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霊媒編

幕間 ドッペルゲンガー

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 今日は待ちに待った映画『裏切りのビオトープ~楊貴妃メダカと密書の行方~』の公開日である。
 俺が尊敬してやまない國山くにやま藤次郎とうじろう監督の最新作ということもあり、公開初日にバイトのランチタイム営業を休ませてもらって観に来ていた。『どんでん返し連発のサスペンス&アクション! ラストまでまばたき禁止!』と書かれたポスターの前で、スマホを取り出し時間を確認する。

 五十嵐との待ち合わせまで、まだ十分以上ある。大学の友達で映画大好き仲間の五十嵐も、今日を楽しみにしていた。
 先にパンプレットを買っておこうかとスマホをポケットに突っ込んだところで、俺は視界の端を知ってる顔が横切るのに気づいた。

「あれ? 橘?」

 一瞬他人の空似かと思ったが、どう見ても橘にしか見えない。
 俺は思わず追いかけて肩を掴んだ。

「橘! 京都に帰ったんじゃなかったのか?」

「――…???」

 振り返ったその顔は橘に間違いないのに、俺を見て怪訝けげんな表情を浮かべた。
 まるで見知らぬ不審者でも見るような目つきに、俺は一瞬たじろぐ。

「誰?」

「え? ――…だ、誰って……っ……あれ? 橘じゃない、のか?」

 いや、どこからどう見ても橘そのものだ。
 でもずいぶん雰囲気が違う。
 戸惑う俺に、『橘』は軽くため息を吐いて肩を竦めた。

「あんた、京都の橘の知り合い? 悪いけど俺は京一じゃないよ」

「え? ……え? ………はい???……、……」

 大混乱で思考停止状態の俺の後ろから女の子が駆け寄って来た。

「ごめーん! 万里ばんりくん、待った?」

「いや、俺もさっき来たとこ」

 女の子は『橘』に親し気に腕を絡め、上目遣いで甘ったるい声を出す。
 胸元が大きく開いたブラウスと下着が見えそうなほど短いスカート……高校生くらいだろうに、ばっちり化粧もしている。俺の苦手なタイプの女の子だ。

「この人なに? 知り合い?」

「あぁ、人違いで声かけられただけ。行こっか……!」

 万里と呼ばれたそいつは、女の子の耳元に必要以上に唇を近づけ、吐息がかかるほどの位置でふふっと笑い、チラリと俺を横目で見た。
 べ・つ・じ・ん!!
 橘はそういう事しないし、そんな表情かおもしない!!

 離れて行く二人の背中を、俺はものすごーく複雑な気分で見送った。
 ――…と思ったら、急にくるりと踵を返してこちらへ近づいて来る。

「???」

「あんた、すごいの連れてるね。犬神の飼い主なんて初めて見たよ、さすがは京一の知り合いだな……名前、なんていうの?」

 こいつ――…パトラッシュが見えてるっ!?

「都築……だけど」

 別人なのは確定だが、橘のことを知ってるような口ぶりから全くの他人ではないのだろう。
 これだけ似てるんだ、遺伝的な繋がりがあるのは確実。
 それならパトラッシュが見えても不思議じゃないが……。

 どう反応したらいいのか分からない俺に、万里は軽く目を伏せて笑った。

「ふぅ~ん、都築か。またいつか、どっかで会うかもね……その時はよろしく」

 まるで俺の反応を楽しむように悪戯っぽい笑顔で、万里は彼女の元へと戻って行った。
 指を絡めるように女の子と手を繋ぎ、歩いていく。

 こっ、恋人繋ぎ……だと!?

