無能聖女の失敗ポーション

矢口愛留

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第三部 フォレ領編

53. ついにフォレ領の領境を越えました

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 ウォードさんが私に差し出している短剣の、鞘に彫られた紋章。
 それは、優雅に翼を広げる神鳥の紋章だった。
 メリュジオン王家の紋章――翼を持つ神蛇、ドラゴンの紋章に引けを取らないほど美しく、精緻な紋章だ。

 ウォードさんは、相変わらず私を真っ直ぐに見上げて、短剣を差し出している。
 どうしたものかとジェーンを見ると、私を安心させるように柔らかく微笑んだ。

「クリスティーナ様。ウォード様の、騎士の誓い――受けて差し上げてはいかがでしょう」
「え、でも」
「彼は本気でございますよ」

 ジェーンの言葉に、ウォードさんは大きく首肯した。

「……わかったわ」

 私は戸惑いながらも、彼の手から短剣を受け取る。そうして、彼の肩に、軽く短剣を触れさせた。

「ウォードさん。貴方はこの私クリスティーナの騎士として、我が剣となり盾となり、弱きを助け、正しき道を歩むことを誓いますか?」
「――己が身命を賭し、クリスティーナ殿下をお守りすると誓います」
「えっ」

 はっきりと重低音の声が返ってきたこと、そして彼が明らかに私に合致しない敬称をつけたことに、私は少し驚いてしまった。
 敬称の間違いは置いておいて、どうやら、彼はしゃべれないわけではないらしい。

「わ、ウォードがしゃべった!」
「話せるんだな、ウォードさん」

 そう思ったのは、どうやら私だけではなかったようだ。リアとアンディは驚きを露わにしている。

「あの、ウォードさん、一つ訂正があります。殿下っていう敬称は、王家の方に使うものだから、私には合わないわ」
「ふふ、そうでございますね。その呼び方は、控えた方がよろしいかと――まだ、今は」

 ジェーンも、目を細めて笑いながら訂正してくれた。彼女は最後にぼそりと何か呟いたが、その言葉は私には聞き取れなかった。

「ウォードさん。騎士の誓いを立てたってことは、これからは冒険者を休んで、ティーナの護衛をするってことっすか?」
「あたしたち、この街はもう離れちゃうんだけど、平気なの?」

 ウォードさんは姿勢を戻して立ち上がると、アンディとリアの質問に首肯を返した。
 この分なら、冒険者ギルドを通して依頼しなくても、フォレ領までついて来てくれそうだ。

「ありがとう、ウォードさん。これから、よろしくお願いします」

 私が改めてそう言うと、ウォードさんは再び深く頭を垂れたのだった。



 ウォードさんに私の事情や琥珀珈琲アンバーコーヒーのことを話し、フォレ領へ向かうことを伝えた後。

 彼は一度自宅に戻って、荷物の整理を始めた。
 少しの荷物を鞄に詰め、家財道具は全て売り、家も迷わず引き払う。
 私は、本当にいいんだろうかと少し不安になった。

 しかし、手伝いに行ったアンディとリアが言うには、そもそも家には荷物も少なかったし、荷造りも手続きも慣れたものだったという。
 その手際の良さは、ウォードさんがこれまでにも各地を転々としてきたのだろうことを彷彿とさせた。

 また、冒険者ギルドにウォードさんの身体が完治したこと、そして彼が街を離れることを伝えると、皆驚きつつも、「応援するよ」「元気でな」などと、温かい声をかけていたのだった。

 ただ、珈琲と言ってウォードさんに渡した薬湯――実際には、私が精製した琥珀珈琲アンバーコーヒーだが――の噂が、少し広まってしまった。
 ウォードさんの痺れを治した、奇跡の薬湯だなんて言われている。
 とはいえ、珈琲自体も南国からの輸入品。メリュジオン王国でも特に北の方に位置するグリーンフィールド男爵領では、簡単には手に入らないだろう。


 そうして。
 もう一日だけこの街に滞在し、ウォードさんという頼もしい仲間を加えた私たちは、再出発の翌日、ついにフォレ領に足を踏み入れたのだった。

「ついにフォレ領ね。王都を出てから、もう二週間経ったのね」
「ええ。長い旅路、お疲れ様でございました」
「ありがとう。でも、旅の間はずっと楽しかったから、そんなに長く感じなかったかも」

 私は小さく笑って、馬車の中をぐるりと見渡す。

 いつも優しく細やかに支えてくれるジェーン。
 ほぼ同い年なのに、頭が良くとても頼りになるリア。
 賑やかで、いるだけで空気が明るくなるアンディ。

 ここまでの旅が楽しく快適だったのは、この三人のおかげである。
 もちろん、外にいる二人もそうだ。

 御者席に座り、丁寧に誠実に業務をこなすトマス。
 新たに加わったウォードさんは、街から連れてきた自身の愛馬に乗り、周囲を警戒してくれている。

「なあジェーンさん。ここから目的地までは、どのぐらい掛かるんだ?」
「何事もなければ二日ほどで到着する予定でございますが、遠くの空が暗くなっておりますね。もしかしたら、雨が近いかもしれません」
「となると、足止めを食らう可能性もあるのか」

 ジェーンはアンディの言葉に頷く。

「ですが、主様もまだ不在ですし、急ぐ必要はございません。本日は樹木の日……主様は、王太子殿下のご成人式典にご出席されている頃でございますね」
「そっか。そういえば、今日が王太子殿下のお誕生日だったわね」
「今頃王都ではお祭り騒ぎかな。あたし、外に連れ出してもらって良かったかも……大きいお祭りがあると、食べ物とか香水とかの色んな匂いが混ざって、酔うんだよね」

 リアは常に気配察知を駆使しながら生活している。
 普段の王都ならまだしも、人出の多いお祭りの期間は、リアにとっては暮らしにくいだろう。

「ただ、心配なのは、雨雲を避けるように移動してくる魔物たちでございますね。この辺りはまだフォレ領でも南側にございますので、そこまで魔物は多くないと思いますが」

 ――ジェーンが不安そうにそう言ってから、すぐ。
 外を並走するウォードさんが敵襲を知らせるのと、リアの気配察知に反応があったのは、ほとんど同時のことだった。
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