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ALS・筋萎縮性側索硬化症でもプロレスラーになれますか?新人レスラー安江の五倫五常

「安江の家族と生い立ち」

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「安江の家族と生い立ち」
 子供の日祭りは、大盛況で終幕し、実行委員の打ち上げがBARまりあで開かれた。その場で安江のニコニコプロレス入門とBARまりあのスタッフ加入がまりあにより紹介された。
 カウンターの中でまりあと並び、来客者に挨拶をする安江に対し、商店街のメンバー男女を問わず、「えらい別嬪さんやなぁ。東欧出身なんやて?」、「背高いなぁ。モデルさんみたいやな。」、「素敵な金髪。やっぱり染めたのとは違うわねぇ。」、「門真にはもったいない上品さやなぁ。」、「今日、大活躍やったんやて?子供にも優しくて強いって、稀世ちゃんのライバル登場ね!」とこの半日ですっかり人気者になっていた。安江の立つカウンターの席は取り合いになった。
 打ち上げ会&安江の歓迎会が始まりしばらくすると、常連のオカマの「イワちゃん」が来店してまりあに声をかけた。
「やあ、まりあ、今日もキュートねぇ。」
「いらっしゃい、イワちゃん。あんたもセクシーやな。」
と「まりあ」、「イワちゃん」と親しげに呼び合う。大きな身体、広い肩幅、見るからに人工的な巨大なおっぱい、明るいところで見たらびっくりするレベルの厚化粧、派手なラメ入りのドレス、そしてオカマらしからぬ嗄れ声(しゃがれごえ)のイワちゃんが、カウンター内でまりあと並ぶ安江を見て、
「まりあ、今日はうれしそうねぇ。隣の美人さんは新しい子なの?」
「うん、イワちゃんにはすぐわかってしまうんやね。うちの期待の新人の安江・コーヘンちゃん。この店でもニコニコプロレスの方でも超期待のニューカマーね。稀世と同等、いやそれ以上の逸材なのよ。それに加えて「超美人」。久しぶりにうきうきしてんねん。これから、よろしゅうに。」
 イワちゃんは、安江をなめるように、頭から足先まで目で追った。初めて間近で見るオカマにビビったのか、安江は二歩後ろに下がった。
「安江ちゃんっていったっけ、あなた、柔道家?それも相当やりてなんじゃなーい?足さばきと耳がそう言ってるわよ。」
「えっ、見ただけでわかるんですか?はい、柔道を六年間やってました。あっ。安江・コーヘンと申します。今日二十歳になったばかりのウクライナとのハーフです。五月五日生まれなんでラッキーナンバーは「5」です。今日から、ニコニコプロレスとBARまりあでお世話になります。よろしくお願いします。えーと、「イワちゃん」さん。」
「あーら、見た目通り、あなた上品なご挨拶ねぇ。ハーフの美人で、ぴちぴちの二十歳。おまけに強いって。まりあが気に入るわけね。あと、「イワちゃんさん」って響きが悪いから、「イワちゃん」って呼んでくれたらいいわよ。」
と安江に投げキッスした。安江は「ビクッ」とした。
「まあまあ、イワちゃん、あんまり新人を驚かせないでよ。安江ちゃん、二年前のインターハイの女子柔道で三位。今はKO大学のプロレス同好会でやってたんやって。今日のイベントでも、悪さする男三人ぶん投げて、リングでは夏子と陽菜を瞬殺や。まあ、夏子と陽菜は「格」が違い過ぎて参考にはなれへんかったけどな。うちのルーキーに「手」出したらあかんで。」
「何言ってんのよ、まりあ。もうどんないい女だろうと、私は興味ないわ。もちろん、まりあは別だけどね。私も安江ちゃんの事、応援させてもらうわね。」
「ありがとう、イワちゃん。ところで「ひなた」の事なんだけど…。」
「それは、後で落ち着いたら話しましょ。今は安江ちゃんのニコニコ入りに!」
