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1章

実践魔法

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 今日の実践魔法の授業はいつもと少し違った。

 ここ王立寄宿学校では、五年次から一部の授業は選択制となり、より専門的な教育を受けられるようになる。
 たとえば哲学や統治論、領地管理のための実践的な算術に、魔術論理学や古代言語学、より発展的な錬金術や、騎士養成のための種々の体術など、その内容は多岐にわたる。
 そのなかで召喚術や防衛術、転移術や占星術といった魔術はある程度の魔力と適性が必要であると言われている。
 そのため四年次の後半になると、それぞれの授業で来年度以降に選択できる科目をすこし先取りしたような内容を取り入れる。適性を見て、授業選択の参考にさせるのだ。

 今日の実践魔法の授業はいつもの階段教室から場所を変え、円形競技場の上に天幕を張ったような魔術修練場で行うことになった。
 すり鉢状になった修練場の外縁部には、階段状にベンチが設けられている。体術修練場も似た構造だが、天幕に魔法の暴発にも耐えられる高度な強化魔法がかけられている点が異なった。
 普段は上級生しか入れないここで、今日は防衛術の簡単な魔法を試すのだ。

 アクセルは周りの生徒と同様に興奮していた。
 防衛術とは、いわゆる認識阻害魔法や結界魔法などであり、彼はこれの適性があった。
 ただ、適性があると言っても、今日やるような本格的な結界魔法は試したことがない。防衛術のような高度な魔術は危険が伴うし、独学で習得するのは困難なためだ。
 自分にどれほどの適性があるのか。力試しできるのが楽しみだった。

 ふと、ロジェがクラスメイトの集団から離れて一人、一番下の段のベンチに腰掛けているのに気が付いた。
 膝の上に大判の本をおいて熱心に読み耽っている。表紙には『初等魔術図像学』の文字が認められた。

 ロジェは今日も美しかった。
 金髪が風に揺らぎ、ローブの合わせを手繰り寄せるのが見えた。外壁と天幕があるとは言え、ここには至るところから隙間風が入り込んだ。
 冬も深まった今の時期、動いていなければ体は冷え切ってしまうだろう。
 アクセルがそう考えていると、修練場中央の集団から抜け出し、ロジェに歩み寄る影があった。クロードだ。

 彼は自身が羽織っていたローブを脱ぐと、それをロジェのローブの上から着せる。次いで、そのローブの隠しに突っ込んでいたマフラーを取り出し、ロジェの首にぐるぐると巻いた。
 クロードよりもずっと細身のロジェは、すっかりと彼のローブに覆われ、小さな頭もマフラーに埋もれかけている。その着膨れした様子はまるで毛を逆立てた小動物のようだった。
 こちらに背を向けたクロードが肩を揺らす。それに、ロジェは不満気に口をへの字にして、なにか抗議するように彼を仰ぎみた。
 そんなロジェを宥めるようにクロードが髪を梳いてやると、ロジェは仔猫のように目を細めてそれを受け入れる。
 だれにも懐かない動物を手懐けた気分はどんなものだろうか。クロードの一挙一動からロジェへの愛情が感じ取れるようだった。

 そのとき、クロードが唐突に振り返った。ばちっと音がなりそうな勢いで目が合う。
 そこではじめて、アクセルは二人をじっと見つめ続けていたことに気が付いた。慌てて目線を逸らし、気まずさに視線を彷徨わせる。

 すると、ロジェのほかにも四、五人が点々とベンチに座っているのが目に入った。みんなロジェと同様、魔力量が少ない生徒たちだった。
 きっと、今日の授業は見学するのだろう。それだけ、高度な魔術は魔力を消費し危険を伴うものだった。

 それから先生が魔術修練場にあらわれると、授業がはじまった。今日はいつもの教師のほかにもう一人、防衛術を専門とするナイキスト先生も監督するらしかった。
 課題は一人一つずつ配られた羽毛のまわりに結界を張るもの。ときおり吹き込む風に飛ばされないよう、ふわふわとした羽毛を結界魔法で封じ込めるのだ。

 結果として、大半の生徒はなにも発動できないまま授業を終えた。数名は結界然としたなにかは出せたものの羽毛を封じ込めるには至らず。なんとか課題をこなせたのはアクセルともう一人、伯爵家子女のシモーヌだけだった。その他、どうしたものか羽毛を爆発させたもの一名、その辺に転がっていた木の根を吹き飛ばしたもの一名、である。
 シモーヌの家は、代々宮廷魔術師を輩出している名家であった。彼女は騎士のロマンスに夢見る少女であると同時に、幼い頃から英才教育を受けてきた秀才でもある。シモーヌは、わずか三度の発動で課題を成功させた。

