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第二部 聖女覚醒編
38. 心の底から笑えた日
しおりを挟む私は、ギルバート様の手から、ポーション瓶を受け取る。
彼の手から瓶を受け取った瞬間、テーブルに瓶が小刻みにぶつかり、カタカタと小さく音が鳴った。
「――っ」
手が震える。心臓がバクバクする。
これまで当たり前に受け入れてきたものが崩れるかもしれないと思うと、動悸が止まらない。
「大丈夫だ、クリスティーナ嬢。自分を信じるんだ」
「ギルバート様……」
「問題ないよ。ほら、私がついているから。結果がどうあれ、私はずっと君の味方だ」
そうだ。
自分が自分を信じなくて、誰が私を信じるのだ。
そして私は、私が信じたものを、信じる。
ギルバート様なら、私がポーションの精製に成功しても、失敗しても、私の味方――それはそう、間違いない。私は彼を信じられる。信じている。
「――ありがとうございます。私、信じます」
私は心を決めて、深呼吸をする。
深く息を吸うと、少しだけ落ち着きが戻ってきた。
「……よし」
私は薬草の葉が入ったポーション瓶に、水を注いで、浄化をかける。
そして、琥珀珈琲を作るときよりも強く、慎重に、治癒の魔力を込め始めた。
薬草入りの水はみるみるうちに琥珀色の魔力を吸い込んでいく。
そして。
「え……え……?」
――目の前に完成したものを見て、私は信じられない思いだった。
初級ポーションよりも強く濃く、しかし透き通った琥珀色。
何度も他の聖女様のポーションを見てきたのだから、間違いない。
蜂蜜のようにとろりとした、わずかに輝きを帯びる液体は、中級ポーションの色合いにごく近いものだった。
「これ、中級ポーション……? こ、こんなに簡単に?」
「――ふ、やはり。君ならできると思っていたよ」
「え、え、ちょっと待っ、えええ……!?」
実のところ、今込めた魔力は、これまでのやり方で初級ポーションを精製したときよりも、ずっと少なかった。
普段に比べて時間も全然かかっていないし、身体への負担も小さい。
それにも関わらず、この色のポーションが完成するということは――、
「わ、たし……無能じゃ、なかったの……?」
「そうなるな。君は、何者かの悪意によって、無能だと思わせられていた……何者かにずっと騙され、立場を奪われ、権利を搾取されていたんだ」
――私は、無能ではなかった。
けれど。
無能だと思われていたから、神殿を追い出された。
そして、神殿を追い出されたから、今この屋敷にいる。
「あはは……、そう、なんですね」
私はテーブルに視線を落とし、乾いた笑いをこぼした。
なんだか、虚しいような、悔しいような、嬉しいような、ホッとしたような、憤りのような……様々な感情がとめどなく溢れ出して、ごちゃ混ぜになっていく。
「でも……そうなら。私が、無能聖女じゃなかったなら……だとしたら……」
私が人々の役に立つ力を、女神様から賜った加護を人並みに持っているのなら――それを活かすのが義務であり、女神様のご意志ではないだろうか。
私は……、きっと、ここにいてはいけないのだ。
「私は……神殿に、戻――」
「――駄目だ。許さない」
「え……?」
私の言葉は、ギルバート様にぴしゃりと遮られて、最後まで発せられることはなかった。
のろのろと顔を上げると、ギルバート様は恐ろしいぐらいに真っ直ぐ、私を見つめていた。
「神殿に戻ることは、許さない。君を貶めていた悪意の正体が分からない限り、また君は搾取されることになる。そんなことは、この私が、絶対に許さない」
「で、でも……この力があるのなら、誰かのために使うのが、女神様のご意志なのでは……?」
「女神の意志というなら、君の力が判明したのが神殿を出た今だったということも、また女神の意志だろう。それに、神殿に戻らなくとも、君の力を役立てる方法はある」
ギルバート様は手袋を両手から引き抜くと、席を立った。
そのまま私の隣まで歩いてきて、私の手を両手で包み込む。
彼の手は力強くて、まるで、『離れるな』とでも言っているかのようだ。
「その方法もすでに考えてある。場合によっては、神殿にこもっているよりもずっと多くの人を助けることができるかもしれない」
「え、そんな方法があるんですか?」
「ああ」
ギルバート様は自信たっぷりに微笑みながら頷いた。
彼の表情と、手の温度に、すっかり凍り付いていた私の脳が、少しずつ稼働し始める。
「気になるだろうが、詳しい話は食事をしながらにしよう。ちょうど支度も整ったようだ」
「え? 支度?」
「お待たせいたしました。簡易ではございますが、晩餐のご用意が整いましてございます」
「えっ、ジェーンさん!?」
私の後ろ側から気配もなく突然現れたのは、腰を痛めて休んでいたはずのジェーンさんだった。
腰を気にする様子もなく深く一礼すると、ダイニングルームの中央を仕切っていた間仕切りをどかしていく。
仕切りの向こう側には少し大きめのテーブルがあって、美味しそうなお料理が載ったお皿が、所狭しと並べられていた。
「わぁ……すごい……! これ、ジェーンさんが? 腰は平気なんですか?」
「ええ、クリスティーナ様のお力で、治らないと言われていた腰が、完治したのでございます。本日は、そのためのお礼のお席を設けさせていただきました」
「本当に……? 腰、良くなったんですか?」
「ああ。これはジェーンからの礼と、私からの祝いの晩餐だ」
ギルバート様は美しく微笑んで、私の手を優しく引いた。私は素直にその手に従って、立ち上がる。
ギルバート様は、先ほどと同じように、私を晩餐の席まで導いてくれた。
ジェーンさんが椅子を引いてくれたが、私はそこで一旦動きを止めて、ギルバート様とジェーンさんの顔を交互に見る。
「あの……私……」
お礼を言いたいのに、喉が詰まって、上手く話せない。
ギルバート様も、ジェーンさんも、いつも通り優しく口元を緩めて、私の言葉をじっと待っている。
「ありがとう、ございます……!」
ようやく喉の奥から出てきたその一言は、なんだか湿り気を帯びて震えていた。
――力がなくても、あっても、彼らは変わらずに私を受け入れてくれる。
私は、何も捨てなくていいのだ。
今のまま、ここで彼らと一緒に過ごしてもいいのだ。
じわじわと、喜びが胸の奥からわき上がってくる。
大好きな二人の笑顔に囲まれて、私の頬が自然と緩んでいく。
私は――心の底から、笑うことができたのだった。
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