転生令嬢の涙 〜泣き虫な悪役令嬢は強気なヒロインと張り合えないので代わりに王子様が罠を仕掛けます〜

矢口愛留

文字の大きさ
20 / 48

20 静寂の図書室

しおりを挟む
 ラインハルト視点です。

――*――

 しーーーん。

 音が聞こえるほどの静寂が、空間を支配している。
 ここは学園の図書室。
 私は、プリシラ嬢に勉強を教えていた。
 とは言っても、基礎中の基礎を確認する所から入ったのだが、この状況である。

「……次は化学の問題を出すぞ。塩酸、食塩水、水酸化ナトリウム水溶液のうち、最もpHが高い物はどれだ」

「……」

「……駄目か。じゃあ物理。荷物にロープをつけて上から引っ張る時、直に引っ張る場合と滑車を幾つか使って引っ張る場合、どちらの方が弱い力で引っ張れると思う?」

「……」

「……なら、歴史だ。この王国を建国した王の名と、建国の年度を覚えているか」

「……」

 ……この娘はそんな事も知らずに、愛しのエミリアを排除して国母になろうとしているのか。
 理系科目はまだしも、王国の歴史を知らないというのは貴族としてどうかと思う。

 アレク……頼むから早く先生呼んできてくれ……!
 お前の主人はたった今、物凄く困ってるぞ……!
 私は、はぁ、とため息をひとつ零して、目の前の落第候補生に問いかけた。

「……君は、何の科目が得意なんだ?」

「……えっと……農業と畜産の事だったら……」

「……そうか」

 貴族学園では、残念ながらそういった科目は履修できない。
 それは農学校で学ぶ事だ。
 だが、スワロー男爵領の為に何か学ぼうと思うのなら、この学園でも出来る事はある。

「……君が将来、領地の為に何か役立つ知識を得たいと思うなら、生物学や物理学の学習を薦める。生物学の知識を活かせば、農産物や家畜の交配によって病気に強い品種や、味や見目の良い品種を育てる事も可能になる。物理学から工学に進めば、いずれ農業や畜産に役立つ器械を自作できるようになるだろう。水力発電や風力発電でエネルギーを生産出来るようになれば、より生産力が上がるな」

「……な、なるほど……?」

 どうやら、良く分かっていないようだが、まあいい。
 その辺りを説くのはマクレディ先生の方が適任だろう。

 私は、腕を組んで椅子の背もたれに体を預け、このような事になった経緯に思いを馳せる。
 私自身は、正直プリシラ嬢の事などどうでも良かったのだ。
 だが、プリシラ嬢を助けてあげようと、彼女にあえて厳しい事を言った時のエミリアは、聖母のようだった。
 プリシラ嬢が悔しそうにしながらもやる気を出して走って行った時なんて、信念に満ちた美しい笑顔で、眩しいぐらいだったのだ。
 この間の天体観測の時も最高に可愛かったが……駄目だ、思い出すと早くエミリアに会いたくなる。

 そうして私が不機嫌になりつつあったその時――

「スワロー嬢、ここにいたのか。おや、殿下、ご機嫌麗し……くなさそうだね。先日は手伝ってくれてありがとう、正確な記録が取れて助かったよ」

「マクレディ先生」

 飴色の長髪、眼鏡のマクレディ先生が立っていた。
 やっと助っ人が現れた、良かった良かった。
 ちなみに学園では生徒より教師の方が偉いから、どんな身分、どんな爵位の生徒でも、先生は対応に差をつけない事になっている。
 私は椅子から立ち上がって、マクレディ先生に改めてエミリアを暴漢から救ってくれた件の礼を伝えることにした。

「こちらこそ、先日は外出先で助けていただいたそうで、ありがとうございました。私からも心から御礼申し上げます」

「いいよいいよ、礼なら何度も聞いたよ。君たちは本当に律儀だねえ。……ところでスワロー嬢、君さ、このままだと落第まっしぐらだよね。分かってるよね」

「……はい」

「君さ、全体授業について行けてないようだから、補習を受けてもらうよ。君の他にも科目ごとに何人かいるけど、全科目補習になるのは君だけなんだからね。ちゃんと反省しなよ」

「……はい」

 プリシラ嬢は小さく縮こまっている。
 マクレディ先生は私をちょいちょい、と手招きすると、プリシラ嬢に聞こえないように小声で話しかけてきた。

「……殿下、今スワロー嬢の勉強を見てくれてたって聞いたけど、殿下から見てどう?」

「……理系科目は、全て初等部レベルですね。文系科目は、口語の読み書き会話は問題ないものの、文語や外国語はからっきし、地理もスワロー男爵領周辺の事しか分からないようでした。歴史も法律も駄目ですね」

