57 / 159
彼女の好きなこと
訪問(1)
しおりを挟む********
午後。
首都の郊外、農民の多く住まう地区の手入れのされた森の中にその家はある。
リリーナからすれば小さな小さな小屋と言ったほうが近いが、実際は二、三人で住むにはちょうど良さそうな二階建ての家がそこにはあった。家の周りには柵が置いてあり、その内側ではいくつか植物が栽培されている。ハーブの類が植えてあるのか、すっきりとしたいい香りが漂っていた。
「ここ、ですわね…」
「うん、ここだよ」
リリーナは仲介人であるファリカと、護衛としてミソラを連れアンムート宅まで来ている。お忍びなので服装もドレスではなく上着とブラウスに膝下のスカートと一般的な令嬢の私服を思わせる服装だ。もちろん日傘も忘れない。
「手紙は出してあるから、確認してくれてるといいんだけど…」
そう言ってファリカがドアを叩く。すると少女の声で「はーい!」と返事が返ってきた。声の主は“少し待ってほしい”と言うのでしばし待っていると、内側から音を立ててドアが開く。
「お待たせしました…どちら様ですか?」
ドアを開けて対応してくれた少女はこちらを見てやや動揺している。三人も急に訪ねてきたからか、それともどう見ても金を持ってそうな人間が来たからかはわからないが。
「アンベル商会の者よ。手紙を出してあると思うんだけど…」
ファリカが控えめにそう言うと、少女はすぐに「あぁ」と言って合点がいったようだった。
「アンベル商会の方ですね。こんな狭い家でよければ中に入って待っていて下さい。今兄を呼んでくるので」
促されるままに中へ入る。
リリーナは下町に出たことがあるので庶民の家は対して大きくないことを知っているし、ファリカは家業の関係で見る機会もあるだろう。ミソラはよくわからないが、とにかく三人は特に抵抗もなく家の中に入っていった。
使い込まれたソファに腰掛けて少女を待っていると、ふわりとコーヒーの香りが漂う。
「お待たせしました。大したおもてなしもできませんが、皆さんコーヒーでよかったですか?」
ソファ前のローテーブルに置かれたコーヒーという気遣いに礼を述べつつ、温かい湯気を立てるそれを見つめる。当たり前の話だが、器は高価な茶器ではない、貴族から見ればお値段の張らない、柄もバラバラなマグカップが三つ。
すると、リビングの入り口にかけられた暖簾のような布から男性が一人顔を出した。彼は中に入ってくると少女と二人床に座り位の高そうな三人を気遣う。
二人とも薄い緑色の髪に薄い紫の瞳をしており、特に髪色はこの国では珍しいものだと物語っていた。男は長い、肩甲骨程度まで伸びた襟足を髪留めで一つにまとめ、薄い眼鏡をしている。彼はこちらを様子見するように視線を向けるも、リリーナと目があった瞬間には逸らしてしまった。
少女は同じく長い髪を肩あたりで二つおさげにしている。活発そうな目元は迷いなくこちらを見て、男と同じ色の瞳が「コーヒー、飲みづらかったら言ってくださいね」と言った優しい声と共に笑った。
「自己紹介がまだでしたよね。私がソフィア、隣が兄のアンムートです」
「よろしくお願いします」
一見兄妹は礼儀正しく頭を下げる。強いて言うなら兄の方がやや態度が硬い印象を受けた。
二人の服装はある程度使い込まれてくたびれた印象で、少なくとも金持ちが道楽でやっているようなものではないことが伺える。
「じゃあこっちも。私が手紙を出したファリカ・アンベルよ。隣のお嬢さんが二人に用事があるってことで仲介させてもらったわ」
ファリカは自分の左に向かって手を向けた。
「リリーナ・ルーベンシュタインと申します。本日は丁寧な対応に感謝しますわ」
「リリーナ様の侍女のミソラ・オダと申します。私のことはお気になさらず」
ここ一帯の諸外国に多い文化だが、家名があると言うことは総じて貴族であることを指す。ソフィアは初めて見る本物の貴族に目を輝かせた。
「いえ、丁寧だなんて…何もなくて申し訳ないです」
困ったように照れ笑いで返すソフィア。一般的な平民が貴族にできることなどたかが知れている。唯一できたことといえばいつもより豪華なコーヒー豆を買った程度だ。
リリーナはソフィアの態度に「気にしないで」と言葉を返すと、視線を兄の方に向ける。
「では早速本題に移りましょう。アンムートさん、こちらの香水を作ったのは貴方と伺ったのだけど、お間違いないかしら」
そう言ってリリーナは懐からディードリヒと下町でデートをした時の香水を取り出す。ローテーブルに置かれた瓶を見てアンムートは答えた。
「間違いありません、俺が作ったものです」
「そうですのね、合っていてよかったですわ。ある日露天で見つけて購入したのだけど、私とても気に入って」
「それは…ありがとうございます」
リリーナは香水を集めるのが趣味ではあるが、あまり甘さの強い香りを好まない。どちらかと言うとさっぱりして後に残りすぎない香りを普段使いする。
決して甘い香りのものを使わないわけではないのだが、夜会など場所を選んで使うことが多い。
その点、露天で買った香水はリリーナのお気に入りの一つになった。爽やかなオレンジの香りから始まり、ハーブは詳しくないがすっと消えるハーブの香りが余韻に残る。
「そこで私から提案なのですけれど、首都で工房を持つ気はないかしら?」
「え!?」
リリーナの提案に最初に反応を示したのはソフィアだった。ソフィアは少しばかり目を輝かせてリリーナを見る。
「街の方におにいの香水が出るんですか!?」
「えぇそうです。住居や工房も併せてご提供しますわ」
喜びでそわそわと体を揺らす妹に対して、兄は、
「お断りします」
そう即答した。
アンムートのあまりの即答にソフィアとファリカがやや動揺する。
「何か理由がおありかしら?」
「工房を持つと言うことは、俺以外の人間が俺の香水を作るということです。俺は香水を感覚で作ってるからレシピの類を残していませんし、妹以外の人間と関わるのも苦手ですから」
「感覚だけでこれだけの代物を?」
アンムートの作る香水は、首都の貴族向けであっても十分通用するだろう。計算されて作られていたとリリーナは感じていたので、その才能に少し感心する。
