鬼の乙女は婚活の旅に出る

矢島 汐

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1巻

1-1

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   第一章 鬼の乙女、家出する


 ――やって、しまった。

「グッ……」

 どうする。どうしよう。どうすればいいのだ。
 頭の中ではそんな言葉ばかりがぐるぐると回っているが、私の体は目の前に転がる――正確に言えば私が蹴倒した、ひとりの男の手をしばり上げていた。足も拘束こうそくし、ついでにそのあたりにあった布で口をふさぐ。
 男が完全に意識を失ったところで、私はようやく深い息をついた。
 蝋燭ろうそくあかりのみで照らされた、私の部屋。たたみの上には机と座布団くらいしかないそこは、元から殺風景さっぷうけいだったが、この日のために整理をして綺麗にき清めておいたことで、いっそう静けさが際立つ空間になっている。母と相談しながらけた花だけが、わずかにいろどりを添えていた。
 ……その静けさをぶち壊したのが、この闖入者ちんにゅうしゃなのだが。

「どう、するか」

 そう、本当にどうすればいいのかわからない。
 我ながらあざやかに撃退したものだと感心するが、それがただの現実逃避とうひだということもわかっている。
 わが里の常識的にもおきて的にもあり得ないことを、私がしてしまったのは百も承知なのだ。

「ああ、こんなはずではなかったのだが……」

 本来なら私、迦乃栄カノエは、今夜花嫁になるかもしれなかったのだ。
 今日はこの里――鬼人きじんの一部族たる常磐ときわの里で、成人した男女が夫婦めおとになる『妻問つまどいの儀』が行われる日なのである。
 常磐では年に一度、その年十八歳を迎える男女を集めて成人の儀をり行う。晴れて成人となった者は、同日の夜に開かれる妻問いの儀に参加することができるのだ。
 妻問いの儀は、男が自身の妻にと望む女の家へおもむき、みつぎ物を渡すことで相手をめとる儀式だ。もちろん、いきなり家に乗り込んで『妻になれ』と迫るわけではなく、その前にはきちんと段階を踏んだ流れが存在する。
 しかし私はその時点から流れに乗り遅れていたので、誰もわが家に来ることはないと思っていた。強制的に結婚させられるようなこのしきたり自体に疑問をいだいていた身としては、それで構わないとすら考えていたのだ。
 それなのに、こんなことになるなんて……

「あら、まぁまぁ~どうしたの、迦乃栄」

 そっとふすまが開かれ、ひとりの女性が顔を出した。

「そ、そっちこそ何をしているんだ、母よ」

 間延びした声同様におっとりとした笑みを浮かべる彼女は、私の母だ。
 母の話し方を聞くと、なぜ私の口調はこうも女性らしさに欠けた古めかしいものになってしまったのかと、首をひねりたくなる時がある。実際は父の影響であることが明らかだし、もう身に染みついてしまったものなので、今更直そうとも思わないが……

「ええと~……」

 母は倒れた男と私の間で数度視線を往復させた後、なぜか大きくうなずいた。

「まず、入らせてもらうわね~」

 妻問いの儀の最中は、未婚の娘を持つ男親は家から出て里の寄合場よりあいばへ行き、女親は家にもって娘の部屋には決して近づかない――のだが、そのおきて軽々かるがると破り、母は私の部屋へ足を踏み入れた。

「母よ、おきてを破るのはまずいのではないか?」
「あらあら~そんなの、この無作法者に比べれば、全然まずくないわよ~」

 言うやいなや、足下に転がる男の背中を踏みつけて微笑む母。
 普段は穏やかで優しいのだが、ひとたび怒りが爆発すると非常に怖いのだ。

「一体どういうことかしら~? 部屋に訪れたということは、夫候補よねぇ? 迦乃栄をめとりたいのに、『先のみつぎ物』も贈ってこないやからがいるなんて……何事?」
「ああ……」

 男が妻問いの儀に参加するためには、本来、前段階として行っておくべきことがある。成人の儀のひと月前までに、みずから狩った獲物の素材を『先のみつぎ物』として女の家に贈る必要があるのだ。
 里の年寄によって届けられる、贈り主の名を伏せたみつぎ物。女はその品を気に入れば装身具として仕立て、成人の儀の際に身に着ける。
 それが、贈り主の妻になるのを了承するという意味だ。成人の儀のひと月前から未婚の男女は言葉を交わすことを禁じられるので、そこが女性側がみずからの考えを主張できる唯一の機会となる。
 ――母には伝えていなかったが、実のところ、先のみつぎ物は届いていたのだ。
 あれはちょうどひと月前。早朝の散歩をした帰り、家の前に置かれているのを発見した。話に聞いていたように朱塗しゅぬりの木箱に入れられていたので、間違いないだろう。
 美しい鳥の羽、大きなおおかみの爪、珍しいいのししの牙……私と同じ年の娘達のもとには、狩りの腕を自慢するように男達のみつぎ物が届けられていた。
 一方私へのみつぎ物はというと……小鼠こねずみ死骸しがいだったわけだが。

