星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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35、伸るか反るか

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 寝台の縁に斜めに腰掛け、尽くせる限りの治療を終えて家に帰されたアギレオを、見下ろす。
 二晩続いた高熱も落ち着き、呼吸も穏やかで。
「疲れただろう。よく頑張ったな…」
 手をやってけた頬を包み、ゆっくりと撫でてやる。
 立派だった角を片方、半ばほど欠き、魔術を正面から浴びたせいだろう、顔にも身体にも幾重の傷を残している。閉じた唇の内では、四本の牙も失われ。
 これほど散々に痛めつけられて、まだ生きていることの方が、尋常ではない。
 けれど。
 もう息のない虚ろな肉体でも構わぬからと、願ったくせに。
 身を倒してその胸に頭を乗せ、耳を押しつけて鼓動の音を聞く。
 目を覚まして欲しい。
 瞳孔の周りが砂色で、半ばで天色に変わる不思議な色の瞳。悪党に似合わぬような美しい混色の瞳で己を見て、勝手に詰めた短い名で呼んで欲しい。
 鼓動は弱く、息は浅い。
 深い傷も多く、消耗も激しい。もう一度目を覚ますかどうかは分からないと、申し訳なさそうにレビは言った。
 アギレオなら大丈夫だと言うには、己自身も、戦で負った傷が元で息を引き取る者を知り過ぎていて。
 ただ無為に、ぎる諦めが裏切られて欲しいと願うしかない。
 まるで、これ以上弱くならぬよう見張りでもするかに、血錆臭い肌の向こうの、鼓動に耳を澄ませて目を閉じた。
 どのくらいそうしていたのか、ノックの音に顔を上げ、身を起こして寝台から立ち上がる。
 どうぞと掛けた声にすぐに開かぬところからみて、と、こちらで扉を開く向こうに待つ顔が、思い浮かべた通りであるのに、思わず眦をゆるめた。
「ケレブシア」
 結わえた銀髪を揺らして頷く、珊瑚色の瞳は、少し難しい顔をしている。
 どうぞ、と、改めて家内へ招き。
「水か酒か、それとも薬草茶を煎れようか」
 食卓の椅子を勧めると、いや、と首を横に振られた。
「お頭の様子は?」
 寝室の扉を振り返るレビに目を上げ、案内しようと先に立つ。
「よく落ち着いている。苦しむ様子も、うめきもしないが…」
 ただ物静かにアギレオが眠ったままの寝台の傍へ、二人して立ち、その穏やかな呼吸に目を落とした。
「目が覚めないか…」
 眉を寄せるレビに、ああ、と声肯して。身を屈め、まだ塞がったばかりの頬の傷を撫で。
 ちょっと見せて、と、掛布をはがし、アギレオの身体を調べ始めるレビを後目にして、台所へと椅子を取りに戻り。
 2つの椅子を寝台の脇に据え、レビに勧めてから腰を下ろし、アギレオの身体を確かめているレビの手つきを見る。
「傷は、浅いのも深いのもあったけど、とにかく塞がったし、良くなってもいると思う。多分、衰弱…つまり、目を覚まして活動できるほどには、体力が戻らないってことなんだろうけど…」
 そうだな、と、つく息を少し隠すようにして。閉じたままの瞼や額を撫でてやる。
 身は細り、肌は艶を衰え、時折湿らせてやっても唇は乾いてしまう。
「体力がなくなっているのなら、余計ども、目を覚まして何か口にしてもらいたいところだが」
 うん、と、ひとつ頷いてから、こちらを振り返る珊瑚色の瞳に、うん?と眉を上げ。
「気になってることがあって…」
 ここ、と、肌を晒した褐色の脇腹へと手をやり、探るように摩るレビの白い指を見つめる。
「この、ここのところに、何かあるんだよな。最初見た時、この辺り真っ黒だったから、内出血だとは思うんだけど」
 打ち身の酷いもの、ということだな、と、退いて場所を空けてくれるレビの手に入れ替わるよう、示された箇所を撫で探り。なるほど、グリグリとした子供の握りこぶしほどの固いものが手に触れる。
「ただ血が固まってんだろうとは思うけど、腹にこの大きさってのがちょっと心配で…」
「…よくないか」
 まだ、ずっと難しげに眉間を曇らせたままの顔を振り返る。
 己が手を引いた後に、やはり気になるのだろう、腹のそこをまた触っている手を、やはりつい見てしまう。
「言い切れねえとこだけど…。内臓を圧迫するだろうから、身体に負担がかかりそうだし。このまま水も飲まねえんじゃ、どっちにしろ危ないからな」
 息をひとつ区切り、腹に力を込めているのが分かって、傾ける耳もそわつくような心地がある。
「明日になってもお頭の目が覚めなかったら、伸るか反るかじゃねえけど、…腹を開いてみようかと思って」
 一瞬、言葉を失って。
 眉を寄せたまま振り返るレビと、短い間見つめ合ってしまう。
 目を伏せて、狼狽えるような頭の中を整理する。
 “しこり”になっているのは恐らく、腹の中のどこかからの出血で。連れ帰った時は真っ黒だったとレビが言うが、今はまさしく打ち身のように広くまだらになって、魔術が灼いた跡や、切創の方が目立つくらいだ。
 大きくなってはいないなら、出血は止まっているかもしれない。だが、体力のないところに、他の臓腑を押しのけて負担を掛けている、と、レビは見ている。
 刃物を入れる治療というのも、王都ならばあるが。
 確かにこのまま何も口にしなければ、どちらにせよ危なくなってくる。
「わかっ」
