僕が狼王子の女神サマ!?

矢島 汐

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 ジャムを作り、シロップ浸けを作り、フルーツビネガーを仕込む。
 もどかしさをぶつけるように、途中からは無心で作業をし。
 強くなってきた雨音を聞きながら早々に眠り、一夜。

「…………ああぁぁぁ……」

 朝起きて、ベッドの上で頭を抱えてしまった。
 というかもう、抱えざるを得ないだろう。
 どうして僕は勢いに押されて帰ってしまったんだ。彼が話し出そうとしていたのはきっとものすごく、ものすっごく重要なことだったのに!

 十一年前の大祭で、僕がやった何かをシギ王子が目にして、僕を〝気高い存在〟だと感じた。
 そんな大それたことをやった覚えなんてひとつもないけど、確実に言えるのは彼がそこで僕の内面を垣間見たということだ。

「何で言わないんだよぉ……」

 〝外見に一目惚れしてそれしか見てないんだね〟ってなじっちゃったじゃないか。
 他に理由があるならもっと早く反論してよ、そういうのは……

「……あー……」

 僕はあの時、完全に頭に血が上っていた。
 今なら悪いことをしたなぁ、と思う。彼の言い分を最後まで聞かなかったこともそうだけど、彼を否定したこと自体がだ。

 あの情熱というか執念が怖いのも、試練とやらを完遂してしまえる彼自身が怖いのも確か。
 だけどもだ。どんなに壮大で僕の都合お構いなしでも、人が人を好きだという気持ちをぞんざいに扱っていいわけがない。
 彼は自分の想いを貫くために長い間たくさんの努力をした。それだけでもすごいことなのに、加えて僕の事情まで全て把握して慮ってくれという方が無理な話だ。

 完全に八つ当たりだ。
 僕ができなかったことやってのけたことが悔しくて、勝手に話を進めて置いてけぼりにされているのが嫌で……

「……言葉には、気をつけていたつもりだったんだけど」

 王族という立場だから、何気ない発言でも常に言葉を選んでいた。
 貴族は言葉尻を捕まえるのが得意な種族というか、うかつな会話をすると言質を取られてしまうんだ。
 亡き父上は女王陛下を支える王配として貴族との関係にすごく気を遣っていて、王にならないという僕に会話術を教えてくれた。
 僕達は世間話や仕草、言動ひとつひとつに注意しなければならない。誤解を与えず隙を与えず、穏やかに、しかし決して侮られないようにと。
 幼い頃から聞かされていたそれは今でも忘れていない。

 さすがにもう貴族との腹の探り合いじみたことをやる必要はないけど……まさか感情をむき出しにして怒鳴って、あまつさえ相手を否定するなんて。
 今までの僕だったらあり得ないくらいひどい対応だった。

 どうにも調子が崩れる。自分のペースを保てない。
 彼の目力が強いせいだろうか。いや、あれは僕が王子だった時からだな。でも昨日はやけに……
 何にせよ、もっと冷静になって、うまく他に切り抜けることはできなかったんだろうか。

「いや、切り抜けたら駄目だ。最後まで話を聞かなければいけないんだから、沸点を高く高く……」

 ……僕の沸点、はてしなく高かったはずなんだけどなぁ。
 覚えている限り、王子時代では声を荒げるどころか眉をひそめることすらほぼしなかったくらいだ。

 ため息をつきながら、ようやくベッドから抜け出す。
 もう雨は上がっているらしく、窓の外からは小鳥のさえずりしか聞こえない。
 僕が今住んでいるのは二階建ての集合住宅の二階部分だ。横並びに同じような建物がいくつかあって、大体単身者が暮らしているらしい。
 これもヨランダさんが口利きをしてくれたのだ。本当に頭が上がらない。

 ここは大通りから少し入った場所だから、元からそんなにうるさくない。
 だけど今日はずいぶん静かだ。時計を見てみれば、早朝と言ってもまだ早いくらいの微妙な時間だった。
 起きてしまったものは仕方がないと諦めて、長い髪を背に払いながらカーテンを開ける。木枠の窓には少し分厚いもののガラスがはめ込まれていて、昨夜の雨でまだ雫が……

