闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

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第五章 傷痕に触れる指

二十八話 触れる指 1

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 真夜中。玉蓮は、人のうめき声で目を覚ました。嵐の音に混じって聞こえる、苦しげな声。天幕の外では、いまだに激しい雨が打ち付け、雷鳴が遠くで轟いている。

 その呻き声の元を探して寝台の上へ視線を向ければ、あの赫燕かくえんが苦しみに身をよじっていた。

(……お頭?)

 玉蓮は起き上がり、足音を立てぬように、滑るように寝台に近づく。嵐の夜の闇が、彼の輪郭を曖昧にしているが、その苦しみの表情だけは、はっきりと見て取れた。己の喉から、声にならぬ音が漏れる。

「——っ」

「……ち、ちち、うえ……城が……!」

 汗で濡れた髪が額に張り付き、その表情は歪んでいる。深い皺が刻まれた眉間は固く寄せられ、苦痛の色に染まっている。苦しそうな吐息とともに目の前の男の目尻から水滴が流れ、大きな手が何かを求めるように、胸元で揺らめく紫水晶を握りしめた。

「……燃え…………そげつ……!」

 彼の口から紡がれるその音が、玉蓮の耳朶じだを打ち、脳裏にこだまする。

(……ああ、これは)

 気が付けば、玉蓮は寝台のかたわらで、彼の汗濡れた額に手を伸ばしていた。ただ、この男の傷に、痛みに、触れてみたかった。自分のそれに触れるように。

 その指先が、彼の肌に触れるか触れないかの、その刹那せつな。赫燕の目がカッと見開いた。

 ——ガッ!

「——っ!」

 世界が反転した。

 玉蓮の体は寝台に押し付けられ、太い指が喉元に食い込む。赫燕の瞳は開いているが、そこにあるのは虚無と殺意だけ。玉蓮ではない、誰か、敵を見ている目。

「——何してやがる!」

「……ぁ、お……か……」

 喉にめり込む手に己の手を重ねたその時、天幕を揺るがすほどの雷鳴が轟いた。玉蓮の体が、びくりと震えると、赫燕の瞳の焦点が結ばれ、そこから殺気が霧散むさんする。

 首を絞めていた手がふっと緩む。玉蓮は、肺を必死に動かしてあえぐように咳き込みながら息をした。ぜいぜいと喉がなる。

 彼は一度、大きく息を吐くと、糸が切れたように玉蓮の上に崩れ落ちた。のしかかる、男の身体。初めての重さと熱さに、玉蓮の心の臓がドクンと大きく跳ねる。

「なんなんだ、お前は」

「っ……うなされて、いた、からっ」

「……クソ」

 赫燕は玉蓮の横にゴロリと横たわり、そしてまた、呼吸を整えるように深く重い息をつく。

 玉蓮は体を起こして、赫燕を見下ろした。闇をぼんやりと見ていた瞳が向けられる。睨んでもいない。あざけってもいない。——少しだけ悲しみを帯びた瞳。

 彼の額に張り付いた髪をそっと払う。その熱い肌に触れる指先から、微かなしびれが走るような感覚が玉蓮の全身を駆け巡る。赫燕は、何も言わずに、玉蓮を見つめている。

 後宮で見てきた、白粉おしろいと香の匂いをさせた宦官や、柔らかな絹の衣をまとった文官たちとは、何もかもが違う。
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