闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

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第十一章 心の臓を撃つ石

七十九話 歳月と心 1

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◇◇◇ 玉蓮ぎょくれん ◇◇◇

 玉蓮が崔瑾さいきんに嫁いでから、一年と半分の歳月が流れていた。

 名実ともに、玄済げんさい国の将軍・大都督だいととくの妻として、玉蓮が過ごす静かな日々。夫となった崔瑾は、どこまでも誠実で優しい。庭に差す柔らかな光のように、彼の言葉は、玉蓮の中に降り積もっていく。

 碁を打ち、庭を歩き、季節の移ろいと共に花を愛でる。些細なことでも袖が触れれば、崔瑾はすぐに温かい手を差し伸べてくれる。玉蓮が美しいと口にした花々は、次の日には次々と庭に運ばれる。彼の言葉も、彼の行動も、その全てが真綿のように、玉蓮を包み込んでいった。


 夜、夫婦として肌を重ねた後、隣で眠る崔瑾の穏やかな寝顔を見つめる。その腕は常に慈しみに満ち、玉蓮の背を優しく抱き締める。それは、赫燕かくえんと交わした魂を焼き尽くすような激しい交わりとは異なる、静かで、確かな温もり。

 このまま、この温もりに満たされて眠りに落ちてしまえば、どれほど幸せだろうか。この人の腕だけを求めることができたなら、どれほどに——。

 玉蓮は、そっと彼の腕から抜け出すと、衣を纏い、月明かりが差し込む窓辺に立った。桃の木の葉が、風に揺られて、さわさわと音を立てている。

 脳裏をよぎるのは、この穏やかな日々とは真逆の光景。血と鉄の匂いが充満する獣の巣。耳に残る、荒々しい男たちの笑い声と、彼の不遜ふそんな低い声。そして、肌を焼くような熱と、魂ごと奪われるかのような激しい口づけ。

 思い出すたび、背筋に何かがい寄るような、熱と震えが入り交じる余韻が残る。

 玉蓮は、ふところに忍ばせた匕首に触れた。つかに嵌め込まれた紫水晶が、月の光を吸って、ひやりと冷たい。この冷たさだけが、崔瑾の温もりの中で溶けてしまいそうになる自分を、元の場所へと引き戻してくれる。

 太后と周礼しゅうれい、この国の要を壊す手がかりを、何も掴めぬこの状況に胸が詰まる。次の一手を考えなければ、そう頭をめぐらせた瞬間——。


「玉蓮殿」


 静かな優しい声が、西の空を見ていた玉蓮の耳に届いた。匕首をしまい、振り返り、穏やかに微笑ほほえんでみせる。

「旦那様」

 震えもしない自分の声をどこか他人のように思う。

 ゆっくりと玉蓮の元まで歩いてきた崔瑾が、その腕の中に玉蓮を抱きしめ、そのまま髪をく。彼の指が髪に触れるたび、玉蓮は無意識に身を固くした。この優しさから逃げ出したい、と。この温もりが、自分の中にある赫燕の熱を、まるで罪であるかのように、暴き立ててくるからだ。

「何を、していたのですか」

 崔瑾の問いかけに、玉蓮は伏せていた眼差しを上げる。彼の瞳には、偽りのない心配の色が浮かんでいる。

「……少し、感傷に浸っていたのです」

 言葉は自然と口をついて出た。
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