「えッ!!?」

 窓の外に、誰かがいる。
 黒尽くめでフードを被った長身の……

 騒音を考えず窓をがらりと開けて、思わず叫ぶ。

「どうしているの!?」
「おはようございます姫君」
「いいから上がってきて目立つから!」

 今の物音や会話で誰かが起きてしまっていないか、心配しながらも待つしかできない。
 防音なんてものもないので階段を上がる音も聞こえて……こないな。
 もしかして僕の幻聴や幻覚だったのか。だったらいいんだけど。

 少し気を抜いた瞬間、玄関のドアが軽くノックされる。
 びくりと震えてしまった肩を撫でて、慌てて鍵を開けに行く。ドアの向こうにいたのは、当然ながらシギ王子だった。
 どうしてこの場を知っているのか。聞くことすら馬鹿らしい気がする。この絶対直感の王子が僕を見つけ出せないわけがないんだから。

「……おはよう。足音くらい立ててくれないかな、びっくりするから」
「…………早朝なので、迷惑かと、思いまして」

 なぜか微妙に片言な王子はフードを取って左右を素早く見渡した後、部屋に入りドアを閉める。
 そのまま奥へ行こうとしたけど、なぜか彼はその場から動くことなく無言のままで。

「何をしているの。もう部屋に入っているなら迷惑も何もないから、来なよ」

 少し気まずくて、不機嫌な声になってしまった。
 寝起きだということでごかませるかと思いながら彼に近づくと、王子はドアに背をつけるように一歩引いてしまう。

「何」
「姫君、よいのですか」
「だから、何が」
「そのように……しどけない姿で」

 言われてはじめて、自分が寝間着姿のままだったことに気づく。
 でもこの寝間着、普通にただのワンピースタイプのものだから。女性のワンピースやスカートに慣れるまで少し時間がかかった身としては、普段着とあまり変わらない気がする。前世なんて寝る時はキャミソールにショートパンツだった記憶があるし。
 普通だったら悲鳴を上げて追い出したりするのかな。リリィみたいな生粋の姫君だったら、この状況は間違いなくアウトかも。

「君は話をしに来たの? それとも僕を見に来ただけ?」
「いえ、姫君が昨日の続きを聞きたがっていたので……」
「じゃあ長くなるかな。それなら着替えてくる。そもそも顔も洗ってないから人を招くには不潔だったね、考え足らずだったよ」
「貴方に汚いところなどひとつもありませんが、どうぞ支度を」

 真顔で言い切られて微妙な気分になりながらも楽にしてくれと言い、ひとまず適当な服を取り出しユニットバス兼洗面所へ向かう。
 ファンタジーなのでトイレは水洗だし、その他水回りや家電系も魔力でばっちり完備だ。何も気にしてはいけない。中世と現代のハイブリットだから。

 寝間着を脱ぎ捨て、飾りボタンくらいしか装飾がない前開きのワンピースに着替える。
 置いてあったブラシで髪を梳きひとつに纏め、洗顔とハーブ水をかけて終わりだ。
 王子よりはるかに簡素な身支度だ。外出するときは白粉とルージュをするけど、今までさんざんすっぴんで生きてきたのでこっちの方が慣れている。

「お待たせ。なんだ、座っていてよかったのに」
「姫君のいない間に私物に触れるなど、けだものの所業です」
「あ、そう……座って」

 そんなことを考えつく王子を部屋に入れてよかったのか、逆に不安になった。相変わらず目力強いし、瞬きもしないで僕を見ているし。
 だけどせっかく話をしに来たというからには逃す手はない。
 冷蔵庫から作り置きのフルーツティーを出し、王子の斜め隣に位置するように椅子を引いて座る。

 さて、何から話そうか……何というより、まずはこれしかないだろう。

「まず、僕は君に謝りたい」
「貴方には俺が不躾だったと怒りを持つ権利はあれど、何の非もないはずですが」
「君がそう感じるというなら謝られても困るだろうけど、これは僕の過ちを正すものだからどうか聞いてほしい。いいかな」
「はい」