「そうだな。お、贈られてないな、うん。誰も、贈ってこなかった」

 腐りかけの死骸しがいなんて、みつぎ物としてあり得ない。騒ぎ立てて事を大きくしたくなかった私は誰にも見られないよう、裏手の森に箱ごと埋めた。そのため両親は、先のみつぎ物が届いていたことは知らないはずだ。

「……そうなの~?」
「ああ、ああ。オクラレテイナイ」

 母は私をじっと見つめ、諦めたようにため息をつく。
 我ながら棒読みになってしまった自覚はあるものの、とりあえず追及をかわせたことに安堵あんどした。
 実は、色々な理由が重なり、私を含めたわが家は里の中で爪弾つまはじき……とまではいかないが、遠巻きにされている。母もそれを気にしているから、私の怪しい態度に触れずにいてくれたようだ。

「ふぅ……そうね、先のみつぎ物は絶対に必要な物ではないものねぇ……まあ、普通はあるものだけど~」

 返事をするとまた棒読みになりそうだったので、ただうなずくことで同意しておく。
 確かに、ある一定の条件下においては、先のみつぎ物を身につけていない女相手であっても妻問いにのぞめるのだ。
 みつぎ物を気に入らず、装身具に仕立てない女もいる。誰からもみつぎ物をもらえなかった女もいる。独り身を選ぶため、あえてみつぎ物を拒絶する女もいる。
 結婚は里の女の夢なので、そういった者はあまりいないのだが……その場合、誰が妻問いをしても構わないとされているのだ。ちなみに、複数の男が妻問いに訪れた場合、その中で最も力ある男が女をめとると決められている。
 男側に有利過ぎるしきたりだと改めて思うが……それはひとまず置いておく。
 つまり、先のみつぎ物を身につけていない私のもとへこの男がやってくること自体は、おきて破りではないのだ。母が無作法だというのは、これ以外の点である。

「五千歩ゆずって、先のみつぎ物には目をつぶるとしても……他のことも、色々あり得ないわ~」
「ま、まぁ、それはそうなのだが」

 先程より力をめて、母が男の背中を踏みにじる。男の意識は、いまだ戻らなかった。

「まだ月が上がりきってないのよ? どころか、合図のかねも鳴ってないわ。それにこのみつぎ物! 私の娘を馬鹿にし過ぎじゃないかしらぁ~?」

 里の女が夢見る妻問いは、こうだ。
 月が一番高く上がり、妻問いの儀が開始されるかねの音が鳴り響く夜半やはん。堂々と名乗りを上げた男が、みずからの狩りの成果たる獲物の毛皮で仕立てた長羽織ながばおり――『妻問いのみつぎ物』を女に着せ、その手で花嫁衣装を完成させる。
 だが、それは単なる理想である。現実は厳しい。

「……みつぎ物は、男の想いの強さを表すものだ。彼が私に向ける情なぞ、ないに等しいだろう」

 今夜私がされたことといえば……月が中天にかかるよりかなり前。窓から勝手に部屋に乗り込んできた男に、無言で薄汚れた羽織――何かの毛皮を申し訳程度に片袖につけた、雑なこと極まりない作りのそれをかぶせられそうになった、という具合だ。
 おそらく里の中で誰よりも妻問いに期待を寄せていなかった私だが、これはあんまりだと思う。男が視界に入ってきた瞬間、思わず側頭部を蹴り上げて昏倒こんとうさせてしまったくらい、ひどい。
 何の感情も持たない相手から、こんな仕打ちを受けるなんて……

「そもそも、この方はどなたなの~? こんな情けない姿じゃ、誰なのかわからないわ」
「私もよく顔を見ていないのだが……おそらく、いつも麗李亜レリアの周りにいる男衆おとこしゅうの誰かだと思う」
「ああ、あの子の取り巻きね」

