ……泳ぐしかねぇ」
「お?」
「泳ぐよ! この三角ビキニで! 馬鹿野郎」
 やっぱり梅香のテンションがおかしい。しかし、今日はこれにとことん付き合うつもりだ。

 海の家で着替え、水中メガネをレンタルして、日除けの小さいテントを設営する。それから、二人で沖まで泳ごうとして挫折したり、梅香の浮き輪のエンジンとして散々泳いだり、砂に埋められたりと、彼女の気がすむまで付き合った。というか、自分も海を満喫した。
 日陰になっているところを探して、並んで腰掛ける。梅香は青いかき氷をかき混ぜながらぼやいた。
「日焼け止めしてても、これじゃあ焼けちゃうなぁ」
 それはそうだ。水着の面積が少ない。そして、いろいろなところにフリルがついているせいか、面積の割にエロさも少ない。色々と少ないが、梅香は着こなしていた。
「でも似合うよ。水着」
「水着の話じゃないよ。日差しの話だよ。でもありがとう。こんな三角ビキニなんてなかなか自分で選ばないよ。さすがらいち。可愛いよね、これ」
「うん。可愛い。もう泳がないの?」
 俺もどぎついピンク色のかき氷を混ぜる。これは、ピーチ味らしい。
「全力で遊んだから疲れたぁ。なんで私、好きな人を寝取った奴と遊んでるんだろ。友達少なすぎるのかな」
「ねと……リマシタネ。そういえば」
 ピンク色を口に運ぶ。混ぜ方が足りないのか、冷たさと、うすら甘さが口に広がった。
「……ねえ梅香、らいちとどんな話したの?」
 らいちは全部伝えたと言っていたけれど、どんな話をしたかは聞いていなかった。梅香は、俺の問いを一旦無視して青いかき氷を口に運び、深いため息をついた。
「らいちね、私のことは、ずっと好きだったけど、高校時代も今でも、そばにいると苦しいんだって」
「苦しい?」
「同い歳の女の子なのに、私には友達がいて、両親が当たり前に心配をして、将来の夢があって、首都圏の大学に進学して、成人式には綺麗な振袖を着て。それが全部、羨ましくて苦しかったって」
 後半は声が震えていた。
「そんなの、どうしようもないよね。私は私だし……でも、なんか、もっとできなかったかなって、考えてもどうしようもないのはわかるんだけど、でも……」
 思っていたよりも重くて、どうにもできない内容に、俺は彼女へタオルを渡すことしかできなかった。少し沈黙の後、振り絞るように梅香は続けた。
「それでね、今は杏ちゃんと付き合ってて、すごく幸せなんだって。私の気持ちも、気が付いてたみたい。それですっぱり、振られました。以上。好きな女の子を親友に寝取られた話でしたー」
 梅香はやたらと早口で捲し立て、無理やりおどけて舌を出した。
 全く笑えない。でも「舌が青くなってる」とか言って、笑顔を作った。
「そういえば、かき氷って食べると舌が染まるよね。なんか、夏休みって感じする」
「夏休みだし、いいじゃん」
 目の前の砂浜で遊んでいる人たちはみんな楽しそうだし、俺たちもきっと周りからそう見えているんだと思う。人って、パッと見ただけじゃどんなことを抱えているかなんて、わからないもんなんだな。なんて考えながら、二人で暫くビーチをぼんやりと眺める。
「そうそう、私さ杏ちゃんをキープしてたじゃない?」
「あー、してたね」
「もういいよ。振ってあげる」
 何かのついでのように、こちらも見ないで告げられた。急に言われたその言葉は、なんだか自分に向けたものじゃ無いように聞こえた。まるで、他人事だ。そう思いながら、溶けかかったピンクをスプーンでひたすら口に運ぶ。ピーチ味ってどんな味だったっけ? 訳がわからなくなるほど、ただひたすら甘い。梅香は、かき氷のカップに口をつけ、残りを飲み込んだ。
「自由にいこ? 私も、らいちも、杏ちゃんも。ね?」
「……うん」
「結局さ、高校の時、らいちを助けたいなんて考えてたのがおこがましいんだよ、私は」
「でもさ、らいちにとって梅香がいない高校生活なんて、洒落にならなくない? 梅香が好きすぎて、近寄ってくる俺なんかも嫌いだったとか言ってたし」
 慰めたつもりの俺を、梅香は睨む。
「じゃあさ、なんでそこくっついてんのよ。バカ! 私のこと応援してたんじゃないの? 寝とってんじゃねぇよ。もげろ。クソハゲ」
「禿げてはない」
「うるさいな。自分のつむじのあたり、見たことないでしょ?」
「え?」
 慌ててつむじのあたりをさする。髪の毛はあるけれど、薄さは手触りではわからない。
「……まじで?」
「彼女に見てもらいなよ」
 梅香はニヤニヤしながら、「もうさ」と続けた。
「ほんとはもう、なーんも考えたくなーいんだよーん」
「だよーん。って……バグってんな」
「バグらせてよ。あー、なかなかうまくバグれない」

 そう言って、梅香はまた泣き出した。
しおりを挟む

処理中です...