「……うわぁ、正直僕の手には余るなぁ」

「……補習は先生お一人で?」

「……一年生は、その予定だったんだけどね。外国語と理数系科目以外は彼女を除いて赤点の子がいなかったから、僕一人で全員見れる予定だったんだよ。でもそれほど手がかかりそうならちょっと考えないと駄目だなぁ」

「……そうでしたか」

 マクレディ先生がプリシラ嬢に向き直ると、プリシラ嬢はビクッと肩を揺らす。
 更にプリシラ嬢はその視線をマクレディ先生と私の背後に移し、すごく嫌そうな顔をした。
 私はプリシラ嬢の視線を追って、そこに見えた姿に向き直って笑顔を零した。
 私の天使も微笑み返してくれる。
 丁度会いたいと思っていた所だから、喜びもひとしおである。

「そう構えないでよ、取って食いやしないから。……あ、ブラウン嬢、丁度いい所に。少し頼みたい事が出来たから、後で職員室に来てもらえる?」

 プリシラ嬢に話しかけていたマクレディ先生も、エミリアが来た事に気が付いたようだ。

「はい、承知いたしました」

「スワロー嬢。今日から、君の学習面に関しては僕が責任を持って見てあげよう。他の皆は一科目につき週一回の補習で事足りるんだけど、君は全部の科目だから毎日一科目やっても曜日が足りなくなるからね。さて、そうなったら善は急げだ、まずは職員室に行くから僕についてきなさい」

「えええー……」

「君さ、事の重大性分かってるの? 本当に落第するよ?」

「だってぇ……」

「ごにょごにょ言わない。君の事見放すよ」

「ぶぅー」

 プリシラ嬢はそう言われてもぶーたれている。
 流石に先生に失礼だと口を開こうとした時、エミリアが前に出た。

「プリシラ様。折角マクレディ先生が貴重なお時間を割いて、あなたの学習を見てくださると言っているのですよ。そのような機会をいただけたことに感謝こそすれ、不満に思うのは失礼ですわ」

 私も確と頷いた。
 まるっきり同感である。
 プリシラ嬢も不満顔ではあるが流石に諦めたようで、席から立ち上がって荷物を纏め始めた。

「さあ行くよ」

「……はぁーい。お手柔らかにお願いしまーす」

 そうしてマクレディ先生とプリシラ嬢は退出していった。

「……何なのでしょう、あの態度は」

 エミリアは憤慨しているようだが、膨れっ面もまた可愛い。

「エミリア、良く言ってくれたね。私も注意しようと思っていた所だ」

「うふふ、何と言っても私、悪役令嬢ですから!」

「悪役令嬢とは何と可愛い生き物なんだろうと私は今思っているよ」

「で、殿下ったら……!」

 赤くなっていて本当に可愛い。
 私はついついエミリアの髪に手を伸ばし、なでなでしてしまう。
 エミリアはますます顔を赤くして、ふにゃりと笑った。
 これはもう眼福この上ないのだが、私はついつい欲張りたくなってしまった。
 エミリアの耳元に口を近づけて、そっと囁く。

「……二人の時は、名前で呼んでくれないか。この間みたいに」

「~~~!!」

 エミリアは最早顔から火が出そうなほど真っ赤になっている。
 ……少し意地悪だったかな?

「……ラ、ラインハルトさま」

「……! 嬉しいよ、エミリア……」

 上目遣いで私の名を呼ぶエミリアは、思った以上の破壊力だった。
 私は思わずギュッと抱きしめてしまう。
 エミリアも、おずおずと背中に手を回してくれるのだった。


 ********


「マナー教育の手本になってほしいと、そう言われたのか」

 学園から帰る前にエミリアは職員室に立ち寄り、マクレディ先生と話をして、ある事を依頼されてきたようだ。
 今は馬車で帰路についている所で、私の正面に座ったエミリアが依頼の内容を説明してくれている。
 今年度に入ってから、エミリアを公爵邸に送り届けるのが日課になっている。

「ええ、そうなのです。社交や芸術については他の先生がプリシラに補習をして下さることになったようなのですが、教える上でも見本があった方が教えやすいし、モチベーションにつながるだろうという事です。その代わり、私は社交分野と芸術分野の期末試験を免除していただけるのだそうですわ」

