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深淵編
ハイキング
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俺達が降り立ったのは無人駅だった。
見渡す限り、駅舎以外の人工建造物が見当たらない。
「あの……都築さん、本当にこの駅で間違いないですか?」
不安そうな橘に、俺は乾いた笑いを浮かべた。
「ハハハハッ! 大丈夫っ! ほら、地図ではこっからバス三十分、徒歩ニ十分で集落があるはず!」
俺が見せたスマホ画面をアレクが覗き込んで来た。
「その集落ってのが、絵に描いてあったとこなのか?」
「あぁ、そのはずなんだ……とにかく行ってみよう! バスの時刻表も調べたんだけど朝夕の一日二回しかないから、朝のやつに乗れなかったら大変だ!」
当然だが、駅前のバス停に俺たち以外の乗客はいなかった。
やってきたバスにも客は一人も乗っていない……この路線、採算取れてるんだろうか。
俺の心配をよそに、どの停留所でも新しい客を乗せることなくバスは山道をどんどん上ってゆく。舗装されていない山道はバスをガタガタ揺らし、しゃべってたら舌を噛みそうだ。
「ん? 店長? なんか顔色悪いですよ」
悪い気配でも感じたのだろうか、店長はみるみる顔色が悪くなり口元を押さえてしまった。しかし、アレクと橘は何ともなさそうだが……。
「ちょっと、車酔い……気持ち悪い……」
「えぇええ~っ!? ちょ、大丈夫なんですか?」
霊能力は最強クラスでも、低血圧で朝には弱いし乗り物酔いでふらふらになるし……この人、人間としてはけっこう繊細で弱い方かも知れない……アレクと橘も心配そうに店長を見ている。
俺は店長の背中を優しくさすった。
いったんバスを停めてもらって店長を休憩させた方がいいかと考えたところで、バスが停留所に停まる。
「終点ですよ」
運転手さんの言葉に俺達は急いで立ち上がった。
店長が吐く前にバスから降りよう!
「すみません、この近くに集落があると思うんですけど……」
降り際に訊ねると、運転手のおじさんは停留所から山奥へと続くけもの道を指さした。
え、マジであっち???
バスが走り去った後、俺達は停留所の椅子に店長を座らせてちょっと休憩することにした。
俺は改めてスマホの地図で位置関係をチェックしようとしたが……圏外、だと!?
現代日本でも電波が届いてない地域はまだまだあるんだな……。
「スマホは使えないし、運転手さんを信じるしかないか……このけもの道、足元悪そうだけど店長いけそうですか?」
「うん、もう大丈夫。だいぶ落ち着いたよ」
店長はまだ完全復活ではなさそうだが、あまりゆっくりもしてられない。この時、のん気な俺はまだ夕方のバスで帰るつもりにしてたのだ。
俺たちはけもの道へと足を踏み入れた。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
意外とけもの道は途切れることなくしっかりと続いていて、俺達は迷わずに集落へ到着することができた。
生い茂る木々を抜けると一気に視界が開け、田畑といくつもの民家が見えて遭難せずに済んだことを実感する。
最初に見つけた村人は畑仕事をしている中年のおじさんだった。
「こんにちは!」
俺はなるべく明るく挨拶した。
草引きをしていたおじさんが顔を上げる。
「おやぁ、こんな山奥まで何しに来られた?」
「ハイキングサークルなんです。この先にある鳥居まで行ってみようと思ってて……」
「最近は来る人もなくなったからなぁ……行っても、なーんにも手入れされてねぇぞ。猪も出るから危ねぇし、やめといた方がいいと思うがなぁ」
おじさんは首にかけている白い手ぬぐいで顔の汗を拭いた。
橘も俺の隣で愛想良くおじさんに話しかける。
「鳥居があるってことは神社ですよね? 何て言う神社ですか?」
「あー、鳥居は昔からあるが……神社みたいなもんはねぇなぁ……」
え? 鳥居だけとか、そんなことあるのか……?
