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30 攫われたエミリア
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エミリア視点です。
残酷な表現があります。苦手な方はご注意下さい。
――*――
私は、父の執務室で眠くなってしまい、ソファで眠っていた筈だった。
しかし、目が覚めた時には、私は何故か見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。
「ん……ここは……?」
この部屋には来た事がないのだが、王城の中でも非常に豪華な造りの部屋である。
貴賓室……だろうか。
いや、それよりも豪華だ……国王陛下の謁見室とも遜色ないレベルの、贅沢な調度が揃っている。
寝かされていたベッドもふかふかで質が良いが、状況が良く分からない。
ベッドから降りようと身を起こしたその時、私は気がついた。
――手足に、枷が嵌められている。
私は、さあっと血の気が引いた。
手足の枷は、それぞれベッドの基部に鎖で繋がれていて、自力では外せそうにない。
あまりの衝撃に、涙も出てこなかった。
「何? 何が起きたの……?」
幸い着衣に乱れはないようだし、枷で繋がれている手首や足首も、動かさなければ痛くない。
私は頭をフル回転させ、状況を整理した。
窓から見える景色から鑑みて、ここは王城の一室に間違いない。
非常に豪華な造りの部屋であるが、貴賓室でもなく、テーブルの上に本が開きっぱなしになっていたり、書きかけのメモが置いてあったりと、僅かに生活感がある。
私が更に視線を動かすと、そこには――
「押し花のしおり、私が焼いたクッキーの包み紙とメッセージカード、刺繍入りのハンカチ……私が城で配った物ばかりだわ。刺繍のイニシャルは……F・R……?」
豪華な部屋……王族?
F・R……
――フリードリヒ・レインフォード……?
私が部屋の主に思い至ると同時に、出入り口の扉が開く。
そこに立っていたのはまさしく、フリードリヒ殿下その人だった。
「こんにちは、エミリア嬢」
フリードリヒ殿下はラインハルト殿下の三学年下……もう十五歳になっただろうか。
ラインハルト殿下と良く似た顔立ちだが、まだ幼さも残っている。
一番目を引く違いは、髪の色だ。
フリードリヒ殿下の髪は銀髪ではなく、王妃様と同じ紺色の髪である。
目の色は、ラインハルト殿下の美しい銀色よりもくすんだ濃い色……銀色というより鈍色に近い。
「フリードリヒ殿下……これは一体どういう事でしょうか」
「ふふ……枷で繋がれた貴女も美しいね」
「……! 御冗談はおやめ下さい。幾らフリードリヒ殿下でも、やって良い事と悪い事が」
「五月蝿い!!」
パチン!
そう叫んで私の話を遮ったフリードリヒ殿下は、私の方に歩み寄って、思い切り平手打ちをした。
その顔は苦しそうに歪み、その瞳には昏い狂気を湛えている。
どうしたのだろう……いつもはささやかな贈り物にも喜んでくれる穏やかなお人なのに、今日のフリードリヒ殿下は到底正気とは思えない。
その痛みと恐怖に私の身体は震え、涙が溢れて来てしまう。
「ああ……泣いている姿も美しい」
フリードリヒ殿下は私を平手打ちしたその手で、今度は涙を拭い、指についた涙をぺろりと舐めとった。
ぞぞぞ、と背筋に悪寒が走る。
いやだ、気持ち悪い……何を考えているの……?
「エミリア嬢。僕はね、ずっと、ずうーっと貴女を見ていたんだ。貴女が登城した時は毎回、遠くから見てた。貴女が贈ってくれた物は全て大切に取ってある。僕、それで満足だったんだ。兄上は優秀で、僕なんかどれだけ頑張っても足元にも及ばないから、兄上から貴女を奪おうなんて考えもしなかった」
フリードリヒ殿下は狂気の笑みを湛えながら、語り出す。
「僕の周りには、僕が欲しい言葉をくれる人しか要らなかった。だって、頑張ったって兄上は超えられないし、頑張ったって王にはなれない。頑張ったって誰も褒めてくれないから、それならせめて、毎日気分良く過ごしたかった」
そこでフリードリヒ殿下は一息つくと、私のおとがいに手をかける。
嫌だ……やめて……!