 謝る、という行為は難しい。
 プライドが邪魔をして謝れないなんてことじゃない。
 相手が謝罪を望んでいるか。謝罪がただの自己満足になっていないか。そう考えると何でもかんでも謝れば済むというものではないからだ。
 今回だってシギ王子がほしいのは謝罪じゃないだろう。でも僕は、彼の話の続きを聞くために謝る。そうしないと、僕自身がそれを聞く権利すらないと思うから。

「僕は君が怖い。そう思ったのは本当だよ。でも僕は君の話を最後まで聞かないまま君の想いを決めつけ、それを受け入れるのは馬鹿しかいないとまで言ってしまった」
「……それは」
「君の努力や想いそのものを無下にする、大変失礼な言葉だったと思う。ごめんなさい」

 八つ当たりしてしまったとか、そんな僕の事情まで出して言い訳しない。
 テーブル越しに頭を下げると細く息を吸う音が聞こえた。

「貴方の謝罪は、わかりました」

 彼は僕の言葉通り、謝罪を受け入れるのではなく聞くだけに留めてくれた。
 それでいい。むしろ僕はそうされたかった。
 だから嬉しくて、僕はつい微笑みを浮かべてしまった。

「君がこうして僕に会いに来たのは、少なくとも僕に幻滅したわけじゃないからだろう?」
「勿論です。昨日はこれまでの状況や事の顛末を話しただけで、まだ貴方への想いを一欠片も伝えられていませんので」

 え、あれで一欠片もないの。
 あんな執念まみれの半生で、一欠片未満って。
 少し怖くなりながらも、もう今更〝じゃあ聞かないでおくよ〟なんて言えるわけもない。
 またしても圧が強くなり始めたシギ王子へ向ける微笑みは、引きつっていないだろうか。

「じゃ、じゃあ全部でなくていいから教えてくれないかな。一応プロポーズを受けている身としては、君が僕の外見以外の何を好きになったのか聞いておきたい」
「外見についても全く語り切れていませんが、そちらからの方がいいですか」
「いや、いいよ。止めておこう。大祭の話をしてくれないかな」
「わかりました」

 穏やかに、でも強く話を促すと、シギ王子はひとつ頷いて話し出す。

 大祭――大社交会と世界会議からなる、各国の王が集まる期間のことを指す。
 開催国内でもお祭りになるのだが、それは置いておこう。
 その大祭が行われたのは僕が十一歳になり、リリィはそろそろ六歳になろうかという頃だった。
 王族の子どもは成人前に必ず一度は大祭に参加することになっている。幼い頃から王族同士の繋がりを持ち、いずれそれぞれが国を背負った時に争い合うことのないよう交流を深める。そんな主旨なんだろう。
 正直、五歳で大祭に参加するのは早い。ほとんどの子どもが十歳前後だ。だけどリリィは次の大祭の時には成人間際になってしまうし、交流を持つには遅すぎる。年齢的にそうなってしまう子どもは必ずいるらしいけど、リリィの時はたまたまその数が少なかった。
 たしかその交流会は、城の庭園のひとつで行われていた。
 お付きの侍女や侍従がフォローしながら、王族同士がまだ子どもらしい拙さで語らう。
 西の獣国がもてなしのために参加させている貴族令息や令嬢は成人前でもある程度の年齢で、きちんと貴族の教育がされている人達との交流も含めて僕は楽しめていた。

 そうだ、あの事件についてはよく覚えている。
 僕がリリィの侍女に彼女を託し、南の魚国の王子と料理の話題を弾ませていた時だった――リリィが、やらかしてしまったのは。

 リリィはとてもいい子だ。
 幼いのにわがままを言ったり癇癪を起こしたりしない。疲れてもぐずったりしないくらいのお利口さんだった。
 でもまだまだ五歳の幼女は、素直過ぎたのだ。

「ざわつきが起きた場所に目を向ければ、そこには膝をついて頭を垂れる自国の侯爵令嬢と、立って頭を下げる貴方の妹姫がいました」
「そうだね、あれはさすがに……どうしようかと思った」

