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番外編 お花見

進むか、やめるか

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 この部屋は悠くんの遊び部屋として使われていたのだろう。
 亡くなったからって、子供の物を片付けもせずに放置して引っ越すなんて……。

 俺は室内に一歩踏み込んだ。

 開かれたままのお絵かき帳の周りには色鉛筆が散らばり、部屋の隅にはヌイグルミが一つ転がっている。オモチャ類は少ないが、脱ぎ捨てられたままの子供服や、パンの空き袋、ジュースの紙パックなどもある。

 ここで悠くんはどんな風に過ごしていたんだろう……。

 息をするのを忘れていたことに気づき、小さく深呼吸する。
 俺は霊的なものは何も感じないし見えない。
 それでも、この空間にいるのが辛い。

 下から万里の声がする。

「つづきー?」

「すぐ行く」

 返事しながら部屋を出て階段を下りていくと、万里が下で待っていた。

「悠くんの『お母さん』がいる場所、だいたい分かったよ。早く行こう」

「えっ、もう? 管狐ってすごいんだな……」

 驚く俺に、万里はちょっと得意気に小さく笑った。

 俺たちは家を出た。
 ゆっくりと外の空気を吸う。俺は何度か深呼吸してから歩き出した。
 管狐の案内で数歩先を歩く万里の背中を、複雑な気分で見つめる。

「万里……さっきの家で、悠くんは……その、何か色々思い出したかな?」

 俺の問いに、万里の肩が小さく揺れた。
 万里はこちらを振り向くことなく、声だけが返ってくる。

「少しは思い出したみたい……それに、あちこちに生前の意識の残骸が残ってた……」

「意識の……残骸?」

 強い想いみたいなものだろうか。

「うん、『お腹減った』とか『寂しい』とか『痛い』……とか」

 俺は息をのんだ。
 あの家にいた間、万里は苦しむ悠くんの声を聞いていた――……?
 口を開こうとするが、万里の背中に何を言えばいいのか分からない。

 少し迷ってから、俺は万里の肩を掴んだ。
 万里の足が止まる。

「万里、悠くんの『お母さん』を探すの……もう、やめないか? 生きてた時の事、あんまり思い出さないまま天国に送ってやった方がいい気がする……」

「でも……」

 ようやく俺の方を見た万里の瞳が揺れた。
 俺は言葉を失った。
 万里は泣くのを我慢している。

「それでも、悠くん……『お母さんのこと、好き』って……『会いたい』って、……言って、る」

「……――っ、……」

「都築、もう少しだけ……一緒に、探してくれる?」

 あぁ、もう! そんな表情かおで、そんな聞き方……断れる奴なんかいない! 

「あ、当たり前だろっ……乗りかかった舟だ。ほら、行こう!」

 俺が促すと、万里はスンと小さく鼻を啜り、再び歩き出した。
 本当にこのまま進んでしまっていいのか? と、俺の中で問い続ける声に耳を塞ぐ。

 どうするのが正しいのか、何が正解かなんて俺には分からない。
 ざわつく心を抱えたまま、俺は万里の後をついて夜の住宅街を歩き続けた。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



「え……タクシーっ!?」

 いったん駅前まで戻り、タクシー乗り場に並ぶ万里に俺は目をむいた。
 考えてみれば徒歩圏内で引っ越しのわけがない……当然と言えば当然、だが。

「都築? どうかした?」

「あ、……い、いや……うん、そうだよな……」

 俺はポケットから財布を取り出し、中を確認する。
 バイト代が出たばっかりで良かった。
 あまり遠くじゃないことを祈ろう……。

 駅前ロータリーに滑り込んで来たタクシーが目の前に停まる。
 万里に続いて後部座席に乗り込んだ俺は、タクシー代金のメーターに『深夜料金』と書かれているのを見て、絶望した――……。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



「ありがとうございました」

 タクシーの運転手さんに支払いを済ませて降りる。
 今月の食費が半分消えた……。

 万里の指示は「次で右に曲がって」とか「とりあえず真っ直ぐ」などなど、時には「ちょっと引き返して」なんて、かなり適当に聞こえたと思う。しかし運転手さんは嫌な顔もせずにタクシーを走らせてくれた。

