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番外編 お花見
お花見
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カフェバー「ムーンサイド」の厨房は、今日も美味しそうな香りで満たされている。といっても、今日は臨時休業。店長がご機嫌で重箱に詰めているご馳走は、お客様のためのものではない。
今日は花見をかねた送別会だ。
「万里も来週にはイギリスかぁ……寂しくなりますね」
スモークサーモンとチーズのサンドイッチを綺麗に重箱に詰めながら、店長は小さく笑みを漏らした。
「一年だけの特別編入だし、あっという間に帰って来るよ」
俺は一口サイズにカットされたメロンやオレンジなどの果物をパックに詰めていたが、ふと手が止まる。
「あれ? でもイギリスの学校って九月始まりなんじゃ……ちょっと中途半端な感じですよね?」
「編入テストの成績が優秀すぎて、すぐにでも来て欲しいって向こうから頼まれてね……僕のコネも金も必要なくて、ちょっと寂しかったくらいだよ」
「…………」
またしても汚い大人の世界が垣間見えそうになって、俺は聞かなかったことにした。
「これでよし、と」
店長の言葉に俺は重箱を覗き込む。
鉄板おかずの出汁巻き玉子、店長特製のジューシー唐揚げ、いんげんの胡麻和えに、アスパラベーコン巻き、ごろっと大きめの肉団子は甘酢が絡んでめちゃくちゃ美味そうだ。
全体的に肉類が多めなのは、やはり送別会の主役である万里の好みに寄せてるんだろう。俺としても嬉しいメニューだが。
もう一つの重箱には、店長の特製サンドイッチや稲荷寿司、炊き込みご飯のおにぎり……こちらも彩り良く、そしてとびきり美味そうだ。
重箱の蓋をしめた店長が時計を確認する。
「アレクが車でお弁当運んでくれるって言ってたんだけど、約束まで三十分くらいあるな……。場所取りの万里くんが退屈してるだろうし……都築くん、先に行っといてくれる?」
「分かりました……!」
俺はエプロンを外した。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
柔らかい春の陽光、桜の花びらが優しい風にのってひらひらと振って来る。
店から歩いて行ける公園は、ご近所で人気のお花見スポットだ。子供のための遊具コーナーから離れ、散歩コースの桜の木が並ぶ辺りへ向かうと花見用のブルーシートがいくつも敷いてあった。
「あ、いた! 万里~!」
一本だけ、ずいぶん離れた場所に桜が植わっている。
その桜の根元に座っている万里を見つけた。
ずいぶん立派な桜なのに、不思議と他の花見客はいない。
名前を呼んでも、万里は俺の声なんか聞こえないかのように動かない。
「万里……?」
万里はブルーシートの上にちょこんと座り、桜の木の方を見ている。
肩に手を置くと、万里はようやく俺に気づいたように顔を上げた。
「あ……、都築……」
「どうかしたのか?」
「うん、ちょっと……話してた」
まるで夢から覚めたばかりのように、万里は目を瞬かせた。
俺は周囲をくるりと見回す。
……誰も、何も、いない。
そうか、俺には見えない『何か』と交流してたのか。
こういうのは初めてじゃない。
俺は靴を脱いでブルーシートにあがり、万里の横に腰を下ろした。
「新しい友達か? どんな奴なんだ?」
問いかけには答えず、万里は俺の背後を軽く睨む。
「パトラッシュに怯えてる……ハウスさせといてよ」
「あ、あぁ……悪い。パトラッシュ、ちょっとハウスしといてくれ」
俺の愛犬はいったいどんだけ強面なんだか……見た目で損する奴って、いるよなぁ。
パトラッシュをちょっぴり不憫に思いつつ、俺は改めて万里へと向き直る。
「それって……霊、なのか?」
万里は再び桜の木の根元へと視線を向けた。
「……うん。でも、何だか不思議な感じ……」
そっと腕を伸ばした万里は、桜の木に指を滑らせた。目を細め、何かに向かって軽く頷く。
交流の邪魔をしちゃいけないような気がする。
俺は話しかけるのをやめ、小さく息を吐いて桜を見上げた。
薄ピンクの花びらが、ひらりひらりと落ちて来る。
木漏れ日は優しく柔らかい。
目を閉じる。
遠くの花見客の声がもっとずっと遠ざかって行くような、不思議な感覚……うーん、これは気持ちいいぞ。
店長たちが来るまで、日向ぼっこ気分で昼寝でもしたいくらいだ。
万里の式神である一馬くんもブルーシートのどこかに座って寛いでいるんだろうか……。
ぼんやりとそんな事を考えながら、緩く暖かい春の風を感じていた……その時、
「都築っ! 万里っ!!」
大声で名前を呼ばれ、驚いてハッと目を開ける。
アレクの声!?