 一方、アクセルはそれっぽい何かは幾度か試すうちに出せるようになったものの、羽毛が触れるだけで壊れてしまうのを何度も繰り返していた。
 授業がはじまってしばらくすると、クラスメイトたちは疲れきりみんな休憩に入った。そんな中でもアクセルはひとり休まず練習を繰り返した。
 魔力切れになったら危ないと、実践魔法の先生が休憩をとるように注意した。しかし集中している彼の耳には届かず、ナイキスト先生が好きなだけやらせようと、気遣わしげなその教諭をなだめたのだった。

 成功したのは、授業時間が終わるほとんど間際だった。
 シモーヌの結界のように軽く指でつついても壊れない、とまではいかなかったが、アクセルは初めて自分で張った結界のきらめきに、つい見惚れてしまった。
 これを実用的な結界とするには、物理的な強度を上げたり、攻撃魔法や索敵魔法などの魔術に対する耐性を上げたり、さらには結界を見透かせなくする認識阻害の効果を付与するなど、道のりはまだまだ長い。
 しかし、アクセルにとっては新たな世界に踏み入った心地であった。

 最後にナイキスト先生は、今日の授業で成功しなかった者も防衛術を諦める必要はない、意欲的な生徒の受講を待っている、と言って授業を締めくくった。

 授業が終わり、アクセルが途中で暑くなってベンチに脱ぎ捨てたローブを回収しに行くと、歩み寄ってくる者があった。
 顔を向けると、驚くことにそれはロジェであった。
「ドラジャン卿、先の結界魔法は見事であった」
 ロジェと話すのは、彼の登校初日に挨拶して以来だ。
「シモーヌ嬢には到底およびません。あと、アクセルとお呼びください、殿下」
「しかし、今日が初めての結界魔法であったのだろう。限られた時間のなか目を見張る上達であった、……アクセル」
 アクセルはロジェに名前を呼ばれて存外に喜んでいる自分に気づいた。もっと会話を続けたくて話題を探す。
「ありがたきお言葉。……殿下は魔術図像学を選択する予定なのですか」
 ロジェはアクセルが手元の本を見ているのに気づいてうなずいた。
「ああ。専科は魔法陣術を取るつもりだ。魔術図像学は、魔法陣の構成を理解したり新たな魔法陣を考案するのに役立つかと思い勉強している」
「魔法陣術、ですか」

 魔法陣といえば、一般には上級の魔法使いが寄り集まってひとりでは発動できないような高度で複雑な魔法を発動するために使われる。
 王宮に結界を張る魔法陣などがその代表で、これはダラゴニア王国の魔法使いの頂点に君臨する宮廷魔導師たちの、その技術の粋を集めた傑作であった。

 不思議そうな顔をするアクセルにロジェは言う。
「魔力が少ないわたしが魔法陣術を学ぶのはおかしいだろう」
「――いえ、滅相もない」
「いいんだ。ただ私は、魔法陣が幾人もの魔力を統合して強大な魔法を発動できるのなら、――魔法陣に少しずつ時間をかけて魔力を注ぎ込みそれを統合することができたなら、魔力が少ない者でも誰でも魔法を使えるようになるのでは、と夢想しているのだ」

 クロードといるとき以外はいつも無口で無表情、人形のようなロジェが、その薔薇色のほおを緩ませて語る姿に、アクセルはつい呆けた顔で見惚れてしまった。
 その顔を見てなにを勘違いしたか、ロジェは硬い表情に戻ってしまう。
「すまない、ドラジャン卿の真摯な態度に感じ入り、つまらないことを話し過ぎてしまった。忘れてくれ」
「――つまらないなんて! 俺はロジェ殿下の思いを聞くことができて嬉しかったです」
 背を向けようとするロジェに焦り、思ったより大きな声が出てしまった。そのとき、一陣の風が吹き抜ける。

 片付け損ねたものか、課題で使った羽毛が一片、二片と空を舞って、ロジェの細い髪にからまる。
 咄嗟に手が伸びそうになり、アクセルは動きを止める。
「ロジェ殿下の髪に羽が……」
 アクセルの言葉で状況に気付いたロジェは、羽毛を取ろうと頭に手をやる。しかし、それはふわりふわりと彼の指をすり抜けた。
「よろしければ俺が――」

 アクセルがロジェの髪に手を伸ばしたときだった。
「ロジェ殿下、失礼します」
 いつの間にかそばに来ていたクロードが、手際よく羽毛を取る。その指先を目で追っていたロジェは、クロードに視線を移してバツが悪そうな顔をした。
「すまない、クロード」
「いえ」
 ロジェはアクセルに向き直ると、今後こそ完全に表情を消して言った。
「長々と引き留めて悪かった。ではまた、ドラジャン卿」
 そして、アクセルがなにか言葉を返す間もなく、二人は連れ立って修練場から去っていったのだった。
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