この奇妙なる虜

種田遠雷

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19、鷲の男

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 寝台の上にうつ伏せに身を伸ばし、絡めて組む腕に顎を乗せ。仰向けで、半ば眠りかけながら語り始める、アギレオの話に耳を傾ける。

 ここよりも遙か西、海を隔てた西の大陸の、険しい北の山脈にヴァルグ族が暮らすのだという。アギレオに曰く「すぐ後ろは雪と氷で一面真っ白」だという厳しい土地で、食料は少なく、そのくせ気の荒い者の多いヴァルグ達は様々な理由で頻繁に戦い、戦う理由がなければ腕比べを始めるというほどの猛者達なのだそうだ。
 腕の強さをよしとし、常から競う割には憎しみや恨みがそれほど生じるわけではないらしく、そのような色々な理由で増減を繰り返す「氏族」と呼ばれる小さなコミュニティは、時折解体したり、また合流したりも珍しくない。
 ちょうどアギレオが成人の儀を終えて少し経った頃、数を減らした彼の氏族では、縁故ある別の氏族と合流しようという話が持ち上がったらしい。
「そんでまあ、切っ掛けとしちゃ丁度良くて、山を下ったんだ」
「それは、何故だ? 家族はいなかったのか」
「あー、いたいた。親も生きてたし弟やら妹もいたんが、元々が、そんな風に氏族が離れたりくっついたりして、ごちゃごちゃするもんだからな。そういうタイミングで一人立ちしちまうのも、別に珍しいことじゃなくってよ。じゃあ、俺も外の世界ってやつでも見るかーってえ、深え考えもねえ思いつきだよ」
 なるほど、と頷き、まだ青い頃を懐かしんで撓む褐色の眦に、淡く皺が浮くのを眺める。それから?と、少しだけ声をひそめるようにして、続きを促し。
「それから、しばらく平地をあっちこちウロウロしてな。どれもこれも珍しくて夢中になって、けど、ある時海に出たんだ」
「ああ…」
 どこか陶然とするよう、大きく胸を波打たせて息を抜く様に、声で頷く。初めて海を見た、というのは、自分にも覚えのある体験だ。
「あんまりにもすごくて面白えから、どうにかしてこの上を通れねえか、この中にゃ潜れねえかと、しばらく港町に居着いてな。けど、船ったって沖より向こうに行くにゃ、アホかってほど船賃が要んだよなあ。人足やったり賭けゴロやって稼いじゃ遊んでたんだが、」
「賭けゴロとは何だ?」
 聞き慣れない言葉に思わず口を挟むのに、ん?と、顔を振り向かせ、ついでのように身を転じて向けるのを、こちらでは身を捩るようにして迎える。
「喧嘩に金賭けんのさ。殴り合って勝った方が負けた方からブン取るのもあるし、もっと腹黒いのがいりゃ、どっちが勝つか野次馬に賭けさせたりな。勝てばその分け前がガッポリってわけだ」
 一瞬、口を開いたまま言葉を失う。
「野蛮もそこまで極めれば貫禄があるというものだな…」
「んなモン序の口だよ、バアカ」
 呵呵と笑うさまに、やれやれと言う代わりに頭を振ってみせ、それから?と促す代わりに、首を傾いで混色の瞳を眺める。
「酒場で飲んでて喧嘩になった相手に、馬鹿に強えやつがいてな。お互い相当粘ったんだがダブルノックダウンってな具合で、お互いに、手前ェ何者だってことになってよ。そいつは海賊だったんだ」
 まだ遠く、それでもこの砦に朧気ながら繋がりそうな話に、頷きを重ねて聞き入る。
「その船に乗せろの、乗せねえのって、何人かとなんべんか殴り合って、…まあ、まんまと乗り込むことになってな。面白くてしばらくは船に乗ってたな」
 思わず。さすがに笑ってしまうほどで。
「海賊ときたか。本当に、筋金入りの悪党なんだな、お前」
「ハン。光栄ってなもんだな」
 耳の先をつままれ、痛い、と大して痛みもないのに笑いながら不平を訴え。
「どんな切っ掛けで、その海賊船の船長と陸の野盗に転向したんだ?」
 いや、と、予想の外れを示す短い声に瞬き。
「何年かして船を下りたのは、単に気が変わったからだ。何度か下りたこっちの大陸も見てみるかってえ、ただの気まぐれよ」