三人で乾杯のグラスを合わせた。

 そこに直が割って入ってきた。
「ところで、安江ちゃん、あんた彼氏はおるんか?それだけの器量良しやから、おって当然やろう。うちの独身もんから、色々聞かれてんねん。みんなに順番に聞かれても、面倒やろうから、わしがまとめて言って、余計な手間がかからんようにしといたろうと思ってな。」
突然、安江に男性歴を訪ねた。安江は照れてもじもじしながら答えた。
「今まで、男性歴は無いです。」
「へっ?「今」やなくて「今まで」か?もしかして安江ちゃん、「女」の方が好きなんか?それで、柔道を…。稀世ちゃんへのこだわりも普通やないし…。」
「な、直さん、変な想像しないでくださいよ。そ、そんなんじゃないですよ。そういう気持ちになる男の人に出会わなかっただけで…、決して「女の子」がっていうのじゃないですから…。」
「さよか、そりゃよかったわ。稀世ちゃんも安江ちゃんに抑え込みかけられたら逃げられへんやろうからなぁ。」
「もう、変なこと言わないでくださいよ。」
「まあ、ええわ。まりあちゃん、一通り挨拶終わったら、安江ちゃん、奥のボックス席に来させたってや。稀世ちゃんや三朗たちと待ってるでな。」
と言い残すとさっさとボックス席に戻っていった。

 まりあと安江がボックス席にやってきた。
「夏子、陽菜、カウンター任すわ。あんたら自身が飲み過ぎんように頼むで。」
とまりあが夏子と陽菜に言い、席を代わった。席には、稀世、三朗、ひまわり、直、まりあ、杉田に安江というメンバーになった。あらためて、安江のニコニコプロレス、商店街への加入に対する乾杯をした。安江は軽めのカクテルを飲んで、やや顔に赤みが入っているが、酔った感じは見られない。その様子を見て直が安江に聞いた。
「今日、初めて飲んだにしては、なかなかいい飲みっぷりやな。それはやっぱり、ウクライナの血なんかなぁ?安江ちゃんのお父ちゃんは、ウォッカガンガンやったんか?」
「んー、私がお酒が強いかどうかはまだわかりません。父と祖父はめちゃくちゃ強かったです。「ウォッカ」は「命の水」っていつも言ってましたね。祖父から曾祖父の話を聞くとそれも納得しましたけどね。」
「えっ、おじいちゃんの話ってどんなんやったん?ちなみにウクライナって、ちょっと前に戦争してたところやろ。私、地理や世界史は赤点やったから、ウクライナってどこか知らんねん。安江ちゃんのことももっと知りたいし、話聞かせてや。」
稀世が安江に話の続きを求めた。
「ちょっと、暗い話になってしまうけどいいですか?皆さんもウクライナがロシアに一方的に戦争を仕掛けられて、街がめちゃくちゃにされたっていうニュースは見られていると思いますが、ウクライナってずっと隣国からの「災厄」に見舞われ続けた国なんです。
 そんな「災厄」続きの国で、「毎日が命がけ」な生活を曾祖父は過ごしていたんです…。」

 安江は、ゆっくりと話し出した。ウクライナは、東欧の黒海の北にあり、東部と北部の半分はロシアに隣接し、北部の半分はベラルーシ、西部はポーランド、スロバキアとハンガリー、南部はルーマニアとモルドバに接する人口約四千四百万人の国である。
 「ウクライナ」という国としてのアイデンティティーを確立したのは、かつてユーラシア大陸のほとんどを支配したモンゴル帝国の支配力が弱まり、時のロシア皇帝のイヴァン三世がモンゴルからの独立戦争を起こしたころ、当時のロシア系武装集団とは別に、モンゴルと戦ったコサックが最初と言われている。コサックは、モンゴル軍を真似て、騎馬、弓矢、辮髪(べんぱつ)で戦うスタイルで、後のコサック騎兵の基礎となる。
 多数立ち上がったコサック国家の中のひとつが今のウクライナに繋がる。北部のロシアと違い、温暖な気候と黒海があるウクライナは東欧の穀倉地帯と言われ豊かな国土を持っていたがゆえに、常にロシアやポーランドなどから圧力を受ける土地だった。
