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第七章 すれ違う歯車
すれ違う心
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お昼を済ませた私達は、聖奏公園に戻り撮影を再開した。
今度はコハクの撮影なのだけど、ファミレスを出てからどことなく様子がおかしい気がする。
スペシャルブレンドのせいでお腹の調子でも悪いのかと思い心配して声をかけてみるものの、「大丈夫だよ、続きやろうか」と優しく微笑んで何も言ってはくれない。
横で演技指導をするカナちゃんに言い返す事もなく、素直に聞いて撮影はかなりスムーズに進んだが、妙な胸騒ぎがしてならなかった。
──ブルルルル
その時コハクのスマホが鳴り、画面を確認するなり「ごめん、ちょっと電話が……」と焦った様子で高台から下りていってしまった。
コハクのあの焦り具合……緊急の用事だろうか?
その様子を手すりにもたれかかり高台から眺めていると、吹き抜けるような一陣の強い風が吹いた。
いたっ!
目に何か入ったようで違和感を感じる。
擦ったらよくないっていうし、目薬なんて持ち歩いていない。
「どないしたん?」
私の異変に気付いたようでカナちゃんが尋ねてきた。
「さっきの風で目に何か入ったみたいで……」
違和感のある右目を閉じたり開いたりしていると、「見せて、俺がとったるわ」と心配そうにこちらへ寄ってきたカナちゃん。右手でそっと私の瞼に触れ優しく開くと、覗き込むようにしてゴミを探してくれている。
「お、これやな。取ってやるからじっとしとくんやで」
「うん」
こんなに至近距離で瞳を覗き込まれて、かなり恥ずかしい気持ちがあるが、今はそれより開かれた右目が乾燥してきて痛い。
「どない? とれた?」
「うん、違和感なくなったみたい」
「目薬持ってるからさしといたるわ。目、乾燥して痛いやろ?」
「うん、ありがとう」
新品やから桜にやるわ、なんて言いながら、カナちゃんは手際よく目薬をさしてくれた。
「あ、これクールタイプやから少ししみるかもしれんけど、大丈夫か?」
そういうのは、出来ればさす前に言ってくれ!
爽快感が抜けた後目を開けると、「まだ少し、目赤いな……」と至近距離で心配そうにこちらを見ているカナちゃんの顔があった。
「う、うん、もう大丈夫だよ、ありがとう!」
クリアになった視界のせいで恥ずかしくなった私は急いで彼から離れた。すると、勢い余って身体が手すりを乗り越えてしまった。
やばい、落ちる……と思った瞬間、「あっ!……ぶねぇ」とカナちゃんが私の腕を掴んで引っ張ってくれた。
「……心臓、止まるかと思った」
頭の上から聞こえたほっと安心したかのように放たれた声と、きつく抱き締められる身体の感覚が、私が無事なことを教えてくれた。
このまま鳴り続けたら本当に止まっちゃうんじゃなかってくらい、ドッドッドッとけたたましく鳴るカナちゃん心臓の鼓動が聞こえてくる。その音が本当に心配かけたんだと示していて心苦しくなった。
「カナちゃん、ありがとう。もう大丈夫だから」
そう言って身体を離そうとするが、きつく抱き締められているためびくともしない。
逆に更に締め付けが苦しくなってますます抜け出せなくなった。
その時、私の身体に回されたカナちゃんの手が小刻みに震えている事に気付いた。
こういう時、無理に離そうとしても逆効果だ。私は安心させるように背中をポンポンと優しく撫でて、落ち着いた所でそっと身体を離す。
「……ごめん、中断しちゃって」
その時、突如後ろからコハクの申し訳なさそうな声が聞こえてきて、心臓が飛び出るかと思った。
コハクにさっきのカナちゃんとの出来事を見られたと思った私はひどく動揺していた。
「どうかした? 僕の顔に何かついてる?」
「ううん、何でもないよ」
きょとんとした顔でこちらを見ているコハクの姿に、私はひどく胸を撫で下ろした。
別にやましい気持ちがあったわけではないが、傍から見れば誤解されそうな状況だったのは間違いない。
その原因を作ったのは間違いなく自分で、カナちゃんは助けてくれただけで悪くない。
そうだとしても、コハクの立場になって考えてみれば面白い状況ではないのは確かだ。
