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マンション編

言霊

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 翌日――…、

 俺は壁際のスツールに腰かけ、点滴に繋がれた店長が眠っているのをぼんやりと眺めていた。
 店長の顔色は少しましになったが、包帯が痛々しい。

「都築くん……いたの?」

 店長が目を開け、俺を見た。

「はい。……気分はどうですか?」

「……サイアク」

 俺は小さく苦笑した。
 不思議だ。「大丈夫」と言われるより、ずっとホッとする。

「僕より都築くんの方が、今にも死にそうな顔してる……パトラッシュが心配してるよ」

「あ、……そっか、えっと……パトラッシュ、俺は大丈夫だぞ……!」

 適当な空間に向かってニカッと笑顔を作ると、店長が笑う……が、ちょっと弱々しい。

「それにしても、犬神……パトラッシュもずいぶん丸くなったね、野蛮な感じが抜けた。都築くん達が取っ組み合いしてた時、万里くんに威嚇はしたけど攻撃はしなかったんだよ。都築くんが怪我でもしたら、また違っただろうけどね」

「そうなんですか……まぁ、俺とのんびり呑気に暮らしてますからね」

「それだけじゃないと思う」

「どういう意味ですか?」

 店長は小さく一つ深呼吸した。まだ少し辛そうだが、話したい気分のようだ。

「名前だよ。都築くんがつけた名前……」

「パトラッシュ?」

「うん。名前っていうのはね、一番簡単で、誰にでも使える『呪詛』なんだ」

「えっ!? じゅ、じゅそっ!?」

 俺は驚いて聞き返した。座ってたスツールから滑り落ちそうになる。

「人ってさ、いかにもその名前っぽい雰囲気の人が多いと思わない? 『名は体を表す』ってやつ」

「あ、聞いたことあります……」

「でも、本当は逆だ。『体』がその『名』で呼ばれることで、その名にそった性質のものへと変化してゆくんだ。親が子供に名前をつけるのは、言霊ことだまという形の呪詛なんだよ」

 さすがの俺でも『言霊』は聞いたことがある。言葉に宿る霊的な力のことだ。
 霊感も霊力もゼロの俺でも、使える呪詛があるんだな。

「じゃあ、俺は……パトラッシュに呪詛をかけちゃったってことですか?」

「そうなる。都築くんはパトラッシュって名前に、どういうイメージを持ってる?」

 俺は頭の中に自分なりの『パトラッシュ』を思い描いてみた。

「懐かしのアニメで出てくる大型犬の……優しそうなイメージ、かな……」

「そうだね。そしてパトラッシュの語源はパトリック。アイルランド系に多い名前で、ラテン語まで由来をさかのぼると『保護者』とか『後援者』を意味する単語だよ」

「ほ、保護者っ!?」

「都築くんは毎日、犬神を呼ぶ度に『優しい保護者』って呪詛をかけ続けてるんだよ」

 俺は目をパチクリさせた。
 そりゃ、やんちゃな暴れん坊ではいられないな……うん。

「お座敷様だってそうだ。橘家は座敷童子を『お座敷様』と呼ぶことで、神格化を強める呪詛をかけているんだよ」

「えっ? 普通にうやまう気持ちで『様』をつけてるわけじゃないんですかっ!?」

 ちょっとショックだ……。

「名前……呼び方っていうのは、それくらい重要だってこと」

 俺はふと、店長を見た。

「俺が店長を『店長』って呼び続ける限り、店長はどんどん店長らしくなっていく……?」

「都築くん、ちょっと落ち着こうか……うん、混乱してるよね」



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「えーっと、果物はこれでよし! っと。後は、生ハムと……、お刺身は、鯛か……」

 俺はメモを確認しつつ買い物カゴに生ハムを入れ、お刺身コーナーへと向かう。
 このスーパーは店から一番近い。
 大きくはないが、食料品やちょっとした日用品なら大抵手に入る便利な店だ。

 入院中の店長はかたくなに出される食事を拒み、「だったら何なら食べれるんですかっ!?」とブチ切れた俺に渡されたメモがこれだ。
 メモに書かれているのは、数種類のカットフルーツ、生ハム、お刺身……。
 俺には栄養満点の家庭的な料理を作っておきながら、あの人……自分一人だとこんな物しか食べないのか。

 レジを済ませて店を出ると、俺はマイバッグを手に八神医院へと向かった。

 八神医院が入っているビルの前で立ち止まり、振り返る。道路を挟んで斜め向かいにカフェバー「ムーンサイド」が見えた。
 入口のドアには「しばらく臨時休業」という貼り紙がしてある。
 俺が書いたものだ。

 ちょっと寂しい気分を振り切るように、俺は八神医院のビルへと入った。



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「あれ? 買い物メモにシャンパンも書いてなかった?」

 ベッドに起き上がりマイバッグの中を確認した店長は首を傾げた。

「お酒なんか買ってくるわけないでしょ! 入院患者だって自覚、持って下さい!」

 店長は不満そうだが、俺だって折れる気はない。

「代わりにジンジャーエール買ってきましたから、ほら! 同じシュワシュワだし!」

「……バー店員の台詞せりふとは思えないな」

 ぶつぶつ文句を言いつつも店長はさっそくカットフルーツのパックの蓋を開け、割り箸で摘まんで食べ始める。
 俺は壁際から小さなスツールを引き寄せて腰かけ、もぐもぐとメロンを頬張る店長の横顔を眺めた。

 入院後二日間は高熱で苦しんだ店長だが、三日目には熱も下がってすっかりいつもの調子に戻ったのだ。
 見舞いに来る度みるみる元気になっていく店長の姿に、俺は心底ホッとした。
 少々の我儘わがままなら聞いてあげたいが、さすがに酒はダメだ!

