大地に落ちる潮の思い出

浅黄幻影

文字の大きさ
10 / 13

独り立ちへ|逃亡と帰還

しおりを挟む
 この夜のことは私の記憶の中に焼き付いていて、少しも風化することがない。闇に包まれた街、限られた街灯の光の中をどこへ行くともわからないまま走った。靴はすぐ生地にまで雨が染みてズブズブになったし、傘も布が剥がれてダメになったが、それでも私は走っていた。雨の夜、住宅街に誰かがいるわけもなく、私は孤独を余計に感じながら進んでいった。ずぶ濡れになった私は私をいったいどうするつもりなのかわっていなかった。どこまで行っても、自分がどこに行こうとしているのかわからなかった。

 それでも密かに逃亡先として期待していたのだろう、一人の級友の部屋の近くまで来ていた。高校の近くにあるそのアパートまで、二時間近く走りっぱなしでいた。灯りがついているのを見ると、私は少しばかり安堵した。同時に胸の締め付けがまた来たけれど、今度は重圧によるものではなく、泣き出してしまいそうになった心の乱れからだった。

 そのようにして一人暮らしの友人にかくまってもらった。就職組のことなど何も知らない、高校生に一室を借りてやれるほど裕福な家のものだった。私は雨の中を走ってきた疲れから彼のところで眠った。翌日も彼が学校へ行くのを送り、人目を避けてずっと部屋にいた。
 先生のところへ帰ってきたのは三日目のことで、友人が私のことをクラスで仄めかしたり、級友の訪問でその話が本当だとバレたためだった。だが、この告げ口はありがたかった。袋小路にいた私には、走り出した瞬間から逃げたところで恐怖からは逃れることができない、自分がどこにも行けないことに気付いていた。ずっと友人の家の隅で恐怖していたくらいなのだから。
 自分の無力さ、小ささが思っていた以上のものであり、これまで感じていた恐怖が裏付けされたのだと思うしかなかった。私はすっかり怯えてしまった。
 しかし何より、こんなことをしでかした私に先生がどんな顔をしているか、それが恐ろしかった。私は先生を裏切ってしまった。これまでの日々のことも、これからの日々のことも。

 帰ったときも外は激しい雨だった。先生は玄関で腕組みで立って待っていた。おどおどしている私とはまた違う表情、沈んでいる様子が見て取れた。予想したような怒りに満ちた顔ではなく、憐れみと残念だという様子が見て取れた。
 先生は数歩進み、雨の中に出て私を迎えた。「こっちに来なさい」と静かな声で言った。私はその方へ歩いた。
 先生がそんな様子だったので、私は愚かにもどこかで甘えた言葉を期待していた。しかし先生からそんな言葉が出るわけもなかった。間合いが詰まったところで袖の下に腕を回され、私は一瞬のうちに投げ飛ばされた。雑草の合間に溜まった水が激しく飛沫を上げ、私の背中に激しい痛みが走った。
 投げられた私の前には先生の顔があった。目は見開き、歯を強く食いしばって息を大きく吐いていた。雨水は先生の顔をつたって流れてきて、先生と私の顔を濡らした。身体を起こした先生は「立て」と言った。私はしばらく腰が抜けたようになり立ち上がれなかった。何事が起こったのかわからず茫然としていた。
 やがて心と目頭に熱いものを感じ、涙が止まらなくなった。
「着替えて部屋に来なさい」
 私が起き上がるのをずっと待っていた先生は、そう言って中に入っていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...