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白石奇譚

管狐

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 学校が休みの週末は、朝からほぼ一日修練と決まっている。
 起きて着替えたらすぐ、庭のすみにある井戸から水を汲み、みそぎという水浴びをする。
 続いて、父が祓いの仕事で使う儀式用の部屋……『斎場さいじょう』の掃除。
 それを終えてからようやく朝食だ。

 万里は禊も掃除も全くしない。
 俺が床の雑巾がけをしている間、斎場のすみに寝そべってスマホを弄っている。

 ふぁあ……と欠伸をした万里に、俺は雑巾を絞りながら声をかけた。

「万里様、朝食の時間までご自分の部屋でゆっくりしてていいんですよ?」

「一人だと暇だし……つまんないもん」

 俺が掃除しているところなんか眺めても、面白いことなど一つもないと思うが……。

 掃除が終わり、バケツの水を捨てて戻ると、万里は磨いたばかりの床をころころ転がって遊んでいた。

「何やってるんですか……?」

 突っ込み混じりの俺の問いに答えることなく、万里はひょいっと起き上がる。

「朝ご飯まで、まだちょっと時間あるよね? 一緒に瞑想でもする?」

 なんだ、一緒に瞑想したくて掃除が終わるのを待ってたのか……。

「すみません、今朝は管狐くだぎつねのメンテを――……」

「管狐っ!? 一馬、持ってるの!? 見たい!!」

 俺の言葉を遮るように万里は大きな声を上げ、瞳をキラキラさせて俺に駆け寄ってくる。
 すごい食いつきだな……。

「管狐、見るの初めて! 強い? 怖い? 早く見せて!」

「はいはい」

 天真てんしん爛漫らんまんというのか、万里の知的好奇心は際限がない。まるで小さな子供のようだ。
 中味だけじゃなく、体つきも中学二年とは思えない程に華奢だし背も低い。
 俺は小さな弟に強請ねだられてるような気分で苦笑しつつ、祭壇に置いてあった竹筒を手にした。

 キュッと蓋を開くと、中から管狐がひょこっと顔を出す。
 万里は顔を近づけて、まじまじと見つめた。

 管狐と万里の鼻先が触れそうだ。

「え、何これ……可愛い!」

 万里の声に驚いた管狐が竹筒から飛び出し、俺の頭の上に飛び乗った。
 そして次々、竹筒から管狐たちが出て来る。
 俺の腕を伝って肩に乗ったり、斎場を走り回ったり、久しぶりの解放で嬉しそうだ。

