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第三章

10.傷

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 ルフト先生から真相を聞いた私たちは、何も言えなかった。
 いや、ジョシュア様はそんな力も残ってなかったのかもしれない。

 ルフト先生はリィナから、レミリー様を助けてやる代わりにソフィアを誘拐する協力をしろと持ちかけられた。自分にはあらゆる知識があって、レミリー様の傷も癒すことが出来る、と言われたらしい。

 レミリー様は数日前から酷い高熱を出していて、医者にはもう諦めた方が良いと言われているような病状らしい。レミリー様を助けるのをどうしても諦められなかったルフト先生は、悩んだ挙句、ソフィアの誘拐に協力した、と話した。

 しかし、その後に何も出来ないようにと、学園の裏門から連れ出されたところで後ろから襲われ、この部屋に閉じ込められたとのことだった。明日の昼までここに居て、全てが上手く行けば、レミリー様を治してもらえると言われたらしい。

 ルフト先生はそれを淡々と話した。

 しかし、私にはその選択を酷く後悔しているように見えた。
 でも、レミリー様のことも諦めきれず、この場に留まっていたんだろう。

 部屋に沈黙が流れる。

 動かないジョシュア様と、ルフト様に向かい、私は口を開いた。

 「……ルフト先生。実は私にもリィナに似た能力があります。リィナと私は、この世界のことをお話として見たことがあるんです。」

 ジョシュア様の身体が僅かに動く。ルフト先生は意味がわからない様で訝しげに私を見る。

 「……一体何を言ってるんだ?」

 「物語の中で見たから、公にはなっていない魔宝のことを知っていたり、こういった隠し部屋を知っていたりします。

 そのお話の主人公はリィナで、ジョシュア様やルフト先生はリィナと恋愛をする人物として出てきます。だから、私やリィナはルフト先生の事情や人に話したことのない情報まで知っているんです。」

 「お前も出てくるのか?」

 「……いいえ。私はそのお話が始まる前に死んでいます。」

 「はっ……随分と面白い妄想だな。」

 ルフト先生は、鼻で笑う。
 私はルフト先生の反応も無視して話し続けた。

 「ここからはルフト先生にとっては、残念な知らせでしょうが、リィナはそのお話を知っているだけで、何か特別な能力があるわけではありません。人の病気を治すことも出来ません。お話の中で彼女が誰かを治癒するような描写は出てきません。

 それに……レミリー様も物語の中では、リィナが二年生に進級する前に亡くなります。リィナは…レミリー様を治すつもりも、治す術も無いと思います。

 ルフト先生は、レミリー様を弱みに取られ、利用されただけなんです。」

 私がそう言うと、先生は激昂した。

 「じゃあ…じゃあ、どうしろって言うんだよ?!
 なんで…なんでレミリーが死ななきゃいけないんだ!!
 それにお前が生きてるなら、レミリーが生きたっていいだろっ?!なんで、レミリーだけが死ななきゃいけない?!
 なんで、お前は生きてるんだよ?!!」

 恐ろしい顔でルフト先生は、私に言葉をぶつけた。

 「そ、それは……。」

 なんで、私は生きているのか……。
 あの時、夢を見たから?
 でも、そんなこと言っても夢を見させるなんて無理だ…。

 私は黙るしかなかった。

 ずっと動かなかったジョシュア様が口を開いた。

 「レミリー嬢の生死をアンナに責任転嫁するな。それはそっちの問題だろ。それにレミリー嬢を助けるからといって、ソフィアを犠牲にしていい理由にはならない。」

 その時、何か小さな白いものがジョシュア様にぶつかった。

 ひらりとジョシュア様の傍に落ちる。

 「……それ…!」

 それは、ジョシュアがユーリに渡した風魔法で使役している鳥の形をした紙だった。それには少し血が滲んでいた。

 ジョシュア様は、その瞳を濡らしながら、一言呟いた。

 「…ソフィアが…無事、だ…。」

 私も安心して、その場に座り込む。

 「良かったぁ…。」

 顔を覆って、私は泣いた。
 ……ルフト先生も静かに泣いていた。

 暫くの間、その部屋には私たち三人の泣く声が響いた。

 涙がようやく落ち着いてきた頃、ジョシュア様が立ち上がり、私の手を上に引き上げてくれる。気持ちと身体に鞭を打ち、勢いをつけて立ち上がる。

 よろめいた私をジョシュア様が支えてくれた。

 「アンナ、行けるか?」

 「はい。」

 真っ赤になっているであろう目をしっかり開き、ジョシュア様を見つめる。ジョシュア様の目の淵もまだ赤い。しかし、その瞳には輝きが戻っていた。

 「よし、行くぞ。」

 私の手を引いて歩き出そうとするジョシュア様だが、私はその手をキュッと握って止めた。

 「あ、ルフト先生は……。」

 ジョシュア様は、鋭い視線をルフト先生に向ける。

 「……ルフト、もう二度と俺たち兄妹の前に姿を現すな。
 そして、ここで教師などもう続けられると思うなよ。」

 顔を上げたルフト先生は、フッと笑った。

 「分かってるよ。」

 そう言ったルフト先生は、悲しげで…
 でも少し、清々しい顔をしていた。

 私たちはその場所を去り、公爵邸へ向かった。


   ◆ ◇ ◆


 ルデンス公爵邸へ着くと、ソフィアはスヤスヤとベッドで眠っていた。ベッドの周りには、ルデンス公爵夫妻と、ユーリがいる。

 部屋に入った私達に気付くと、ユーリは椅子から立ち上がった。
 私は、ソフィアのベッドの傍にジョシュア様と並んで立つ。

 ソフィアは、安心したように眠っている。
 真っ白で綺麗なソフィアのままだ。

 「ソフィア…、良かった。」

 ジョシュア様がソフィアの顔に手を伸ばし、目を細める。
 
 私も嬉しくて、安心して、あんなにさっき泣いたと言うのに、また涙が溢れてくる。

 公爵の話によると、医師からは特に身体に大きな問題は無いと診断されたらしい。手足に縛られた痕や、首に手をかけられた痕が残っているが、傷として残るほどのものじゃないとのことだった。途中でナルミナシスの花から出来た眠り薬を使用されたから、少し眠りが深くなるが、一過性のものだと話してくれた。

