【完結】『社畜の鑑』

M‐赤井翼

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「プロポーズ」

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「プロポーズ」

 晶の肝硬変が発覚した後、靖と晶の関係はぎくしゃくした。ふたりの夜の営みは無くなり、晶は風呂を上がると先にベッドで寝てしまうようになった。明らかに狸寝入りなのだが、数日の間、靖はその行為を全面的に許した。と言うのも、予知夢で靖はRikkaで晶との結婚披露パーティーを見ていたからだった。そこには、店の仲間や常連客だけでなく、留め袖の着物を着て嬉し涙を流す晶の母親と思われる姿もあった。
 祥と璃子の協力を得て夢で見た11月2日の日曜日にプロポーズを企画した。ここ数週、デートも外食も避けられた水、日の休日だったが、靖は璃子に譲ってもらった「ガラスケ」の結婚届とアドバイスをもらって選んだ「ROCCA」の婚約指輪を用意して「今日は俺が夕食は腕を振るいますからね!本格タンドリーチキンとなんちゃって北京ダックの鶏尽くしでーす!7時には食べられます。」とメッセージを送り晶の夢で見た阪神タイガースが優勝するであろう日本シリーズ第7戦を観戦しながら帰宅を待ったが晶はなかなか帰ってこなかった。

 午後9時過ぎ、タイガースの守護神のセットアッパーがパリーグ覇者の最終バッターを三振に取り、2年ぶりの日本一に輝いた瞬間に晶が帰って来た。「たらいまー。おふりょ沸いてる?おふりょ入ったらすぐ寝るから、ご飯はいいわ…。」と明らかに酔った様子で戻って来た晶に靖は言った。
「晶さん、飲んじゃダメじゃないですか!伊庭先生からも深酒は止められてるでしょ。」
 その瞬間、晶の目から大粒の涙が溢れだした。靖の目から視線を逸らし、ソファーに乱暴に座ると自暴自棄な大声を上げた。
「もう、どうでもいいのよ。この1年の間に死ぬって決まってるんだから好きにさせてよ。私の余命は1年無しのポンコツ女なのよ!どうせ死ぬなら飲みたいもの飲んで、食べたいモノ食べて死ぬわ。
 靖君もいつも・・・の条件で良ければ「アレ」でもする?思い切り靖君にHな事してあげるわよ。するなら今のうちよ。私、来年末にはこの世にいないんだから楽しんでおかないとね。どうするの?ここのところ、ご無沙汰だったから溜まってるはずでしょ。
 あぁ、こんな酔っぱらいのあばずれババアには興味ないってか?私も落ちぶれたもんね。拓也とよく一緒に飲んでたブランデーでも今日はるかな。ケラケラケラ。」
とぶっきらぼうな態度でグラスケースの中に置かれたブランデーを取り出し、グラスの用意もなしに晶はブランデーのコルク栓を抜くとボトルごとラッパ飲みしようと口に寄せた。靖はブランデーボトルを左手で止めた。斜めになったブランデーボトルから床に中身の高級ブランデーが滴り、リビングに甘く良い香りが漂った。靖は出会ってから初めて晶の頬を張り、「ぱしっ!」っという乾いた音がした後、きつい言葉を投げつけた。

 「晶さんのあほっ!飲み屋の店長がそんな飲み方してええと思ってるんですか。酒が泣いてますよ。自暴自棄にならんと一緒に命を繋ぐことを考えましょうよ。幸い晶さんと俺は同じ血液A型。腎臓や心臓と違って肝臓は血液型が同じなら、家族なら親族だけでなく姻族からの移植は可能です。どうか俺と結婚して、俺の肝臓をもらって長生きしてください!」
 靖の渾身のプロポーズの言葉がリビングに響いた。靖は璃子に譲ってもらったガラスケの婚姻届けとROCCAの指輪のケースを出し
「晶さん、好きです。大好きです。この世の中の誰よりも俺は晶さんの事を愛してます!結婚しましょう。いや、結婚してください。俺は晶さんにまだまだ生きててほしい!」
と叫んだ時、テレビはタイガースの新監督の胴上げシーンが映し出されていた。

 晶は靖に張られた頬を押さえ、泣きながら俯き何度もかぶりを振った。
「ダメよ、靖君の事は好き。大好き。私も愛してる…。でも私がそうだったように靖君と愛し合ってできた愛の結晶である子供に私の肝臓病のウイルスが垂直感染するリスクのある女なのよ。靖君の子供は持てないの…。それに1年後には私はもういないかもしれない…。靖君には将来のある若い女の子の方がいいのよ。もう私の事なんか忘れて!いや、今すぐ嫌いになってよ!大嫌いになってよ!こんなポンコツな年増女なんか忘れてしまって!お願いだからやさしくしないでよ…。
 ひとりの時には何も感じなかったのに、靖君がここにいると死ぬのが怖くなっちゃうじゃないの…。こんな事になるなら靖君と知り合うんじゃなかった。仲良くなるんじゃなかった。優しくされればされるほど死にたくなくなっちゃうけどもう無理なの…。そんな状況で大好きな靖君の顔を毎日見て過ごすのはもう耐えられないのよ!」
婚姻届と並べられたボールペン、靖の印鑑とROCCAの婚約指輪ケースを右手でテーブル上から弾き飛ばし、泣きながらかぶりを振り続けた。その様子は予知夢の通りだったが、靖は諦めなかった。
 靖は婚姻届、ボールペン、印鑑と指輪の箱を拾い上げ晶の正面に土下座して懇願した。
「俺は晶さんと一緒にいられるなら子供は望みません。仕事も、生活もそれ以外も今のままでの関係で十分です。晶さんが望むならセックスレス生活でも、一緒にいられるなら俺はそれで十分です。ただ、肝硬変は移植をすれば治る病気です。ただし、今の俺と晶さんの関係では移植はできません。移植をするには結婚して夫婦になる必要があるんです。だから、将来の事は手術後に考えればいいじゃないですか。幸い、俺は完全な健康体です。肝臓を半分晶さんに移植しても全然へっちゃらな身体です。だからどうか俺を受け入れてもらって、晶さんも一緒に長生きしてください。」

