ハーフエルフ・コンプレックス

種田遠雷

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9、逆巻き

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「俺ゃこれでも、レビのことは可愛がってるつもりだからなぁ」
 そういうことか、と。悪辣そうだが実際に、穏やかに撓む黒い両目を見つめた。
「弟とか、みたいってこと?」
「ンな可愛い弟はいねえなぁ。仲間だと思ってんだよぉ」
「ああ。連中とか、あんな感じ」
「近えかもなぁぁ」
「弟とだったらヤラねえの。若手連中とかとは?」
 ナハトは変人で、口に上らせれば話題性が強いからか、いくつも噂がある。誰とでも寝る、というのもその一つだが、さすがにそのまま言葉にするのは憚られた。
 イヒィ、と、いつもの高音よりやや低く、好色そうな笑い声が立った。
「場合によるかもなぁぁ、確かにぃ」
 やっぱりそうなのか、と、半眼になる。なのに、と。
「俺は“ヤラない”場合なのか」
 質の悪そうな、悪辣な、好色な笑いが引っ込んで。参ったとでも言うよう、眉を下げてナハトは笑う。
「なんだよぉぉ」
 ナハトが立ち上がって、手を伸ばして、ここ何日か垂らしたままの髪をくしゃくしゃと揉まれた。
「粘るじゃねえかぁ」
 どこかいびつな、器用な手や指が心地良くて、足を下ろし、近付いた胸に頭を預けた。心臓の音から、あのトリッキーな霊力の流れを感じる。
 体温が高くて、揉まれている頭も、胸につけてる額もあったかい。
「……納得いかねえだけ」
 もっと近付きたい。のに、いつも、こうなっている気がする。
 寂しさを思い出した気がして、また少し息を逃がした。
「普通にできねえからなぁぁ。レビにゃちょっと酷だろうよぉ」
 なんのことか、と考えかけて、すぐに別の噂に思い当たった。
 顔を上げて確かめたナハトの顔は、不思議な片笑いだ。
「山犬になってねえと勃起できねえんだっけ」
「うえぇぇ??」
「……悪い。ただの噂なんだけど」
「レビまで知ってんのかよぉ。誰だよ聞かせたのはよぉぉ」
 顔が面白い。
「ほんとなんだ?」
「そうだぜぇぇ。だからやめとけってンだよぉ」
「……え。だからなのかよ。解ってて来たって言ってんのに」
「ええぇぇ!?」
「うわびっくりした」
 仰け反りながら低く声を跳ね上げられ、近い距離の大声に、ちょっと肩が浮いてしまった。
「待て待て待て待ておいおいおいおいぃぃ」
「うん?」
「おッ前ぇ、犬にヤラれんのが分かっててノコノコ来たってのかぁ?」
「ハ? いや、犬じゃねえし。ナハトが山犬に変身すんのは知ってるよ」
「だから犬だろぉ?」
「ナハトだろ」
「はぁぁ?」
「そんなに区別があるもんなの? 逆に。夜の連中の獣の方も全員知ってるし、見分けもつくよ」
「いや、俺らはそうだけどなぁぁ」
「え。けっこう心外なんだけど。夜の連中って、昼の方は“どうせ動物だと思ってる”とか思ってんの?」
「うえぇ? ……どうだろうなぁぁ。そいつによるんじゃねえかぁ?」
「ナハトは?」
 ぐるぐる、ぐるぐる、遠回りをしているようで。でも、さっきみたいにもどかしくはない。
 背中ばかり見ていたナハトの、顔が、近付いてくる気がして。
「アー……」
 黒い目が、考えを辿るように上を向く。
 答えがあるなら同じように見てみたくて、思わず同じ方向を見た。
「俺かぁ。どう思われてるってよりぃ、実際俺は逆巻さかまきだからなぁぁ」
「逆巻き?」