 心底軽蔑けいべつしたようにそう吐き捨てる。母がここまで嫌悪感けんおかんを表すのは滅多にないことなので、少し驚いた。
 麗李亜は里長さとおさの孫娘だ。鬼人として誇れる六本の角を有し、その美しさも相まって、同世代の中では常に輪の中心にいるような存在である。
 鬼人の格は、頭上に持つ角の本数で決まる。鬼人の祖となったとされる鬼神きしんが大小合わせて十の角を有していたとの伝承があることから、角の数が多い者はそれだけ始祖しその血が濃く高い能力が備わっていると言われているのだ。
 常磐は鬼人の中でも特に鬼神の血を濃く受け継ぐとされる部族で、ほとんどの者が三角以上を有している。里の外では一角から三角が普通で、四角以上は上位鬼人とみなされるらしいから、おそらくその話は事実なのだろう。
 しかし、六角の鬼人は、常磐でも三人しかいない。里長と、麗李亜。それから……私だ。
 本当は私の父も六角だったのだが、母をめとる際に色々あり――(それを母は『ラブロマンス』だと称しているが)今はひとつ角を折って、五角になっている。
 母は里では脆弱ぜいじゃくだと言われる二角の鬼人。父は鬼人の誇りである角をみずから折った傷物の鬼人。加えて里長の娘が昔、わが父に横恋慕よこれんぼしていたなどという話も小耳に挟んでいる。そんなふたりから六角の子どもが生まれたのが、里長の一家にとっては到底許容できないことらしい。
 特に矜持きょうじが高い麗李亜からすると、同じ六角持ちの私の存在はとても目障めざわりなようで、幼い頃から色々と嫌味を言われたものだ。
 一方、私の幼なじみで、里の歴史上最高位である八角の男に対しては、非常に友好的に接している。つまり麗李亜は、私が同性であることがかんに障るのだと思う。
 それに、私の性格も気に入らないらしい。
 ――何を言われてもさして気にせず、ひとりでいることも苦ではなく、ぼうっとしていることを好む。
 幼なじみの男は、私をそう称する。加えて、群れるのを好み、かしましい麗李亜とでは絶望的に相性が悪いだろうとも言われた。麗李亜に合わせて性格を変えようとは思えないので、考えてもせんないことだが。

「……手に入らない女のいいなりになって、一生を棒に振るなんて。この男も馬鹿ねぇ」

 母の言葉から妙に重みを感じる。やはり両親の妻問いの時も、何かあったのかもしれない。

「馬鹿、だな……」

 この男も、この妻問いを仕組んだであろう麗李亜も、黙って今日まで耐えてきた私も。
 みんな、みんな馬鹿だ。

「――母よ。私はもう怒った」

 麗李亜が私を嫌っている。だからその取り巻き達も私を嫌う。
 里長の一家が両親を遠ざける。だから里の大人も私達一家とよそよそしく接する。
 物心ついた頃から、ずっとそういう環境の中で生きてきた。それでも私はあまり他者を気にしない性格だし、両親が私を目一杯愛してくれたから、里で浮くことにも、多少の嫌味や嫌がらせにも我慢できた。幼なじみも、たまに私の様子を見に来てくれるので、それ以上は望まなかった。
 だというのに、いくらなんでもこれは非道過ぎないだろうか。
 私は里の者達に人生を滅茶苦茶にされる程うらまれるようなことを、本当にしたのか?

「私はこんなことをするようなやからの妻には、なりたくない。それにこの里にいても、他に夫などできない」

 おきてだのしきたりだのと言われても、やはり私はこの妻問いという仕組みそのものに承服しかねるのだ。
 女側は、先のみつぎ物こそ拒否できても、妻問いのみつぎ物はほぼ拒否できない。結局は男だけが相手を選ぶことができ、女は好いた男に選ばれる幸運を祈るしかない。
 おきてに従うのなら、私はこの屈辱くつじょく極まりない求婚を受け入れなければならないのだ。
 おかしなしきたり。女をモノ扱いするかのような伝統。それでも真摯しんしに想ってくれる相手がいて、その男から妻問いを受ければ、今日という日も素敵な日だと思えたのかもしれない。
 だが実際は、わけのわからない男から、こちらを馬鹿にしきった妻問いをされてしまった。いい加減、怒りの感情もくだろう。

「私をめとりたい者が誰もおらず、独りで生きていくことになるのなら、それも仕方ないと思っていた。そうなるだろうと覚悟もしていた。だが、これは受け入れられない」

 いつか両親に迷惑をかけずに単身で大陸へ渡る方法を見つけようと、そんなことさえ考えていた私の覚悟を嘲笑あざわらうかのごとく、適当な夫をあてがおうとするなんて。
 これが私の人生だと諦めてしまうのは、あまりにもむなしくないか。