「ふふ、いいね、嫌がる表情すら美しい。安心して、まだ奪わないよ。まずは僕の話を最後まで聞いて」
フリードリヒ殿下は私から一度手を話すと、何かの演劇を朗読するかのように、室内を歩き回りながら饒舌に話し始めた。
「僕はね、兄上が羨ましかった訳じゃない。むしろ尊敬してる。僕は出来損ないだからね、優秀な兄上を誇りに思っているんだよ。……僕、ある人に言われたんだ。王様になりたくないのかって。僕は答えた。なりたくない、兄上の方が相応しいって。そうしたら、その人、何て言ったと思う? ……貴方は兄上に騙されている、本当の王の器は貴方だ、生まれた順番が少し遅かっただけで王になる機会を失うなんて馬鹿げていると思わないか。王になってこの古臭い制度を変えてみないか、貴方こそが革命を起こすのだ、と」
……クーデターを起こそうと……いや、今現在起きている所なのかも知れない。
ラインハルト殿下や陛下はご無事だろうか……!
「その人はこうも言った。兄上がいなくなれば、愛しのエミリア嬢を、貴方の側室として迎える事ができる。兄上のお下がりだから正室には出来ないが、ずっと閉じ込めて愛でる事ができる。僕にとっては何よりも魅力的な提案だったよ」
フリードリヒ殿下……もとい、フリードリヒは、徐に足を止め、護身用のナイフを取り出した。
「ああ、そう言えば……さっきデビュタントの中に、貴女が一昨年着ていたドレスを身に付けている令嬢がいたよ。貴女が貸してあげたの? その令嬢も中々魅力的だったなぁ……ドレスのお陰かも知れないなあ。夜になったらその令嬢とも遊ぼうかと思ってるんだけど……どうかな」
「だ、だめ……! 私の友達に、手を出さないで……!」
あまりの恐怖に、喉がひりついて、声が掠れている。
……私がドレスを貸した事でプリシラがフリードリヒの目に留まってしまったのだとしたら……
ここで止めないと、プリシラが、酷い目に遭ってしまう……!
「お願い……何でもするから……私の友達にも、ラインハルト殿下にも、手を出さないで……!」
「なんでも……?」
フリードリヒは、ナイフを手にしたまま一歩ずつ、ゆっくり近づいてくる。
顔には狂気を貼り付けて、瞳は昏く澱んで何も映っていない。
「じゃあ……僕の物になってくれる……?」
「……!」
ぺしん。
私は、自分に伸ばされた手をつい払い除けてしまった。
フリードリヒの顔に怒りが浮かぶ。
「自分の立場がまだ分かっていないようだね……? 貴女は、大人しく僕の物になれば良いんだ! 反抗は許さないっ!!」
バチーン!!
最後の一言は、大声で叫ぶ様に言い放って、フリードリヒは私を再び、先程よりも強く平手打ちした。
「さあ、楽しもうね、エミリア……」
フリードリヒは、狂気の笑みを湛え、私を囲い込む様にベッドに押し倒した。
手に持ったナイフが、私の胸元に近づく。
その刃先が私のドレスに掛かり、ピリピリと音を立て始めたその時……
「やめろぉぉぉ!!!」
剣を片手に、全身血塗れになっているラインハルト殿下が、室内に飛び込んで来たのだった。
フリードリヒの顔から表情が抜け落ちる。
フリードリヒはゆっくりと私から退き、ゆらりと立ち上がった。
「兄上……なんておぞましい。何人斬ってきたの。それとも自分の血? とてもじゃないけど、ご令嬢に見せられる姿じゃないよ」
ラインハルト殿下は左手に提げた剣を持ち上げ、その切っ先をフリードリヒに向けた。
「……エミリアから離れろ」
「……嫌だと言ったら?」
フリードリヒはひたり、と私の首筋にナイフを当てた。
冷たい金属が、薄く肌を滑る。
つう……と一筋、血が流れるのが分かった。
「剣を棄てろよ、兄上」
「くっ……!」
ラインハルト殿下は悔しそうに、手に持っている剣を床に落とした。
フリードリヒは私からナイフを離し、ラインハルト殿下の方へゆっくりと歩を進める。
ラインハルト殿下は丸腰で、抵抗する素振りも見せない。
「さよなら、兄上」
フリードリヒが、ナイフを大きく振りかぶって――
