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第十章 正義の敵
七十五話 仮面の下 3
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◆
蕭将軍の屋敷を後にしたとき、空はすでに宵闇に包まれていた。記録の写しを懐に抱きながら、玉蓮は一言も口を利かず、脳裏で連なっていた文字を繰り返す。
崔家の屋敷に戻った頃には、冷たい月明かりだけが彼女を照らしていた。昼間の喧騒はすでに消え失せ、しんとした静寂が屋敷を包み込んでいる。玉蓮の心には、先ほどまで滞在していた、蕭家での話が、重くのしかかり、深い波紋を広げていく。
角を曲がったところで、影がすっと現れ、行く手を阻まれた。
「……阿扇」
「玉蓮様、お戻りですか」
阿扇の声は低く、語尾は断ち切るように短かった。玉蓮は歩みを止め、向き直る。廊下の灯りに照らし出された阿扇の眉間には、深い皺がはっきりと刻まれている。
「心配をかけましたね」
「どちらに?」
間髪をいれずに問う阿扇に、いつもと変わらず微笑みを返す。
「蕭家を訪問すると伝えていたはずです。蕭妃様のお話をお聞きした以上、何かお力になれればと」
「あなたは、ご自身がどのような橋を渡ろうとしているか、理解されているのか」
阿扇の声は、さらに冷ややかさを増していく。
「蕭将軍は旦那様の幕僚の者。身内を気に掛けることに問題があるというのですか」
玉蓮は、一歩も引かずに言い返す。
しかし、阿扇の顔には、まるで牙を剥いたような鋭い光が走った。
「崔瑾様の奥方でありながら、勝手な真似を……周礼や太后に口実を与えるおつもりか!」
玉蓮はスッと足を踏み出す。一歩、また一歩と、ゆっくりと。衣擦れの微かな音だけが、纏わりつくような夜の空気に溶けていく。距離を削るたびに、阿扇の呼吸がわずかに乱れていく。
彼の目の前まで歩を進めた玉蓮は、顔を上げて、その緑がかった瞳をじっと見つめながら、ゆっくりと顔を近づける。その距離が、零れてしまいそうなほどに縮まった時、阿扇の瞳の中で反射する灯りが揺れ動いた。
阿扇が息を呑みこみ、わずかにのけぞったが、その距離を詰めるようにさらに身を寄せた。
「っ——」
そして、吐息がかかるほどの距離で、玉蓮は囁いた。
「どこで誰が聞いているかわからぬのです。旦那様の側近であれば、思ったことを、おいそれと口にしてはなりません」
阿扇の肩がわずかに揺れる。その震えの意味を、玉蓮はあえて問おうとはせず、一歩も引かず、阿扇を見つめ返す。
「わたくしの敵が……旦那様の敵と重なるのであれば、辿る道は交わるでしょう」
「何を、考えているのですか」
「壊すのです」
玉蓮は、淡々と、そして力強く言い放った。胸の中で、息が熱を帯びるように、轟々と炎が揺れている。
『——要を、壊せ』
あの男の声が頭の中で響いている。
蕭将軍の屋敷を後にしたとき、空はすでに宵闇に包まれていた。記録の写しを懐に抱きながら、玉蓮は一言も口を利かず、脳裏で連なっていた文字を繰り返す。
崔家の屋敷に戻った頃には、冷たい月明かりだけが彼女を照らしていた。昼間の喧騒はすでに消え失せ、しんとした静寂が屋敷を包み込んでいる。玉蓮の心には、先ほどまで滞在していた、蕭家での話が、重くのしかかり、深い波紋を広げていく。
角を曲がったところで、影がすっと現れ、行く手を阻まれた。
「……阿扇」
「玉蓮様、お戻りですか」
阿扇の声は低く、語尾は断ち切るように短かった。玉蓮は歩みを止め、向き直る。廊下の灯りに照らし出された阿扇の眉間には、深い皺がはっきりと刻まれている。
「心配をかけましたね」
「どちらに?」
間髪をいれずに問う阿扇に、いつもと変わらず微笑みを返す。
「蕭家を訪問すると伝えていたはずです。蕭妃様のお話をお聞きした以上、何かお力になれればと」
「あなたは、ご自身がどのような橋を渡ろうとしているか、理解されているのか」
阿扇の声は、さらに冷ややかさを増していく。
「蕭将軍は旦那様の幕僚の者。身内を気に掛けることに問題があるというのですか」
玉蓮は、一歩も引かずに言い返す。
しかし、阿扇の顔には、まるで牙を剥いたような鋭い光が走った。
「崔瑾様の奥方でありながら、勝手な真似を……周礼や太后に口実を与えるおつもりか!」
玉蓮はスッと足を踏み出す。一歩、また一歩と、ゆっくりと。衣擦れの微かな音だけが、纏わりつくような夜の空気に溶けていく。距離を削るたびに、阿扇の呼吸がわずかに乱れていく。
彼の目の前まで歩を進めた玉蓮は、顔を上げて、その緑がかった瞳をじっと見つめながら、ゆっくりと顔を近づける。その距離が、零れてしまいそうなほどに縮まった時、阿扇の瞳の中で反射する灯りが揺れ動いた。
阿扇が息を呑みこみ、わずかにのけぞったが、その距離を詰めるようにさらに身を寄せた。
「っ——」
そして、吐息がかかるほどの距離で、玉蓮は囁いた。
「どこで誰が聞いているかわからぬのです。旦那様の側近であれば、思ったことを、おいそれと口にしてはなりません」
阿扇の肩がわずかに揺れる。その震えの意味を、玉蓮はあえて問おうとはせず、一歩も引かず、阿扇を見つめ返す。
「わたくしの敵が……旦那様の敵と重なるのであれば、辿る道は交わるでしょう」
「何を、考えているのですか」
「壊すのです」
玉蓮は、淡々と、そして力強く言い放った。胸の中で、息が熱を帯びるように、轟々と炎が揺れている。
『——要を、壊せ』
あの男の声が頭の中で響いている。
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