冤罪悪役令嬢はヤンデレ王太子に溺愛監禁される

三日月深和

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彼女の好きなこと

夕暮れの少女

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 ***
 
 歩き出した二人は市場の様子を眺めながら露店に顔を出し、リリーナが食べたがった羊の串焼きを食べたりなどしていた。

「硬くない? これ」

 よく焼かれた羊肉をいつもより多めに咀嚼したディードリヒは言う。

「こういうものを食べに市井に来ているのですわ。今の私たちでは絶対に食べられませんもの」
「…リリーナって掃除できそうだよね」

 少なくともこの国では当たり前だが、貴族がてずから掃除などしない。それは使用人の仕事である。

「トイレ掃除だってしますわよ。しませんけれど」

 当然な話貴族は自分がやりたくないから他人に仕事として任せる訳だが、同時に職を作り賃金を与えるのも貴族の仕事である故、リリーナが自分でトイレ掃除をすることはない。

「逞しいね…」
「貴方も一回牢に入れられてごらんになったらいかがかしら。いろんなことに諦めがつきますわよ」
「僕は今君にそんな思いをさせたやつを呪い殺してやりたいよ」
「そんなことをしている暇があったら私に花でも買ってくださいませ」

 そう言うとリリーナは素知らぬ顔で次の店へ歩き出す。今回のデートではディードリヒからの頼みでずっと手を繋ぐことになっているが、流石に食事の時だけは無理では、とリリーナが交渉したので今繋ぎ直した。

「…」

 そこでふと、ある露店で足を止める。屋台に広げられたいくつもの商品の中に小瓶に目を向け、淡く青で色付けされたスプレー付きの瓶にそれが香水なのだと気づくまではすぐだった。

「失礼、こちらは?」

 リリーナが問うと、屋台の奥に椅子を置いて腰掛ける中年程の男が少しガサついた声で答える。

「それは香水だよ。ここらじゃ滅多に手に入らない工房の品でね。少し高いが品はいい」
「すこし手に取っても?」
「構わないよ。お嬢さんなら盗まなそうだ」

 店主に許可が取れたので瓶を手に取ると、シンプルな瓶の中で液体が揺れた。貴族向けの商店ではないので試しに、というわけにもいかず少しもどかしい思いを抱える。

「それが欲しいの?」
「欲しい、と言いますか…香りが気になるのですが商品を勝手に開けるわけにも行きませんから」
「なるほどね。店主、これはいくら?」
「銀貨三枚だよ」
「はい、じゃあこれ」

 短いやりとりの中で、チャリンと音がした。驚いていると軽く繋いだ手を引かれる。

「ありがとう。行こう、リリーナ」

 驚いているリリーナにディードリヒが声をかけると、彼女ははっとした様子で店主を見た。

「あの」
「なんだい?」
「この香水を作った工房が知りたいのですが…」

 それを聞いた店主は「あぁ…」と言いながら少し考える素振りを取る。

「なんだったかな。工房っても個人なんだ、名前もない」
「職人の方のお名前は?」
「それなら『アンムート』ってにいちゃんだ。首都の方に住んでる」
「ありがとうございます」

 店主はリリーナから一枚銀貨を受け取ると「まいど」とだけ述べ、リリーナは少し不機嫌なディードリヒに手を引かれその場を去った。
 
 ***
 
 市場から移動して、空き地に置かれたベンチの上で二人でクッキーを摘んでいる中、リリーナが言う。

「ん…思った通り香りがいいですわね。それにしても、自分で払いましたのに」

 早速買った香水を開けた彼女は、自分のハンカチにひとふきし香りを楽しむ。爽やかなオレンジの香りは自然と気道を抜けて、最後はシャープにハーブが霧散し無駄な余韻を残さない。

 その後でリリーナは少し後悔した。今思えば、迷うくらいなら買ってしまえばよかったのだ。普段の買い物ほど高くはないのだから迷う必要などなかったというのに。そう考えれば、先ほどのディードリヒの行動は正しかったと言える。

「プレゼントだよ。好きでしょ、香水集めるの」
「…それもストーキングの成果でして?」

 確かに香水を集めるのはリリーナの趣味だが、ディードリヒに対してそんなことを言った覚えは一言もない。花が好きという話もそうだが、どこで個人情報をそうほいほいと拾ってくるのか。

 彼が主な情報源としているミソラにだって多くを話したつもりはない。彼女とはあくまでビジネスライクと言ったほうがよかった関係である。

「まさか、こんなのストーキングするまでもない。常識の範囲だよ」
「…もう訊きませんわ」

 こちらが正しく認識したのがここ半年程度の人間が知っているというのが恐ろしいわけだが、その常識が彼に伝わるのはいつだろうか。

「まぁもう砕きたいけどね」
「急に何を言いますの!?」

 買ったばかりはおろか金を払ったのはディードリヒである。プレゼントとまで言って砕きたいという心情は反復横跳びのようだ。

「リリーナが僕以外に興味を持つなんて…」
「香水にまで嫉妬しているんですの!?」
「工房の名前まで訊いちゃってさ」
「直感的であってもいい仕事と思ったら覚えておくのは当たり前でしょう」
「それが嫌なんだよ。リリーナは僕以外の名前なんて覚えなくていいのに…」