 大喜びで大はしゃぎなのは、管狐だけじゃなく万里もだった。

「すごいすごい! いっぱいだ! 可愛い~! 胴が長いハムスターみたい!!」

「管狐はつがいで筒に入れておくと、増えるんですよ」

 俺の言葉に、はしゃいでいた万里は目を丸くした。

「え? それってつまり……この子たちは家族?」

「はい」

「へぇ~……」

 管狐たちを見つめる万里の瞳がほんの少し揺れた。

 万里の境遇が頭をよぎり、俺は胸の奥がチクリと痛む。
 両親や兄と、もうどれくらい会ってないんだろう……。

 少し胸が痛んだが、何と声をかければいいのか分からない。
 そんな俺を見透かすように、近づいてきた万里が笑顔を浮かべた。

「一馬、俺も管狐欲しい! どうやったら手に入る?」

「えっと……、それは難しいかと……」

「え? どうして?」

「管狐は家に憑くものなので……、俺は十五になった時に父さんから譲り受けたんです」

 俺は説明しながら、祭壇に置いてある大豆の袋を取りに向かった。
 管狐の餌として使えるよう、昨夜のうちに聖別せいべつしておいたものだ。

「え~? じゃあ、俺は資格ナシってこと?」

 不満気な万里の手に大豆をザラザラのせてやると、管狐たちが万里の手に食べにくる。





 たくさんの管狐たちに群がられて、万里はちょっと嬉しそうだ。
 これで、ご機嫌が直るかと思ったが……、

「そうだ! 俺、一馬の養子になる!」

「……はい???」

 突拍子もない万里の言葉に、俺の目は点になった。

「一馬の子供になったら……白石の人間として、一馬から譲り受けられるんだろ?」

「その発想どこから来るんですか、まったく……ふふっ、……」

 思わず笑ってしまった俺を、何がおかしいのか分からないといった様子で、万里は不思議そうに見つめた。

 その時、慌てた様子で父が斎場に入って来る。

「万里様、お父上が亡くなられたとのことです!」

 万里は驚くでも取り乱すでもなく、ゆっくりと何度か目を瞬かせてから口を開いた。

「そう……」

「告別式には万里様も来るようにと、……橘家から連絡がありました」

「分かった」

 ポツリと呟くように万里は答えた。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



「本当に、一馬だけで万里様のお供……大丈夫か?」

「京都の橘家には何度か行ったことあるし、失礼がないよう充分気をつけるから」

 万里と二人、玄関で靴を履く。
 いつになく心配そうな両親に、俺は思わず苦笑した。

「父さんは大事な急ぎの祓いがあるんでしょ? 『仕事』が何より優先なんじゃないの?」

「それは、そうだが……」

 つま先をトントンと地面にあてて靴を履いた万里が、ちらりとこちらを見た。

「一馬、先に出てるよ」

「あ、はい」

 万里がドアを開けて外へ出ていく。
 いつになく、父が声を落として俺に告げた。

「もし、万里様が嫌な思いをなさるようなら……橘の方々への失礼は気にしなくていい。万里様に我慢させる必要はないから、さっさと帰ってきなさい」

 父の隣で、母も「その通りだ」と頷いている。
 一瞬、管狐なんか関係なく、本当に万里は白石の子になればいいのになんて、俺は考えてしまった。
 二人を安心させたくて笑顔を作る。

「行って来ます!」

 俺は万里を追って、玄関を出た。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



 京都駅からバスに乗り、俺たちが橘家に着いたのは、告別式が始まるギリギリだった。
 バスが少しでも遅れていたら、開始時間に間に合わなかったかも知れない。
 それでも俺は、万里がここに居る時間を少しでも短くしたかった。

 告別式が行われる大きな部屋へと案内された。
 万里は祭壇の遺影に目をやり、小さく呟く。

「あんな顔してたんだ……」

「…………」

 案内された席は、親族の中でも一番後ろだった。
 祭壇の横に万里の祖父と兄が座っている。
 確か、母親は体が弱くて、ずっと入院してるんだったな。

 遠目からでも分かるほど、兄の目元は赤い。泣きはらしたのだろう。
 今、初めて父親の顔を知った万里と、父親を亡くして泣いている兄……二人の反応はあまりに対照的だった。

 それにしても、どうして万里が親族席の一番後ろなんだ?
 本当なら、同じ顔をした兄の横に座るべきじゃないのか?

 俺は改めて、嫌と言うほど実感させられた。
 あの人たちにとって、万里は家族なんかじゃないんだ。
 あくまで、当主が亡くなってしまった時のための……予備。

 その時、万里の兄がこちらに気づいた。
 確か……京一といったか、立ち上がって近づいて来る。
 
「万里、久しぶりだね……元気? 学校はどう? 楽しい?」

 遠慮がちに声をかけられ、万里は不思議そうに京一を見た。

「……うん」

「こっちにおいでよ、一緒に座ろ?」

 万里が答える間もなく、親戚の一人が声をかけてくる。

「いけません、京一様。もうすぐ式が始まります、お戻りください」

 たしなめられ、京一は戸惑うように俺と万里を見比べた。
 万里はなんの感情も見せずに答える。

「……俺はここが、一馬の隣がいい」

「そう、分かった……あの、えっと……後で、少し……話せるかな? すごく久しぶりだし……」

 おずおずと、名残惜しそうな京一に、もう一度親戚から声がかかった。

「京一様、お戻りください……、式が始まりますよ」

「は、はい……ごめんなさいっ……、……」

 京一は万里を気にしながらも、祭壇横の席へと戻って行った。
 俺は隣に座る万里に、声をひそめた。

「いいんですか?」

 万里はぼんやりと遺影を眺めたまま、こちらを見ることなく答える。

「うん、……俺は一馬の隣がいい」

 こんな状況で、不覚にも嬉しいと思ってしまった俺は、バカかもしれない。

 その時、小さくもはっきりと聞こえる声がいくつも、ひそひそと重なり合うように耳に入り出した。

「せっかく京一様がお声かけ下さったのに……なんてもったいない」

「うちで預かっていた時も愛想が無くて、何を考えてるのか分からない不気味な子だったわ」

 おい、万里に聞こえてるぞ。

「うちに居た時は、わけの分からない術の研究ばかりしてて気味が悪かったな」

「今だって、父親が死んだっていうのに涙一つ見せない……感情がないんじゃないか?」

 せめて聞こえないように言えよ。

「京一様はご健勝で、能力もずば抜けていらっしゃるとか……予備など必要ないのでは?」

 予備って言うな!

 隣を見ると、万里はただぼんやりと座っている。
 聞こえてないはずない。
 それなのに、顔色ひとつ変えず、ただ……座っている。

 気づいた時には、俺は立ち上がっていた。
 万里の腕を掴んで引っ張る。

「かずま……?」

 不思議そうに俺を見上げる万里の腕を、俺はもう一度強く引っ張った。

「帰りましょう、万里様」
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