 顔色を真っ白にしてうろたえるリリィの侍女に事情を聞くと、どうやら不運な事故があったらしかった。
 離れてしまった僕を見つけたリリィは、侍女が目を離した隙にひとりで歩き出した。そして持っていたジュース入りのグラスごと、侯爵令嬢にぶつかってしまったのだ。
 更に不運なことにそれに驚いた侯爵令嬢が手にしたグラスを揺らしてしまい、リリィにもジュースが降りかかり……

 ドレスをぐっしょりと濡らした侯爵令嬢と、髪や肩が少し濡れた他国の王女。
 子ども同士、ごめんねと言い合えばいいというものではない。少なくともあの公の場では。
 しかしリリィはいち早く頭を下げてしまった。身分の高い者が先に上級の謝罪をするなどあり得ない。すぐさま更に下手へと膝をついた令嬢は正しかった。

「でも、リリィはいい子だからね。更に謝りっこをしようとしてしまったんだ」
「膝をつきかけた妹姫を、俺が制するのは不敬でもありました。貴方の妹姫は決して俺の下の立場ではない」
「そうだね。だからあの時は僕も苦心したよ」

 他国の王族まで見ている場で、王女が膝をつく。わが国側としても侯爵令嬢側としてもそれは避けなければいけなかったから、僕は無理矢理割って入り、リリィを抱き上げた。
 十一歳の子どもからしたら五歳の幼女の身体は重い。だけど僕は決して彼女を腕から下ろさなかった。

『妹も少し浮き立っていたようだね。さぁ、君もそろそろ立ちなさい』
『は、はい……』

 泣き出すのを我慢しながら、声を震わせ立ち上がる令嬢。
 かかったのは無色のジュースだ。ドレスが少し汚れただけで使用人をクビにする令嬢もいないとは言えないけど、彼女は他国の貴族令嬢だ。僕に罰する権限はないし、そもそも抗議すら考えてもいない。
 彼女はもう充分礼を尽くした。本当だったら不問に処すのはリリィ当人だけど、妹はまだ幼いから僕が代わりにやる。
 だけどこのまま帰すだけでは令嬢は周囲から不興を買ったと思われてしまう。何とかならないかと僕は微笑みを崩さず精一杯考えた。

『ドレスが濡れてしまったね。ああ、その刺繍はヒイラギかな?』
『え……は、おっしゃる通りでございます』
『いいね。風変わりだけど、素晴らしい意匠だ。君と君のご両親の控えめな心遣いを、僕は嬉しく思う』

 彼女のドレスは、色々なことを考えてこの日のために仕立てたものだろう。
 前世と変わらず、ヒイラギの花言葉のひとつは『歓迎』だ。王族達より目立たぬよう地味な色合いのドレスと控えめな装飾を纏った彼女は、幼くとも貴族たる品格を持っていた。

『交流会はあと二度開かれる。君がどのようなもてなしを見せてくれるのか、楽しみにしているよ……今日はもう行きなさい。風邪を引くから』
『勿体ないお言葉で、ございます……』

 そして彼女は場を乱したことを深く謝罪し、その場を去って。
 僕もそれについて王族達に詫びてから妹を連れて庭園の奥へ消えたんだったか……腕が限界だったから。

「恥ずかしいことに、俺は主催国の王族でありながら貴方の慈悲深さ、思慮深さに感銘を受けるあまり声も出せませんでした」
「大げさだよ。というか君、圧が強いからねぇ。出て行ったら令嬢が泣いてしまっていたかもしれない」
「その可能性はありましたが貴方のおかげで事なきを得て、その後すぐに場を収めました。それと貴方を甘いなどととのたまう東の獣国の王子は後で吊しておきました」

 若干九歳の王子がそんなことをやるんじゃない。
 指摘しても今更なので笑うだけに留めておく。

 でも、彼が僕を〝気高い存在〟と評したのはそういう理由だったのか。
 あの頃は前世の記憶を思い出して、自分の中での色々な価値観や考え方が変わっていた時でもあった。
 元のままの僕だったらあそこまで考えて発言をしなかったかもしれない。それにドレスのことまで気づけるような細かい配慮ができなかった可能性が高い。