「…て、…めえ、ら……、…この……トンガリ耳の、ピヨピヨ頭、どもが……」
「あっ!」
「!!」
 身を起こそうとして損じ、だが、苦しげに顔をしかめながらも目を開いて、アギレオの褐色の手が、レビの手首を掴んでいる。
「お頭!」
「アギレオ…!」
 は、と、重そうに息をついてレビの手を放り出し、また身を投げ出してしまうアギレオに、思わず二人して身を乗り出す。
「……博打ばくち半分、で…人の、腹なんざ、開けんじゃねえ、」
「アギレオ、」
「お頭、身体は? どこかひどく痛むか?」
 痛えとこしかねえよ、と、げんなりしたように呻く声に、けれど、あまりにもいつもの調子すぎて、長い息と共に全身から力が抜けてしまう。
「……前も、なっ……ことが、ある……構わねえ…放っとけ……」
 これやっぱ出血? 多分な、と、息も絶えがちなアギレオにも、遠慮なく、ひとつひとつ気になる箇所を尋ねて確かめているレビとのやりとりを横に聞いて。
 なんとかして、まずは水だけでも飲ませようと椅子から立ち上がった。

 例えば川の流れのように、岩や刃物、それから炎が流れる場所があって、その真ん中に立ったらこんな様子になるのではないだろうか。
 そんなことを思いながら、水を汲む。
 アギレオに何か言い含めてから帰るレビを見送った。
 身を起こせぬアギレオに、布に含ませ水を与えようとして。いやそれなら口移しだろ、などと弱々しくも片唇にニヤニヤと笑っているのに、安心半分、もう半分は呆れ。
 もう無理と言い出すまで水を飲ませてやってから、今度は身体を拭ってやりながら、恐ろしいような傷を見下ろす。
 まだ生々しいながら、全ての傷は塞がりはじめているが、そうして生き延び、回復していくのが不思議なほどだ。
 可哀想に、と、浮かぶ思いに、ようやく己自身も落ち着いてきているのに気づいて、胸を緩めた。
 欠伸しかけて、いて、などと声を上げているアギレオの髪と頬を撫でて。
「疲れただろう。眠るといい」
「ああ~…痛えのと重えのがうっとうしいわ…」
 剛気な男だ、と少し頬を緩め、身を屈めて額に唇を捺した。
「アギレオ。……おかえり」
 身を起こして、ん?と、寝たまま眉を上げる顔を見て。ニヤと吊り上げられる片唇に、息がゆるむ。
「…おう、戻ったぜ」
 ああ、と、頷いてからふいに。我が手柄のような顔をしている憎たらしさがおかしくて、笑息に肩を揺らしてしまう。
「まったく。私たちがどれほど苦心して連れ帰ったと思っているのだ。お前というやつは」
 はは、と、声を上げて少し笑う様子に、また“いて”がついてきて、さあと掛布を引き上げ眠るよう促してやる。
「こっちだって散々だったぜ。歯は折られるしよ」
 竦める肩も億劫そうなアギレオを見ながら、ああ、と瞬いた。苦い思いに、眉が詰まる。
「…捕らえた者を拷問するとはな。エルフの名も落ちたものだ」
 眉を上げるアギレオに、すまない、と、こちらでは眉を下げ。
「お前が謝んのかよ。拷問たって…。砦の場所と人数と装備と、あれもこれも吐かなきゃ歯ァ折るっつうのを、言わねえから折られたってだけだぜ」
 そんなやりとりが、と。アギレオの回復を待って尋ねなければと考えていたことの一つを聞かされ、相槌を打つ。
「だけ、ということもないと思うが。…痛かっただろうに」
 その前の魔術風呂のがきつかったなあ、と、呵々とばかり笑っているのに、どんな顔をしていいのやらで。
「魔物みてえな牙が気に入らなかったみてえだぜ。一生懸命に全部折っちゃくれたが、残念だよなあ、その魔物もどきの牙だきゃ、その内また生えてきちまうだろうからな」
 他の歯なら見事折ったままにできたのにな、と、谷のエルフの顔でも思い浮かべているのか、天井など見てニヤニヤしているのに、目を丸くしてしまう。
「お前…歯が生えてくるのか!?」
 おう、と、今度はこちらに向けられる顔が、己を見て何やら笑っているが。
 子供でもないのに次の歯がまた生えてくるとは、本当に人間といえるだろうか…と、思わずまじまじと、その顔、身体、それから、片方欠けた角など見つめ。
「牙んとこだけはな。他の歯だったら戻らねえままだ」
「……角は?」
 角も駄目だなあ、と、上向く目に、戻らないのか…と、少し落胆する。
「…では、起きられるようになったら、角の切り口を削った方がいいかもしれないな」
「あ?」
 手を伸ばし、欠けた角を撫でる。根元から折れず半ばを欠いたというのは、よほど鋭い衝撃が加わったのだろう。ならば、こちらは拷問ではなく戦闘のためか、と、改めて触れ。
「折れた切り口が鋭くなってしまっている。削って丸めておかなくては危ないかもしれないぞ」
 ぶほッ!と、勢いよく吹き出した声音に目を剥いて、痛、痛え、と身悶えているアギレオをぽかんと見つめる。
「おまっ、いて、お前の、そういう、ッ」
「……何なんだ…。削らない方がいいなら、細工の装飾をあつらえるか? 大きな街で探してもいいが、誂えの細工なら王都のエルフの、……方が……アギレオ……傷にさわるぞ……」
 転げ回って笑っているのに、呆れ返る。
 もういいから寝ろ、と、掛布で布団に縫い付けるようにして、無理に大人しくさせ。
 おやすみ。と、繰り返し、もう一度ばかりの“おかえり”も付け加えて。
 アギレオを広々寝かせておくため、自分はすぐ傍の寝椅子へと身を横たえた。
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