ただでさえ、最近は撮影のためコハクと二人で過ごす時間が少ない。
これ以上コハクに不安を与えないためにも、自分の身の振り方を見直し、カナちゃんとは物理的な距離を取るように徹底しようと強く思った。
「コハッ君、えらい慌て様やったけど、大丈夫?」
「あ、うん。大した用じゃなかったから」
そう言って苦笑いするコハク。
その表情が気になったけど、「ほな、始めましょか」というカナちゃんの声に、私達は撮影を再開することにした。
わざわざ休みをさいて付き合ってもらっている事が申し訳なく、出来ることなら早く終わらせたい。
しかし、その日だけで撮影は終わらず結局明日まで付き合ってもらうことになった。
時刻は十八時を回り、快晴だった空は夕焼け空へと変わっていた。
「ごめんね、こんな時間まで付き合ってもらっちゃって」
「ええんやて、文化祭クラスで一位取ったら一ヶ月食堂タダで食べ放題やろ? 頑張る価値は十分あんで。コハッ君もそう思わへん?」
テンションの高いカナちゃんに対し、「……あ、うん。そうだね」とコハクはボーッとしていてどことなく元気がない。
「優勝はコハッ君にもかかっとんのやで、頑張っていこうや。ほな、俺ちょっと店に顔だして帰るわ。またな~」
ヒラヒラと手を振ってカナちゃんは公園を後にした。
その後ろ姿を眺めていたら、「桜、送っていくよ。帰ろう」とコハクが手を差し出してきて、私はその手を取ろうとしてふとある事が気になった。
元気がないのは疲れているからではないか。それなのにわざわざ送ってもらったりしたらコハクに余計に負担をかけてしまう。明日も朝から付き合ってもらわねばならず、なるべく負担はかけたくない。
伸ばしかけた手をしまい、私は口を開いた。
「コハク、疲れてるでしょ? 明日も朝からで大変だし、今日は大丈夫だから早く家に帰ってゆっくり休んで」
私の言葉に、コハクは悲しそうに瞳を揺らすと、そっと手をしまった。
「桜……分かった。気を付けて帰ってね」
ひどく優しい微笑みを残して、コハクは踵を返して歩き出す。
遠ざかっていくその背中を見つめながら、私の選択は間違ってないと思いつつも、ひどく胸がざわついていた。
このままコハクを独りで帰してしまうと、もう二度と取り返しがつかないようなそんな嫌な予感がした。
しかし、何かに縛り付けられたかのように足が地面とくっつき、動かす事が出来なかった。
結局その日、空っぽの右手をぎゅっと強く握りしめ、私は独りで帰路を歩いた。
コハクと一緒に帰るのが当たり前になっていて、独りで帰る道がこんなにも寂しいものだった事を忘れていた。
昔はそれが当たり前だったのに……どうやら私は、自分で思っているよりもひどくコハクに依存していたらしい。
翌日、玄関を開けると塀にもたれ掛かる様にして立つ人影が目に入った。
「おはよう、桜」
私に気付くとコハクは、そっと塀から背を離しこちらを向いて笑顔で挨拶してくれた。
いつもの光景なのに、胸が張り裂けそうな程嬉しかったのは、昨日の嫌な胸騒ぎのせいだろう。
「おはよう、コハク」
きっとあれは杞憂だったんだ。
差し出されたコハクの手に自分の手を重ねながら、自分にそう言い聞かせた。
右手に感じる彼の温もりが愛おしくてたまらなくて、自然と頬が緩む。
「桜、やけに嬉しそうだね」
「うん、最近毎日が楽しくて仕方ないんだ」
ニコニコと笑顔で歩く私とは対照的に、見えない所でコハクがひどく悲しげに笑っていた事も知らずに、呑気に歩いていた。
私達の歯車は、すでに歪みが生じてうまく噛み合ってなかったと、気付く事も出来ずに……
今度はコハクの撮影なのだけど、ファミレスを出てからどことなく様子がおかしい気がする。
スペシャルブレンドのせいでお腹の調子でも悪いのかと思い心配して声をかけてみるものの、「大丈夫だよ、続きやろうか」と優しく微笑んで何も言ってはくれない。
横で演技指導をするカナちゃんに言い返す事もなく、素直に聞いて撮影はかなりスムーズに進んだが、妙な胸騒ぎがしてならなかった。
──ブルルルル
その時コハクのスマホが鳴り、画面を確認するなり「ごめん、ちょっと電話が……」と焦った様子で高台から下りていってしまった。
コハクのあの焦り具合……緊急の用事だろうか?