「まぁ、せっかく来たんだし滝の方まで散策に行ってみよう」
店長の提案におじさんは笑顔で頷き、俺達が来たのと反対の方の道を指さした。
「あっちの道から川に出られる、そのまま上流へ向かっていけば滝まですぐだぞ」
「ありがとうございます!」
俺達は礼を言って教えてもらった方へ歩き出した。
村は日本中どこにでもある「のどかな田舎」だった。おじさん以外にも畑仕事をしている人は何人か見かけたが、どの人も声をかければ気持ち良く挨拶してくれる。
家々はかなり年季の入ったものばかりだが、きちんと手入れが行き届いていて古ぼけた雰囲気はない。
少し歩いただけで川のせせらぎが聞こえて来た。
おじさんに咄嗟に「ハイキングサークル」なんて嘘をついてしまったが、本当にちょっとしたハイキング気分だ。
川幅は五メートルくらいだろうか、深いところでも膝くらいまでしかない。
小さな魚や川底まで見えるほどに澄んだ水……足をつけてゆっくり楽しみたいくらいだ。
俺達は滝へ向かって川沿いに上流の方へと向かう。
「さっきおじさんが言ってたけど、神社なしで鳥居だけなんて事あるのか?」
俺の質問に橘が軽く頷いた。
「鳥居っていうのは、いわゆる境界なんです。神社の入り口にある鳥居は、神社の内側の神聖な場所と、人間が暮らす外側との境界を表しているんです。一部の山岳信仰では山頂付近を『神域』と定めているところも多いので、その境目として鳥居が建てられたんじゃないでしょうか」
「神社はなくても鳥居の向こうは神域ってことか……」
ふむふむと橘の説明を聞いていると、アレクも会話に入ってくる。
「日本は多神教だからな。色んな宗教が土着信仰と混じり合って特有のスタイルを作っているところも多い、本当に興味深いし面白いぞ」
クリスマスを盛大に祝って一週間やそこらで初詣に行く俺達日本人は、アレクの目にはどんな風に映っているんだろう……。
俺はちょっと複雑な気分で滝へ到着した。
「おぉーっ! すっげえ~っ!」
高さは五メートルくらいだろうか。
それほど大きい滝ではないが、水量もしっかりあるため迫力は抜群だ。
「うわぁ、気持ちいいですね……!」
橘も声のトーンが上がった。
アレクも自然の雄大な景色に目を細めている。
俺たちは滝を眺められるベストスポットで休憩することにした。
ちょうどいい感じに木陰になっている岩場に適当に腰を下ろす。
正直「祓い」の仕事で来てることなんて忘れてしまいそうなほどに楽しい。
しかし店長だけがさっきからずっと黙ったままで何やら考え込んでいる様子だった。
「店長、まだ車酔い辛いんですか?」
「いや、それはもう大丈夫。そうじゃなくて、……あの村ちょっとおかしいね」
「おかしい?」
特にこれといって気になるような事はなかったが……俺はアレクと橘へ順に目をやる。二人も良く分からないといった様子だ。
店長は腕を組み、何か思い出そうとでもするかのように軽く目を閉じて顔をしかめた。
「何かこう……上手く言えないんだけど、かすかに嫌な感じがするんだ。歩いていても足に纏わりついて来るような、冷たい感覚の――…この感じ、どこかで……」
アレクは店長のことを「感性で祓いをしてる」と何度か言ってたけど、店長にしか感じられない何かがあるのかも知れない。
「もう少し深く村に入り込みたいね……、そうだ! 都築くん、ちょっと川に落ちてくれない?」
「――…は???」
聞き間違えだろうか。
「ハイキングに来た人間が事故って川に落ちてずぶ濡れになったら、地元民としては助けてあげなきゃって思うんじゃないかな」
「…………まぁ、そうですね」
「うん、だから頼むよ」
「いや! 何で俺がっ!?」
「こういうのは若者の役目だろ? でも、橘くんは見るからに慎重そうだし。“うっかり”川に落ちるなら都築くんかなって……」
都合のいい時だけ年長者ぶるなんてズルい!