 モンゴル帝国を排除した当時のロシアは、「皇帝独裁」、それに対して「コサック国家」は、チンギス・ハンの時代から続く、「トップは個人の実力主義で、「選挙」または「話し合い」で決まる」、ある意味「民主的」な国だった。
 ウクライナコサックの活躍でモンゴル支配を脱し、ウクライナに一時の平和が訪れた。その平和は長く続かず、今度はポーランドが無政府状態のウクライナに攻め込んだ。ウクライナコサックがモンゴル軍と戦っている間、ポーランド王は、ローマカトリックにもかかわらず、大量のユダヤ人難民の受け入れを行い、ユダヤ人の持つ大量の「情報」と「マネー」を手にし、リトアニアと連合国家を作り、ウクライナを支配しようとした。
 ポーランドは、ウクライナ支配にユダヤ人を使った。ポーランド貴族は、ユダヤ商人を使い、コサック農家から搾取を繰り返した。その搾取は、農家が食べる家族分の穀物にまでおよびコサックの反乱の一歩として、ユダヤ商人を殺し、ポーランドに反抗した。ロシアのプーチン大統領が、ウクライナを「ネオナチ(※反ユダヤの意でありナチズムそのものではない)」扱いする原点がそこにあった。
 コサックのリーダーのフメリニツキーは「カトリック」のポーランドと戦うには、同じ「正教」のモスクワと組むしかないと考え、モスクワ・コサック連合を組み、ポーランドを撃退した。
 ロシアでは「辺境の地」を意味する「ウクライナ」という名称が国名として使われるようになったのがこの頃である。フメリニツキーは、「ポーランドからの解放の英雄」と「モスクワへの売国奴」との見方がある。モスクワのウクライナへの支配は、ポーランドを排除したことから強くなり、コサックはモスクワの傭兵として、「ポーランド」、「モンゴル」の残党狩りに充てられた。コサックは東奔西走し、ユーラシアの東の果てのモンゴルの残党の「シビル国」を滅ぼしイヴァン四世に献上したのが今の「シベリア」である。
 十九世紀になって、ヨーロッパで「○○人」というナショナリズムが起き、ウクライナも「ロシアの属国」ではなく「ウクライナ人」意識が出てきた。ウクライナの独立の動きに対し、小麦等の食料と軍港(黒海)を手放したくないロシアは、ウクライナの独立心をロシアに向けさせないように「敵はユダヤ人」と意識コントロールに入った。
 ロシアの秘密警察は、今の世の中にはびこる、「少数の金持ち(ユダヤ人)が世界を支配している。」という「陰謀論」や闇の政府「ディープ・ステート」や「フリーメイソン」などの秘密結社の都市伝説に繋がる、「シオン賢者の議定書」を1890年から1900年に広めた。
 ロシア秘密警察が作成したフェイク文書の「シオン賢者の議定書」は、ドイツのヒトラーも過大な影響を受けた。その結果、世界中で「反ユダヤ主義」がはびこり、「ナチズム」の元となった。
 その背景には1881年のロシア皇帝のアレクサンドル二世爆殺事件の犯人にユダヤ人女性がいたことで、ロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人の弾圧、殺害が起きた。その被害者の正確な人数は記録にないが数百万のユダヤ人がロシア内で殺されたとされる。
 金持ちのユダヤ人の多くが、アメリカに亡命した。現アメリカ政権のブリンケン国務長官と女性閣僚のビクトリア・ヌーランド国務次官補の先祖は、この時にウクライナからアメリカに逃げざるを得なかった、ファミリーヒストリーがあり、ロシアに対する冷たい反応の背景になっているとされる。
 金持ちのユダヤ人は亡命に走ったが、貧しいユダヤ人はそれも叶わず、革命へと走った。国際的なユダヤ資本は、帝政ロシアを打倒するためにロシア国内の反帝政ロシアグループに資金援助するだけでなく、反ロシアの外国にも援助を行った。
