欠け神の宵契り

種田遠雷

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12、昔語り

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 いつもより遅い時間だが、ヨウエンとハイウが出勤してきて、レニは仰け反りそうになった。
「……お、……おはようございます。逆にうちの従業員、病気なんじゃないかと思えてきた……」
「お客様がいない内は仕事じゃないんで、可愛い妖精か何かだと思っといてください」
「愛想がない方の妖精だ……」
「僕は顔出しただけなんで、今日は帰ってシュカさん方式に変更です」
「名前を冠した方式が生まれた……」
 レニさん寝ていいですよ、とヨウエンが棚卸しを始め、ヨウエンさんと喋って帰ります、とハイウは手を振った。
「じゃあ、俺も眠くなるまで二人の話を聞いときます……」
 どうぞ、と和やかに、本当に放っておかれた。
 シオンランのことを尋ねるのはやめておいた。どこにあってどうなったのかは知れたし、正確にいつの出来事なのかは、少なくとも今それほど重要ではない。
 待合いの長椅子に腰掛け、滅多にない休日の袖寄屋をぼんやりと眺めた。
 何をするのかと見ていたヨウエンが、ハイウと世間話をしながら始めたのは、宿代の整理だ。
 元々国の端であるこの街には様々な国の通貨が流通する。両替商も当然あるが、替えないまま使えるものもあって、支払いに持ち込まれるものも多様だ。
 その上、奇妙な方の客は通貨ではなく貴金属や価値のある品で払っていくこともある。
 大した目利きではないレニやヨウエンで務まる程度には、専門でなければ判らないようなものを出さないくらいの節度は守られている。
 それにしても当然仕分けが必要であり、時々はレニがまとめて買い取りに持ち込むのだ。
 いや仕事だなそれ、と、やや苦笑いで見守る先で、広げられた宿代が帳場台を圧迫し、帳簿を押しやり、端にあった銀貨が流れるように床に落ちた。
『……この銀貨の価値は、判らなくても疑う必要はありません。いつか、自らその価値を示しま』
 場が凍りついて、シンと静まり返った。
「今、誰が喋った……?」
 互いに顔を見合わせ、首を横に振る。戸惑うような目配せを交わしてから、床に落ちた銀貨を一斉に見た。
「普通の銀貨に見えるけど……」
 慄いたハイウの言葉に、ヨウエンとレニはハッと顔を見合わせた。二人とも目を剥いている。
「や、……いやいやいや、確かにそうです。あの時もあのお客様、そうおっしゃったんです……」
「なんでしたっけ、誰でしたっけあれ。いつでしたっけ」
 レニが帳場台に飛びつき、ヨウエンがすごい速さで宿帳を捲る。銀貨を拾うハイウが、気持ち悪い! と、音を立てない銀貨に声を上げた。
「昔語り」
 ヨウエンとレニがその名前を読み上げる声が、ぴたりと揃った。

