闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

文字の大きさ
64 / 159
第六章 首輪の在り処

三十四話 揺れ動く熱 1

しおりを挟む
 声の振動が、耳から直接、脳を揺らす。親指が、彼女の首筋の脈打つ喉元をつう、となぞった。

 その瞬間、どくん、と。まるで、もう一つ、心の臓が生まれたかのように、脈が跳ねた。その熱い脈動に導かれるように、冷たい刃がそこを貫く幻影が、鮮明に脳裏に浮かぶ。鮮血が舞い、命が絶たれる感触。そのあまりに生々しい死の気配に、玉蓮は耐えきれず、ぎゅっと目蓋まぶたを閉じた。

(……喉笛に、剣を)

 喉元に食い込んでいたはずの指の力が、ふっと抜ける。絞め上げる代わりに、親指の腹が、早鐘を打つ玉蓮の脈動を確かめるように優しく、あまりにも優しく撫でた。

「ん……」

 愛撫へと変わる、その境界線の曖昧さ。なぜか、赫燕かくえんの手が微かに震えたような気がして、玉蓮は恐る恐る目を開けた。そこにあるのは、闇を纏った赫燕の美しい瞳。だが、冷徹なくらさではない。代わりに揺らめくのは、行き場のない感情を持て余したような痛切な色。

「……っ」

 赫燕の親指が、喉から頬へ、そして玉蓮の柔らかな唇へと滑る。その視線は熱を帯びて玉蓮を捉え、彼の顔がゆっくりと傾いていく。いつもの通り、唇が触れ合うだろう。玉蓮は抗うことを忘れ、そっと目を閉じた。

 彼の唇が近づくのを待つ自分と、その闇に呑まれることを恐れる自分が、胸の中でせめぎ合う。赫燕の吐息が、鼻先をかすめた。その時。


「……朱飛のところへ戻れ」


 ポツリと。吐き捨てるような、けれどすがるような低い声が、鼓膜を打った。

(え……?)

 唐突な拒絶。半ば反射的に目蓋まぶたを開け、彼の顔を見上げる。赫燕は、苦しげに眉を寄せていた。

(なぜ、そんな——)

「どう——ンッ!」

 言葉を塞ぐように、彼の唇が押し付けられる。触れ合うなんて優しいものではない。貪るように吸い上げ、舌を絡め取っていく。

「んんッ」

 抵抗する間もなく、彼の腕が玉蓮の腰を強く抱き寄せ、二人の間に隙間を許さない。息もできないほどの激しさに、玉蓮の意識は白く染まる。

「……っは、何っ」

 一瞬離れた唇が、酸素を求める間も与えず、再び深く塞ぐ。玉蓮は彼の胸元を押し返そうと手を置いたが、その僅かな抵抗が、彼の腕をさらに強固にした。玉蓮の髪を撫でる指の動きは乱暴で、その指先は玉蓮の頭皮に食い込む。

「戻れ、いいな」

「——ぁっ」

 拒絶の言葉とは裏腹に、その腕は玉蓮を逃がそうとはしない。命じる唇が、次の瞬間には玉蓮の全てを塞いでいる。思考が追いつかない。熱い舌が口内を蹂躙じゅうりんする感覚だけが、鮮烈な現実として脳を焼き尽くしていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる

春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。 夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。 形のない愛は信じない。 でも、出来立ての肉は信じてしまう。 肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。 これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さくなった夫が可愛すぎて困ります

piyo
恋愛
夫が、ある日突然、幼児の姿になってしまった。 部下の開発中の魔法薬を浴びてしまい、そのとばっちりで若返ってしまったらしい。 いつも仏頂面な夫が、なんだかとっても可愛い――。 契約結婚で、一生愛とは無縁の生活を送ると思っていたノエルだったが、姿が変わってしまった夫を、つい猫可愛がりしてしまう。 「おい、撫でまわすな!」 「良いじゃありませんか。減るもんじゃないし」 これまで放置されていた妻と、不器用に愛を示す夫。 そんな二人が、じれじれ、じわじわとお互いの距離を詰めていく、甘くて切ない夫婦再生の物語 ※完結まで毎日更新 ※全26話+おまけ1話 ※一章ほのぼの、二章シリアスの二部構成です。 ※他サイトにも投稿

七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす

蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。 追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。 しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。 港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。 イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。 犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。 被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。 追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。 この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。 ・世界観・設定の管理補助 ・プロット段階の壁打ち ・作者による執筆後の校正

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした〜

ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。 イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。 8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。 ※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

処理中です...