「よく、覚えていたね。君は僕の精一杯を評価してくれたんだ」
「はい。ですが貴方に心底惚れ込んだのはその後の……」
「まだあるの!?」

 これ以上は何も目立つことはなかったはず。
 さすがに幼い頃のことを事細かに語られるのは恥ずかしいんだけど……

 何となく喉が渇いてきた気がしたので、出したままだったフルーツティーを口にする。
 視線で王子に勧めると、彼も同じようにコップを傾けて。

「おいしい?」
「はい。プラムとブドウですか」
「森は何でも成っているからねぇ」
「何でも成るのが、森では」
「そうだね、うん」

 土壌最高環境無敵何でもござれ。そんな森が普通だったね。
 また一口含んでから、ゆっくりとそれを嚥下した王子がコップを置いた。

「貴方に、詫びようと捜したのです。もてなされるべき他国の王族に、よりによって女神に手間をかけさせてしまったことを」
「え、でも僕はあの後誰とも会わなかったはずだよ?」

 確か……悪いことをしたと勘違いして泣き出してしまったリリィをあやし、話をしている途中で眠りに落ちた彼女を僕の侍従に背負わせて部屋に送り届けたのだ。
 会場に戻るには微妙な時間で、僕は母上に事の顛末をどう説明しようか考えて夕方まで過ごした、気がする。
 何せ事件は印象的だったものの、その後の記憶なんてあいまいだ。ただリリィに説教じみたことを言ってしまったなぁという覚えはあるけど……

「貴方と妹姫が話をしていたので、割って入るのも無粋かと思い待っていました」
「ああ……それは悪いことをしたね。本当だったらホスト側の君には個別で挨拶をしていくべきだった」
「ですから、貴方に非はありません。それどころか、妹姫を諭していた貴方に目を奪われました。公の目がなくとも、あれ程気高い心を持つ王族がいるのかと」

 言われて自分の記憶を掘り返してみる。
 ……いや、それってもしかして。

『いいかな、リリィ。僕たち王族は王族として場に出た以上、簡単に頭を垂れることは許されない。〝ごめんなさい〟の気持ちを持ってはいけないというわけじゃないよ。すぐに頭を下げたり、膝をつくことはだめなんだ。それが相手を困らせたり、時には僕たちの国の人を悲しませる場合があるから』

 難しいことを言うけどと、前置きして妹に話をした僕。
 妹はやっぱりわからなかったみたいだけど、良い悪いではなくそういうものだとだけ覚えてもらった。

『さっきみたいなのが嫌だって思うならね、君は自分がいけないと思うことをその場で言うんだ。そして次に相手にしてほしいことを言う。これは僕がさっきやったこと。そして家族以外のたくさんの人の前に出た君にできる〝ごめんなさい〟だよ』

 〝ごめんなさい〟だったら自分がいけないことを言う。
 逆に〝ありがとう〟だったら相手のよかったことを言う。
 もっと難しい言い回しは、彼女が大きくなってから身につけていけばいい。
 直接的な言葉を使っていいのは本当にここぞという場面だけだとは、さすがにまだ教えなかった。

 たくさん考えてくれたんだろう、妹は眠そたそうに目をこすりながら僕の言葉を復唱していた。
 わからなかったら何度でも教えてあげるから、もう休もうか。そんなことを言って彼女の髪を撫でてあげた覚えがある。