 病室のドアが開き、八神医師が入って来る。

「八神先生、お邪魔してます」

 俺は慌ててスツールから立ち上がり、邪魔にならないように壁際へと下がる。

「都築、今日も来てたのか。お前もマメだなぁ」

 感心したように笑いながら、八神医師は店長の点滴の残りを確認した。

「いいもん食ってるじゃないか、どれ」

 八神医師は、店長が食べていたカットフルーツからオレンジを指で摘まみ、ポイッと口に放り込んだ。

「あっ! ちょっと!」

 咎める声も気にせず、八神医師は涼しい表情かおで店長を見下ろした。
 店長の顔色を確認しているようだ。

「もう大丈夫そうだし、そろそろ退院するか?」

 店長は八神医師を見上げ、見たこともないほど、とびきり綺麗な笑顔を浮かべた。

「する……!」



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「忘れ物はないかな……」

 退院の支度と言っても大した荷物はない。
 店長のカバンに着替えなどの荷物を詰め込んだ俺は、室内をぐるりと見回した。「傷が痛む」なんて言って店長はしれっとスツールに座っている。

 入院着から私服に着替えると、本当にすっかり元通り……怪我人には見えない。

 俺は気になっていることがあった。
 ずっと、訊ねるタイミングが分からなかった。
 聞くなら、今……という気がする。

「店長、……あの、万里のことなんですが…………」

「うん……なに?」

 俺は店長をチラリと見た。顔色一つ変わらないなぁ。

「橘家に……報告、するんですか?」

 万里が禁忌の術を使っていること、そして店長に大怪我させたことを知ったら、橘はどう思うだろう。橘の気持ちを考えると、もう俺の方が胃が痛くなりそうだ。

「しないよ」

「え……、しなくていいんですか?」

 予想外の答えに、俺は目をパチクリさせて聞き返してしまった。
 店長はまるで天気の話でもするように、軽い口調で続ける。

「この仕事は、依頼主の利害がぶつかって呪い合うなんてことも珍しくないからね。いちいち訴えても仕方ない。前の依頼で協力した人と、次の依頼で殺し合うなんてことも珍しくないんだよ……『恨みっこなしの呪い合い』ってとこかな」

「殺し……あう、って……」

 嘘、だろ?
 今まで何度も『祓い』の世界の常識に困惑することはあった。が、本当に全く理解できないと思ったのは今回が初めてだ。

「じゃ、じゃあ……もしかしたら、いつか……橘やアレクと対立することも、ある……ってこと、ですか?」

 店長は俺の顔を見た。
 その表情からは何の感情も読みとれない。
 答えを聞くのが怖いのに、俺は店長から目を離せなかった。

「うん、あるかもね……」

 世界がぐにゃりと歪んだような気がした。
 万里と店長が対峙したように、いつか橘やアレクが店長と――…?

 想像もしたくない!!

「そんなの……嫌、です。ぜったい……嫌です」

 そうだ――…、温泉で店長と橘が対峙した時、俺はすごく怖かった。でも、これから先……対立する可能性は絶対にゼロじゃないんだ。

 俺は足が震えてその場にしゃがみ込みそうになり、ベッドに手をついた。

「だから、ね……そういう時には、考えるんだよ。依頼主が納得する形で、損害を最小限にして、自分達が生き残る方法を……考えるんだ。考えるのをやめてしまったら、ただの殺し合いという決着のつけ方になってしまうから――……」

 俺は改めて店長を見た。
 そうだ、温泉で店長と先代が橘に教えたかったのは、きっとそういう事なんだ。

「都築くん、そろそろ行こうか……」

 店長はスツールから立ち上がり、上着を羽織った。
 そこで何やら思い出したように動きを止め、少し考え込む。

「でも、管狐くだぎつねだけは……気になるな」

「……?」

「管狐っていうのは犬神と同じで、本来は家に憑くものなんだよ。長男で当主の橘くんが持ってるならともかく、次男の万里くんが持ってるなんて、どうなってるんだろう……すご~く興味深いよね……どういう仕組みなのか、ちょっと調べないと」

 独り言のように呟く店長の瞳は、疑問や心配ではなく単純な好奇心が宿っている。
 店長の知的探求心や研究熱心さも、決して万里に負けてない気がする……。

「帰ってもすぐにお店の再開は無理だし、時間はたっぷりあるからね……」

 店長はふふっと楽しそうに微笑んだ。
 とびきり綺麗な笑顔――…しかし、俺はもう騙されない。

 こういう表情かおをする時、この人はたいてい『怖いこと』を考えているんだ。
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