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深淵編

救出と対決

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 その時、店長の声が大きく響いた。
 聞いたことのない言葉……呪文?

 アレクが驚きの声をあげる。

「カバラ十字っ!?」

 続いて、店長は俺でも聞いた事がある天使の名前を唱えた。
 俺には見えてないが、店長の前だの後ろだの右だの左だの……とにかく、店長を取り囲むようにミカエルとか有名天使様がいるのかっ!?
 その後の呪文は俺には理解不能なものだったが、店長の呪文が終わると同時に橘が一瞬大きく体を震わせ、崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。

「これは……、五芒星の小追儺しょうついな儀式っ……初めて見た、……」

 アレクが呆然と立ち尽くしている。
 そんなすごい術なのか?

「悪魔はっ!?」

退しりぞけた! 都築くん、早く橘くんを!!」

 店長の指示に、俺は橘の手を握り直して強く引き、何とかもう一度立たせた。
 今度こそ橘は俺の手をしっかりと握り返す。
 俺は橘を連れて走り出した。その後をアレク、店長の順で地上への階段を駆け上がる。

「村の人達は?」

「数分で動けるようになる!」

 店長の返事に俺は青ざめた。
 あの人数だ、追って来られたら簡単に捕まってしまう。

「どこへ逃げれば……?」

 当然だがこんな時間にバスはない、逃げながら徒歩で山を下りるなんて無理だ。

「鳥居へ行きましょう!」

「鳥居っ!?」

 橘の提案に俺は走りながら問い返した。

「神域なら、邪悪なものは入れません!!」

 店長とアレクも異論はなさそうだ。
 深く考えてる暇はない。
 しかし山道は暗く、足元はほとんど見えない。
 方角だって分からないぞ。

「僕の式神が案内してくれます」

 橘が前方を指さすが、当然俺には見えない。
 アレクが俺達の前に出た。

「山に入ったら何があるか分からない。俺が前を行くから、都築と橘はついて来るんだ。尾張は後ろを頼む」

「分かった……!」

 石や草に足を取られそうになりながらも、俺はアレクの背中を追って必死について行く。
 とにかく上へ上へと――…遠くで滝の音も聞こえる。

「追手が来る」

 店長の言葉で振り返ると、遠くでたくさんの光が動いているのが見えた。
 懐中電灯だろう、俺達を探しに来るんだ。
 もし捕まったら――…。
 俺は考えるのをやめ、ただひたすらにアレクの背中だけを見て暗い山道を走った。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



 鳥居は本当に何年も手入れされていない様子で、あちこち塗装も剥げて傷んでいた。
 これが本当に神域との境界なのかと思うほどだ。
 もし俺がこの山の神様なら、こんな風にちゃんと手入れもしてもらえず何年もほったらかしにされたら、やさぐれて家出しそうだ。

「ここで大丈夫なのか?」

「はいっ」

 鳥居をくぐった橘は、息を切らせてしゃがみ込んだ。
 アレクと店長も、ヘトヘトで膝に手を置いたり、肩で息をしたりしている。
 遠くから村の人達の声が聞こえてきた。見れば光が近くなってきている。
 集会所にいたのは、ほとんど村人全員だろう。
 あの人数で探し回られたら見つかるのも時間の問題だ。

 橘は神域だから邪悪なものは入れないと言ってたが、だからといってずっとここに立て籠ってるわけにもいかないだろう。

「どうすればいいんだ?」

「こうなったら、力技でいこうか……」

 店長の口から飛び出した物騒な単語に、俺は慌てて声を上げた。

「ちょ、大量虐殺とかはダメですよっ!!」

 店長は一瞬目をパチクリさせてから小さくふき出した。

「やだなぁ、都築くんてば……そんな野蛮なことしないよ」

 いや、この人は必要と思えばやる!
 不信感丸出しの俺の視線を気にすることなく、店長は言葉を続ける。

「あの人達は、悪魔からの恩恵を享受することに慣れ過ぎてしまっている。麻薬みたいに中毒性があるからね。そして、繰り返された夜宴サバトの影響であの村自体が悪魔の棲家すみかになってしまってるんだ。村の何処に居ても、暗く冷たい悪魔の気配がする――…」

「村に来た時に店長が言ってた『嫌な感じ』とか『纏わりついて来るような冷たい感覚』って……悪魔の気配だったってことですか?」

「うん、この村全体が悪魔に汚染されてるんだよ。僕たちが逃げ出したところで、これからも夜宴サバトは繰り返されるし、どこかで子供の行方不明が続く」

「そんな――…っ!」

「だから、ね。力技で……もう全部、綺麗さっぱりしちゃおう」

「それって……どういう?」

「この地域全体を浄化して、村の人達から悪魔の毒気も抜く。そして今後この地でバカな真似ができないように……悪魔が入り込めないように結界を張る」

 土地も人も全部浄化して、結界を張る……?
 俺は京都で橘が張り直したという安倍晴明の京都守護魔方陣を思い出しだ。
 そんなこと……できるのか?