「あら? おかしいわね、燈王ヒオウさんはどうしたの~?」

 先程の暗い声が嘘のように、おっとりとした調子で母がひとりの男の名を口にする。
 何がおかしいのか、と疑問に思いながら、私は頭の中に彼を思い浮かべた。
 ――燈王。八角の鬼人。五つ年上の、私の唯一の幼なじみ。
 何の法則もなく、世界に生まれてくるという稀有けうな存在、鬼神の血をそのまま受け継いだかのごとくすぐれた力を持つ、鬼神の神祖しんそ返り――『鬼神の御子みこ』と呼ばれる人である。
 彼は驚く程整った華やかな容姿に、柔らかな物腰の麗人れいじんだ。そして誰よりも強く、その圧倒的な存在感だけで他者を従える力を持つ。
 里の男は彼に畏敬いけいの念を抱き、女はめとってほしいと懇願こんがんする。そんな燈王は……なぜか私の前でだけ、口も態度もあまりよくなかった。うるわしい顔立ちを皮肉げにゆがめて笑うことばかりだったけれど、なんだかんだ言って、私に普通に接してくれた。ふらりと現れては、色んな話をしてくれる彼と過ごす時間は、いつだって楽しかった。
 彼が本当は優しい人だと知っている。それくらい、私と燈王の付き合いは長い。だけど、彼は……

「燈王は麗李亜に先のみつぎ物を贈っていた。だからどうもこうもない」
「……あら?」

 成人の儀までの期間中、男女が言葉を交わすことは禁じられているが、同性同士は問題ない。
 儀式が行われる里外れの祭壇に辿たどり着いた直後、麗李亜は嬉々ききとして何の装身具も身につけていない私に嫌味を言ってきた。そしてひとしきり言い終えて満足したらしい彼女は、女衆おんなしゅう全員に聞こえるよう、『燈王様から頂戴したのよ』とみずからの装身具を見せつけてきたのだ。
 先のみつぎ物の贈り主は、女側には知らされないことになっている。それなのに麗李亜が知っていたのは、里長に頼んで聞き出したからに違いない。
 麗李亜はずっと、燈王のことが好きだったのだ。常に燈王のそばにいようとしていたし、私にも何度も宣言していた。『燈王様は私をめとるの』と。
 その夢が叶って嬉しくて仕方がなくて、皆に自慢したかったのだろう。
 麗李亜が身につけていたのは、とても豪奢ごうしゃ花簪はなかんざしだった。絹で作られた大ぶりな白い牡丹ぼたん花弁かべんから金と銀のしずくが連なり落ち、花の中心にはあざやかな猩々緋しょうじょうひたまめられている。
 彼女の髪は薔薇ばらいろなので、たまの色とかぶらないようにと飾りに気をつかったのだろう。あんなに目をかんざしは見たことがなかった。
 麗李亜の自慢はまだ続いていたが、私の耳にはもう入ってこなかった――その装身具に使われているみつぎ物が、五年前、燈王が成人を迎えた際に見せてくれたたまだと気づいてしまったからだ。
 彼は時々、里から姿を消すくせがある。あの時も、しばらく顔を見ない日が続いたと思ったら、森の木の下でまどろんでいた私の前に彼はふらりと現れた。

『暇つぶしに大陸に出てみたが、それなりにおもしろかったぜ』

 彼はいつも土産みやげばなしがてら、私に色々なものを見せてくれた。その中のひとつが、あのたまだ。
 私の瞳より大きな真円で、わずかに青と黒を混ぜたような色味の、深い赤のたま。それが猩々緋しょうじょうひという色だと知っていたのは、父にもらった世界の色を集めた図鑑で見たことがあったからだ。
 猩々緋は、燈王がまとう色である。
 彼の髪はとても不思議で、根本から毛先に行くにつれて稲穂いなほのような黄金こがね色からつややかな猩々緋しょうじょうひへと色が変わっていくのだ。当人に告げたことはないが……私はその髪を、彼以外持たないその色の移り変わりを、とてもとても気に入っている。
 その色が好きな理由を知られるのは、なんだか恥ずかしかった。だからたまを見せられた私は『すごく綺麗だし、きっと貴重なものだろう。大事にしまっておいた方がいい』とだけ言った。
 彼は『そうする』と返して、そのままさっさと隠してしまった。それから今日まで、二度と目にすることはなかったのだ。彼は時たま、狩りの成果を土産みやげとして私にくれることがあったのに、そのたまだけはなぜか『物欲しそうにしてるからやるよ』とは言わなかった。
 ――あの綺麗なたまは、この日のために大事にしまわれていたのだ。
 そう思った時、なんだか胸がざわりとした。彼が見せてくれた品の中で最も心かれたあのたまが、麗李亜に贈られたのだと見せつけられるのは、どうしてか嫌だった。
 そうして儀の間、私は白い花簪はなかんざしから目をらし続けた。

