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第四章 二つの闇
十五話 混淆の男(こんこうのおとこ) 1
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◇◇◇
午後、赫燕に呼び出された玉蓮は、天幕の中央を見つめていた。そこには、縄で縛られ、転がされている数人の玄済兵の姿。彼らは、昨日捕らえられた捕虜たちだ。顔は腫れ上がり、呻き声すら上げられず、その体から漂わせるのは、生々しい血の匂いと絶望の臭気だけ。
赫燕は、まるでどこかの王のように椅子に深々と腰掛けて、卓に足を投げ出し、杯を傾けている。
「こいつら、どうする」
無機質に落ちる声。玉蓮の喉仏が、音もしないまま上下した。師の教えが一瞬、脳裏をよぎる。
——無辜の民を蹂躙する道具であってはならぬ。
確かに、目の前の者たちは無辜の民ではない。彼らは戦乱の世で、数多の血を流してきたであろう者たちだ。だが、今まさに眼前に差し出された彼らは、正しく人間なのだ。苦痛に歪む顔、怯えに震える瞳。彼らの顔には、人間としての感情が確かに刻まれている。
玉蓮は拳を握りしめた。
「……尋問し、情報を引き出すべきかと」
「退屈だな。そんなやり方で、いつ玄済の王を殺れる?」
赫燕は、玉蓮の声の震えを嘲るかのように、はっと乾いた笑いをこぼす。
「あの日、俺の喉に剣を突きつけておきながら、結局一人も殺せずに、土しか斬れなかったお前が」
突き刺さるような侮蔑。玉蓮は唇を噛み締め、膝の上の拳に爪を食い込ませた。
「っ……わたくしは」
赫燕は、一人の捕虜の髪を掴み、その顔を玉蓮へと向けさせた。捕虜の瞳は、恐怖に大きく見開かれ、助けを求めるかのように玉蓮を見つめている。その瞳が、師の教えと、姉の最期の笑顔を同時に蘇らせる。
目の前にいるのは敵国、玄済の兵。あの男の国の兵士だ。だが、同時に人間でもある。二つの重りが、天秤の両端で激しく揺れる。
「こいつを切り刻んで腸を引きずり出せば、残ったやつがもっと早く吐くぞ」
「ですが——!」
「あいつは、兵を拷問するなと言ったか」
ぴくりと玉蓮の指が動く。
(先生は……)
「そんな甘いことを、劉義から教わったか?」
師は、一度も「拷問をするな」とは言っていない。そうだ、決して言っていない。
「あいつは、真面目でお堅いが、誰よりも勝ちにこだわる。あいつは言ったはずだ。戦場で最も価値があるものは?」
「……情報と時間」
「そうだ。悠長な尋問なぞ、時間の無駄。戦場で最も価値があるのは、情報と時間。どちらか一つでも失えば、死ぬのは俺たちだ」
震えが膝から上がってきて、呼吸だけが先に走った。胃の腑から込み上げる吐き気。肉と鉄の匂いが喉に絡み、足元の縄の擦れる音だけが妙に大きい。
「復讐をしたい。だが、手は汚したくない。都合のいい話だな」
赫燕の言葉に、自身の吐き気に逆らうように、心の奥底で何かが熱く疼くのを感じた。
(——違う。こんなやり方は間違っている)
そう頭では叫んでいるのに、魂のどこかが、彼の言う、血に塗れた最短距離の道を「是」だと頷いている。玉蓮は、赫燕の目をまっすぐに見返した。
目の前の男は、玉蓮の反応を愉しむかのように口の端を吊り上げ、玉蓮の眼前に立った。
「いい顔になってきたな、姫さん」
赫燕はそう言うと、玉蓮の顎を持ち上げ、親指でゆっくりと一撫でした。
「お前も、この獣の巣の住人だ」
彼が甲冑の音を響かせながら踵を返し、卓においてあった酒杯を掴み、ひとつ呷った。
「おい、こいつらを——」
「お待ちを、赫燕将軍」