「橘くん、結界は作れるよね?」

「はい、でも……この土地を丸ごとカバーするとなると、ものすごく大きなものになります。作ることは出来ても、構築と定着ができるかどうか……」

「それは僕がやる。アレク、六芒星を作りたいんだがかなめとして使えるものはあるか?」

 要? ……何かポイントになる様なモノか?

「このロザリオを使ってくれ」

「僕の念珠も使って下さい!」

 アレクは十字架のネックレスを、橘は数珠のようなものを店長に差し出した。
 あ、もしかして……!

「これも使えますか?」

 俺はアパートの鍵をつけている勾玉のキーホルダーをポケットから取り出した。鍵を外し、勾玉を店長に差し出す。巫女さん達から「依り代」の代わりになったお礼としてもらったものだ。

「ありがとう、あと三つか……」

 店長は少し考え込み、すぐにハッと顔を上げた。

「都築くん、トランプ持ってきてたよね?」

「え?」

「電車の中でババ抜きしてただろ?」

「……これですか?」

 俺はウェストバッグからトランプを取り出し店長に渡す。
 店長はトランプを箱から取り出し地面に拡げた。

「都築くん、灯り!」

「は、はいっ!」

 俺は慌ててスマホを取り出し、ライトを点けて地面のトランプを照らす。

「トランプなんか、どうするんですか?」

「トランプっていうのは、タロットカードから生まれたものなんだ」

「タロットカードって、占いに使うやつですよね?」

「そう、そして呪術の道具でもある」

 店長は話しながらも、地面に拡がるカードの中からお目当てのものを探し出し、拾っていく。

「よし! 橘くん、ここに立って」

 店長は俺達が渡した物とトランプを合わせて六つを手にすると、橘を囲うようにそれぞれを地面に置いていく。六芒星の角に当たる位置に並べているのだろう。

「橘くんはありったけの力で結界を作るだけでいい、僕が構築と定着をする。途中で邪魔が入って暴発でもしたら面倒だから、アレクと都築くんは周囲を警戒。もし鳥居をくぐって来れる人がいたら全力で排除すること」

「はい!」

「分かった」

「分かりました!」

 店長の指示はちょっと早口だったが、俺は自分の役目を頭に叩き込んだ。
 気合を入れる。

「橘くん、始めるよ」

「はい……!」

 橘は大きく深呼吸をすると、目を瞑り、印を結んだ。
 唇が動く。呪文を唱えているのだろう。

 遠かった村の人達の声がどんどん大きくなってくる。
 俺とアレクは目配せし、鳥居の方へと走った。
 鳥居のすぐ近くにある藪の陰に身を隠し、様子を伺う。

 村人達の声と足音が大きくなり、すぐ近くまで来たのが分かった。
 中には九谷さんの声も混じっている。
 だが、村人達はなかなか鳥居をくぐろうとはしない。
 本当に『境界』なんだな。

 しかし、とうとう一人が鳥居をくぐった。
 顔をしかめているのを見ると、やはり「こちら側」は居心地が悪そうだ。

 その一人を機に、他の人達も渋々といった様子で入って来る。
 俺の横でアレクが小さく舌打ちした。

「尾張たちが見つかってしまう…――行くぞ、都築!」

「おう!」

 俺とアレクは村人達の前に走り出た。
 武術の心得もない俺は、ただやみくもに両手を振り回すくらいしか出来ない。
 しかし村人達は「こちら側」だからか、あまりに弱かった。
 大した力も出ないようだ。
 俺でも数人をねじ伏せることができた。

 見れば、アレクは俺の倍以上の人数を殴り倒していた。
 エクソシストって、強えぇーーーっ!!

「儀式を台無しにしやがって! 許さんっ!」

 怒声に俺は振り返った。村人の一人がこちらへ突進してくる。
 九谷さんだ!! 別人のような形相。
 その手には月明りにキラリと光るものが――…ナイフ!?

 避けられない!!

「――…っ!!」

 目の前が暗くなると同時に、ザシュッと鈍い音がした。
 でも、痛みは……ない?

 俺は目を見開いた。
 目の前には、アレクの背中――…。
 俺と九谷さんの間に、アレクが割って入っている。

「……うそ、だ……こんな……っ、……――アレクっ!!!!」

 俺はアレクの体を支えるように背中側から抱きとめた。
 そのままアレクと一緒に地面に崩れるように座り込んでしまう。
 アレクの腹にナイフが刺さっている。
 俺は全身から血の気が引くのを感じた。

「なんで……、なんでこんな事まで……っ……」
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