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第七章 臨万城の嵐
五十四話 名誉の傷
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◇◇◇ 赫燕 ◇◇◇
玉蓮が天幕から去った後も、微かに彼女の香りが残っている気がした。その事実だけで、縫合されたばかりの背中の傷が、じくじくと熱を持つ。痛みを紛らわすように、瞳を閉じると同時に、騒がしい声が天幕のすぐ外から聞こえてくる。
そして、間髪をいれずに「入ります」という声と共に、子睿と迅が中へ入ってきた。二人の顔には、普段と変わらぬ笑みが浮かんでいる。
「お頭ぁ。まさかの深手っすねー、こりゃ」
迅の、脳天気な声が鼓膜を揺らす。こめかみの血管が、ぴくりと動いた。子睿が扇で口元を隠し、ふふと笑う。その涼やかな顔が今は苛立ちの元となる。
「姫君を守った名誉の傷、ですよ。そうですよねえ、お頭」
子睿の、ねっとりとした声が、さらに神経を逆撫でする。
「こんな風にくたばってるお頭を見るのは、久々っすねー」
迅はにやにやと笑いながら、寝台に横たわる赫燕の顔を覗き込む。子睿もまた、腕を組みながらこちらを見下ろした。
「総大将が本陣を抜け出して、女を助けに行く。これも鬼才・赫燕の神算鬼謀かもしれませんな」
子睿の言葉に、迅は「うはー、ねえわー」と首を振る。
「それにしてもお頭、本当にあの一太刀、避けらんなかったんすか?」
「姫君を守るため、心が勝手に体を動かすのですよ。いつもなら避けられる刃でさえも、判断が鈍るほどに心が燃えているのです」
「くはは! まさかあの赫燕が! 他の男の元に走った女を守って、深手を負うなんてなー。軍の酒の肴っすよ」
「玉蓮のおかげで、話題に事欠きませんねえ、うちの陣営は。お頭の心にも、ほんのひとさじ、ぬくもりが湧いたようで。ねえ、迅さん?」
腹の底から、じりじりと何かが込み上げてきて、自然と眉間に力が入っていく。
「そんな訳ないっすよねえ。心なんて、そもそも持ち合わせちゃ——」
「——おい」
喉の奥から、唸るような声が出る。迅は「うお、やっぱ黙るっす」と声を上げて、口を閉ざしたが、子睿は飽きもせずさらに言葉を続けた。
「……でも、本当はわかっていますよ。ふふ。玉蓮を抱えるお頭の手。あんなに優しいお頭を見たのは、初めてですから。まさに英雄——」
「うるせえ。黙って出ていけ、クソども」
「へいへい。今日くらいは、寝台に優しく抱かれてくださいな」
二人は軽口を叩きながら部屋を出て行こうとする。好き勝手に言い捨てていく側近たちの背中に向けて、赫燕は呟いた。
「……たく。俺の軍は、いつからこんなにうるさくなった」
悪態をつきながら、赫燕はほんのわずかに、口の端が緩むのを自分でも止められなかった。だがその直後、傷口が引きつって痛みが走る。
「くそ、いてえな」
そう呟いて、赫燕はそっと目を閉じた。
玉蓮が天幕から去った後も、微かに彼女の香りが残っている気がした。その事実だけで、縫合されたばかりの背中の傷が、じくじくと熱を持つ。痛みを紛らわすように、瞳を閉じると同時に、騒がしい声が天幕のすぐ外から聞こえてくる。
そして、間髪をいれずに「入ります」という声と共に、子睿と迅が中へ入ってきた。二人の顔には、普段と変わらぬ笑みが浮かんでいる。
「お頭ぁ。まさかの深手っすねー、こりゃ」
迅の、脳天気な声が鼓膜を揺らす。こめかみの血管が、ぴくりと動いた。子睿が扇で口元を隠し、ふふと笑う。その涼やかな顔が今は苛立ちの元となる。
「姫君を守った名誉の傷、ですよ。そうですよねえ、お頭」
子睿の、ねっとりとした声が、さらに神経を逆撫でする。
「こんな風にくたばってるお頭を見るのは、久々っすねー」
迅はにやにやと笑いながら、寝台に横たわる赫燕の顔を覗き込む。子睿もまた、腕を組みながらこちらを見下ろした。
「総大将が本陣を抜け出して、女を助けに行く。これも鬼才・赫燕の神算鬼謀かもしれませんな」
子睿の言葉に、迅は「うはー、ねえわー」と首を振る。
「それにしてもお頭、本当にあの一太刀、避けらんなかったんすか?」
「姫君を守るため、心が勝手に体を動かすのですよ。いつもなら避けられる刃でさえも、判断が鈍るほどに心が燃えているのです」
「くはは! まさかあの赫燕が! 他の男の元に走った女を守って、深手を負うなんてなー。軍の酒の肴っすよ」
「玉蓮のおかげで、話題に事欠きませんねえ、うちの陣営は。お頭の心にも、ほんのひとさじ、ぬくもりが湧いたようで。ねえ、迅さん?」
腹の底から、じりじりと何かが込み上げてきて、自然と眉間に力が入っていく。
「そんな訳ないっすよねえ。心なんて、そもそも持ち合わせちゃ——」
「——おい」
喉の奥から、唸るような声が出る。迅は「うお、やっぱ黙るっす」と声を上げて、口を閉ざしたが、子睿は飽きもせずさらに言葉を続けた。
「……でも、本当はわかっていますよ。ふふ。玉蓮を抱えるお頭の手。あんなに優しいお頭を見たのは、初めてですから。まさに英雄——」
「うるせえ。黙って出ていけ、クソども」
「へいへい。今日くらいは、寝台に優しく抱かれてくださいな」
二人は軽口を叩きながら部屋を出て行こうとする。好き勝手に言い捨てていく側近たちの背中に向けて、赫燕は呟いた。
「……たく。俺の軍は、いつからこんなにうるさくなった」
悪態をつきながら、赫燕はほんのわずかに、口の端が緩むのを自分でも止められなかった。だがその直後、傷口が引きつって痛みが走る。
「くそ、いてえな」
そう呟いて、赫燕はそっと目を閉じた。
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