「確かにエミリアはその分野においては生徒、教師問わず誰よりも完璧だ。どんなに平均点が低いテストでも、一年生の頃から毎回満点だっただろう」

「まあ、覚えていて下さったのですか? 確かに王太子妃教育のおかげで、学園ではその分野で苦労した事はございませんわ。全ては殿下に恥じないようにするため……偏に殿下のお陰ですのよ」

 私がエミリアを褒め称えると、彼女は照れくさそうにそう言った。
 とても可愛いのだが、私には気掛かりな事がある。

「全く可愛い事を言うんだから。……だが、大丈夫なのかい? 相手はプリシラ嬢だろう?」

「先生も一緒ですし毎回ではありませんから、大丈夫ですわ。それに、それこそ物語通りの展開ですもの」

「エミリアがそう言うのなら……。だが、無理は禁物だぞ。辛い思いをするような事があったらすぐに私や先生に相談するんだ、いいね?」

「ええ、分かっておりますわ。ありがとうございます」

 私はまだ不安を払拭できないが、エミリアを信じて見守ってみる事に決めた。
 何かあれば、私は全力を挙げてエミリアを守る。
 改めてそう誓った所で、馬車は公爵邸に到着したのだった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

リリィ=ブランシュはスローライフを満喫したい!~追放された悪役令嬢ですが、なぜか皇太子の胃袋をつかんでしまったようです~

汐埼ゆたか
恋愛
伯爵令嬢に転生したリリィ=ブランシュは第四王子の許嫁だったが、悪女の汚名を着せられて辺境へ追放された。 ――というのは表向きの話。 婚約破棄大成功! 追放万歳!!  辺境の地で、前世からの夢だったスローライフに胸躍らせるリリィに、新たな出会いが待っていた。 ▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃ リリィ=ブランシュ・ル・ベルナール(19) 第四王子の元許嫁で転生者。 悪女のうわさを流されて、王都から去る   × アル(24) 街でリリィを助けてくれたなぞの剣士 三食おやつ付きで臨時護衛を引き受ける ▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃ 「さすが稀代の悪女様だな」 「手玉に取ってもらおうか」 「お手並み拝見だな」 「あのうわさが本物だとしたら、アルはどうしますか?」 ********** ※他サイトからの転載。 ※表紙はイラストAC様からお借りした画像を加工しております。

【完結】転生したので悪役令嬢かと思ったらヒロインの妹でした

果実果音
恋愛
まあ、ラノベとかでよくある話、転生ですね。 そういう類のものは結構読んでたから嬉しいなーと思ったけど、 あれあれ??私ってもしかしても物語にあまり関係の無いというか、全くないモブでは??だって、一度もこんな子出てこなかったもの。 じゃあ、気楽にいきますか。 *『小説家になろう』様でも公開を始めましたが、修正してから公開しているため、こちらよりも遅いです。また、こちらでも、『小説家になろう』様の方で完結しましたら修正していこうと考えています。

悪役令嬢の品格 ~悪役令嬢を演じてきましたが、今回は少し違うようです~

幸路ことは
恋愛
多くの乙女ゲームで悪役令嬢を演じたプロの悪役令嬢は、エリーナとして新しいゲームの世界で目覚める。しかし、今回は悪役令嬢に必須のつり目も縦巻きロールもなく、シナリオも分からない。それでも立派な悪役令嬢を演じるべく突き進んだ。  そして、学園に入学しヒロインを探すが、なぜか攻略対象と思われるキャラが集まってくる。さらに、前世の記憶がある少女にエリーナがヒロインだと告げられ、隠しキャラを出して欲しいとお願いされた……。  これは、ロマンス小説とプリンが大好きなエリーナが、悪役令嬢のプライドを胸に、少しずつ自分の気持ちを知り恋をしていく物語。なろう完結済み Copyright(C)2019 幸路ことは

悪役令嬢に成り代わったのに、すでに詰みってどういうことですか!?

ぽんぽこ狸
恋愛
 仕事帰りのある日、居眠り運転をしていたトラックにはねられて死んでしまった主人公。次に目を覚ますとなにやら暗くジメジメした場所で、自分に仕えているというヴィンスという男の子と二人きり。  彼から話を聞いているうちに、なぜかその話に既視感を覚えて、確認すると昔読んだことのある児童向けの小説『ララの魔法書!』の世界だった。  その中でも悪役令嬢である、クラリスにどうやら成り代わってしまったらしい。  混乱しつつも話をきていくとすでに原作はクラリスが幽閉されることによって終結しているようで愕然としているさなか、クラリスを見限り原作の主人公であるララとくっついた王子ローレンスが、訪ねてきて━━━━?!    原作のさらに奥深くで動いていた思惑、魔法玉(まほうぎょく)の謎、そして原作の男主人公だった完璧な王子様の本性。そのどれもに翻弄されながら、なんとか生きる一手を見出す、学園ファンタジー!  ローレンスの性格が割とやばめですが、それ以外にもダークな要素強めな主人公と恋愛?をする、キャラが二人ほど、登場します。世界観が殺伐としているので重い描写も多いです。読者さまが色々な意味でドキドキしてくれるような作品を目指して頑張りますので、よろしくお願いいたします。  完結しました!最後の一章分は遂行していた分がたまっていたのと、話が込み合っているので一気に二十万文字ぐらい上げました。きちんと納得できる結末にできたと思います。ありがとうございました。