 ディードリヒはぶつぶつと呟きながらまた思考の沼の中に落ようとしている。影を映した視線は虚に落ち込み視線が合わない。
 リリーナはその姿にまた一つため息をついた。そして傍らのクッキーを一枚手に取るとそれをディードリヒの口に押し込む。

「!?」

 驚きつつも彼がクッキーを食べ切ると、すかさずもう一枚押し込まれた。

「…?」

「私が工房の名前を訊いたのは、今度貴方の分も注文しようとしていたからです」

「むぐ…」
「もう…こういうことは言わせないでください。サプライズ性がなくなってしまうではありませんか」

 だいぶ不機嫌なリリーナの表情にディードリヒは罪悪感を覚える。また必死になってから回ってしまったと少し反省した。

「むぐむぐ…」
「何言ってるかわかりませんから食べ切りなさい」
「むぐ」

 クッキーは軽い音を立てすぐに飲み込まれる。そこからディードリヒは、母親怒られた子供のような、バツの悪い顔をした。

「ごめん、リリーナ…」
「貴方が何にでも嫉妬をしていたら、プレゼント一つままならないではありませんか」
「ごめん…」
「安心なさい。私にとって唯一無二の恋人は貴方だけなのですから」
「…!」

 微笑むリリーナに、ディードリヒは驚いて言葉を失う。見開いた目にはすぐ眉間に皺を寄せた彼女が映った。

「わかりまして?」
「え、あ、いや」
「わ、か、り、ま、し、て?」

 ぐっとリリーナの視線が鋭くなって、ディードリヒはそれに気押されてしまった。辿々しい言葉が口から溢れる。

「は、はい…」
「ならよろしいですわ」

 そう言ったリリーナはさっきとはまた一転して満足したように笑う。すっかり夕方になった周囲を見渡した彼女はベンチから立ち上がると、ぐっと一つ背中を伸ばした。

「遊びましたわね…ひとまず今日は帰りましょう」
「あ、うん…」

 数歩歩き出したリリーナに置いていかれるように、ディードリヒはベンチから立ち上がれなかった。今が名残惜しい気持ちになってしまっていることに気づいてしまって、無意識に立ち止まってしまう。

 それに気づいてか気づかずか、ふとリリーナが振り返ってディードリヒと目を合わせた。

「楽しかったですか?」
「え?」

 急な質問に戸惑い、間抜けた声で返してしまう。

「私の描く『自由』とは、こんなものです。鳥籠の自由も案外楽しいものですわ。貴方は楽しんでくださったかしら?」
「あ…その」
「この程度では退屈でしたでしょうか? では次はサーカスを見に行きましょう。楽しいですわよ!」

 リリーナは子供のように無邪気な笑顔を見せる。ただ、伝えたいこともあるから…彼は口を開いた。

「そうじゃなくて」
「? なにかご要望がありますの?」
「違うよ。楽しかったんだ、僕も。今が名残惜しくて」

 ディードリヒの言葉に、リリーナは大輪の笑顔を見せた。それはまるで絵画に描かれた少女の笑顔のようで、彼女が未だ一人の少女なのであるということを、思い返させる。

 彼は思わずその光景に見惚れて、時を止められたらと確かに願った。しかし時は動き続け、彼は惚けたままこちらに駆けてくる少女を視線で追いかけることで精一杯になってしまう。

「嬉しいです、楽しかったのなら何よりですわ!」

 ディードリヒという一人の青年だけがこの少女の、この笑顔を見れるのだと、誰かが教えることはない。なぜなら彼しか知り得ないことを誰かが知ることはできないからだ。

 彼がそれに気づくのはいつの日だろうか、それはふとしたきっかけかもしれないし、永遠に来ないかもしれないとしても。

「ほら、帰りましょう。今日のディナーは何かしら?」

 リリーナはいつになく機嫌がいい。弾む声で自分に話題を投げかける彼女を見つめながら、ディードリヒは少しばかりもどかしさを覚えた。

 自分はいつも、彼女から貰ってばかりだと。

 彼はいつだって夢見てきた。自分に手を差し伸べるあの少女の姿を。美しい女神の右手を求めてきたのに。
 それで彼女に何が返せるのだろう、と彼女の笑顔を見た時よぎった。
 求めるだけなら誰でもできる。しかしなにも返せないとは、なんとも情けない。

「…なんだろうね」

 なんでもないように放った声が震えてないことを祈った。今はとても自信がない。
 彼女はいつも与えてくれる。自分もいつか、彼女に手を差し伸べられる人間になれるだろうか。

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