『君は母上のような立派な王になれるのだから、言葉や行いの大切さを覚えておきなさい。おやすみリリィ、僕のかわいい妹。僕はいつだって、君の味方だ』

 最後はきっと聞こえていなかっただろう。
 彼女には子守歌に思えたに違いない。
 そして僕は近くで待機していた侍女と侍従を呼び寄せ、庭園を後にしたのだった。

「…………あれ、聞いていたの?」
「一言一句違わず記憶しています」

 うん……恥ずかしいなぁ。
 あれは決して人に聞かせるような高尚な話じゃないし。

「僕が一から十まで考えたことじゃないよ。あれは父上からの教えで、ただの受け売りだ」
「ですが貴方は実際にそう心がけていたのでしょう」
「それは勿論。僕は思ってもいないことを人に諭すなんてしない」
「だったらあれは貴方の内から出たもの。王族とはかくあるべきと妹姫に説いた、立派なお言葉だ」

 強めに断言されて、否定することができない。
 ただ嫌な気持ちにはならない。僕の言葉を支持する力強さがむしろ心地いい。

 幼い王族の、精一杯の見栄。
 ごめんなさいもありがとうも素直に言えない子どもなんて、普通に考えたらひねくれた嫌な子だろう。
 だけどそう在るべきだと思ったんだ。優雅に、寛容に、時に厳しく、いつでも揺るがない。目指すのはそんな王族であるべきだと。最初は見栄でも虚勢でもいい。続けていけばそれがいつか本当になる。少なくとも僕はそう信じていた。

 父上は少しずつ病に蝕まれていた。母上は王としての姿を見せることこそが教えだった。だから王にならない僕がせめて言葉を尽くして妹達を導こうと、そう思った。
 素直なあの子がいつか玉座についた時、傷つくのは絶対に見たくないから。

「フラディオーラ・ローデヴェイク殿下。貴方は美しく、聡く、気高く、何より心優しい人だ」

 低く、美しい声が僕の名を紡ぐ。
 僕を飾り立てるその声に、普段めったに熱くならない頬が熱を持つ。

「いきなりやめてくれないかな……それに何度も言うけど僕は、もう王族じゃ」
「俺は貴方を尊敬する。同時に深く愛している」
「…………は」

 息を変な風に吐いてしまって、声が出る。
 突然の告白。プロポーズより先にもらうはずだったそれは、まるで会話の一端のように織り込まれた。
 ここまで丁寧に理由を説明され、だから愛していると言われて僕はどうすればいい?
 まだ自分の気持ちすらわからない状態だし、家に招いておいて保留なんて許されるだろうか。

 頭の中に冷静な部分と、熱を持った部分が混じり合う。
 様々な思いが巡り、言葉が出ない。
 しかし次の瞬間、それは全て停止することとなった。

「だからこそ、できうるならフラディオール王子を失わないでほしかった」
「――ぇ?」

 何を言われたのかわからない。
 音の羅列が何度も頭を巡るけど、わかりたくなくて。

 声が震える。ひくりと、頬が引きつり笑みの形を作るのがわかった。

「き、み……僕に、王子でいてほしかったの?」
「あれが女神の試練でなかったのなら、貴方は貴方のままであるべきだった。そう思います」
「へぇ。君は、そうなんだね」

 言っていることがめちゃくちゃだ。
 王子を王女に正したいのに、王子でいてほしい?
 何を言っているんだろう、この男は。
 僕がどれだけ、どれだけ……

「ねぇ、シギ王子。僕がどれだけ耐えたと思う」
「耐えた、とは」
「王女ではなく王子だと強制され、周りをだまして肉親である妹達にまで嘘をついて、女なのに妹達とは区別されて、剣も馬も魔術も同世代の男の模範たれと強いられ。王族としての生き方は知っているのに、自分らしい生き方なんてひとつも知らない」

 そんな偽りの自分でいろと、君は言うんだ。

 君が僕の行いを褒めてくれて嬉しかったのに。
 結婚なんてまだ考えられないけど友人としてはじめていくことならできそうだと、思いかけていたのに。

 胸の辺りが、妙に軋む。
 それを無視するように手を置いて、ひとつ呼吸をする。

「フラディオール王子なんて、僕は大嫌いだよ」
「姫君、俺は決して」
「聞きたくないな。やっぱり君の求める愛に、僕は応じられない。僕はただのフラディオーラ、気高い王族なんかじゃない」

 ――出て行って。

 そう突き放した僕の声は、自分でも驚く程冷え切っていた。
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