「…なるほど」
「ちっとばかし気の合ってたやつが、耳ィ悪くしてから船に酔うってんで、俺より前に陸に下りててな。機会がありゃ訪ねてこいって言われてたから、じゃあそこらを足掛かりにしてウロウロするかと思って、行ってみたんだ」
 それだろうか、と、また頷いて先を待ち。頷き返されて、瞬く。
「それがこの砦だ。その頃はまだ、特に野盗でもなんでもなくて、その元海賊が山犬の獣人と暮らしてただけだった」
「そうか。元は、山犬の集落だったのだろうか」
 なるほどと頷き、思い浮かべる顔もある。
「そうみてえだな。たまたま気が合ったか、喧嘩にでも勝ったか、山犬共と暮らしてただけのそいつが、街に降りた時にたまたま捨て子を拾っちまったらしくてな」
 へえ、と、賊の思いがけぬ行いに浅く目を瞠る。
「山犬には女も男も大人も子供もいたから、そいつだけじゃなく集落で犬っころみてえにまとめて育ててたらしいんだが。これが、面倒見るやつがいるって噂にでもなったのか、それからしばらく子捨てだ駆け込みだと、どんどん増えちまって。足伸ばして帰る度に集落がデカくなってくモンだから、そのたんび目ェ剥いたぜ」
 笑っている声に、けれどダイナの話を思い出して、ああ…と合点の声を漏らす。
「けどまあ、そんなつまんねえ元海賊と山犬がいるだけで、増えるだけ増えても養えやしねえからな。海賊しか知らねえようなやつだから、持ってそうなとこからブン取るようになって、ヒトも離れちまったり、逆にろくでもねえのが寄りついたり、焼き討ちに遭いかけたりするようになった」
 さもありなん、といったところだ。また相槌を打って。
「どうしたらいいか、こうしたらいいのかってやってる内に、こうなったのさ」
「なるほど…。その、海賊船の船長はどうしたんだ? 先ほどは、元気だったとコウが言っていたが」
 ぶは、と、思わぬタイミングでアギレオが噴き出すのに、目を丸くする。
「いや、それが、船長じゃねえんだよなあ。…あ。言っちまった、言うなって言われてたのによ」
「? どういうことだ?」
 面白くてたまらない、と、表現するにはやや柔く、笑いながら眉を上げるアギレオに顎を捻り。
「あいつなあ、船では別に船長じゃなかったんだよなあ。せいぜいナンバー3ってとこか。それがいつの間にか船長なんて呼ばれてやがるから、唸っちまったぜ」
 思いがけぬ言葉に、瞬きを繰り返してしまう。なるほど、思わず唸りそうになり。
「それは…。…確かに少し不思議な感じだな。何故そうなったのか知っているのか?」
「さあ。不思議ってことでもねえかな。海賊だからイメージで船長だったのか。ただ、そうだな…。あいつが、言わねえだけで実はずっと船長になりたかったんだとしたら、あいつの夢は陸の上で叶ったんだなあとは、思ったな」
「なるほど…そうか……」
「年食っちまったからって俺に押しつけて、今はもうちょい離れたとこに何人かで暮らしてんだ」
 少し長く息をついて、今聞いた話が色々な情報となって頭を巡るに任せる。黙っているとふいに、伸びてきた手に前髪をつままれ、なんだ?と目を上げる。
「お前は? なんで軍人になったんだ」
「私か。お前の話を聞いた後では、聞かせどころに欠けるな」
「はは。そりゃお前見てりゃ分かるぜ。話せよ」
 笑われ、ううんと唸ってしまう。
「とはいえ…。私は親がいないから、乳飲み子の頃から騎士隊で育ったんだ。それで、育てられた恩というのが一番だが。けれどそうだな、当たり前に騎士になるために鍛えて、当たり前に騎士になった」
「へええ。つか、エルフは騎士団でみなしご育てんのか」
 いや、と少し首を捻り。
「そうとは限らないな。縁者が育てることが一般的だと思うが、戦災で多くの死者を出した時に、親のない子らを引き取る施設を王子が作られた。私の両親も共に軍人で、ほとんど同時に死んだそうだ」
「はアー…そいつぁ結構なことだが。お前、ガッチガチのエルフ騎士なんだなあ」
 ガッチガチとはなんだ、と、思わず表情を崩して笑う。