――私の意識は、そこで途切れたのであった。
残酷な表現があります。苦手な方はご注意下さい。
――*――
私は、父の執務室で眠くなってしまい、ソファで眠っていた筈だった。
しかし、目が覚めた時には、私は何故か見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。
「ん……ここは……?」
この部屋には来た事がないのだが、王城の中でも非常に豪華な造りの部屋である。
貴賓室……だろうか。
いや、それよりも豪華だ……国王陛下の謁見室とも遜色ないレベルの、贅沢な調度が揃っている。
寝かされていたベッドもふかふかで質が良いが、状況が良く分からない。
ベッドから降りようと身を起こしたその時、私は気がついた。
――手足に、枷が嵌められている。
私は、さあっと血の気が引いた。
手足の枷は、それぞれベッドの基部に鎖で繋がれていて、自力では外せそうにない。
あまりの衝撃に、涙も出てこなかった。
「何? 何が起きたの……?」
幸い着衣に乱れはないようだし、枷で繋がれている手首や足首も、動かさなければ痛くない。
私は頭をフル回転させ、状況を整理した。
窓から見える景色から鑑みて、ここは王城の一室に間違いない。
非常に豪華な造りの部屋であるが、貴賓室でもなく、テーブルの上に本が開きっぱなしになっていたり、書きかけのメモが置いてあったりと、僅かに生活感がある。
私が更に視線を動かすと、そこには――
「押し花のしおり、私が焼いたクッキーの包み紙とメッセージカード、刺繍入りのハンカチ……私が城で配った物ばかりだわ。刺繍のイニシャルは……F・R……?」
豪華な部屋……王族?
F・R……
――フリードリヒ・レインフォード……?
私が部屋の主に思い至ると同時に、出入り口の扉が開く。
そこに立っていたのはまさしく、フリードリヒ殿下その人だった。
「こんにちは、エミリア嬢」
フリードリヒ殿下はラインハルト殿下の三学年下……もう十五歳になっただろうか。
ラインハルト殿下と良く似た顔立ちだが、まだ幼さも残っている。
一番目を引く違いは、髪の色だ。
フリードリヒ殿下の髪は銀髪ではなく、王妃様と同じ紺色の髪である。
目の色は、ラインハルト殿下の美しい銀色よりもくすんだ濃い色……銀色というより鈍色に近い。
「フリードリヒ殿下……これは一体どういう事でしょうか」
「ふふ……枷で繋がれた貴女も美しいね」
「……! 御冗談はおやめ下さい。幾らフリードリヒ殿下でも、やって良い事と悪い事が」
「五月蝿い!!」
パチン!
そう叫んで私の話を遮ったフリードリヒ殿下は、私の方に歩み寄って、思い切り平手打ちをした。
その顔は苦しそうに歪み、その瞳には昏い狂気を湛えている。
どうしたのだろう……いつもはささやかな贈り物にも喜んでくれる穏やかなお人なのに、今日のフリードリヒ殿下は到底正気とは思えない。
その痛みと恐怖に私の身体は震え、涙が溢れて来てしまう。
「ああ……泣いている姿も美しい」
フリードリヒ殿下は私を平手打ちしたその手で、今度は涙を拭い、指についた涙をぺろりと舐めとった。
ぞぞぞ、と背筋に悪寒が走る。
いやだ、気持ち悪い……何を考えているの……?
「エミリア嬢。僕はね、ずっと、ずうーっと貴女を見ていたんだ。貴女が登城した時は毎回、遠くから見てた。貴女が贈ってくれた物は全て大切に取ってある。僕、それで満足だったんだ。兄上は優秀で、僕なんかどれだけ頑張っても足元にも及ばないから、兄上から貴女を奪おうなんて考えもしなかった」
フリードリヒ殿下は狂気の笑みを湛えながら、語り出す。
「僕の周りには、僕が欲しい言葉をくれる人しか要らなかった。だって、頑張ったって兄上は超えられないし、頑張ったって王にはなれない。頑張ったって誰も褒めてくれないから、それならせめて、毎日気分良く過ごしたかった」
そこでフリードリヒ殿下は一息つくと、私のおとがいに手をかける。
嫌だ……やめて……!
