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クリスマス編

秘密の契約

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 いつの間に意識を失ったのか、記憶は曖昧だ。
 目覚めると病院だった。

 俺とアレクは並んでベッドに寝かされ、二人とも包帯でぐるぐる巻きの上、アレクは腕や足をがっちり固定されている。いったい何ヵ所骨折してるんだろう……。

「大変だったね」

 店長の声が振って来て視線を向ける。優しく微笑む店長の姿に俺はモーレツな安堵に襲われ、情けなくも涙が溢れそうになってしまった。
 二つのベッドの真ん中に見舞客用の椅子を置き、店長は腰を下ろす。

「店長……ッ……」

 俺は言葉を詰まらせた。店長はいつもの優しい笑顔で頷く。

「アレクは?」

「大丈夫、骨折してるから完治まで時間はかかるけど……元々、頑丈だからね」

「そっか、良かった」

 俺は小さく息を吐いた。アレクが生きてて本当に良かった!

「良くない! 都築くんだって、低体温症でけっこう危なかったんだよ……まったく、パトラッシュが血相変えて知らせにきて……ほんとにビックリしたよ」

「パトラッシュが……、そっか……ありがとう」

 助けてもらってばかりの不甲斐ない飼い主で情けない。俺は近くにいるであろう愛犬に礼を言った。

「店長、それで俺たちがあの山にいた事情は……?」

「うん、ちゃんと把握してるよ。君たちを拉致した三人組のことも、ね」

「俺たちが生きてるって知られたら、また襲われるかも知れませんっ!」

 真っ青になって慌てる俺に、店長は軽く首を傾げて綺麗に微笑む。

「大丈夫。あの組の親分さんはムーンサイドのお得意様だよ」

「――…はい???」

 俺は今までの人生で一番マヌケな声を出した。

「あぁいう関係の人は色々と恨みも買いやすい。それに昔ながらにげんを担いだり方角を気にしたり……そういう事が根強く残ってる業界なんだ。僕は親分さんの専属アドバイザーをしてる」

「あど、ばい……ざー……?」

「うん。『何も知らず若い者が失礼をした』って、さっき謝りにいらしてたよ。そこのお花も親分さんからだ」

 店長が指差す壁際には、まるで新装開店のパチンコ屋に飾ってそうな巨大な花が置いてある。俺は酸欠の金魚のように口をパクパクさせた。

 よく見れば、ベッド横のサイドテーブルにも何やら色々と置いてあるぞ。
 大きなリボン飾りのついたカゴからメロンが顔を覗かせている。そして、老舗和菓子店胡月堂のマークが入った大きな紙袋まで……!

「もしかして、あれも?」

「あれは君たちを拉致した三人組から。アレクも都築くんも意識ないのに、ここで泣きながら土下座してたし、許してあげなよ」

 そのさまを思い出したのだろう、店長はそれはもう楽しそうにふふっと笑った。

「…………」

 怖い。この人が一番怖い……。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



 大きな怪我も骨折もなく、ほんの数日で退院できた俺は、その足で店へと来ていた。俺が入院中、臨時休業していたのが申し訳ない。
 俺がゼミ旅行の間も臨時休業してたが、もう一人バイトを雇う気はないのかな……。

「年内に退院できて良かったね」

 カウンターの椅子に腰かけ、俺は店長が淹れてくれた緑茶をすすった。

「ありがとうございます、ご心配かけました」

「あぁ、そうそう、今月のバイト代に労災も入れておくから病院の領収書出しておいて」

「ろうさい???」

「今回は仕事中の怪我だから業務災害だね。労働基準法に従って被災した従業員に対し、補償を負う……それが労災だよ」

「つまり、仕事中の怪我は雇用主がお金出してくれるってことですか?」

「うん! うちはほら、福利厚生だけじゃなく、そういう所もちゃんとしてるから! 安心して就職して!」

 にっこり笑顔の店長に、もう苦笑いしか出ない。

「そういえば店長、さっきから何やってるんですか?」

 俺は軽く腰を浮かせ、カウンター越しに店長の手元を覗き込む。
 店長はケーキを切り分けていた。

「新作のデザートですか?」

「うん。これから例のお屋敷にお正月のパーティ料理の見積もり書を持って行くんだ。これはあの坊ちゃんに、ね」

 と言いつつも、俺の分も皿に取り分けてカウンターに置いてくれる店長……優しい。

「……ありがとうございます。ってか、結局あの坊ちゃんに憑いてる『何か』を祓ったわけじゃないんですよね?」

 俺は皿の上のミルクレープをフォークで一口サイズにして口に運ぶ。
 リンゴバターとマスカルポーネチーズのミルクレープ!?
 あんた天才だ、店長!!

「うん、祓ってない……というより、祓うのは無理だ」

「無理?」

「あれは『悪魔の寵児ちょうじ』だよ。日本でも数十年に一人くらいのペースで見つかってる。生まれつき悪魔に愛されている子だ」

「あ……」

 俺の手からフォークが滑り落ちた。
 そういうホラー映画を観たことがあるぞ! 確か、生まれつき悪魔に守られてるというか、その子じたいが悪魔みたいな……ダミアンとかいう男の子の話だ。

 数十年に一人!?
 そんなハイペースであんな怖い子供がぽこぽこ生まれてるのか!?

