色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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第二章 青

第26話 「アシカじゃないよぉ」

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 セオとルードがファブロ王国東端の湖に、フレッドが情報収集に出かけてから、三十分ほどの時が経過した。

 海は、未だに荒れていた。
 むしろ、ますます波が高くなっているように感じる。
 船はもう、一隻も出ていない。


 宿のロビーに降りていくと、人々は皆不安げに話し合っており、帝都も混乱しつつある事が感じられた。
 一人で誰かに話しかける勇気はないので、目立たない程度にゆっくりした動作で、ロビーを横切る。

 耳に入ってきた情報によると、この異常事態に、『川の神子みこ』ルードだけではなく、『海の神子』メーアや、年老いた『湖の神子』も腰を上げたらしい。
 また、皇城や教会、国立の施設を開放し、海岸の近くに住んでいる者から順に避難を始めているようだ。

 この辺りは海よりもかなり高い位置なので避難の指示は出ていないが、旅人たちは急いで帰り支度をしているし、近所に住む人たちは頑丈な建物への避難を検討し始めている。


 私はそのまま宿の入り口を出て、そっと目を閉じ、海の音に耳を傾ける。
 ざあざあという波の音が強くなっていて、私にはまるで、海が泣いているかのように思えた。

 不思議なことに、風はすっかり凪いでいて、潮の匂いも感じられない。セオは、無事だろうか。


 セオとルードが向かった王国東端の湖は、ロイド子爵領の南部にあたる。
 正確には、以前はその湖の周辺までロイド子爵領の領地だったのだが、今は王領になっているはずだ。

 湖が王領になったのは、ちょうど父が亡くなって義父が爵位と領地を継いだ頃のことだから、八年か九年ほど前のことだろうか。

 私は行ったことはないのだが、穏やかで風光明媚な地らしく、別荘を建てる貴族もいたようだ。
 過去の記録を閲覧した際に、ロイド子爵家の収入源のひとつとして記されていたのを覚えている。


 その時。
 目を閉じて海の音と人々の喧騒を聞いていた私の耳に、突然、聞きなれない音が届いた。

 ぱちゃん、ぱちゃん。
 ちゃぷ、ちゃぷ。

 驚いて私は目を開ける。
 そこにいたのは、水で出来た大きなボールの上で玉乗りをしている、アシカのような生き物だった。

 アシカのようなその生き物は、水球を跳ねさせながら移動していて、そのたびに先程のような水音が鳴っているようだ。
 アシカ・・・の通った後の地面が水で濡れて、黒くなっている。
 どうやら海の方から来たらしい。

 アシカ・・・は私の目の前で立ち止まると、水球の上で器用に一礼し、のんびりと穏やかな声で話し始めた。

「こんにちはぁ、虹のお姉さん。はじめましてぇ」
 
「は、はじめまして。あなたは……?」

「えっとねぇ、ぼく、ルードお兄ちゃんに頼まれて、お使いにきたんだぁ。お姉さん、一緒に来てくれる?」

「ルード様に? えっと……今、フレッドさんっていう人を待っているのだけど……」

「だいじょうぶ。大きなおじいさんには、ぼくのお友達が知らせに行ってるからぁ」

「そうなのね。でも、どこへ行くの?」

「うーんと、うーんと、どこだっけ」

 アシカ・・・は水球の上で唸りながらぐるぐる回って、思い出そうとしている。

「あ、思い出したぁ。えーとね、海と川が混ざるところに、来てほしいんだって。そこにいれば、えーと、何だっけ」

「海と川が混ざるところ……河口のことかしら。あの、危なくないの? みんな、海が荒れているから避難しているけど」

「うーん、わかんない。でも、もし流されてもぼくが陸まで運んであげるよぉ」

「あ、ありがとう、アシカさん」

「ぼく、アシカじゃないよぉ。アシカに見えるけどねぇ、実は妖精なんだぁ。名前はねぇ、獅子丸ししまる

「ししまる、可愛い名前だね。私はパステル。よろしくね」

「パステルお姉さん、きれいなお名前だねぇ」

「ありがとう」

 これまで私は自分の名前が大嫌いだったが、いつからだろうか、何の引っ掛かりもなく自分の名を名乗れるようになった。
 緑色が見えるようになったから、という訳ではなく、もう少し前から……。

「じゃあ行こうかぁ。えーっと、うーんと、どこに行くんだっけ」

「海と川が混ざるところ、でしょう? さあ、行きましょう、ししまる」

「そうだったぁ。よーし、しゅっぱーつ」

 水球の上でくるりと一周するししまる。
 私はそれを見て、こんな状況にも関わらず、くすりと笑ってしまったのだった。


 私とししまるは、帝都の人流に反して、海へ向かって急ぐ。

 通りでは、大きい荷物を持った人々が次々と乗り合い馬車へと吸い込まれていき、乗り切れなかった人たちが悪態をつきながら坂道を登っていく。
 馬車も人も、全て帝都の外や高台を目指していて、海へ下っていく者は私たちを除いて一人もいない。

 皆自分のことで必死で、私とししまるという、不思議な二人組に目を留める者もいなかった。

「みんな不安そうだね。ししまる、どうして海がこんなに荒れているのか、知ってる?」

「うーんとねぇ、ママが、痛がってるんだよぉ」

「ママ?」

「ママは、水の精霊なんだぁ。いま、ルードお兄ちゃんたちが、痛いところを治そうと頑張ってるんだよぉ」

「そっか……。私も、力になれるかな?」

「うん、出来るよぉ。パステルお姉さんは『虹の巫女』でしょー? まだ、風の架け橋しか繋がってないけどねぇ」

「——え?」

 私は、思わぬ単語に耳を疑った。
 ラスから聞いた話によると、確か『巫女』は『神子』と対になる存在で、『神子』は精霊側、『巫女』は人間側の窓口……だったか。

「私が……『虹の巫女』?」

「あれぇ? 知らなかったのぉ?」

「……うん。だって、私、魔法とか使えないよ?」

「そんなことないよぉ。虹がかかれば、繋がるんだぁ」

「繋がる? 何が……?」

「あ、海に着いたねぇ。川と混ざるところは、あっちの方だよぉ」

 話の途中だったが、目的地に到着したようだ。
 ししまるがヒレで示した方向を見ると、確かに大きな川が海に注ぐ、河口の部分だった。

「この川はねぇ、湖から流れてくる中で、いちばん大きな川なんだよぉ」

 到着した河口には、背の高い女性と、数十人もの騎士たちが何かの作業をしているのが見える。
 フレッドは来ていないようだ。

 ししまるがその一団に近づいていくと、女性が振り返り、少しホッとしたような視線をししまるに向けた。

「メーアお姉ちゃん、お待たせぇ」

「遅かったわね。手伝いなさい、ししまる」

「はぁーい」

 メーアはししまるにそう命じると、そのまま私の方に視線を向ける。
 私がししまると一緒に来ることは分かっていたようで、驚く様子もなかった。

「そこの使用人もよ。さっさとして」

「……はい」

 私は、もうこれ以上メーアに逆らう気も、口答えする気もない。
 ただ、何となくメーアを直視出来なくて、少しだけ目を伏せて返答したのだった。
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