その様子を手すりにもたれかかり高台から眺めていると、吹き抜けるような一陣の強い風が吹いた。
いたっ!
目に何か入ったようで違和感を感じる。
擦ったらよくないっていうし、目薬なんて持ち歩いていない。
「どないしたん?」
私の異変に気付いたようでカナちゃんが尋ねてきた。
「さっきの風で目に何か入ったみたいで……」
違和感のある右目を閉じたり開いたりしていると、「見せて、俺がとったるわ」と心配そうにこちらへ寄ってきたカナちゃん。右手でそっと私の瞼に触れ優しく開くと、覗き込むようにしてゴミを探してくれている。
「お、これやな。取ってやるからじっとしとくんやで」
「うん」
こんなに至近距離で瞳を覗き込まれて、かなり恥ずかしい気持ちがあるが、今はそれより開かれた右目が乾燥してきて痛い。
「どない? とれた?」
「うん、違和感なくなったみたい」
「目薬持ってるからさしといたるわ。目、乾燥して痛いやろ?」
「うん、ありがとう」
新品やから桜にやるわ、なんて言いながら、カナちゃんは手際よく目薬をさしてくれた。
「あ、これクールタイプやから少ししみるかもしれんけど、大丈夫か?」
そういうのは、出来ればさす前に言ってくれ!
爽快感が抜けた後目を開けると、「まだ少し、目赤いな……」と至近距離で心配そうにこちらを見ているカナちゃんの顔があった。
「う、うん、もう大丈夫だよ、ありがとう!」
クリアになった視界のせいで恥ずかしくなった私は急いで彼から離れた。すると、勢い余って身体が手すりを乗り越えてしまった。
やばい、落ちる……と思った瞬間、「あっ!……ぶねぇ」とカナちゃんが私の腕を掴んで引っ張ってくれた。
「……心臓、止まるかと思った」
頭の上から聞こえたほっと安心したかのように放たれた声と、きつく抱き締められる身体の感覚が、私が無事なことを教えてくれた。
このまま鳴り続けたら本当に止まっちゃうんじゃなかってくらい、ドッドッドッとけたたましく鳴るカナちゃん心臓の鼓動が聞こえてくる。その音が本当に心配かけたんだと示していて心苦しくなった。
「カナちゃん、ありがとう。もう大丈夫だから」
そう言って身体を離そうとするが、きつく抱き締められているためびくともしない。
逆に更に締め付けが苦しくなってますます抜け出せなくなった。
その時、私の身体に回されたカナちゃんの手が小刻みに震えている事に気付いた。
こういう時、無理に離そうとしても逆効果だ。私は安心させるように背中をポンポンと優しく撫でて、落ち着いた所でそっと身体を離す。
「……ごめん、中断しちゃって」
その時、突如後ろからコハクの申し訳なさそうな声が聞こえてきて、心臓が飛び出るかと思った。
コハクにさっきのカナちゃんとの出来事を見られたと思った私はひどく動揺していた。
「どうかした? 僕の顔に何かついてる?」
「ううん、何でもないよ」
きょとんとした顔でこちらを見ているコハクの姿に、私はひどく胸を撫で下ろした。
別にやましい気持ちがあったわけではないが、傍から見れば誤解されそうな状況だったのは間違いない。
その原因を作ったのは間違いなく自分で、カナちゃんは助けてくれただけで悪くない。
そうだとしても、コハクの立場になって考えてみれば面白い状況ではないのは確かだ。
ただでさえ、最近は撮影のためコハクと二人で過ごす時間が少ない。
これ以上コハクに不安を与えないためにも、自分の身の振り方を見直し、カナちゃんとは物理的な距離を取るように徹底しようと強く思った。