俺、ついこの間まで急性虫垂炎で入院してたのに……病み上がりにも容赦ないな、この人。
しかしこの面子を考えれば、確かに川に落っこちるなら俺という気もする。
「あーっ! もう、分かりましたよ! 言っときますけど、今のこの時間もぜーんぶ時給倍ですからね!」
「うん、もちろん!」
にっこり笑顔の店長に背を向け、俺はポケットから取り出したスマホをウエストバッグに突っ込み、橘に預けた。
完全にやけくそ状態で川へと向かう。
「都築さん、滝壺の方は深くなってて危ないですよ! あんまり近づかない方が……」
「おう!」
心配そうな橘とアレクに引きつった笑顔で答え、俺はバシャバシャと川へ入っていった。
「うわっ! この辺、すごい滑る――…っ、……うわぁあっ!!」
川の流れに足を取られて滑る石に抗うこともできず、俺は無様にひっくり返って、見事全身ずぶ濡れになったのだった。
見渡す限り、駅舎以外の人工建造物が見当たらない。
「あの……都築さん、本当にこの駅で間違いないですか?」
不安そうな橘に、俺は乾いた笑いを浮かべた。
「ハハハハッ! 大丈夫っ! ほら、地図ではこっからバス三十分、徒歩ニ十分で集落があるはず!」
俺が見せたスマホ画面をアレクが覗き込んで来た。
「その集落ってのが、絵に描いてあったとこなのか?」
「あぁ、そのはずなんだ……とにかく行ってみよう! バスの時刻表も調べたんだけど朝夕の一日二回しかないから、朝のやつに乗れなかったら大変だ!」
当然だが、駅前のバス停に俺たち以外の乗客はいなかった。
やってきたバスにも客は一人も乗っていない……この路線、採算取れてるんだろうか。
俺の心配をよそに、どの停留所でも新しい客を乗せることなくバスは山道をどんどん上ってゆく。舗装されていない山道はバスをガタガタ揺らし、しゃべってたら舌を噛みそうだ。
「ん? 店長? なんか顔色悪いですよ」
悪い気配でも感じたのだろうか、店長はみるみる顔色が悪くなり口元を押さえてしまった。しかし、アレクと橘は何ともなさそうだが……。
「ちょっと、車酔い……気持ち悪い……」
「えぇええ~っ!? ちょ、大丈夫なんですか?」
霊能力は最強クラスでも、低血圧で朝には弱いし乗り物酔いでふらふらになるし……この人、人間としてはけっこう繊細で弱い方かも知れない……アレクと橘も心配そうに店長を見ている。
俺は店長の背中を優しくさすった。
いったんバスを停めてもらって店長を休憩させた方がいいかと考えたところで、バスが停留所に停まる。
「終点ですよ」
運転手さんの言葉に俺達は急いで立ち上がった。
店長が吐く前にバスから降りよう!
「すみません、この近くに集落があると思うんですけど……」
降り際に訊ねると、運転手のおじさんは停留所から山奥へと続くけもの道を指さした。
え、マジであっち???
バスが走り去った後、俺達は停留所の椅子に店長を座らせてちょっと休憩することにした。
俺は改めてスマホの地図で位置関係をチェックしようとしたが……圏外、だと!?
現代日本でも電波が届いてない地域はまだまだあるんだな……。
「スマホは使えないし、運転手さんを信じるしかないか……このけもの道、足元悪そうだけど店長いけそうですか?」
「うん、もう大丈夫。だいぶ落ち着いたよ」
店長はまだ完全復活ではなさそうだが、あまりゆっくりもしてられない。この時、のん気な俺はまだ夕方のバスで帰るつもりにしてたのだ。
俺たちはけもの道へと足を踏み入れた。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
意外とけもの道は途切れることなくしっかりと続いていて、俺達は迷わずに集落へ到着することができた。
生い茂る木々を抜けると一気に視界が開け、田畑といくつもの民家が見えて遭難せずに済んだことを実感する。
最初に見つけた村人は畑仕事をしている中年のおじさんだった。
「こんにちは!」
俺はなるべく明るく挨拶した。
草引きをしていたおじさんが顔を上げる。
「おやぁ、こんな山奥まで何しに来られた?」
「ハイキングサークルなんです。この先にある鳥居まで行ってみようと思ってて……」
「最近は来る人もなくなったからなぁ……行っても、なーんにも手入れされてねぇぞ。猪も出るから危ねぇし、やめといた方がいいと思うがなぁ」
おじさんは首にかけている白い手ぬぐいで顔の汗を拭いた。
橘も俺の隣で愛想良くおじさんに話しかける。
「鳥居があるってことは神社ですよね? 何て言う神社ですか?」
「あー、鳥居は昔からあるが……神社みたいなもんはねぇなぁ……」
え? 鳥居だけとか、そんなことあるのか……?