 日本においても、日露戦争の際、戦費確保のための国債を高橋是清がニューヨーク、ロンドンに購入を頼んだが、「小国日本」が「大国ロシア」に勝てると市場は考えず交渉は難航した。ロンドンのロスチャイルド家が仲介しジェシコブ・シフが「日本軍はロシアに対する神の鞭」と言い、日本国債をすべて引き受けた話は有名である。
 第一次世界大戦で帝政ドイツ(※ヒトラー政権ではない)と帝政ロシアの戦いは、ドイツが最初は圧勝していた。その背景で、ドイツはロシア政府を内壊させるために、スイスに逃げていたユダヤ人クオーターのレーニンを列車でモスクワに送り込んだ。ユダヤ人の経済学者カール・マルクスは、「二千六百年続く、ユダヤへの差別、迫害は、世界に「国」があるからだ。世界革命を起こし、「国」がなくなればユダヤ人差別は無くなる。」と世界革命を目指した。その思想を受け継いだのが、ユダヤ人の祖母を持つレーニンであり、ユダヤ人の革命家トロツキー、コミンテルン議長のシノヴィエフである。
 「ロシア革命」を陰謀論でなく正当に「ユダヤ革命」という背景がそこにはある。レーニンは「少数民族よ、革命に立ち上がれ!」と声高に叫び、ロシア革命と同時に、ウクライナ、ポーランド、リトアニアが独立した。
 しかし、ロシア共産党は、モスクワ周辺だけの支配で、食料不足の観点からレーニンは、ポーランドとリトアニアの自主独立は認めたが、有能な「食糧庫」のウクライナへは、帝政ロシア時代以上の圧政を敷くこととなった。
 ウクライナの受難はそれだけではなかった。ポーランドは、「旧領地を取り返せ」とウクライナに攻め込んだ。レーニンが逝去し、スターリンにソ連の代表が変わるとウクライナの完全支配を目論み、共産党に反抗するウクライナの村を指定し、重税をかけ、根こそぎ穀物を徴収し、人工的な飢饉が起こった。ウクライナは短い独立で終わり、ソ連の赤軍に占拠された。本来のウクライナ独立主義者は、抵抗運動に協力した。安江の先祖のコーヘン家も、大規模農場を経営していたこともあり、抵抗運動への協力者となった。
 その結果、曾祖父の父は、共産党にクラーク(富農)認定され、それだけのことでシベリアに送られ、強制労働をさせられたうえ、非業の死を迎えた。シベリアに強制移住させられた百七十万人のうち三十万人がウクライナ人だった。最終的には千八百万人がシベリアに送られ百五十万人から三百万人が死んだとされている。ウクライナ農民は、ベルモル運河で強制労働させられた。ソ連当局は5%の死亡を予想していたが、実際には10~15%が死亡したとされる。
 曾祖父は、家族を守りつつ、抵抗運動への援助を続けたところ、村そのものが共産党の標的とされ、1991年のソ連崩壊後に初めて明らかになった「ホロド・モール(※飢えて、死ぬの意)」に遭った。
 1932年11月9日、スターリン夫人の「アリルーエワ」が自殺すると、スターリンはウクライナへの締めつけをより一層強くした。赤軍が村を占拠し、翌年の種もみまで取り上げた。1932年末には国内パスポートが義務化され、村は他の村と連絡する道路をすべて封鎖され、孤立した。その悲惨な歴史は、「赤い闇、スターリンの冷たい台地で」というドキュメンタリー映画で描かれた。アメリカ人ジャーナリストが暴いたスターリンの裏の政策をウクライナで調査し、ホロド・モールの真実を世界が知ることとなった。1933年3月には飢餓が本格化した。村は食べるものがなく、子供がまず死んだ。続いて年寄りが次々倒れた。おぞましい話だが、村では「人肉」と野草が唯一の食料として闇市で売られていた。スターリンによって作られた人工的な大規模飢饉により、三百三十万から数百万人の餓死者、犠牲者が出たとされた。