いつの間にか、うとうとしてたようだ。
店長とアレクが血相変えてこっちへ向かって走って来るのが見える。
「えっ? 店長? アレク? いったい、どうし――……っ!?」
俺は最後まで言えなかった。
アレクの腕にがしっと抱えられた瞬間、視界がぐるんと回転する。
「うわっ! ちょ、なんだっ!?」
俺を右手に、万里を左手に抱えたアレクはまるで飛び退くように桜の木から距離を取り、厳しい視線を向けている。そして桜の木と俺たちの間に立ち塞がった店長は、護符を取り出して構えた。
ぴりぴりと切迫した空気――……なんだ、これ?
印を結ぶ店長の背中に、万里が声を上げる。
「だめっ! 尾張サン、やめてっ!!」
万里はアレクの腕の中でもがき、店長へと手を伸ばすも、その手は虚しく空を掻く。
しかし店長は印を解かない。
桜の木を見据えたまま、店長はぴしりと言い放った。
「これは『祓うべきもの』だ。……――退きなさい、一馬」
一馬? 万里の式神が店長を止めようとしてるのかっ!?
あぁっ! もう! 状況が全く分からんぞ!!!!
俺と万里を抱えたまま、アレクはさらに桜から距離を取ろうとする。
その時、万里がアレクの手に噛みついた。
「うわっ! こら、万里っ!!」
声を上げるアレクの腕から抜け出し、万里が走り出す。
何がどうなってるのか全く分からず大混乱の俺は、万里のタックルをくらって見事にひっくり返る店長の姿を、マヌケな表情で見守ることしかできなかった。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
「いつも言ってるけど、交流もっていい相手と危険な相手はちゃんと区別しないと……万里くん、聞いてる?」
「…………」
俺と万里はブルーシートの上に並んで正座し、店長から説教されていた。
いや、なんで俺までっ!?
俺は見えないし感じないんだぞ、危険かどうかなんて区別しようもないのに……。
かなり理不尽なものを感じつつも、反論できる雰囲気じゃない。さっきのはそんなに危険な奴だったのか……。
万里は店長の説教もどこか上の空で、これっぽっちも反省してる様子はない。
そんな万里の態度に、店長の眉間にシワが寄る。
美人が台無しですよ……。
俺は遠慮がちに口を開いた。
「あの……それで、その危険なのはどうなったんですか?」
「逃がした。気配は完全に消えていないから、それほど遠くへは行ってないと思うけど……」
苦々しく説明する店長に、アレクが苦笑しつつフォローを入れてくれる。
「二人とも無事だったんだし、もういいじゃないか。俺も慌ててたから、思わず都築まで乱暴に抱えたりして悪かった」
「あ、いや……俺は大丈夫」
そう、俺は何の影響も受けないから避難させてもらう必要も、庇ってもらう必要もなかったのだが、それすら忘れてしまうほどの緊急事態だったって事なんだろう。
説教し足りなさそうな店長を横目に、アレクは万里の顔を覗き込んだ。
「万里もこれからはもっと慎重にな?」
小さな子供に言い聞かせるように、アレクが万里の頭にポンと手を置く。
その手には、しっかりと万里の歯形が残っていた。
今日は花見をかねた送別会だ。
「万里も来週にはイギリスかぁ……寂しくなりますね」
スモークサーモンとチーズのサンドイッチを綺麗に重箱に詰めながら、店長は小さく笑みを漏らした。
「一年だけの特別編入だし、あっという間に帰って来るよ」
俺は一口サイズにカットされたメロンやオレンジなどの果物をパックに詰めていたが、ふと手が止まる。
「あれ? でもイギリスの学校って九月始まりなんじゃ……ちょっと中途半端な感じですよね?」