「基本がわかっていれば難しいことじゃない。正しい下処理と素材への理解があれば誰でもできる」
「おにい、その話やめなって。自分の技術に泥塗るのやめようよ」
「事実だろ」
兄はつっけんどんにそう返すが、妹はそれを心配している。技術は確かでも、態度が悪ければ失礼だと。何より意味もなく自分を貶す必要などない。
「とても万人ができるセンスではないと思いますが…」
「やっぱりそうですよね! よかった、わかってくれる人がいて」
「…」
不機嫌そうな兄は、そのまま口を開く。
「…とにかくそういうことだから。今までも間者? の人とか何人か来たけど全部断ってるし貴方たちも変わらない。申し訳ないけど帰ってくれませんか」
アンムートの意思は頑ななようだ。
「レシピを残さないのは何かこだわりが?」
「そうじゃないです。自分で作るには全部覚えてるので」
「報酬は話し合ってみてわかることもあると思うのですが…できうる限りのものを用意させます。それでもだめかしら?」
「報酬はなんでもうまいに越したことないけど…そう言う問題ではないんです。すみません」
「…」
あまりに頑なな態度に、リリーナは少しばかり考える。そしてでた結論は、
「わかりました、今日は帰りましょう」
すっぱりと一度帰ることで合った。
リリーナはあっさりと立ち上がるも、動揺したファリカが声をかける。
「え!? い、いいの!?」
驚いた様子を隠さないファリカだが、リリーナはそれにさも平然と答えた。
「交渉というものはその場で粘ればいいというものでもありません。今日は顔を知ってもらうために来たようなものですから、一先ずは帰りましょう」
“一先ず”という言葉をはっきりと聞いてしまったアンムートは動揺を隠せない。
「つまりまた来るってことですか…?」
「勿論です。時間を見計らってまた伺います」
「やめてください」
「それだけは生憎ですが…私はどうしても貴方の腕が欲しいのです」
「えぇ…」
「詳しい話や書類はまた後日お持ちしますわ。本日はお邪魔しました」
あからさまに嫌そうな顔をするアンムートを置いたままリリーナは颯爽と帰っていく。ミソラは平然と、ファリカは動揺が隠せないままそれについていった。
1
あなたにおすすめの小説
わんこ系婚約者の大誤算
甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。
そんなある日…
「婚約破棄して他の男と婚約!?」
そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。
その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。
小型犬から猛犬へ矯正完了!?
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
転生したら4人のヤンデレ彼氏に溺愛される日々が待っていた。
aika
恋愛
主人公まゆは冴えないOL。
ある日ちょっとした事故で命を落とし転生したら・・・
4人のイケメン俳優たちと同棲するという神展開が待っていた。
それぞれタイプの違うイケメンたちに囲まれながら、
生活することになったまゆだが、彼らはまゆを溺愛するあまり
どんどんヤンデレ男になっていき・・・・
ヤンデレ、溺愛、執着、取り合い・・・♡
何でもありのドタバタ恋愛逆ハーレムコメディです。
じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが
カレイ
恋愛
天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。
両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。
でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。
「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」
そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。
【完結】離婚を切り出したら私に不干渉だったはずの夫が激甘に豹変しました
雨宮羽那
恋愛
結婚して5年。リディアは悩んでいた。
夫のレナードが仕事で忙しく、夫婦らしいことが何一つないことに。
ある日「私、離婚しようと思うの」と義妹に相談すると、とある薬を渡される。
どうやらそれは、『ちょーっとだけ本音がでちゃう薬』のよう。
そうしてやってきた離婚の話を告げる場で、リディアはつい好奇心に負けて、夫へ薬を飲ませてしまう。
すると、あら不思議。
いつもは浮ついた言葉なんて口にしない夫が、とんでもなく甘い言葉を口にしはじめたのだ。
「どうか離婚だなんて言わないでください。私のスイートハニーは君だけなんです」
(誰ですかあなた)
◇◇◇◇
※全3話。
※コメディ重視のお話です。深く考えちゃダメです!少しでも笑っていただけますと幸いです(*_ _))*゜
主人公の義兄がヤンデレになるとか聞いてないんですけど!?
玉響なつめ
恋愛
暗殺者として生きるセレンはふとしたタイミングで前世を思い出す。
ここは自身が読んでいた小説と酷似した世界――そして自分はその小説の中で死亡する、ちょい役であることを思い出す。
これはいかんと一念発起、いっそのこと主人公側について保護してもらおう!と思い立つ。
そして物語がいい感じで進んだところで退職金をもらって夢の田舎暮らしを実現させるのだ!
そう意気込んでみたはいいものの、何故だかヒロインの義兄が上司になって以降、やたらとセレンを気にして――?
おかしいな、貴方はヒロインに一途なキャラでしょ!?
※小説家になろう・カクヨムにも掲載
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる