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第十章 正義の敵
七十五話 仮面の下 2
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そして、その場は蕭将軍と玉蓮だけとなり、風の音だけが重い空気に似合わずそよぐ。
「……崔夫人、人払いしてまで、お話しされたいこととは?」
「将軍、この度の蕭妃様のこと、お父君も、将軍も心痛いかばかりかと存じます。実は、わたくしの姉も後宮に入って半月後に亡くなっているのです」
玉蓮は胸元を押さえ、息を吸い込んだ。言葉にしようとしたものが、熱と共に喉奥に絡んで出てこない。唇は動いたが、小さな吐息がこぼれるばかりだった。もう一度、小さく息を吐く。
「……大王が太子の頃です。蕭妃様の痛みが、わたくしには、他人事に思えないのです」
「……崔夫人」
「わたくしは、姉の最期に何があったのか、真実を知りたいのです。本日も、何か手がかりがあればと思い、こちらに参りました」
「崔瑾様の夫人といえど、あなたは敵国・白楊国の公主です。私に何を信じろと……」
「将軍。妹君、蕭妃様の一件、王の気まぐれなどではないでしょう……ここ数年の記録を見れば、ある名が浮かびます」
蕭将軍の眉がわずかに跳ねた。
「なぜ、それを」
「……異国から嫁いだばかりのわたくしにさえ、この国の異様さは手に取るようにわかります」
沈黙が二人の間に落ちる。
「蕭妃様は、今回、命拾いをなされました。しかし、次に何かがあったとき、果たして助けられるでしょうか。あるいは、蕭妃様のお食事に、ほんの僅か、見慣れぬ薬草が混ぜられていたとして、誰がそれに気づけましょうか」
「それは!」
「……確実に言えることは、蕭妃様はお命を狙われたということです」
玉蓮の言葉に、蕭将軍は視線を彷徨わせた。右に、左にと忙しなく動く瞳と、額を伝う汗。そして、卓の上で握りしめられた拳が白くなっていく。
「……蕭妃様は、あの気難しい王の寵愛を受けていました。ですが突如……」
ぽつりと、彼の唇から言葉がこぼれる。
「……王の怒りに触れたというのが表向きの理由です……」
声が小さく震えている。王の怒りという名目で片付けられるには、あまりにも裏が深すぎる。父である蕭尚書までも連行されたとなれば、何かが起こっている。
蕭将軍の手が、引き出しの取っ手に伸ばされたが、そこにかかったまま動かない。眼差しは揺れ、何かを飲み込むように喉が上下した。やがて、指先に微かに力が入ったかと思うと、彼は小さな引き出しから帳簿を取り出した。
「これが、蕭妃様と関係がある記録の写しです」
彼は目を伏せ、震える手で帳簿を差し出した。
玉蓮は写しを受け取り、紙をめくった。指先が走るように書き込みを追う。
一見すると整然とした記録。だが、そこに記された名前と数値が、脳裏にかすかに残っていた噂と重なった。特定の女官や宦官の異動、不自然な物資の動き。それらが示すものは、決して偶然ではない。
「将軍。蕭妃様の宮に、事件のわずか三日前、太后宮から十名もの宮女が一度に送り込まれていますね」
屈強なはずの蕭将軍の顔が、見る間に青白くなった。
「……太后様が、蕭妃様に懐妊の兆しが見られるとおっしゃられたそうです。人が必要だろう、と。漢方も多量に賜ったそうです……」
「蕭妃様は、ご懐妊を?」
「王宮でもごく一部の者しか知り得ぬことでした。慎重な蕭妃様は、身を守るため、漢方を丁重にお断りになられました。それが……すべて太后様の計算通りだったのです」
将軍は卓を握りしめ、白くなった拳を震わせる。
「大王には、こう伝わりました。『蕭妃様が、太后様から賜った漢方を毒だと言って突き返した』と」
「それで蕭妃様は」
「禁足を命じられました。ですが、ご懐妊の身。お子を守りたい一心で現状を訴えられ……それが決定打でした。大王の目に、『傲慢な言い逃れ』と映ったのです」
将軍は顔を下げ、絶望に身を震わせている。
「崔夫人、真実が見えたところで、何にもなり得ません。王の命令であるという公印がある以上、これ以上の追及は……」
「……王が怒り狂うよう仕向ける。この国で全てを動かしているのは、背後に潜む闇なのですね」
「私から伝えられることは、ここまでです」
「……ご無理を申し上げ、失礼いたしました」
玉蓮は、自らの胸元にある紫水晶を強く握りしめた。太后という絶対的な権力が、この国の全てを動かしているのだ。
「……崔夫人、人払いしてまで、お話しされたいこととは?」
「将軍、この度の蕭妃様のこと、お父君も、将軍も心痛いかばかりかと存じます。実は、わたくしの姉も後宮に入って半月後に亡くなっているのです」
玉蓮は胸元を押さえ、息を吸い込んだ。言葉にしようとしたものが、熱と共に喉奥に絡んで出てこない。唇は動いたが、小さな吐息がこぼれるばかりだった。もう一度、小さく息を吐く。
「……大王が太子の頃です。蕭妃様の痛みが、わたくしには、他人事に思えないのです」
「……崔夫人」
「わたくしは、姉の最期に何があったのか、真実を知りたいのです。本日も、何か手がかりがあればと思い、こちらに参りました」
「崔瑾様の夫人といえど、あなたは敵国・白楊国の公主です。私に何を信じろと……」
「将軍。妹君、蕭妃様の一件、王の気まぐれなどではないでしょう……ここ数年の記録を見れば、ある名が浮かびます」
蕭将軍の眉がわずかに跳ねた。
「なぜ、それを」
「……異国から嫁いだばかりのわたくしにさえ、この国の異様さは手に取るようにわかります」
沈黙が二人の間に落ちる。
「蕭妃様は、今回、命拾いをなされました。しかし、次に何かがあったとき、果たして助けられるでしょうか。あるいは、蕭妃様のお食事に、ほんの僅か、見慣れぬ薬草が混ぜられていたとして、誰がそれに気づけましょうか」
「それは!」
「……確実に言えることは、蕭妃様はお命を狙われたということです」
玉蓮の言葉に、蕭将軍は視線を彷徨わせた。右に、左にと忙しなく動く瞳と、額を伝う汗。そして、卓の上で握りしめられた拳が白くなっていく。
「……蕭妃様は、あの気難しい王の寵愛を受けていました。ですが突如……」
ぽつりと、彼の唇から言葉がこぼれる。
「……王の怒りに触れたというのが表向きの理由です……」
声が小さく震えている。王の怒りという名目で片付けられるには、あまりにも裏が深すぎる。父である蕭尚書までも連行されたとなれば、何かが起こっている。
蕭将軍の手が、引き出しの取っ手に伸ばされたが、そこにかかったまま動かない。眼差しは揺れ、何かを飲み込むように喉が上下した。やがて、指先に微かに力が入ったかと思うと、彼は小さな引き出しから帳簿を取り出した。
「これが、蕭妃様と関係がある記録の写しです」
彼は目を伏せ、震える手で帳簿を差し出した。
玉蓮は写しを受け取り、紙をめくった。指先が走るように書き込みを追う。
一見すると整然とした記録。だが、そこに記された名前と数値が、脳裏にかすかに残っていた噂と重なった。特定の女官や宦官の異動、不自然な物資の動き。それらが示すものは、決して偶然ではない。
「将軍。蕭妃様の宮に、事件のわずか三日前、太后宮から十名もの宮女が一度に送り込まれていますね」
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「……太后様が、蕭妃様に懐妊の兆しが見られるとおっしゃられたそうです。人が必要だろう、と。漢方も多量に賜ったそうです……」
「蕭妃様は、ご懐妊を?」
「王宮でもごく一部の者しか知り得ぬことでした。慎重な蕭妃様は、身を守るため、漢方を丁重にお断りになられました。それが……すべて太后様の計算通りだったのです」
将軍は卓を握りしめ、白くなった拳を震わせる。
「大王には、こう伝わりました。『蕭妃様が、太后様から賜った漢方を毒だと言って突き返した』と」
「それで蕭妃様は」
「禁足を命じられました。ですが、ご懐妊の身。お子を守りたい一心で現状を訴えられ……それが決定打でした。大王の目に、『傲慢な言い逃れ』と映ったのです」
将軍は顔を下げ、絶望に身を震わせている。
「崔夫人、真実が見えたところで、何にもなり得ません。王の命令であるという公印がある以上、これ以上の追及は……」
「……王が怒り狂うよう仕向ける。この国で全てを動かしているのは、背後に潜む闇なのですね」
「私から伝えられることは、ここまでです」
「……ご無理を申し上げ、失礼いたしました」
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