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第二章 青
第25話 「恐れず、憎まず」
しおりを挟む皇城から戻ったその日のうちに、『水の神殿』に向かう日が決まったという知らせが届いた。
私は帰ってきてからずっと部屋に引きこもっていたのだが、セオから話を聞いて心配したフレッドが、その知らせと軽食を持って訪ねてきてくれたのだ。
「嬢ちゃん、大丈夫かい」
「……私は大丈夫です。それより、私の軽率な言動のせいで、セオが……」
「いやいや、嬢ちゃんが気にすることはないぞ。まったく、変な条件をのむなとあれだけ言ったのにのう」
「ですが……」
「まだ書類にサインした訳でもないし、セオは未成年、家の了承も取っておらん。旅が終わるまで時間もある。まあ、何とかなるじゃろう」
「何とかって……」
「話を聞く限り、メーアも皇帝に話を通しておらんようじゃからのう。いくら婚約者がセオの再従兄弟だからって、そう簡単にすげ替えられるものでもないわい。どっちにしろ時間がかかるじゃろうから、それまでにいくつか逃げ道を用意しておけば問題ないじゃろ」
「そういうものですか」
「こう見えてワシ、頭脳派なんじゃよ。はっはっは」
そう言って、フレッドは豪快に笑う。
やはり、底知れない人である。
「それにのう、セオはワシの唯一の孫じゃ。最近は感情をのぞかせるようになってきたし、セオには幸せになってもらいたいんじゃよ。メーアの所に婿入りしても、不幸な未来しか見えんからのう」
「それは……そうかも」
「それに、ワシは嬢ちゃんにも幸せになってもらいたいと思っとるよ。もっと自分に自信を持ちなさい。社交の経験も貴族の決まりごとも、幸せになるためには不要じゃ。嬢ちゃんは、人を恐れず、憎まず、自分らしくしていれば良い。そうすれば自ずと周りに人が集まるはずじゃ。嬢ちゃんには、その力がある」
「恐れず、憎まず……」
そうは言っても、やはり他人の目は怖い。
嫌われたくない、馬鹿にされたくない、気持ち悪いと思われたくない。
セオは綺麗と言ってくれたこの髪も、メーアをはじめ、大半の人には滑稽に思われたり、不気味がられたりするのである。
そして、何度もそれを繰り返すと、人は他人を信じられなくなるものだ。
ならいっそ、人と関わりなんて持たない方が、傷付かなくて済む。
閉じこもっていれば、刃は届かないのだ。
「まあ、すぐには難しいのう。じゃが、ワシやセオやエレナ……嬢ちゃんのことを心から案じておる人間がいることを、忘れるでないぞ」
「……はい。ありがとうございます」
フレッドは優しく微笑み、部屋の窓から外を眺める。
そこに広がっているのは、視界いっぱいに広がる大海原。
夕陽が今にも海に沈もうとしているところで、海面が灰色のグラデーションになっている。
「それにしても、昨日も今日も海が荒れておるのう。風も強くないのに白波が立っておる」
「嵐でも来るのでしょうか?」
「どうじゃろうなあ。何事もないといいのう」
船の姿もまばらになった灰色の海は、徒に私の不安をかき立てたのであった。
事件が起きたのは、その翌朝のことだった。
私たちの泊まる宿に、『川の神子』ルードが駆け込んで来たのだ。
私たちは、宿の食堂で朝食を取っているところだった。
只事ではないルードの様子に、他の客もざわついている。
「はぁ、はぁ、こちらに、セオ様はいらっしゃいますか」
「ルード、どうしたんじゃ?」
「はぁ、実は、取り急ぎお力をお貸しいただきたく……」
「わかった。部屋で聞こう。おーい、親父さん。食事の途中で悪いが、ちいと席を外すぞい」
フレッドの部屋に全員で集まり、扉を閉めると、ルードは窓を開けた。
今日は爽やかな秋晴れで、風も穏やかな好天だ。
だが、眼下に広がる海は、激しく波が立っている。
「水の精霊様が、怒っておられるのです。そのせいで、海が荒れています」
「ふむ。道理で波が高いと思ったぞい。なぜ、水の精霊は怒っているのじゃ?」
「ファブロ王国の東端に、大きな湖があるのはご存知ですか? その湖からは川が幾本も伸びていて、全てこの海に繋がっています」
「うむ、知っておる。湖で何か問題があったのか?」
「ええ、おっしゃる通りです。詳しいことは現地を見てみないとわかりませんが、水の精霊様は、『湖が苦しんでいる。川が泣いている。このままでは海まで傷付いてしまう』と仰っています」
「ふむ……」
ルードと話していたフレッドは、あごに手を当て、真剣な表情で何事か考え始めた。
その続きは、今まで黙っていたセオが引き取る。
「なら、僕がルード様を連れて、その湖まで飛べばいいんですね?」
「はい、お願い致します。一刻を争うのです。馬を出す時間も惜しい。『空の神子』様が滞在されていて、本当に良かったです」
「わかりました。では、僕の手を取って」
「ちょっと待って、私も……」
「パステルは、お祖父様と一緒にいて。危ないかもしれないから」
「……。わかった、気をつけてね。ルード様も、お気をつけて」
私がついて行ってもきっと足手まといになる。
本当は一緒に行きたいが、その気持ちはグッと堪えて、笑顔を作った。
セオは頷くと、ルードと共に光に包まれ、窓から飛び立って行ったのだった。
「ふむ……ワシはちと情報収集にでも行くかの。すぐに戻るから、嬢ちゃんは自分の部屋で待っているといい」
「……はい。お気をつけて」
残された私は、灰色に波打つ海を眺めながら、二人の無事と問題の解決を祈ることしかできなかった。
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