「コハッ君、えらい慌て様やったけど、大丈夫?」
「あ、うん。大した用じゃなかったから」
そう言って苦笑いするコハク。
その表情が気になったけど、「ほな、始めましょか」というカナちゃんの声に、私達は撮影を再開することにした。
わざわざ休みをさいて付き合ってもらっている事が申し訳なく、出来ることなら早く終わらせたい。
しかし、その日だけで撮影は終わらず結局明日まで付き合ってもらうことになった。
時刻は十八時を回り、快晴だった空は夕焼け空へと変わっていた。
「ごめんね、こんな時間まで付き合ってもらっちゃって」
「ええんやて、文化祭クラスで一位取ったら一ヶ月食堂タダで食べ放題やろ? 頑張る価値は十分あんで。コハッ君もそう思わへん?」
テンションの高いカナちゃんに対し、「……あ、うん。そうだね」とコハクはボーッとしていてどことなく元気がない。
「優勝はコハッ君にもかかっとんのやで、頑張っていこうや。ほな、俺ちょっと店に顔だして帰るわ。またな~」
ヒラヒラと手を振ってカナちゃんは公園を後にした。
その後ろ姿を眺めていたら、「桜、送っていくよ。帰ろう」とコハクが手を差し出してきて、私はその手を取ろうとしてふとある事が気になった。
元気がないのは疲れているからではないか。それなのにわざわざ送ってもらったりしたらコハクに余計に負担をかけてしまう。明日も朝から付き合ってもらわねばならず、なるべく負担はかけたくない。
伸ばしかけた手をしまい、私は口を開いた。
「コハク、疲れてるでしょ? 明日も朝からで大変だし、今日は大丈夫だから早く家に帰ってゆっくり休んで」
私の言葉に、コハクは悲しそうに瞳を揺らすと、そっと手をしまった。
「桜……分かった。気を付けて帰ってね」
ひどく優しい微笑みを残して、コハクは踵を返して歩き出す。
遠ざかっていくその背中を見つめながら、私の選択は間違ってないと思いつつも、ひどく胸がざわついていた。
このままコハクを独りで帰してしまうと、もう二度と取り返しがつかないようなそんな嫌な予感がした。
しかし、何かに縛り付けられたかのように足が地面とくっつき、動かす事が出来なかった。
結局その日、空っぽの右手をぎゅっと強く握りしめ、私は独りで帰路を歩いた。
コハクと一緒に帰るのが当たり前になっていて、独りで帰る道がこんなにも寂しいものだった事を忘れていた。
昔はそれが当たり前だったのに……どうやら私は、自分で思っているよりもひどくコハクに依存していたらしい。
翌日、玄関を開けると塀にもたれ掛かる様にして立つ人影が目に入った。
「おはよう、桜」
私に気付くとコハクは、そっと塀から背を離しこちらを向いて笑顔で挨拶してくれた。
いつもの光景なのに、胸が張り裂けそうな程嬉しかったのは、昨日の嫌な胸騒ぎのせいだろう。
「おはよう、コハク」
きっとあれは杞憂だったんだ。
差し出されたコハクの手に自分の手を重ねながら、自分にそう言い聞かせた。
右手に感じる彼の温もりが愛おしくてたまらなくて、自然と頬が緩む。
「桜、やけに嬉しそうだね」
「うん、最近毎日が楽しくて仕方ないんだ」
ニコニコと笑顔で歩く私とは対照的に、見えない所でコハクがひどく悲しげに笑っていた事も知らずに、呑気に歩いていた。
私達の歯車は、すでに歪みが生じてうまく噛み合ってなかったと、気付く事も出来ずに……
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