「編入テストの成績が優秀すぎて、すぐにでも来て欲しいって向こうから頼まれてね……僕のコネも金も必要なくて、ちょっと寂しかったくらいだよ」
「…………」
またしても汚い大人の世界が垣間見えそうになって、俺は聞かなかったことにした。
「これでよし、と」
店長の言葉に俺は重箱を覗き込む。
鉄板おかずの出汁巻き玉子、店長特製のジューシー唐揚げ、いんげんの胡麻和えに、アスパラベーコン巻き、ごろっと大きめの肉団子は甘酢が絡んでめちゃくちゃ美味そうだ。
全体的に肉類が多めなのは、やはり送別会の主役である万里の好みに寄せてるんだろう。俺としても嬉しいメニューだが。
もう一つの重箱には、店長の特製サンドイッチや稲荷寿司、炊き込みご飯のおにぎり……こちらも彩り良く、そしてとびきり美味そうだ。
重箱の蓋をしめた店長が時計を確認する。
「アレクが車でお弁当運んでくれるって言ってたんだけど、約束まで三十分くらいあるな……。場所取りの万里くんが退屈してるだろうし……都築くん、先に行っといてくれる?」
「分かりました……!」
俺はエプロンを外した。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
柔らかい春の陽光、桜の花びらが優しい風にのってひらひらと振って来る。
店から歩いて行ける公園は、ご近所で人気のお花見スポットだ。子供のための遊具コーナーから離れ、散歩コースの桜の木が並ぶ辺りへ向かうと花見用のブルーシートがいくつも敷いてあった。
「あ、いた! 万里~!」
一本だけ、ずいぶん離れた場所に桜が植わっている。
その桜の根元に座っている万里を見つけた。
ずいぶん立派な桜なのに、不思議と他の花見客はいない。
名前を呼んでも、万里は俺の声なんか聞こえないかのように動かない。
「万里……?」
万里はブルーシートの上にちょこんと座り、桜の木の方を見ている。
肩に手を置くと、万里はようやく俺に気づいたように顔を上げた。
「あ……、都築……」
「どうかしたのか?」
「うん、ちょっと……話してた」
まるで夢から覚めたばかりのように、万里は目を瞬かせた。
俺は周囲をくるりと見回す。
……誰も、何も、いない。
そうか、俺には見えない『何か』と交流してたのか。
こういうのは初めてじゃない。
俺は靴を脱いでブルーシートにあがり、万里の横に腰を下ろした。
「新しい友達か? どんな奴なんだ?」
問いかけには答えず、万里は俺の背後を軽く睨む。
「パトラッシュに怯えてる……ハウスさせといてよ」
「あ、あぁ……悪い。パトラッシュ、ちょっとハウスしといてくれ」
俺の愛犬はいったいどんだけ強面なんだか……見た目で損する奴って、いるよなぁ。
パトラッシュをちょっぴり不憫に思いつつ、俺は改めて万里へと向き直る。
「それって……霊、なのか?」
万里は再び桜の木の根元へと視線を向けた。
「……うん。でも、何だか不思議な感じ……」
そっと腕を伸ばした万里は、桜の木に指を滑らせた。目を細め、何かに向かって軽く頷く。
交流の邪魔をしちゃいけないような気がする。
俺は話しかけるのをやめ、小さく息を吐いて桜を見上げた。
薄ピンクの花びらが、ひらりひらりと落ちて来る。
木漏れ日は優しく柔らかい。
目を閉じる。
遠くの花見客の声がもっとずっと遠ざかって行くような、不思議な感覚……うーん、これは気持ちいいぞ。
店長たちが来るまで、日向ぼっこ気分で昼寝でもしたいくらいだ。
万里の式神である一馬くんもブルーシートのどこかに座って寛いでいるんだろうか……。
ぼんやりとそんな事を考えながら、緩く暖かい春の風を感じていた……その時、
「都築っ! 万里っ!!」
大声で名前を呼ばれ、驚いてハッと目を開ける。
アレクの声!?