 安江の曾祖父は、村を捨てる決心をし、家族、親族で命がけの移動に踏み切った。ソ連の影響を受けにくいウクライナ西部のガリツィア地方の親せきを頼りに、命がけの逃避行が始まった。逃避行の最中にも、次々と家族、親族が亡くなった。街道が使えないため、山中で川の水をすすり、木の根をしがみ、虫やトカゲを食べた。ウクライナ西端のガリツィア地方に着いた時には、村を脱出した家族、親族は三分の一に減っていた。
 ようやく到着した、ガリツィアでは、ユダヤ人の迫害に遭った。多くの仲間がウクライナ人により殺された。ポーランドに占領されたガリツィア地方のリーダーのステパーン・バンテーラは、実質的にユダヤ人国家のポーランドに対し独立を目論み、テロでポーランド国務長官を殺害し、反撃ののろしを上げた。しかし、バンテーラはポーランド政府により逮捕、投獄された。
 そのバンテーラを救い出したのが、ナチスドイツだった。ナチスドイツはウクライナを支援し、ポーランド、ソ連と戦わせようとしていたのだった。ガリツィアを解放したナチスドイツは、解放軍扱いされた。ヒトラーは、ウクライナの独立を考えていたわけではなかった。スラブ民族は劣等民族であり、赤軍との戦いに勝利した暁には、アーリア人(ゲルマン民族)が支配するつもりだった。
 ユダヤ人家系であるコーヘン家の居場所は、ウクライナ国内には全く無くなった。村人の密告により、親族はナチスの強制収容所に送られ、家族もばらばらになった。ナチスドイツのポーランド侵攻が始まった翌年の1940年、手持ち資金をすべて共産党へ賄賂として渡し、曾祖父とその母親、妹の三人でわずかな希望を持ち、安寧の新天地を求め、シベリア鉄道に乗り込んだ。旅の途中、曾祖父の母と妹の指輪や装飾品をわずかな食料と交換した。曾祖父は、自らの金歯を抜き食料に変えた。最後には、もう食料に代えてもらえるものもなく、麦わら帽子をほどき、革靴を裂き、それらを口にして生き延びた。それは出口が見えない長い旅だったと曾祖父は祖父に語っていたとのことだった。
 
 数か月かかって、曾祖父家族の三人は、ソビエトと当時の満州の境にあるオートポール駅に到着した。極寒のオートポールでビザを持たない、コーヘン家の三人は長い足止めを食らった。満州国を統治する日本軍は、同盟国であるナチスドイツに対し、ユダヤ人の満州への入国を断っていたのだった。零下二十度の寒さの中、体力の落ちた曾祖父の母が衰弱死した。妹は、現地のロシア人に体を売り、「わずかな金」をもらい「わずかな固い黒パン」に代え、曾祖父と分け合った。曾祖父と妹が「死」を覚悟したある日、急に満州国への入国が認められた。
 日本陸軍の樋口季一郎と安江仙弘によって、入国ビザが発給されたのだった。1938年に245人、1939年に551人に発給された命のビザは、樋口が東条英機を説得し、1940年には、同盟国であるナチスドイツの反対を押し切り3574人のビザ発給を行ったのだ。六千人のユダヤ人の命を救ったとされるリストニアの日本領事館領事代理の杉原千畝の命のビザより前の話になる。
 満州国を通り、多くのユダヤ人が上海やアメリカに渡った。安江の曾祖父は、上海の知人を頼りしばらくの間、妹とともに安寧の時間を過ごした。上海にいるウクライナ出身のユダヤ人同朋の協力を得て、命の恩人ともいえる樋口、安江の故郷である日本に渡ることにした。上海から横浜に渡り、上海で紹介を受けたユダヤ人の商社に勤めることになった。
 そこで知り合った曾祖母と結婚し、翌年十月に祖父が生まれた。日米開戦のひと月半前だった。開戦と同時に起こった「白人差別」はウクライナやポーランド、ソ連内での命がけの逃避行を思い出せば耐えられた。しかし、1945年三月十日の東京大空襲に続き、五月二十九日の五百十七機のB29と百一機のP51による戦爆連合による焼夷弾による無差別空襲で妹と妻を失った時には、曾祖父は自殺を考えたと後に祖父や父に語ったという。焼け野原になった横浜で曾祖父と祖父は終戦を迎えた。