 昼前にシュカが現れ、もう少し遅れてヂエイがやってきて、この奇妙な銀貨の謎解きに皆で夢中になった。
「音がしねえ銀貨が音の代わりに喋るってこた……」
 ヂエイが首をひねる横で、それぞれが帳場台や床、椅子や、外に出てまで銀貨を落としてみるが、やはり音はしない。
「量の問題なんですかね?」
 ハイウが両手で抱えた銀貨を落とそうとして、外から戻ったシュカが、その後ろをすり抜けそびれた。
『……すから』
 ここにいない者の声に全員が振り返った先では、ハイウの肘に引っ掛かってしまったシュカが目と口を丸くしている。
「僕の方じゃないです……」
「私の方でした、多分!」
「なにが? なんで?」
「シュカさん、どうやったんですか?」
 ああでもない、こうでもないと試した結果、いくつか判明し、ちょっと落ち着きましょうとハイウがまかないを用意しに調理場に向かっていった。
 また皆で食卓を囲みながら、話題は当然、昔語りの銀貨で持ちきりになった。
「偶然。偶然ですね、要するに」
「どうもそうらしいけど、偶然物を落とすって難しいですよね」
「偶然なら難しかねえんだよ。わざと偶然やんのが難しいよな」
「わざとなら偶然じゃないですしね」
「でも、それなら価値は低いんですよ。意図しない偶然に、過去にあった声が聞こえるって理屈でしょ?」
「貴重っていや貴重じゃねえか?」
「いや、貴重といえば貴重、くらいにしてはあの方、自信たっぷりだったんですよ。だから普通に銀貨だと思ったくらいで」
「誰から見て偶然なのか……」
 唸るようなハイウの声に、皆がそのやたらに整った顔を見た。
 え、というように、ハイウが皆を見返し。
「あれ? あの、ああ例えばですね。僕がぶつかってシュカさんが銀貨を落としたでしょ。あの時、僕がわざとぶつかってたら? それも、銀貨を落とさせるためにって場合と、別の意図があった場合だったら? シュカさんがわざと落としたんじゃないのは同じですけど、僕の意図はどこまで絡むのかなと」
「頭いい……」
「咄嗟にその分岐思いつきます……?」
「へえ、考えも分岐って言うんだな」
「分かれ道、分かれ道のことですよね?」
 やってみたくなった、早く食べよう、とそれぞれに食事を急ぎはじめ、味わってくださいよとハイウが笑った。

 夕も暮れた帳場に昔語りの声が響き、袖寄屋一同は歓声を上げた。
 ハイウの挙げた例でいえば、シュカにぶつかるハイウは銀貨を落とさせようとしていては効果がないが、別の目的、例えば引き寄せようとうっかり腕を掴むのは、その振りだけでも偶然と見なされるようだった。
 失敗したり上手くいったりしながら、旅籠中で銀貨を落として回り。聞こえる声は、過去にその場所で話された声で、その場にいる誰かが気にかけていることに関係するらしいというのも判った。
 ひとしきり遊んで夜更けに解散となり、昨日と同じにヂエイが帳場を請け負ってくれた。自室に戻って着替え、レニは、はたと預かってきた銀貨の包みを見つめた。
 こことは限らない。どこなのかは判らないし、その声が拾える保証は何もない。
 だが、可能性は低くないのではないか。
 椅子に結び目を掛けてぶら下げた包みから、椅子の下のものを取ろうとして銀貨がこぼれる、という仕掛けを試行錯誤して作り上げ。
 偶然を装って肩で椅子を傾けた体勢のまま、レニはその声を聞いた。
『……返しておやりなさい。信仰を失えば神はただの力の塊に戻り、時間をかけて……』
 聞いたことのない声だ。だが、それだけで解った。
 これに間違いない。
 銀貨の枚数と共に途切れた声を求めて、仕掛けをやり直す。何度もやり直した。
『……元の場所に溶けて消えるでしょう』
『も、もう国には戻れねえ、ナルヌイ様もどこにおるのか……』
『では、海に流しなさい。これだけのもの、その神を引きつけ海に招くでしょう』
『……っ、おっ……お可哀想だ……わしらが神にして、わしらが負けた戦で、傷つかれた……っ、あの方、あの方だって、せっかく生まれてきなすったのに、用が済んだら破れた網みてえにほどいて捨てるんか……っ』
 やれやれと言うような、大きな溜息まで聞き取れた。
『わかりました。預かるだけは預かりましょう。ですが、これは私の得手ではない。知り合いの手も借りてみますが、それだけです。預かっておく以外の約束はできませんよ』
『あ、ありがてえ……! ありがてえ、ありがてえことです、旦那様っ』
 グズ、と鼻を鳴らす音。
『ナルヌイ様はね、あの方は俺らにとってほんとに大事な方なんです。遊んでいられンのはガキの頃だけだが、そんでもみんな、誰も、ナルヌイ様に可愛いがられなかったモンはいねえんですっ』
『ありがたい地主神ですね。神がみな優しいわけではないですから』
『そうなンッ、す。そうなんでずよッ。シオンランはもうダメだ、でもね、でも、生き残るモンがいんなら、なんか先行きは残った方がええでしょ、それが民でも神でも、それはそういうもん、ッ、でじょ……』
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