「……おそらく燈王はずっと、麗李亜のことを好いていたのだろう。あれ程女衆おんなしゅうから秋波しゅうはを送られていた彼が今年になるまで妻問いに参加しなかったのも、麗李亜の成人を待っていたからに違いない」
「あらら、そうかしら~?」
「そうだ」

 なぜだか吐き捨てるような言い方になってしまった。母はもちろん、誰も悪くない。あのたまがほしいと、そう少しでも思ってしまった自分の心が幼いだけなのだ。
 と、そこで、ガラァン、ガラァンと大きなかねが鳴り響く。
 これが妻問い開始の合図だ。女が家にもると同時に、里の中心にある広場に集まっていた男達が、ようやく目当ての相手のもとへ向かい始める。
 ……ちょうどいい。これを区切りにしようではないか。

「だから私は家を出るぞ」
「えっ?」

 この機会をのがしてはいけない。母には悪いが、私は今家を出た方がいいと直感したのだ。
 私の家は里のはしに位置している。これ以上私に妻問いに来る者などいないと思うが、すぐに出なければ見つかってしまうかもしれない。

「母よ、父にも伝えてくれないか。育ててもらった大恩だいおんは忘れない。私は必ず夫を見つけ、いつか父と母を私達の家に呼ぶ。そこで共に暮らそう」
「ちょ、ちょっと待って、迦乃栄~……本気?」
「本気だ。私は、やる」

 常磐では里の者同士で結婚するのが常識だ。それでも、私はここを出る。里を出たい。
 私だって行動する時はするのだ。こうなったら、絶対しあわせな結婚をしてみせる。
 両親みたいに、『ラブロマンス』にあふれたものでなくてもいい。父が買ってきてくれた絵本のような、王子様のお妃様になりたいわけでもない。
 恋さえ未経験である。両親がたくさん与えてくれた本を読んで、想像するのみ。そうやって私は、自分の理想の結婚像をえがいてきた。
 ――真剣に愛し愛される関係になった人と、共に穏やかな日々を過ごす。
 ただそれだけが、私の望む結婚である。


   × × ×


『迦乃栄はここぞという時、すごぉく頑固だものね~、やっぱりお父さんに似たのかしら』
『すまない。私が里を抜けることで、もしかしたら迷惑をかけてしまうかもしれない』
『いいのよ~迷惑なんて考えなくて。迦乃栄こそ、私達のせいでずっと里に居づらかったでしょう。ごめんね』
『いや、それは母のせいではない。謝らないでくれ』

 そう言った私に、母は少しだけ苦笑した。

『そうすると決めたなら、行ってらっしゃい。お父さんには私からちゃあんと話しておくから、大丈夫よ。でも……ああ、ちょっと待っててね~。荷造りが不要になる、とっておきのものがあるから』

 どこかしんみりとした雰囲気を消し去り、部屋を出て行く母。
 待つ間にしきたりとして着用していた花嫁衣装から普段着ている服に着替えていると、母はなぜか印籠いんろうを持って戻ってきた。丸くて小ぶりなそれは、腰にげる根付ねつけ部分も花の形をしていてかわいい。
 だがなぜ印籠いんろう? 荷造りと何か関係あるのか? 傷薬ぐらいしか入らないだろう。しかし私を含め、鬼人の体は頑丈で滅多に怪我をしないから、そんなものは必要ないし……

『母よ、それは何だ?』
『うふふ~。昔お父さんがくれた、魔法の印籠いんろうよ。見た目よりずうっと、色んなものが入るの。かわいいでしょう? 迦乃栄が成人したらあげる予定だったのよ~』
『そう、なのか』
『水にれてもちょっとげても大丈夫。私からの餞別せんべつみたいなものだと思ってちょうだいね~、旅行することがあるかもって思って、色々なものを詰めておいたのが役に立つ日が来たわ』
『なぜ旅行? ――まぁ、ありがたくいただくが』