 戦後、横浜の闇市でGHQの横流し品の扱いを始めた曾祖父は、米軍と闇市を仕切るやくざや三国人とのパイプ役となり財を成した。祖父が同じウクライナ出身の祖母と結婚した1968年の翌年に安江の父が生まれた。曾祖父は、父に命の恩人とする樋口季一郎になぞらえて「ヒグーチ」と名付けた。翌年、曾祖父は激動の生涯を終えた。五十五歳だった。曾祖父は、死ぬ前に祖父に孫が生まれたら、「ヤスーエ」と名付けてくれと言い残していたらしい。安江の父は、そのことを祖父から聞き、1998年日本人女性の安江の母と結婚した。安江の母は、子どもを授かりにくい身体的な問題を抱え、辛く厳しい不妊治療を受け続けた。その甲斐もあり、2002年夏に安江を身ごもった。しばしの幸福感を味わった、祖父と父、そして母だったが、妊娠直後の血液検査の結果、マーカー値の異常から子宮頸がんが発覚したのだった。安江の母は、自分の「命」より、安江の出産を優先させた。
 翌年五月五日、安江が誕生した。3600グラムの大きな女の子だった。父と母や曾祖父の遺言を守り、「安江」と名付けた。出産三か月後、母親は逝去した。父と祖父によると「私のこの世での使命は「安江」を生むことだったのよ。「安江」の成長を見てやれないことだけが残念だけど、悔いはないわ。」と言って笑って亡くなったと父から聞かされたと安江は語った。

 「つまらない話を長々としてしまってすみませんでした。退屈されたんじゃないですか?」
と安江が顔を上げると、稀世、三朗、直、まりあ、杉田が号泣し、ひまわりだけがきょとんとした表情で直の膝の上に座って安江を見つめていた。
「えっ、ええー、みんな泣くような話じゃないですよ。堪忍してくださいよー。」
と安江がおろおろした。直が、おしぼりで「ビームッ」と鼻をかむと、泣きながら、
「安江ちゃん、あんたの芯の強さがよく分かった…。あんたのその強さは、ひいじいさんやその先祖から受け継がれてるんやな。今、杉田君おるからあれやけど、わしはこの先安江ちゃんを応援する、いや、応援し続けることを決めた。安江ちゃんのお父さん、お母さんも立派やし、ひいじいさんやその家族も大したもんや。
 それにしても「安江」いう名前ってそういう意味があったんやなぁ。安江仙弘(やすえのりひろ)大佐からの「安江」か…。お父さんが樋口季一郎少将から「ヒグーチ」で…。ふたりともイスラエルのゴールデンブックに載る日本人の誇りやからな。
 最初に「安江」って名前きいたときは、失礼やけど「昭和」の臭いがするなあって思ってたんやけど…。ええ名前や、ほんまにええ名前や。安江ちゃんのひいじいさんが、ファーストネームとファミリーネームを理解してたんかわからへんけどなぁ…。まあ、「安江」で良かったやん。名前が「樋口」やったら日本人的にはよおわからんもんな。で、お父さんはどないしたんや?」
と安江に語り掛けた。

 「はい、直さん、ありがとうございます。そう言っていただけたら、曾祖父も祖父も父もみんな喜んでくれてると思います。父は、母が亡くなった後、再婚もせず、一生懸命に私を育ててくれました。ことあるごとに、曾祖父と祖父の生きざまについて語ってくれました。そんな父も今年の頭に亡くなりました。病を抱えながら、死ぬ前日まで仕事をしていました。口癖は「死ぬのは怖くない。ただ、何もできなくなることが怖い。安江は「看病」とか「介護」に縛られる必要はないからね。ギリギリまで頑張って、ぽっくり行くよ。お父さんが死んでも涙はいらないよ。お父さんは、精一杯やりたいことをやって、満足して天国のお母さんのところに行くからね。」でした。
