闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

文字の大きさ
125 / 159
第九章 鮮やかなる桃花

六十八話 霜牙の地 2

しおりを挟む
「略奪に成功したと信じた彼らは、勢いに乗って砦へ雪崩れ込む。そこは周囲を断崖に囲まれた地。彼らが砦で水を奪い合い、馬を降りたその瞬間こそ、風を失った騎馬民族が最も脆弱になる時です」

 玉蓮はさらに指を動かした。

「四方の崖に弓隊を伏せるのは当然。ですが、真の仕掛けはその先。砦の裏手、唯一の脱出路である湿地帯への道だけは、あえて、細く開けておくのです」

「……逃げ道を作るのですか?」

「完全に包囲すれば、彼らは死兵と化して凄まじい反撃に出るでしょう。ですが、目の前にぬかるみだったとしても、逃げ道があれば、そちらへ逃げ込もうとする」

 玉蓮の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。

「馬斗琉、先ほど言いましたね。板を渡さねば馬が沈むあしの帯があると。精鋭をその湿地に潜ませ、逃げ込んできた敵を泥の中で討ちましょう。馬を失い、足を取られた騎馬民族は、もはやただの獲物です」

「……み、味方の血を流さず、敵の渇きを利用して、その足を泥に沈める……」

 馬斗琉の豪放ごうほうな顔が、すっと色を失った。その唇が何か言いかけて閉じ、拳が卓の下でわずかに震えた。

「玉蓮殿、この策、お見事です。流石は劉義りゅうぎ殿の門下生」

 隣の崔瑾は、静かにこちらを見つめていた。馬斗琉が深く息を吸い込み、崔瑾に視線を向ける。

「崔瑾様、この策ならば勝てるやもしれません。ですが——策がどれほど完璧であっても、それを実行する駒が腐っていては、意味を成しませぬ」

「ああ、あちら側が口を出してくるだろうな」

「一年半ほど前の白楊はくよう国との戦。あの張将軍の二の舞になることだけは、避けねば」

 その名が出た瞬間、書斎の空気が僅かに凍り付く。崔瑾は何も言わずに、瞳だけで馬斗琉に言葉の続きを促す。

「……あの無能な男が、なぜ要職に抜擢されたのか。今もって、腑に落ちませぬ。あの人事のおかげで、我らは無駄な血を流しました。兵站へいたんは滞り、白楊はくように全滅に近い形で敗北したのです……」

 馬斗琉は憎しみを抑えるように吐き捨てる。

「あの不可解な人事を推挙したのは……」

「……吏部尚書りぶしょうしょ周礼しゅうれい殿だな」

「はい」

 二人の声は、どこまでも静かだった。崔瑾の瞳の奥で、今まで静かに沈んでいた刃が、わずかに光を返した。そのきらめきに、玉蓮は一瞬、胸の奥がざわめくのを覚えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる

春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。 夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。 形のない愛は信じない。 でも、出来立ての肉は信じてしまう。 肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。 これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さくなった夫が可愛すぎて困ります

piyo
恋愛
夫が、ある日突然、幼児の姿になってしまった。 部下の開発中の魔法薬を浴びてしまい、そのとばっちりで若返ってしまったらしい。 いつも仏頂面な夫が、なんだかとっても可愛い――。 契約結婚で、一生愛とは無縁の生活を送ると思っていたノエルだったが、姿が変わってしまった夫を、つい猫可愛がりしてしまう。 「おい、撫でまわすな!」 「良いじゃありませんか。減るもんじゃないし」 これまで放置されていた妻と、不器用に愛を示す夫。 そんな二人が、じれじれ、じわじわとお互いの距離を詰めていく、甘くて切ない夫婦再生の物語 ※完結まで毎日更新 ※全26話+おまけ1話 ※一章ほのぼの、二章シリアスの二部構成です。 ※他サイトにも投稿

七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす

蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。 追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。 しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。 港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。 イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。 犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。 被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。 追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。 この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。 ・世界観・設定の管理補助 ・プロット段階の壁打ち ・作者による執筆後の校正

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした〜

ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。 イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。 8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。 ※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。

処理中です...