「ど、どどどどどうするんですかっ!?」

「どうって……さすがに、今のままじゃ危なっかしくてほっとけないだろ? だから今から会いに行くんだよ、このケーキ持ってね」

 『祓うのは無理』なんてさらっと言っておいて、『会いに行く』だと!?
 どうするつもりなんだ!?

「俺も行きますっ!!」

 俺はフォークを掴みなおし、残っていた絶品ミルクレープを慌てて頬張った。



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「それでは、この見積もり書の通りに材料の発注を行います」

「はい、よろしくお願いします……美味しい料理を楽しみにしていますわ」

 見積もり書を確認した奥様は、優雅に微笑んだ。
 俺と店長は応接室に通されていた。ふっかふかのソファは慣れない座り心地だが、店長と奥様が話しているのを、俺は大人しく聞いていた。

「あぁ、それから……うちの店で出す新作のケーキをお持ちしたのですが、良かったらお味見していただけますか?」

「まぁ嬉しい!」

 奥様は目を輝かせた。この人も、もうすっかり店長の料理の虜なのだろう。

「ぜひ坊ちゃんにも、感想を聞かせていただきたいのですが……」

「あの子、最近部屋に籠り気味なの。声をかけたら出て来るかしら……」

 奥様はすこし困っているといった様子で小さくため息を吐いた。

「でしたら、厨房をお借りしてホットミルクと一緒に子供部屋へお持ち致します」

「あら、そう? じゃあお任せするわ」

 俺たちは厨房へ向かった。
 店長は鮮やかな手つきで、奥様のロイヤルミルクティーと、坊ちゃんのホットミルクを用意した。その横で俺はケーキプレートにミルクレープとフルーツを盛り付ける。

 応接室で奥様にケーキセットをお出ししてから、二階の子供部屋へと向かう。
 ノックするとすぐに小さな子供の声がする。

「なに?」

「クリスマスパーティで料理係を致しました、『ムーンサイド』の尾張です。今日は坊ちゃんにケーキをお持ちしました。お召し上がりいただけますか?」

 ほんの少しの間があって、ドアが開いた。

「入っていいよ」

 相変わらず、お人形のように愛らしい男の子だ。
 この子が本当に『悪魔の寵児』なのか?

 店長に続いて俺も中へ入る。勉強机くらいしか置く場所がなかったので、俺はケーキとホットミルクのトレイをそこに置いた。
 坊ちゃんは椅子に座るが、ケーキにはあまり興味なさそうだ。

「僕に用があるんでしょう? やっつけに来たの?」

 口調は変わらないのに、その幼い声はひどく冷たい。そして余裕すら感じさせる。

「とんでもない、その逆です」

 店長は坊ちゃんの前に膝をつき、頭を下げた。なんだか分からないが、俺もマネしておこう!
 頭を下げたまま、店長はゆっくりと言葉を続ける。

「本日はご提案に参りました」

「提案? どんな?」

「恐れながら、今はまだお力をつちかってらっしゃる最中とお見受けします。あまり派手に動かれて、教会や祓い屋に目をつけられては面倒なことになります。しばらく……十五歳になるまでは『普通の子供』としてお過ごし下さい」

 店長の言葉使いは小学校入学前の子供には難し過ぎると思うのだが、坊ちゃんは普通に理解して返事をする。

「十五歳になったら、何があるの?」

「政財界に限らず、どのような分野でも業界でも。お望みのまま、お力を存分に発揮していただける環境をご用意致します」

「……へぇ、そんな事できるの?」

 坊ちゃんの表情が変わった。興味を示したようだ。

「はい、『血の契約』を交わしても構いません。その代わり――…」

「そのかわり?」

「どんなに覇権はけんを握られても『ムーンサイド』のことをお忘れなきよう……お引き立てとお目こぼしを、お願い致します」

 は――…???
 店長、なに言ってんだ?

「なるほどね……いいよ、分かった」

 楽しそうな坊ちゃんの声。
 そっと顔を上げた俺は、微笑みあう店長と坊ちゃんに心底恐怖を感じた。



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 三十分後、厨房――…。
 奥様と坊ちゃんが食べ終わったティーセットとケーキプレートを洗い終わった俺は、思いっきり複雑な気分で手を拭いた。

 帰り支度をしている店長にチラリと目をやる。全く何事もなかったかのようだ。

「店長、本当に大丈夫なんですか? あんな約束……」

「ん? ……あぁ、大丈夫。アレクと都築くんを病院送りにした、あの組の親分さんも……実は『悪魔の寵児』なんだよ」

「はい――…???」

「ここの坊ちゃんも、ちゃんと素晴らしいビジネスパートナーとして成長してもらわないとね。子供のうちに教会にでも捕まったりしたら大変だ。大人しくしててもらえるよう、しっかり見守らないと!」

 ご機嫌だ。そして、この人は正気だ。
 怖い。この人が一番怖い……。

 ふと何かを思い出したように、店長がくるりとこちらを向いた。

「都築くん、このこと……アレクには内緒だよ。あれは教会の人間だから。まだアレクを失いたくないだろ? 世の中には知らない方がいいこともあるからね」

 口元に人差し指をあて、『ひみつ』とばかりに微笑む店長……。
 俺は確信した。
 悪魔より、神様より、人間が一番怖いのだと。
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