 感謝の気持ちで走り去るタクシーを見送り、万里へ声をかける。

「万里、どの家なんだ?」

「あれだよ」

 万里が指差したのは、二階建ての小さなアパートだった。
 上下合わせても八部屋しかない。
 俺が住んでるアパートと同じくらい年季が入ってそうだ。

 迷うことなく外階段を上がっていく万里に、俺もついて行く。

 二階の一番奥の部屋の前に立ち、万里は何かを探るようにドアを見つめる。
 小さなネームプレートには『三井』と書かれていた。
 ドアの横にある小さな窓から明かりが漏れ、かすかにテレビの音らしいものも聞こえる。
 在宅だ。

「えっと……いきなり訪ねても、びっくりさせちゃうよな……」

 ここまで来て、不覚にも何も考えていなかったことに気づく。
 いきなり見知らぬ二人が訪ねて来て、昨年の事故のことや悠くんの話をされても、困惑させてしまうだろう。下手したら警察を呼ばれかねない。

 万里はドアを見つめたまま口を開いた。

「大丈夫、ちょっと会わせてあげるだけだから」

 ネームプレートの下にある呼び鈴に、万里が手を伸ばす。ピンポンという割れた音がした。
 少し間が空いて、細くドアが開く。

「誰?」

 ダルそうな女性の声。
 ドアの隙間から俺と万里を見比べる瞳は警戒心丸出しだ。
 万里は女性の質問に答えることなく、逆に問いかける。

「悠くんの『お母さん』?」

 うわ、いきなり直球すぎる!
 女性は無言でドアを閉めようとする。俺は慌ててドアのすき間に足を突っ込んで声をかけた。
 
「いきなりすみませんっ! ちょっとだけお話しできませんか?」

「なっ、何なのよ、あんた達! 警察呼ぶわよ!」

 その時――……、
 声を荒げる女性の目の前で、万里がパンッ! と両手を打ち合わせた。

「えっ? 万里っ!?」

 女性は茫然と立ち尽くす。体は強張り、マネキン人形のように動かない。
 俺たちの姿など見えていないかのように瞳は光を失い、口は半開きだ。

「万里、これ……大丈夫なのか?」

 恐る恐る問いかけると、万里は小さく頷いた。

「大丈夫。今、悠くんと会ってもらってる」

「会ってもらってるっ!?」

 俺はまじまじと女性の顔を見た。
 くうを見つめている瞳が、徐々に恐怖の色に染まっていく。
 青ざめ、口はわなわなと震えている。

 いや、これ……どう見ても大丈夫じゃないだろ……。

「万里、マズいんじゃ――……っ!?」

「きゃあぁぁぁああああっ!」

 女性の悲鳴にかき消され、俺は最後まで言えなかった。
 呪縛が解けたのか、女性はそのまま部屋の奥へと転がるように逃げていく。

「あ、あのっ……三井さんっ!?」

 心配のあまり、俺は部屋の中へと追って入る。
 六畳一間の部屋の一番奥で、女性はガクガク震えながら両手を振り回している。

「来ないで! こっちに来ないでよっ!!」

 俺への言葉じゃないのは、その目を見れば分かる。
 女性は俺が見ているのとは全く別の空間にいるかのように、恐怖で顔を引きつらせている。

 さすがにやり過ぎじゃないか?

 亡くなってしまった子供に対する母親の態度とは思えないが、それでもこれ以上続けたら心を壊してしまいそうだ。悠くんにしたって、どんなに会いたかったとしても、こんなに怯えられたら嬉しくないだろう。

「万里、そろそろ終わ――……っ? 万里!?」

 声をかけつつ振り返った俺の目に飛び込んで来たのは、今にも泣きそうな表情かおの万里だった。
 万里は女性の元へ走り寄り、声をかける。

「一度でいい……一度だけでいいから、抱きしめてあげて!」

 悲痛な万里の声は女性の耳に届いたのか、女性は激しく首を振った。

「なに言ってんのよ! こんな、気持ち悪いっ! やめてよ!!」

 激しい拒絶――……。
 霊体の悠くんは、生前とは変わり果てた姿になってしまっているのだろうか……。

 突然、万里が素早く動いた。
 女性を庇うように立ち、印を結んだ万里は声を上げる。
 
「悠くん、ダメっ! 『お母さん』は連れて行けない! 悠くんっ!」

 えええぇぇぇええええ~~~~~~っ!?
 悠くんは、母親をあの世へ連れて行こうとしてるのかっ!?

 俺はどうすればいいのか分からず、呆然と立ち尽くした。
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