 そうして母は、おっとり笑いながら私を送り出してくれた。
 おおらかな母でよかったと、本当に思う。あの場にいたのが父だったら、こうもうまくはいかなかっただろう。父は無骨ぶこつで頑固な性格だが、意外に心配性で過保護なのだ。
 私が父に似ていると母は言うが、実際似ているのは口調くらいだ。私は自分に子どもができても、遊びに行く子どもの後をこっそり尾行したりはしない……父がそのようなことをしたのは、私が幼い頃の話だが。

「さっそく昔のことを思い出すなんて……これが『ホームシック』というやつか」

 本で読んだ知識を思い出す。私が常磐を出てから、まださほどっていないのに、いくらなんでも早過ぎやしないか。

「まぁ、こんな場所を歩いていたら仕方がないか」

 独り言でも言っていないとやっていられないくらい、森の中が静かなのだ。
 いや、こっそり里を出るのだから静かな方がいいとはわかっている。しかしそれにしても静か過ぎる。
 家の裏手にある森からずっと、生き物の音がほとんどしない。私は夜目が利くため、周りに何かしらいることはわかるのだが、そのどれもが息をひそめているようだった。一体何だろうかと思いつつも、夜行性の生き物に邪魔されず進みやすいので、途中で気にするのをやめた。

「そろそろ海が見えるはずだが……」

 常磐の里は、大陸から少し離れた島にある。ここから一番近い島までは船で半日、大陸までは丸二日程。大人の鬼人は時たま大陸へ渡り、島の物と大陸の物を売買してくるのだ。
 成人前までは船の利用が許されていないので、私は大陸に行ったことがない。
 ……そう思うと、燈王は一体どうやって大陸に渡っていたのだろう。彼の話を聞く限り、どう考えても成人前から行き来をしていたはずなのだが。
 まぁ、今考えてもわからない。いつか本人に聞いてみよう。

「……ここに帰ってくることがあるのか、帰ってきたところでまた話しかけられるのかすら、わからないが」

 燈王が私と話すのを、彼の妻となった麗李亜が許すとは思えない。
 それに燈王自身も里人の目があるところでは、決して私に話しかけなかった。私と彼が会うのはいつも、人が滅多に来ない、わが家の裏手の森だったのだ。
 幼い頃に理由を聞いた時は、彼は『その方がいいから』と答えた気がする。
 当時はそんなものかと深く考えずにうなずいたが、今思えば私が燈王と親しい様子を見せたら、麗李亜からの風当たりがもっと強くなっていたのではないかと思う。
 燈王にはずいぶん助けてもらった。これからは、自分ひとりで頑張っていかなくてはいけない。
 幸い、私を毛嫌いして会うたび色々言ってくるような人は、もう現れないだろう。私はただの迦乃栄として、夫探しの旅に出るのだから。
 草をかき分ける音さえ立てないよう、慎重に森を走る。しおのにおいと波音が近い。もう海に出る――

「…………うん?」

 確かに、海に出た。
 出たのだが。

「……道を間違えたか?」

 船に乗った経験はなくとも、つないである浜までは行ったことがある。
 確か白砂の広がる普通の浜だったはずだが……ここはどう見ても、崖だ。

「むぅ、どうするか」

 かなり下の方で、崖に当たる波の飛沫しぶきが見えた。生まれ育った島のことだ、この崖ももちろん記憶にある。方角は間違っていないようだが、浜とはずいぶんずれてしまったらしい。
 非常に残念なことだが、私はあまり方向感覚にすぐれていない。更に言うなら、道を覚えるのもさほど得意ではなかった。正直、この島内でも最短距離で目的地へ辿たどり着けないことがあるのだ。
 今から正規の道である浜を探すのは難しい……というより面倒だ。
 時間もしい。私は今すぐ里を出たいのである。

「仕方がない」

 今着ているのは、いつも通りの着物だ。両袖を落とし、すそを膝より上で切って動きやすい形に仕上げてある。それに母いわく魔法の印籠いんろうを帯にげ、歩きやすいよう足元に脚絆きゃはんを巻いているだけの、いわゆる軽装。
 印籠いんろうは水にれても大丈夫と言っていたから、問題ないだろう。着物は駄目になってしまうかもしれないが、背に腹は替えられない。
 夏が終わり秋へと向かう今の季節。海水は温かくはないだろうが、ことさら冷えるわけでもないはずだ。
 軽く体をほぐして、ひとつ息をつき。

「よし」

 私は勢いよく、崖から夜の海へ飛び込んだ。

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