朱のゆりかご

久画嵜ミロ

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第一章

17.荷うもの(1)

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 その道をハザルが最初に通ったのは、傭兵団に身を置いていた頃のことだった。
 イルマヤ共和国、南東部の山間。山頂へと続く雑木林の細い山道を、二頭立ての貨物馬車が軋みながら進んでいく。手綱を握るのは、ハザルと同じ団に所属する男だった。

 マナと魔法属性の研究が本格的に国家直轄の機関で始められるようになってから、その動きは拠点を転々としていたハザルの耳に届くほど、大陸中で盛んになっていた。研究機関を構える民間組織が次々に頭角を現し、そのうちのひとつが、ハザルの所属する傭兵団にとっての大口の請負先だった。
 本来その研究機関で門番を担っていたハザルは、たまたまその日、欠員の代役として物資の運搬を任されていた。山のふもとの村から施設まで、荷を積んで馬車を走らせるだけの――『楽な仕事だ』と聞かされて。
 運搬の仕事自体は、これが初めてではない。これまでも薬品や魔導具の詰まった木箱を、同じように運んだことがあった。だがこの日ばかりは、出発前に『中身は見んなよ』と隣の男に釘を刺されていた。こういう仕事に余計な詮索は不要だと、ハザルはそれ以上深入りするつもりもなかった。――少なくとも、この時点では。
 ところが道の途中で大きな岩を乗り上げた拍子に、荷台ががたがたと大きく揺れた。その瞬間、大きな荷の中から微かな音がした。

(なんだ?)

 物が転がった衝撃音ではない。鳴き声のようにも聞こえる音に、ハザルは実験用の魔獣だろうかと思案する。だが次に耳朶を打った音は、その憶測を一瞬で打ち消した。

『……っ、ひっく……いやだ……かえりたい……おかあさん……』

 それに引きずられるように、次々と嗚咽が連鎖していく。

『うわあぁぁん……』『やだよ……こわいよ……』

 荷台の中から幼い声が次々と広がった。胸の内をぞわりとした感覚が襲う。手綱を掴む指先から、すうっと力が抜けていった。後ろの荷台はただ物資を詰め込むためだけの粗雑な造りだ。五人か、いや六人はいるかもしれない。あの狭さに押し込まれているのだろうか。それではもはや、乗せられているというより、積まれているようなものだ。

『今ので起きちまったか』

 隣の団員が露骨に舌打ちをした。最初から中身を知っていたのだろう。その言葉にハザルは思わず顔を男へと向ける。

『……子ども、なのか』

 男は肩を竦めただけで、問いには答えなかった。
 そこから先の道のりをどうやって馬車を進めたのか、自分でもよく覚えていない。ただ背後の荷台から漏れる啜り泣く声と、自分の胸を打つ大きな鼓動だけが、やけに耳にこびりついて離れなかった。

『おいどうしたハザル。もうつくぞ』

 隣から声をかけられて、ハザルははっと顔を上げた。気づけば馬車は、いつの間にか山頂へと辿り着いていた。開けた視界の先には箱のような建物がひとつ、高々とそびえ立っている。山頂の景色には不釣り合いの、真っ白に塗りつぶしたような無機質な外壁。窓は少なく、外から中の様子を窺うことはできない。
 馬車を止めると、ハザルはゆっくりと顔を上げた。正面の入り口脇に、鉄板に刻まれた標章が掛けられている。円環と、そこから伸びる幾筋もの曲線で形作られた意匠。これまで門番として何度も目にしてきたはずのそれに、今更になって意識を向けた。
 胸の奥に薄い靄がかかったような違和感がじわりと広がる。何かがおかしい。その正体を掴みきれないまま、ハザルは怪訝な目でその標章を見据えていた。


 
     ◇



 そして今。夜風を裂くように、ハザルは馬を走らせていた。あのときと全く同じ樹々がそびえ立つ山道に、蹄音が途切れなく響く。手綱を握る掌には焦燥から自然と力がこもり、吐く息は浅く荒い。
 あれからあの場所で何がなされていたのかを、ハザルが尋ねることはなかった。自分は人としてやってはならない何かに加担してしまっているのかもしれない。そう思いながらも、そんな可能性から目を逸らすように、仕事を淡々とこなし続けた。けれどますます強くなる胸のざわめきに、ついに耐えきれなくなった。――そうしてハザルは、逃げるように傭兵団を去った。