「驚くほどお前と真逆ではあるな」
「恋人は?」
 藪から棒に問われ、開きかけた口を一度閉じて、浅く顎を引く。
「いたことはある」
「へえ。どんな話だ」
 その記憶を辿れば、思わずついてしまうため息に、肩を竦め。
「一房の銀が混じる美しい金色の髪のエルフで、彼女の方から声を掛けられてしばらく一緒にいたんだが。断られてしまったな」
「ははは。なんでまた」
 予想に違わず、さも面白いとでもいうように笑っている顔を少し半眼に睨んで、鼻で息をつき。
「今思えば、元々あまり色恋に関心がなかった。鋭い人だったから、それが分かったんだろう。別れ際には、"あなたは私を必要としていない"と」
「あいたたた」
「まったくだ。だが、そう言われて、否定する材料もないかもしれないと思ってしまったからな。彼女が正しかったのだろう」
「そりゃどうにもなんねえな」
 遠慮なく笑う声に、もう一度肩を竦める他ない。
「どうにもならなかったな」
 それからふと、当然の帰結として、褐色の顔を見て返し。
「お前は?」
 笑っていた顔の口を開いたまま動きを止めるアギレオに、瞬く。
「…女房は、ずいぶん前に死んだ」
 また、とんでもないところから出てくる予想外に、目を剥いて今度はこちらが言葉に詰まってしまう。額を押さえて項垂れ。
「…訊き返してしまうに決まってるだろう…。…すまない、悪いことを聞いた…」
 プッと、項垂れるのを笑っているらしき声に、眉をひそめながら顔を上げる。
「いや、ほんとにもうずいぶん前の話だからな。構わねえよ」
「どんな女性だったんだ? 聞いてもよければだが」
「ああ。んー。気の強えチビだな」
「…お前、自分の奥方でもその言い方はな…」
 ははっと笑い飛ばす声に呆れながら、また待ち。
「子捨てが増えた頃に捨てられたのの一人で、っても、来た時はもうガキってほどじゃなかったかな。生まれつき足が悪くて、おまけに病持ちで身体も弱えもんだから、食い扶持減らしに山に置いてかれたそうだ」
 そうか、と、頷いて。ふいに、この家が、ろくに居着かないアギレオ一人にしては、大きなものなのかもしれないと思い当たる。
「まあー、身体が動かねえ分なのか、火の玉みてえな女で。そんでも、気が強えだけで気立てはよくって、こいつのどこが弱えんだと思ってたら、なるほど、一緒になって二年もしねえ内に死んじまったなあ」
「…なあ。アギレオ」
「うん?」
 少し重そうになりながら向けられる目を、眉を下げて見つめ返す。
「お前、この家で私とこんなことをしていていいのか」
 ブッハッッッ!と、聞いたことがないほど盛大に噴き出されて、強風に吹かれたように目を眇めてしまう。
「おッ前ッ、いや、ほんとここに来たのが、あいつがいなくなってからでよかったなあ。そんなじゃ死ぬほどいいように使われるぜ」
「…どういうことだ……」
 それはどんな女性なんだ…、と、想像も及ばない鬼の奥方に頭を振る。
 笑う名残りのように表情を崩したまま、とろりと瞬き、欠伸しているアギレオに頬を緩め。閉じてしまう瞼を見つめる。
「そういえば、何故お前は、そうもこの砦を隠すことに拘るんだ? 国を守るべき立場にあった私が堂々と言うことではないが、その手の連中がひどく珍しいわけでもないのに」
 んー、と、半ば寝ているらしい応に、返答は見込めないだろうか、と、腕に顎を乗せ直して期待せず待ち。
「一回の取り分を増やして、交戦の回数を減らすためだ…。…ただの野盗ってのと違って、バケモンの出る峠にゃ近くのモンが寄りつかなくなって……」
「……なるほど…」
 正体の判らない恐ろしいものであり続けるために。
 眠ってしまったアギレオの顔を見つめながら、息を抜く。
 化け物などではないと明かさないことがもたらす効果について、しばし考え。焼き討ちに遭いかけたとも言っていたか。
 考えている内に、隣の寝息が誘う睡魔に導かれて、なんだか積もった疲労に任せて眠りに落ちた。
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