この奇妙なる虜

種田遠雷

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18、鉱人

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 額に触れる陽射しのぬくもり。
 いいや、と、思う。肌の感触がある。これは、掌だ。
 前髪を払いのける指先のくすぐったさ。額からこめかみ、頬へと包むように撫でられる心地良さ。その仕草にこめられる心が傍にあると解るから、息をすることさえ幸福に感じる。
 目を開いて、見慣れた天井にぼんやりとする。点された灯りと溶け合い、部屋の隅にこごる闇の息づかい。
 幼い頃の夢を見ていたのか、と、息をついて。
「…ッ!」
 不意に覚醒した意識で、ガバと寝台の上に身を起こし、室内を見回す。
 夜が更けている。
 寝台から降りて立ち上がると同時に、台所へ続く扉が開いて、現れたアギレオに目を瞠る。半裸で荒っぽく濡れ髪を拭っているのを見て、己の身を見下ろせば、全裸だ。否、脱いだのは自分なのは覚えているが。
「夕食は…」
「終わったぜ。言っとくが、声は掛けたからな」
「ああ…」
 なんだか笑っているアギレオの声に、息をついて寝台に腰を下ろす。約束というわけではないが、紡いだ言葉を繋げられなかった淡い失意に、もう一度息を零し。
「なんだ、何かあったのか? ダイナにゃ疲れて寝ちまったって伝えたが、あららって笑ってたぜ?」
 ダイナが?と、近付く顔を見上げながら問うのに、お前はどうしたって訊かれたから、と、寄越される説明に経緯を理解し、頷く。
「いや、夕飯の野菜を勧められて、顔を出すと、っ」
 肩を押さえてシーツの上に引き倒され、影を落とす褐色の顔を、目を丸くして見つめる。唇の端に落ちた唇が顎の脇へと滑り落ちて、その肩を掴み。
「ま、まだするのか…」
 ギシと背の下で寝台が軋んで、アギレオが身を乗り上げたのが分かり、肋の内で鼓動が暴れる。首根の辺りにクスと笑う息が響いて、少し胸が詰まる。
「ああ」
 声に短く頷かれて、困惑する。アギレオのすることではなく、明かな自らの変化が知れて。感覚にも、記憶にも、この褐色の肌への急激な近しさは明白で。
「…っ」
 目を閉じて、不意に、懐かしいような匂いに気づいて、また目を開く。手を伸ばして指を入れれば、髪が濡れている。
「…湯の匂いがする…」
「ン、」
 胸の筋肉を唇でなぞっていた顔を起こし、混色の瞳と目が合って、瞬く。
 片手でシーツに手先を縫い止められ、逆の手が額を拭うように前髪を退けて、眦にくちづけられる。
「風呂入ってたんだよ」
「ここは浴場まであるのか…!」
 記憶を刺したような一瞬のひらめきは驚きに失せて、また上がって離れた顔を見る。向けられる笑みに、何故か分からず、眉が下がる。
「そうそ。昔から炭焼きのじいさんがいてな。長い時間火ィ使いやがるから、ついでに上に風呂場を作っちまったやつがいたんだよ」
 はなはだしく興味をそそる話に開き掛けた口を、耳に届いたノックの音が遮る。同時に扉の方を振り返るアギレオが、迷わず立ち上がり。
「アギレオ、アギレオ、」
 玄関からの声は遠く、己には誰とも判じない。けれど、アギレオが深く片笑みを浮かべ、顎をしゃくって寝台の隅を示す。
「服着ろよ。お前の客だぜ」
 開いてるぜ、と、声を張りながら出て行くアギレオの背を少し見つめてから、身を起こす。寝台の隅に畳まれていた衣服を急いで着け直し、後を追った。