「ふふ、いいね、嫌がる表情すら美しい。安心して、まだ奪わないよ。まずは僕の話を最後まで聞いて」
フリードリヒ殿下は私から一度手を話すと、何かの演劇を朗読するかのように、室内を歩き回りながら饒舌に話し始めた。
「僕はね、兄上が羨ましかった訳じゃない。むしろ尊敬してる。僕は出来損ないだからね、優秀な兄上を誇りに思っているんだよ。……僕、ある人に言われたんだ。王様になりたくないのかって。僕は答えた。なりたくない、兄上の方が相応しいって。そうしたら、その人、何て言ったと思う? ……貴方は兄上に騙されている、本当の王の器は貴方だ、生まれた順番が少し遅かっただけで王になる機会を失うなんて馬鹿げていると思わないか。王になってこの古臭い制度を変えてみないか、貴方こそが革命を起こすのだ、と」
……クーデターを起こそうと……いや、今現在起きている所なのかも知れない。
ラインハルト殿下や陛下はご無事だろうか……!
「その人はこうも言った。兄上がいなくなれば、愛しのエミリア嬢を、貴方の側室として迎える事ができる。兄上のお下がりだから正室には出来ないが、ずっと閉じ込めて愛でる事ができる。僕にとっては何よりも魅力的な提案だったよ」
フリードリヒ殿下……もとい、フリードリヒは、徐に足を止め、護身用のナイフを取り出した。
「ああ、そう言えば……さっきデビュタントの中に、貴女が一昨年着ていたドレスを身に付けている令嬢がいたよ。貴女が貸してあげたの? その令嬢も中々魅力的だったなぁ……ドレスのお陰かも知れないなあ。夜になったらその令嬢とも遊ぼうかと思ってるんだけど……どうかな」
「だ、だめ……! 私の友達に、手を出さないで……!」
あまりの恐怖に、喉がひりついて、声が掠れている。
……私がドレスを貸した事でプリシラがフリードリヒの目に留まってしまったのだとしたら……
ここで止めないと、プリシラが、酷い目に遭ってしまう……!
「お願い……何でもするから……私の友達にも、ラインハルト殿下にも、手を出さないで……!」
「なんでも……?」
フリードリヒは、ナイフを手にしたまま一歩ずつ、ゆっくり近づいてくる。
顔には狂気を貼り付けて、瞳は昏く澱んで何も映っていない。
「じゃあ……僕の物になってくれる……?」
「……!」
ぺしん。
私は、自分に伸ばされた手をつい払い除けてしまった。
フリードリヒの顔に怒りが浮かぶ。
「自分の立場がまだ分かっていないようだね……? 貴女は、大人しく僕の物になれば良いんだ! 反抗は許さないっ!!」
バチーン!!
最後の一言は、大声で叫ぶ様に言い放って、フリードリヒは私を再び、先程よりも強く平手打ちした。
「さあ、楽しもうね、エミリア……」
フリードリヒは、狂気の笑みを湛え、私を囲い込む様にベッドに押し倒した。
手に持ったナイフが、私の胸元に近づく。
その刃先が私のドレスに掛かり、ピリピリと音を立て始めたその時……
「やめろぉぉぉ!!!」
剣を片手に、全身血塗れになっているラインハルト殿下が、室内に飛び込んで来たのだった。
フリードリヒの顔から表情が抜け落ちる。
フリードリヒはゆっくりと私から退き、ゆらりと立ち上がった。
「兄上……なんておぞましい。何人斬ってきたの。それとも自分の血? とてもじゃないけど、ご令嬢に見せられる姿じゃないよ」
ラインハルト殿下は左手に提げた剣を持ち上げ、その切っ先をフリードリヒに向けた。
「……エミリアから離れろ」
「……嫌だと言ったら?」
フリードリヒはひたり、と私の首筋にナイフを当てた。
冷たい金属が、薄く肌を滑る。
つう……と一筋、血が流れるのが分かった。
「剣を棄てろよ、兄上」
「くっ……!」
ラインハルト殿下は悔しそうに、手に持っている剣を床に落とした。
フリードリヒは私からナイフを離し、ラインハルト殿下の方へゆっくりと歩を進める。
ラインハルト殿下は丸腰で、抵抗する素振りも見せない。
「さよなら、兄上」
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――私の意識は、そこで途切れたのであった。
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