いつの間にか、うとうとしてたようだ。
店長とアレクが血相変えてこっちへ向かって走って来るのが見える。
「えっ? 店長? アレク? いったい、どうし――……っ!?」
俺は最後まで言えなかった。
アレクの腕にがしっと抱えられた瞬間、視界がぐるんと回転する。
「うわっ! ちょ、なんだっ!?」
俺を右手に、万里を左手に抱えたアレクはまるで飛び退くように桜の木から距離を取り、厳しい視線を向けている。そして桜の木と俺たちの間に立ち塞がった店長は、護符を取り出して構えた。
ぴりぴりと切迫した空気――……なんだ、これ?
印を結ぶ店長の背中に、万里が声を上げる。
「だめっ! 尾張サン、やめてっ!!」
万里はアレクの腕の中でもがき、店長へと手を伸ばすも、その手は虚しく空を掻く。
しかし店長は印を解かない。
桜の木を見据えたまま、店長はぴしりと言い放った。
「これは『祓うべきもの』だ。……――退きなさい、一馬」
一馬? 万里の式神が店長を止めようとしてるのかっ!?
あぁっ! もう! 状況が全く分からんぞ!!!!
俺と万里を抱えたまま、アレクはさらに桜から距離を取ろうとする。
その時、万里がアレクの手に噛みついた。
「うわっ! こら、万里っ!!」
声を上げるアレクの腕から抜け出し、万里が走り出す。
何がどうなってるのか全く分からず大混乱の俺は、万里のタックルをくらって見事にひっくり返る店長の姿を、マヌケな表情で見守ることしかできなかった。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
「いつも言ってるけど、交流もっていい相手と危険な相手はちゃんと区別しないと……万里くん、聞いてる?」
「…………」
俺と万里はブルーシートの上に並んで正座し、店長から説教されていた。
いや、なんで俺までっ!?
俺は見えないし感じないんだぞ、危険かどうかなんて区別しようもないのに……。
かなり理不尽なものを感じつつも、反論できる雰囲気じゃない。さっきのはそんなに危険な奴だったのか……。
万里は店長の説教もどこか上の空で、これっぽっちも反省してる様子はない。
そんな万里の態度に、店長の眉間にシワが寄る。
美人が台無しですよ……。
俺は遠慮がちに口を開いた。
「あの……それで、その危険なのはどうなったんですか?」
「逃がした。気配は完全に消えていないから、それほど遠くへは行ってないと思うけど……」
苦々しく説明する店長に、アレクが苦笑しつつフォローを入れてくれる。
「二人とも無事だったんだし、もういいじゃないか。俺も慌ててたから、思わず都築まで乱暴に抱えたりして悪かった」
「あ、いや……俺は大丈夫」
そう、俺は何の影響も受けないから避難させてもらう必要も、庇ってもらう必要もなかったのだが、それすら忘れてしまうほどの緊急事態だったって事なんだろう。
説教し足りなさそうな店長を横目に、アレクは万里の顔を覗き込んだ。
「万里もこれからはもっと慎重にな?」
小さな子供に言い聞かせるように、アレクが万里の頭にポンと手を置く。
その手には、しっかりと万里の歯形が残っていた。
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