 アギレオに招かれ玄関を潜って現れた者に、立ち尽くして固まってしまう。灰を帯びた肌色、少し背を丸めるような歩き方。オークか、と、けれど客人を指して魔物かと問うのはためらわれ、どこかゴツゴツとした体毛のない肌を見ながら言葉に詰まる。
「エルフ、エルフだ、アギレオ」
「おう。こないだ鉄の輪ァ作ってもらっただろ。アレの話が訊きてえんだってよ」
 そうか、彼が。と、思いはするものの、仇敵ともいえるオークがエルフの力を封じる魔具を作るとすればあまりに相応しく、そして、とてつもない脅威になる。
「なに凍りついてんだ。こいつは鉱人だ。名前はねえから、ここじゃコウって呼ばれてる」
 こちらの考えを見通しでもしたかに、面白そうに片笑いするアギレオの声に、尚、目を瞠る。コウジン、という音が、頭の中で意味を結ぶのに一拍の間を要し。
「鉱人…!? 実在したのか…!」
 山中の深くに生まれ、獣人でいうところの祖霊として鉱石を系譜とする種族がいるという話は伝え聞く。が、己の浅識を含めたとしても、その扱いはおよそ伝説という方が相応しい。
 まあ座れよ、と、互いに珍しく見つめ合うコウと共に椅子を勧められ、腰掛けて尚その姿をまじまじと見てしまう。けれど。
 ふと、透き通った瑠璃紺の瞳に気づいて息を抜いた。見慣れたオークとは目つきから違う。
「山、ドワーフ多い。エルフ少ない。エルフ見る鉱人少ない。ここ、エルフ二人いる。エルフ多いこと、少ないな、アギレオ」
「おー、何の因果だか増えちまったなあ」
 カップに注いだ水を配られ、二人の会話を聞き、知らず頷きを重ねて合点する。
 好む住処が違うのもあるが、確かにエルフとドワーフは仲が良いとは言いがたく、どちらかといえば互いに出会わぬように振る舞いがちだ。山の中に生まれるから、ドワーフと同じく見聞きする機会がないのかと、改めて得心し。
「おいハル、いつまでフクロウみてえな顔してんだよ。お前が訊きてえったんだろ」
「フクロウ!?」
 何故とアギレオを振り返れば、こちらの顔を見てふはっと小さく噴き出されて、ようやく少し我に返り。
「挨拶が遅れたな、すまない。エルフのハルカレンディアだ」
 向ける声にうんうんと穏やかな頷きを返され、胸を緩める。
「鉱人、コウ呼ばれる。ない名前、ここではつける」
 そうだな、と、事情は違えど似た感慨を持つらしい相手に、眦を崩して頷く。
「尋ねてみたかったのは、これのことだ。アギレオからは、エルフを封じると聞いたんだが」
 下衣の裾を引き上げ、足首にかけられたままの足枷を出して示してみせ。コウが頷いたのを見てから、また足を戻す。
「赤鉄、エルフ弱くなる、思う。鉱人、使わない、確かめてない」
「アカテツ?」
「名前ない、鉄の仲間、赤い鉄。森の精霊、赤鉄きらい、近寄らない」
「…! 遮る、そうか…! 森の精霊の守護を断つ効果が…」
 うんうんと頷いてから、まだあるか、と、コウがアギレオに尋ねるのに、あるぜと立ち上がって席を辞するアギレオを少し見送り。顔を戻すコウと、目を合わせる。
「守護、強い。なくならない。減る。たくさんある、たくさん減る」
「そういうことなんだな…。あそこには他にもあったと、アギレオが言っていた」
「空き家にまだいくらかあるが、それ以外はこれで全部だ」
 戻ったアギレオが食卓の上に下ろす、言われてみれば、程度に赤味を帯びた鉄の、鎖、手枷、それに首枷を見て、怪訝に眉を詰める。傍に置かれると違和感が生じ、けれど、たった今持ってこられる距離にこの量があったにしては、この家には石牢のような不快感はなかった。
「赤鉄、置く。森の精霊、いやがる、通りたくない。これ、まわり通る」
 指を動かして赤鉄の周囲を迂回する動きを模し、とつとつとした言葉で説いてくれるのに、その言わんとするところを汲み取ろうと、よく耳を傾ける。椅子に掛け直したアギレオと逆に、コウが立ち上がるのを見守り。
「赤鉄、離す。森の精霊、通らないところ増える」
 塊のように置かれた枷どもから、コウが手枷を取り、食卓の端に置くと、実感する。ほんの少し、力が入らなくなるのに、目を瞠り。
「置き方、囲む。森の精霊、通る、また減る」
「……ぅッ」
 片手に鎖、片手にもう一つの手枷を持って、コウが背後に立つと、崩れそうになる身体を支えるのに思わず食卓に掌をつく。
「鎖みてえにそれ自体が繋がってるより、赤鉄を点にして、線にするそうだ。線よりは面、面よりは箱」
 ひょいとアギレオが首枷を取り上げ、食卓に残った手枷、コウの持つ手枷と鎖から遠ざけ、掲げる。
「…重、い」
 何よりも自分の身体が。石牢で感じた身の重さよりはまだ良いはずなのに、精霊の守護を断たれると聞けば、危機感を強く感じる。それはつまり、気の持ちようだと言い聞かせても、次第に力が抜けていく。
「エルフ、エルフ、つらい。アギレオ、一度に使う、よくない」
「お? おー、大丈夫だって、んな全部ブチ込んだりしなかったぜ。最初はな」
「は……」
 ふっと重苦しさが退いて顔を上げれば、枷と鎖が元通りひとまとめに置き直されており、大きく息をついて肩を下げる。
 アギレオの軽々しい言いように恨み言が湧きかけるが、ひとまずは飲み込んだ。
 顔を上げ、交互にアギレオとコウを見つめ、つい眉が寄る。
「こんな無闇な物が、そこここにあるというのか」
 知らないとばかりに肩を竦めるアギレオに、だが、コウは首を横に振る。
「石の力、誰も見えない。ドワーフでも知らない。赤鉄、深い、少ない。やわらかい、ドワーフいらないと言っていた」
「そうか…」
 珍しいもので、その使い道を誰も知らないと聞けば、少し胸を撫で下ろし。
「鉱人、掘るの止めない。けど、石やらない。石の力話さない。砦、特別。砦、恩ある」
「そうなのか」
 思わず振り返れば、アギレオが肩を竦める。首を捻りながら、配られたままになっていたカップに口をつけ。
「そりゃ俺じゃねえな。前の頭さ」
「前の? ここは、お前が築いた砦ではないのか」
「そうそ」
「船長、いいやつ。船長、今度はアギレオが船長言った。新しい船長助けてやれ言ってた」
「船長?」
 山の上の砦に、思いがけない先代の頭領の呼び名に、いくつか瞬いて二人を見る。
「船長、元気。アギレオ元気かと言ってた」
「おー、なんだ、しぶてえなあいつ」
 元気だっつっといてくれ、やら、枷を持って帰っていいかと訊くコウとアギレオのやりとりをしばし黙って聞き。外うるさい、と、頭を振るコウが辞意を告げるのに立ち上がって、アギレオの後につくように玄関口へと見送って。
「お前は二代目なのか。それとも、この砦はもっと長いということか?」
 カップを片付けるのを手伝いながら向ける声に、おー、と、欠伸混じりの声が返され、その顔を見ながら答えを待つ。
「んー。寝ちまうまでは話してやるよ」
 私が訊きたいところまで話してから寝ろ、と、多少は軽口のつもりで言い募るのを、はいはいと軽くいなされながら、再び寝室へと戻った。
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