「まぁ、せっかく来たんだし滝の方まで散策に行ってみよう」
店長の提案におじさんは笑顔で頷き、俺達が来たのと反対の方の道を指さした。
「あっちの道から川に出られる、そのまま上流へ向かっていけば滝まですぐだぞ」
「ありがとうございます!」
俺達は礼を言って教えてもらった方へ歩き出した。
村は日本中どこにでもある「のどかな田舎」だった。おじさん以外にも畑仕事をしている人は何人か見かけたが、どの人も声をかければ気持ち良く挨拶してくれる。
家々はかなり年季の入ったものばかりだが、きちんと手入れが行き届いていて古ぼけた雰囲気はない。
少し歩いただけで川のせせらぎが聞こえて来た。
おじさんに咄嗟に「ハイキングサークル」なんて嘘をついてしまったが、本当にちょっとしたハイキング気分だ。
川幅は五メートルくらいだろうか、深いところでも膝くらいまでしかない。
小さな魚や川底まで見えるほどに澄んだ水……足をつけてゆっくり楽しみたいくらいだ。
俺達は滝へ向かって川沿いに上流の方へと向かう。
「さっきおじさんが言ってたけど、神社なしで鳥居だけなんて事あるのか?」
俺の質問に橘が軽く頷いた。
「鳥居っていうのは、いわゆる境界なんです。神社の入り口にある鳥居は、神社の内側の神聖な場所と、人間が暮らす外側との境界を表しているんです。一部の山岳信仰では山頂付近を『神域』と定めているところも多いので、その境目として鳥居が建てられたんじゃないでしょうか」
「神社はなくても鳥居の向こうは神域ってことか……」
ふむふむと橘の説明を聞いていると、アレクも会話に入ってくる。
「日本は多神教だからな。色んな宗教が土着信仰と混じり合って特有のスタイルを作っているところも多い、本当に興味深いし面白いぞ」
クリスマスを盛大に祝って一週間やそこらで初詣に行く俺達日本人は、アレクの目にはどんな風に映っているんだろう……。
俺はちょっと複雑な気分で滝へ到着した。
「おぉーっ! すっげえ~っ!」
高さは五メートルくらいだろうか。
それほど大きい滝ではないが、水量もしっかりあるため迫力は抜群だ。
「うわぁ、気持ちいいですね……!」
橘も声のトーンが上がった。
アレクも自然の雄大な景色に目を細めている。
俺たちは滝を眺められるベストスポットで休憩することにした。
ちょうどいい感じに木陰になっている岩場に適当に腰を下ろす。
正直「祓い」の仕事で来てることなんて忘れてしまいそうなほどに楽しい。
しかし店長だけがさっきからずっと黙ったままで何やら考え込んでいる様子だった。
「店長、まだ車酔い辛いんですか?」
「いや、それはもう大丈夫。そうじゃなくて、……あの村ちょっとおかしいね」
「おかしい?」
特にこれといって気になるような事はなかったが……俺はアレクと橘へ順に目をやる。二人も良く分からないといった様子だ。
店長は腕を組み、何か思い出そうとでもするかのように軽く目を閉じて顔をしかめた。
「何かこう……上手く言えないんだけど、かすかに嫌な感じがするんだ。歩いていても足に纏わりついて来るような、冷たい感覚の――…この感じ、どこかで……」
アレクは店長のことを「感性で祓いをしてる」と何度か言ってたけど、店長にしか感じられない何かがあるのかも知れない。
「もう少し深く村に入り込みたいね……、そうだ! 都築くん、ちょっと川に落ちてくれない?」
「――…は???」
聞き間違えだろうか。
「ハイキングに来た人間が事故って川に落ちてずぶ濡れになったら、地元民としては助けてあげなきゃって思うんじゃないかな」
「…………まぁ、そうですね」
「うん、だから頼むよ」
「いや! 何で俺がっ!?」
「こういうのは若者の役目だろ? でも、橘くんは見るからに慎重そうだし。“うっかり”川に落ちるなら都築くんかなって……」
都合のいい時だけ年長者ぶるなんてズルい!
俺、ついこの間まで急性虫垂炎で入院してたのに……病み上がりにも容赦ないな、この人。
しかしこの面子を考えれば、確かに川に落っこちるなら俺という気もする。
「あーっ! もう、分かりましたよ! 言っときますけど、今のこの時間もぜーんぶ時給倍ですからね!」
「うん、もちろん!」
にっこり笑顔の店長に背を向け、俺はポケットから取り出したスマホをウエストバッグに突っ込み、橘に預けた。
完全にやけくそ状態で川へと向かう。
「都築さん、滝壺の方は深くなってて危ないですよ! あんまり近づかない方が……」
「おう!」
心配そうな橘とアレクに引きつった笑顔で答え、俺はバシャバシャと川へ入っていった。
「うわっ! この辺、すごい滑る――…っ、……うわぁあっ!!」
川の流れに足を取られて滑る石に抗うこともできず、俺は無様にひっくり返って、見事全身ずぶ濡れになったのだった。
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