赫燕が傍らに控える兵士に捕虜を引き渡そうとした、その時。捕らえられた玄済の老将が、縛られた体でなお堂々と、しかしはっきりと赫燕を呼んだ。
午後、赫燕に呼び出された玉蓮は、天幕の中央を見つめていた。そこには、縄で縛られ、転がされている数人の玄済兵の姿。彼らは、昨日捕らえられた捕虜たちだ。顔は腫れ上がり、呻き声すら上げられず、その体から漂わせるのは、生々しい血の匂いと絶望の臭気だけ。
赫燕は、まるでどこかの王のように椅子に深々と腰掛けて、卓に足を投げ出し、杯を傾けている。
「こいつら、どうする」
無機質に落ちる声。玉蓮の喉仏が、音もしないまま上下した。師の教えが一瞬、脳裏をよぎる。
——無辜の民を蹂躙する道具であってはならぬ。
確かに、目の前の者たちは無辜の民ではない。彼らは戦乱の世で、数多の血を流してきたであろう者たちだ。だが、今まさに眼前に差し出された彼らは、正しく人間なのだ。苦痛に歪む顔、怯えに震える瞳。彼らの顔には、人間としての感情が確かに刻まれている。
玉蓮は拳を握りしめた。
「……尋問し、情報を引き出すべきかと」
「退屈だな。そんなやり方で、いつ玄済の王を殺れる?」
赫燕は、玉蓮の声の震えを嘲るかのように、はっと乾いた笑いをこぼす。
「あの日、俺の喉に剣を突きつけておきながら、結局一人も殺せずに、土しか斬れなかったお前が」
突き刺さるような侮蔑。玉蓮は唇を噛み締め、膝の上の拳に爪を食い込ませた。
「っ……わたくしは」
赫燕は、一人の捕虜の髪を掴み、その顔を玉蓮へと向けさせた。捕虜の瞳は、恐怖に大きく見開かれ、助けを求めるかのように玉蓮を見つめている。その瞳が、師の教えと、姉の最期の笑顔を同時に蘇らせる。
目の前にいるのは敵国、玄済の兵。あの男の国の兵士だ。だが、同時に人間でもある。二つの重りが、天秤の両端で激しく揺れる。
「こいつを切り刻んで腸を引きずり出せば、残ったやつがもっと早く吐くぞ」
「ですが——!」
「あいつは、兵を拷問するなと言ったか」
ぴくりと玉蓮の指が動く。
(先生は……)
「そんな甘いことを、劉義から教わったか?」
師は、一度も「拷問をするな」とは言っていない。そうだ、決して言っていない。
「あいつは、真面目でお堅いが、誰よりも勝ちにこだわる。あいつは言ったはずだ。戦場で最も価値があるものは?」
「……情報と時間」
「そうだ。悠長な尋問なぞ、時間の無駄。戦場で最も価値があるのは、情報と時間。どちらか一つでも失えば、死ぬのは俺たちだ」
震えが膝から上がってきて、呼吸だけが先に走った。胃の腑から込み上げる吐き気。肉と鉄の匂いが喉に絡み、足元の縄の擦れる音だけが妙に大きい。
「復讐をしたい。だが、手は汚したくない。都合のいい話だな」
赫燕の言葉に、自身の吐き気に逆らうように、心の奥底で何かが熱く疼くのを感じた。
(——違う。こんなやり方は間違っている)
そう頭では叫んでいるのに、魂のどこかが、彼の言う、血に塗れた最短距離の道を「是」だと頷いている。玉蓮は、赫燕の目をまっすぐに見返した。
目の前の男は、玉蓮の反応を愉しむかのように口の端を吊り上げ、玉蓮の眼前に立った。
「いい顔になってきたな、姫さん」
赫燕はそう言うと、玉蓮の顎を持ち上げ、親指でゆっくりと一撫でした。
「お前も、この獣の巣の住人だ」
彼が甲冑の音を響かせながら踵を返し、卓においてあった酒杯を掴み、ひとつ呷った。
「おい、こいつらを——」
「お待ちを、赫燕将軍」
赫燕が傍らに控える兵士に捕虜を引き渡そうとした、その時。捕らえられた玄済の老将が、縛られた体でなお堂々と、しかしはっきりと赫燕を呼んだ。
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