 「完全な健康体です。」の言葉の後でさらに激しく晶は泣き出した。数分、会話が成り立たない状況が続いたが、靖の必死かつ献身的な語りかけは夢の中のふたりと同じだった。長い説得の後、移植を拒否する理由が泣き続ける晶自身からの告白で判明した。
 拓也に感染させてしまったのは、母子感染で無自覚B型肝炎ウイルスキャリアだった晶であったことが語られた。結婚生活4年目に入り拓也は極度な倦怠感と黄疸が発症し身体に異変を感じ、既に後期の肝硬変の状態であったと分かった時点で晶は自分自身がB型肝炎ウイルスキャリアであった認識はなかったとの事だった。
 晶本人が未発症慢性B型肝炎であった事が拓也の発症後に判明した。晶の母も特段の治療を受けることなく生活を送っていており、よもやの晶への母子感染の可能性を探り、肝炎ウイルス検査を受けるとかつて集団予防接種で罹患していた可能性が浮上したのだった。
 そのウイルスが母、晶の身体を通し、数十年の時を経て、晶の夫である拓也に感染し発症したことに責任を感じた晶の両親が考え出した結論は「姻族」であり、B型肝炎ウイルス非キャリアであることが分かった晶の父が拓也への肝臓のドナーとなる事だった。幸い拓也と同じA型の血液型の晶の父は生体肝移植のドナーとして認められ、その移植手術準備が進められた。手術当日、晶の父の肝臓の半分を摘出する手術中に事故は起こった。
 晶の父の肝臓に這う動脈を執刀医が傷つけてしまい、高齢でもろくなった晶の父の動脈止血に手間取った結果、出血多量で摘出手術は中止となった。原因は病院から発表されなかったがこの事故の後、父親は院内感染症で再移植手術を行うこと無く亡くなったことを泣きながら晶は独白し、父の死も自分のせいであると悔いてきたと靖に語った。

 その翌月には急速に病状が進行した拓也も他界する事となった。拓也の四十九日に、結婚時に無自覚発症していた晶から夫婦生活が原因で体液を介して感染して、拓也が罹患した事が発覚した。それは拓也の四十九日後の形見分け時に立花家の父母が来ている時に発見された結婚前に拓也が受診していた健康診断書だった。その検査結果の中に肝炎ウイルス検査の結果が「マイナス無感染」だった事が根拠となった。
 感染経路の確実な証拠としてあげられ、拓也の死はその根源が晶にある事が立花家に知れた。立花家の人間とは拓也のその後、晶がウイルスキャリアであった事が判明した事で晶は「人殺し扱い」され絶縁となった。
 ひと月の間に最愛の父と拓也を亡くした晶は全て自分に原因があると責め、その後、晶は男性との付き合いは諦めたと泣きながら靖に語った。その後、晶の身体の状況をおもんばかる母にだけは晶は自身の身体の現状を伝えていたという事だった。
 そこまで本当の気持ちを吐露した晶の本音は「最後の時、ひとりは寂しい。」、「靖と今の関係になったのは「魔が差した」としか言いようがない。」、「愛してる。でも肝臓がん直前と分かり、最悪、余命1年無い可能性がある今、私の事は忘れて欲しい。それが無理なら私を嫌いになって新たな女性との出会いを探して欲しい。」と靖に泣きながら謝るだけだった。

 そこから靖の説得は3時間に渡った。「今後も今まで通りの付き合いを続けたい。」、「万一の看護、介護も俺に任せて欲しい。」、「ここを出ても、気持ちはずっと晶さんにある以上、他の女なんか必要ない。」、「どうか、ずっと近くに居させて欲しい。」、「本当に愛してるんです。どうか、この俺の気持ちだけは受け入れてください。もう一度言います。結婚してください!」との靖の真心の申し入れが通じ、今と同じ環境が続くなら会社の引継ぎも含めて婚姻に晶が肯定的になった。ようやく結婚に関しては前向きになった時には日付は月曜日に変わっていた。しかし、最後まで靖からの生体肝移植の申し出に対しては了解は得られなかった。
「絶対、移植を強制しないなら余命1年のポンコツですけどもらってください。」
と丁寧に手を床に付き頭を下げた晶と一緒に璃子から譲ってもらったガラスケの絵の入った門真市の婚姻届けにふたりで記名押印し、靖が預金の大半をはたいて買ったROCCAブランドの婚約指輪を晶の左手の薬指に通した。





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