 橘の顔と橘の声で――…それはやめてくれ!
 なかなかショックから立ち直れない俺は、ふらつく足で映画館の入口へと戻った。

「おーっす、都築!」

 五十嵐が手を振っている。

「…………」

 俺が近づくと、五十嵐は不思議そうに目を瞬かせた。

「どうした? どっか具合でも悪いのか?」

「いや……うん、大丈夫……、……」

「お前……気になってたクラスの女子に彼氏がいたみたいな表情かおしてるぞ」

 どんな例えだ……。
 楽しみにしていた映画の内容もほとんど頭に入らず、ショックを引きずったまま、俺はバイトの夜営業へと向かったのだった。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



「本当にすっごいそっくりだったんですよ! 橘のドッペルゲンガーかと思うくらい!」

 俺は興奮気味で店長に報告していた。
 カフェバー「ムーンサイド」は今夜のバータイムも客はゼロ。カウンターに映画のパンフレットを拡げてはいるものの、話題はとにかく橘のそっくりさんについてだ。

 店長はグラスを磨きながら、軽く首を傾げる。

「橘家の次男にでも会ったんじゃない?」

「じなん??? って、橘って兄弟いたんですかっ!?」

 橘の屋敷に泊めてもらった時には、兄弟姉妹どころか両親の影すらなかった。
 店長は手を止めてグラスを照明にかざし、ゆっくりと回してガラス面を確認してから再び磨きだした。

「あぁ、そうか……都築くんにとっては常識じゃないよね」

「常識……?」

「前に説明したと思うけど、陰陽系の力は遺伝的な部分が大きいんだ。橘家みたいな一族なら、当主に何かあった場合の『予備』を当然用意してあると思わない?」

「……予備って」

 嫌な単語だな。

「血脈を絶やさないために男子二人女子一人が基本だけど、……確か橘くんのお母様は体が弱くて、男の子二人しか儲けることが出来ずに、ずいぶん肩身の狭い思いをされたと聞いたな」

 店長は記憶を辿るように、ゆっくりと独り言みたいに言葉を紡ぐ。

 そういえば、俺がゼミ旅行で京都に行った時に聞いた話では、店長は橘家の『ご隠居』とお中元やお歳暮をやり取りするくらいの仲なんだ。ある程度の事情は知ってるんだろう。

「そっか……橘の、弟……か」

「あぁ、そうそう! 確か双子だって言ってたから、そっくりなのも頷けるね」

 店長は磨き終わったグラスを棚に戻した。

「双子かぁ……見た目はそっくりでも、性格は全く似てなさそうでしたけど」

「そりゃそうだよ、全く違う環境で別々に育てられるんだから。一緒に育てて、事故にうのも一緒に遭っちゃったりしたら『予備』の意味がないだろ?」

 何だか辛い……俺は胃の辺りがシクシクしてきた。
 俺はもの凄く複雑な表情かおをしてたのだろう、店長は苦笑しつつ新しいグラスを取り出して磨き始めた。

「店長が懇意にしてる『ご隠居』さんってのが……橘の父親なんですよね?」

「えっ? 違うよ。京都に行った時に顔合わせなかったの?」

「…………はい」

「橘家の先代……つまりご隠居は、橘くんのおじい様だよ」

「父親を飛ばして、橘が当主を継いだってことですか?」

「うん。橘くんのお父様は当主を継ぐ前に、仕事中の事故で足をもがれて亡くなったはず……」

 俺はくらりと眩暈がして思わずカウンターに手をついた。
 壮絶すぎる――…!!
 言葉を失ってしまった俺から目を逸らし、店長は磨いていたグラスをコトリとカウンターに置く。

「そういう人達がいてくれるから、僕達はのうのうと暮らしていられるんだよ」

 俺はこの間の橘との会話を思い出した。
 簡単に死ぬ話をする橘を叱りつけた、あの時……俺はめちゃくちゃ無神経だった。

「都築くん、大丈夫? 顔色悪いよ……?」

「俺、……たちばな、に…………っ……、…酷いこと、言っ……」

 世界がぐにゃりと歪むような感覚。ドクンドクンと自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。
 俺は吐きそうになって口元を押さえた。

「気にすることない――…というか、都築くんはそのままのスタンスでいいんじゃないかな」

「……え?」

 顔を上げた俺に、店長は悪戯っぽく微笑んだ。

「橘くん、『いつでも死ぬ覚悟をしとけ』ってのは嫌ってほど言われてるだろうけど、『死ぬ覚悟なんかするな』って叱られたのは初めてだと思うよ。あの時の橘くんの表情かおってば……ふふっ、……」

「…………」

「都築くんだけは、あの子に『死ぬな』って言い続けてあげなよ」

 店長の声はどこか諦めたように、穏やかで優しく、そして悲しかった。
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