ワンチャンあるかな、って転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です

山口三
恋愛
恋愛ゲームの世界に転生した主人公。中世異世界のアカデミーを中心に繰り広げられるゲームだが、大好きな推しを目の前にして、ついつい欲が出てしまう。「私が転生したキャラは主人公じゃなくて、たたのモブ悪役。どうせ攻略対象の相手にはフラれて婚約破棄されるんだから・・・」 ひょんな事からクラスメイトのアロイスと協力して、主人公は推し様と、アロイスはゲームの主人公である聖女様との相思相愛を目指すが・・・。

貧乏奨学生の子爵令嬢は、特許で稼ぐ夢を見る 〜レイシアは、今日も我が道つき進む!~

みちのあかり
ファンタジー
同じゼミに通う王子から、ありえないプロポーズを受ける貧乏奨学生のレイシア。 何でこんなことに? レイシアは今までの生き方を振り返り始めた。 第一部(領地でスローライフ) 5歳の誕生日。お父様とお母様にお祝いされ、教会で祝福を受ける。教会で孤児と一緒に勉強をはじめるレイシアは、その才能が開花し非常に優秀に育っていく。お母様が里帰り出産。生まれてくる弟のために、料理やメイド仕事を覚えようと必死に頑張るレイシア。 お母様も戻り、家族で幸せな生活を送るレイシア。 しかし、未曽有の災害が起こり、領地は借金を負うことに。 貧乏でも明るく生きるレイシアの、ハートフルコメディ。 第二部(学園無双) 貧乏なため、奨学生として貴族が通う学園に入学したレイシア。 貴族としての進学は奨学生では無理? 平民に落ちても生きていけるコースを選ぶ。 だが、様々な思惑により貴族のコースも受けなければいけないレイシア。お金持ちの貴族の女子には嫌われ相手にされない。 そんなことは気にもせず、お金儲け、特許取得を目指すレイシア。 ところが、いきなり王子からプロポーズを受け・・・ 学園無双の痛快コメディ カクヨムで240万PV頂いています。

【完結】きみは、俺のただひとり ~神様からのギフト~

Mimi
恋愛
 若様がお戻りになる……  イングラム伯爵領に住む私設騎士団御抱え治療士デイヴの娘リデルがそれを知ったのは、王都を揺るがす第2王子魅了事件解決から半年経った頃だ。  王位継承権2位を失った第2王子殿下のご友人の栄誉に預かっていた若様のジェレマイアも後継者から外されて、領地に戻されることになったのだ。  リデルとジェレマイアは、幼い頃は交流があったが、彼が王都の貴族学院の入学前に婚約者を得たことで、それは途絶えていた。  次期領主の少年と平民の少女とでは身分が違う。  婚約も破棄となり、約束されていた輝かしい未来も失って。  再び、リデルの前に現れたジェレマイアは……   * 番外編の『最愛から2番目の恋』完結致しました  そちらの方にも、お立ち寄りいただけましたら、幸いです

最初から勘違いだった~愛人管理か離縁のはずが、なぜか公爵に溺愛されまして~

猪本夜
恋愛
前世で兄のストーカーに殺されてしまったアリス。 現世でも兄のいいように扱われ、兄の指示で愛人がいるという公爵に嫁ぐことに。 現世で死にかけたことで、前世の記憶を思い出したアリスは、 嫁ぎ先の公爵家で、美味しいものを食し、モフモフを愛で、 足技を磨きながら、意外と幸せな日々を楽しむ。 愛人のいる公爵とは、いずれは愛人管理、もしくは離縁が待っている。 できれば離縁は免れたいために、公爵とは友達夫婦を目指していたのだが、 ある日から愛人がいるはずの公爵がなぜか甘くなっていき――。 この公爵の溺愛は止まりません。 最初から勘違いばかりだった、こじれた夫婦が、本当の夫婦になるまで。

処理中です...