 父も、特段宗教に凝る人間ではありませんでしたが、常に、「曾祖父や祖父と比べて、平和な時代に暮らせただけでありがたい。」といつも言ってました。そして、幸い、私が生活に困らない金額を残してくれています。ただ、私は、そのお金に頼らず自分で仕事をしていこうと思います。
 今日、初めて会ったにもかかわらず、まりあさんは私を雇い入れてくれて、安選手も直さんも私を受け入れてくれました。身寄りはいませんので、大学は退学して、こちらに移ってくることにしました。
 皆さん、これから先、どうぞよろしくお願いします。」
と安江はみんなに深々と頭を下げた。
 みんな、涙を拭き上げ「こちらこそよろしく。一緒に頑張ろうな。」とエールを送った。稀世は、安江にひとつだけ注文を付けた。
「毎回毎回、「安選手」っていうのやめて、「稀世」って呼んでな。選手名は「安稀世」やけど、本名は今は「長井稀世」やからね。」
「じゃあ、私も皆さんと一緒で「稀世姉さん」って呼ばせてもらっていいですか?」
と安江は笑顔で答えた。稀世も笑顔で返した。直が
「せやったら、安江ちゃん、わしも「直姉さん」って呼んでくれるか?」
と言い、みんなで大きな声で笑った。ひときわ大きな笑い声を上げていた三朗に直のデコピンが飛んだ。
 まりあが、安江に聞いた。
「安江ちゃん、英語は話せんの?年に何回かWWEのマクマホンさんや、レスラーのマチルダとアグネスが来るから、その時の通訳も頼めたらうれしいかな。私も稀世も英語はからっきしやからな。」
「ええ、日常会話くらいでしたら…。」
と安江がはにかんで答えると、背後に大きな人影が動いた。
「まりあさん、ここでの通訳の仕事取らんとってくださいよ。私の出番があれへんようになってしまうやないですか?」
と粋華が派手なブルーのブランド物のスーツで大きな土産物袋を持って立っていた。
「あーっ、粋華、帰ってきたんや!またおっぱい大きくなったんとちゃうの!」
稀世が立ち上がって粋華を迎えた。気を使って、杉田が粋華に席を譲った。まりあが杉田を呼び止めた。
「あー、杉田君ちょっと待って。杉田君、今日は安江ちゃんに助けてもらったんやから、お礼ちゅう訳やないけど、明日、安江ちゃんを大阪見物に連れて行ったって。武藤さんにはオッケーもらってるから。私の車使ってもろてかめへんからな。」
「は、はい。安江さんの方がよければ、ご案内させてもらいます。」
と杉田が安江に言うと、安江は笑顔で頷いた。そこに夏子が飛び込んできた。
「おいおい、なに新入りのくせして杉田君といい雰囲気になってんねん。それやったら、私もいっしょに行くわ!まりあさんの車やったら、四人乗れるから、私と陽菜ちゃんも連れてってやー。」
 杉田が困った顔をしているので、直が間に入って夏子に言った。
「お前、今日の朝の準備さぼったやないか。お前と陽菜は、明日はふたりで会場の掃除や。わしがみっちり付きっきりでチェックしたるからな。」
ブーたれた顔をする夏子を前に、粋華が安江に
「稀世の永遠のライバルで直師匠の弟子でHカップのWWEスーパースターの「サイキッカーSUIKA」や。あんた、おっぱいは普通やけど、顔は、私や稀世より三倍いいから、きっと人気出るで。まりあさんと稀世と一緒にニコニコプロレスをしっかり盛り上げたってな。あと、一つ忠告しておくけど、夏子と陽菜にはあんまり関わらんようにな。」
と安江に握手を求めた。(あぁ、ニコニコの人たちはいい人ばっかりや…。ああ、思い切ってここに来てよかった。)安江は嬉しそうに
「はい、こちらこそよろしくお願いします。」
と粋華の手をしっかりと握った。
「じゃあ、ここらで舩阪君の歌で盛り上げてもらおか。今日は、わしも歌うでー!」
と直がカラオケのステージに立ち、舩阪にフォークギターを渡した。みんな拍手で舩阪を迎えた。


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