 公爵夫妻は立ち上がり、私の方へやって来た。

 夫人が私の手を握る。

 「アンナさん、ソフィアを一緒に探してくれて、本当にありがとう。」

 「い、いえ……、そんなの当たり前です。
 ソフィアは、私の一番の親友だから…。」

 私も夫人も涙しながら、互いに手を握り合う。
 夫人の後ろにいる公爵からも声が掛かる。

 「ありがとう。本当にソフィアは良いお友達を持った。
 今日はもう遅いし、疲れただろう?クウェス公爵には、私から連絡をしておくから、今日は是非、我が屋敷に泊まっていってほしい。」

 「そ、そんな、申し訳ないです…!」

 ソフィアのことが心配で屋敷まで押しかけてしまったが、そこまでご迷惑を掛けるつもりはなかった。私は慌てて断った。

 しかし、夫人はより強く私の手を握る。

 「ユーリ君にも泊まっていってもらうのよ。是非、ね?」

 その言葉を受けて、私は首を回して、ユーリを見つめた。

 「あ?あぁ、ソフィアが心配だからな。
 ご厚意に甘えさせて頂くことにしたんだ。」

 確かにまだ目は覚ましていないし、心配ではある。
 ……それにユーリもいるなら、と私はその申し出を受けることにした。

 「で……では……。お世話になります。」

 「良かった。では、あとで何かこの部屋に食べ物を持って来させよう。まだ暫くこの部屋にいるだろう?」

 公爵にそう問われた私たちは、即答する。

 「「はい。」」

 「ふふっ。ソフィアは本当に愛されてるわね。」

 夫人がクスクスと笑う隣で、公爵は少し複雑な表情だ。
 公爵はジョシュア様の隣まで行くと、肩に手を置いた。

 「ジョシュアもご苦労だったな。
 落ち着いたら、私のところに報告に来るように。」

 「はい、父上。」

 公爵夫妻は部屋を出て行った。

 ソフィアの手を離し、ジョシュア様はユーリに向かい合うと、深く深く頭を下げた。

 「ユーリ、本当にありがとう…。」

 「手柄は隠し部屋を突き止めたアンナだろ?俺じゃない。」

 ユーリはそう言って流そうとするが、今回ソフィアを助けることが出来たのは、完全にユーリの力だと私たちは知っていた。

 「確かにソフィアの居場所を教えてくれたのはアンナだ。
 しかし、ユーリでなければソフィアを助けられなかった。
 ここに来るまでに諜報部隊から連絡を受けたんだ。

 廃屋に潜んでいた者は、ほとんどが前科者でその人数は三十名弱。その中には手練の者も数多くいて、あの人数を一人で倒せるなんて信じられない、と舌を巻いてたぞ。魔力切れの俺が行ってもソフィアは助け出せなかっただろう。ユーリだから出来たことだ。」

 「いや…気付いたら戦いの中で魔法がたまたま使えるようになったから…運が良かっただけでー」

 その告白を聞いて、ジョシュア様は驚き…その後に笑った。

 「ククッ。…なるほど、な。」

 「…何がなるほどなんです?」

 私がそう尋ねるが、ジョシュア様は嬉しそうに笑うだけだ。

 「いいや、気にするな。」

 私とユーリは顔を見合わせて、首を傾げた。

 そういえば…改めて顔を見て気づいたのだが、ユーリは傷一つついていない。見えるところに傷や怪我は見当たらないようだった。

 「それにしても、そんな大勢を相手に無傷で生還するなんて、本当にユーリってすごいのね。」

 そうやって言うと、ユーリは顔を顰める。

 「はぁ?どこ見て無傷って言ってんだよ。手も足も胸も数太刀浴びてる。大体顔に大きな傷があるだろうがー

 って……あれ?」

 ユーリはペタペタと顔や手を触ったり、服を捲って何かを探してるようだった。

 「何してるの?」

 「嘘だろ…。いや、ここにでかい傷が…。
 でも、確かに痛みもねぇ。ここも…ここもだ…!」

 興奮したように全身を確かめていく。私から見えるユーリの肌には傷一つ付いていなかった。

 「どうした、ユーリ?」

 ジョシュア様が不思議そうにこっちを見ている。

 「俺がさっき負った傷が…全部治ってるんだ……。」

 ユーリがガバッと服を捲って私たちに見せるが、そこには綺麗に割れた腹筋が……。……見事だけど、見ているこっちが恥ずかしい。

 黙りこくる私たちに向かって、ユーリが訴える。

 「嘘じゃない!本当だ!!」

 「……ユーリ、それは確かか?」

 ジョシュア様が顎に手を当てながら、尋ねる。

 「あぁ!この頬にあった傷を付けた奴の顔まで覚えてる!
 ソフィアが起きたら確認してくれ、本当だから!」

 「ユーリがここに来るまでに身体接触した奴はいるか?」

 「え……いや、一人もいないけど……。
 ずっとソフィアを抱いて、ここまで来たから。」

 「……これは、大事件になるかもしれない。」

 ジョシュア様はそう言うと、眼鏡をグッと押し上げた。
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