 ナハトが簡単に説明してくれたところによると、獣人の中でも、かなり珍しい“獣”寄りの者を指して逆巻きと呼ぶのだそうだ。
 もっとはっきり言ってしまえば、それは「変なやつ」「おかしいやつ」に近いニュアンスのようだ。
 自分の知識の限り、確かに獣人というのは、知らない者が考えているよりも単に「動物に変身できるヒト」だ。彼ら自身もそう考えているのは、身近に暮らしていてよく分かるし、逆に、他種族の偏見を弄ぶ冗句もあるくらいだ。
 そういう獣人という種族の中で、ナハトは、獣に近いと見なされるタイプらしい。
 子供の頃から、ヒトの姿でいるよりも山犬に変身したままでいることを好み、山犬の時の方が活発で能力もよく発揮できるという。
 大人になってからでいえば、まず獣の姿で性交などはしないらしく、ナハトのように「ヒトの姿ではできない」レベルになると、当然に相当ヤバイという位置づけになる。

 話すために座り直したナハトの、人の悪そうなニヤケ笑いを見つめた。
 分かるような気もするし、やはり自分が獣人でない分、理解していないような気もする。
「でもそうしねえとアレだから、する時はしてんだろ」
 また膝を抱えて背を丸め、顎を乗せてわざと唇を尖らせた。
 スッと見る先の両手が縮んで、心臓の上に重ねられるのを見て瞬く。
「そんな追い込むなよぉ。急に言われっと心の準備ってもんがなぁぁ」
 可愛い仕草だが腹が立つ。
 ふざけたやりとりが、でも、ナハトらしくて。渋々の息をついて肩を竦めてみせた。
 心の準備と言われてしまえば、自分だけが決めていたのは確かだ。
「わかった」
 出直すか、と立ち上がる。
「気が変わったら教えてくれ」
 片眉を上げてみせると、苦笑いしてからナハトも腰を上げた。
「考えとくさぁ」
 玄関の方へと一歩踏み出した途端、肩を掴まれて、その肩越しに振り返る。
 スンスンと、ほんの少し眉を寄せ、慎重そうに黒い目を伏せながら、鼻を鳴らしているのが分かった。
「……どっかケガしてるかぁ?」
「ん? いや、どこも」
 首を傾げると、ナハトの黒い瞳がゆっくりと上がってきて、目が合う。
 攻撃的にも、投げやりにも、情熱的にも見える不思議な笑みはなんだか、男くさくて。肋骨の下に自分の鼓動を強く感じた。
「そもそもお前、なんでこんな話しに来たんだぁ?」
「え、……なんでって。だから話しただろ」
 声を聞く内に、笑っていないんじゃないかと思う。そう見せているだけで。
「言ってねえだろぉ。なんで俺とヤろうなんて思いついたんだよぉ」
 ああ、獲物を見つめる目なのかもしれない。鋭くて、合っているのはお互いの目のはずなのに、視線は胸に刺さるように感じる。
「近、づき、たかった、んだ……」
 食われたい。
 それは不思議な感情だ。言葉通りではない。
 でも、首筋に牙を受けて咥えて引きずられたい。ささやかな誇らしさの餌食になりたい。
「俺にぃ?」
 歪むように片方の眉だけを上げる悪辣な顔。
 きっと筋肉の付き方が違うのだろう。自分も片眉を上げるが、あんな風にぐにゃりとは動かない。
 息が薄くなってくる気がする。
 辞しかけていた身体を戻して、正面に向き合うと、肩から手が離された。
「うん。ナハトに」
 首で振り向いてナハトが確認したのがベッドだと気がついて、心臓が跳ね上がった。
「気が変わったぜ。今」
 ああ、いつもの顔だと思う。
 人懐こいところもあるのに、どこか誰のことも相手にしていない、煙に巻くような笑みだ。

「なんで急に気が変わったの」
 なんともない、強気にやれると思っていたのに、また指が震えてもつれる。
 言われるまま、ベッドに向いて服を脱ぎながら、同じように隣で立つ衣擦れの音に耳が引きつけられた。
「意味が分かったからだよぉ」
「なんの?」
 丸める未満に畳む服を、邪魔にならなそうなところを選んで掛けておく。
「……キズ薬」
「傷薬?」
 すぐには理解できずに振り返って、ナハトの身体を見る。
 初めてではないどころか、何度も見ている。ナハトは特にすごく怪我が多いし、それを診るのが役割だからだ。
 犬の身体を思い出す。
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