(ルクシス理研財団)

 馬腹を蹴りながら、その名が脳裏を掠める。
 かつてそこは、数ある民間の魔法研究機関の中でも抜きん出た存在だと評されていた。マナや魔法属性そのものの可能性を探究し、人の生活を豊かにすることを理想に掲げる。表向きにはそう謳っていた組織のはずだった。聞こえはいい。だが実態は、人――とりわけ子どもたちを〝研究材料〟として扱う機関だったのだと、後になって知った。その歪んだやり方はやがて露見することになる。本体は解体され、多くの関係者が裁きを受け、各地の施設も閉鎖された。そんな顛末を、ハザルは風の噂で耳にしていた。
 フィノの部屋で見つけたあの白い服。袖に縫い留められていた刺繍は、山頂の施設の門に掲げられていた標章と、全く同じ意匠だった。荷台に閉じ込められていた幼い子どもたちの泣き声。フィノが時折見せる、過去を思わせる陰。 そして老女が言っていた、フィノの友人を名乗る〝山手に暮らす学者まがいの男〟――ばらばらだった情報は不気味なほど綺麗に、ひとつの線で結びついてしまいそうだった。

(ただの悪い予感であってくれ……どうか)  

 ハザルは奥歯をきつく噛み締める。押し寄せる不安を振り払うように祈りながら、頭に浮かび上がるたった一人の名を、無意識に口にしていた。

「……フィノ」



 やがて見覚えのある輪郭が、夕闇の向こうに浮かび上がった。樹々の連なりが途切れた先、山頂の開けた場所に、見慣れた建物がひとつ、ぽつりと佇んでいる。真っ白に塗りつぶした外壁は、かつて目にしたときよりも幾分くすみ、ところどころ塗装が剥げて灰色の地肌が覗いていた。足元には雑草が生い茂り、その合間から伸びた蔦が外壁に絡みついている。長い間人の手が入っていない――そんな印象を抱かせる有様だった。
 馬から飛び降り、近くに残っていた古い杭へ手綱を括りつけると、ハザルは建物の入り口へと駆け寄った。厚い鉄製の扉には〝立ち入りを禁ずる〟と記された板が粗く打ちつけられている。さらにその上には、幾重にも重なった魔法陣が淡い光を浮かび上がらせていた。

「結界か」

 高位の魔術師が張ったものだろうか。複雑に組まれたそれは、ハザルが到底どうにかできる代物ではなさそうだった。

「ここじゃねえのか……くそ」

 当たりを外したのかと舌打ち混じりに吐き捨てる。すぐさま、財団の末路を知っていそうなかつての仲間たちの顔が脳裏をよぎった。彼らを当たるべきか、それとも一度村に戻って村長たちを頼るべきか――。

(……いや、それは慎重になったほうがいい)

 フィノの遠回しな白い服の伝言。あれは村人には知られたくないという意志の表れのように思えてならない。だからこそ、彼が何か大きな問題に巻き込まれているという予感は、焦燥となって募り続ける。

(どうしたらいい)

 そのとき、腰に下げていた革袋の中で、もぞりと何かが動く感触がした。

「ぷっ」

 短い鳴き声と共に、袋の口から小さな影が勢いよく飛び出した。

「なんだ、ギニアン」

 思わず声をかけた拍子に、先ほどのことを思い起こす。
 フィノの家を飛び出そうとしたとき、足先にかり、と僅かな痛みが走った。見ればギニアンの丸い目が、何かを訴えかけるようにこちらを見上げていたのだ。

『お前も行きたいのか?』

 そう問いかければ、ギニアンは瞬きひとつせずにじっとハザルを見つめ返してきた。その視線に根負けするように『じっとしてろよ』と釘を刺しながら、ハザルはギニアンを革袋に押し込んで連れてきていたのだった。
 ギニアンはハザルの呼びかけに反応する様子もなく、地面へ降り立つ。ひくひくと鼻先を動かしながら、入り口の魔法陣を仰ぐと、くるりと向きを変えて駆け出した。

「おい、待て。……こんなときに」

 呼び止める声も意に介さず、施設を回り込むように進んでいくギニアンに、小さく悪態をつく。しかし放っておくわけにもいかない。ハザルは溜め息をひとつこぼすと、その小さな影を追いかけた。
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