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第3話 身も心もどしゃぶりの俺

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 おおげさな表現ではなくて、本当にバケツをひっくりかえしたようなどしゃぶりの雨の中を、俺はひとりで道の端を歩いていた。道といってもアスファルト舗装されていない農道で、あちこちがどろどろで足をとられて歩きにくかった。
 
 その上、どうにもこうにも今の俺の置かれている状況にはまったく現実感がなかった。かゆいから背中をかいてみても、なんだか自分の体のような気がしなかった。言葉にしがたいが、心が体になじんでいない、とでも言えば良いのだろうか。

 俺は黒いフードをかぶって傘がわりにしていたが、もはや全身ずぶぬれで限界だったので道の脇にそれて、大きな樹の下に入った。既にそこには先客たちがいて、旅人らしい姿の人物が何人か集まっていた。

「…か?」

 いきなり誰かに話しかけられて、俺はびっくりして相手を見あげた。雨音のせいなのか、それともまだあたらしい体に俺がなじんでいないのか、相手の声がききとりにくかった。

「…のか?」

「?」

「…から、…も雨やどりか、…聞いている!」

 相手はふつうの人間で、全身を濃紺のマントで包んでいた。いや、訂正。ぜんぜんふつうではなかった。俺よりもずっと若そうだし、背も高いし、身につけているものも高価に見えるし、なによりもその顔ときたらあまりにも整っていて、思わず俺は凝視してしまった。

「なんだ? 貴様は口がきけないのか?」

 俺はだんだんと相手の言葉が理解できるようになってきた。

「あ、は、はい。そうですね、雨やどりです、はい。」

「まったく、貴様は耳がとおいのか? まだ子どもなのに。」

 相手は無遠慮な性格なのか、俺のことをジロジロと見おろしてきた。失礼なやつだが、いきなり見知らぬ地で見知らぬ相手と面倒ごとを起こす勇気も体力も俺にはなかった。しかも今の俺には相手を見あげるくらいの背たけしかなかったのだ。その理由はあとで説明する。

「ほら、これで顔を拭け。それと、これでも飲め。あたたまるぞ。」

 相手がタオルと瓶を放り投げてきたので、俺は慌ててそれらをうけとった。タオルはきれいでフカフカで、瓶には赤い液体が入っていて、おそらくワインかなにかのお酒のようだった。
 だが、こいつ、なんでいきなり俺にこんなに親切なんだろう? なにか魂胆があるにちがいない。俺は警戒心まるだしだった。

「すみませんが、結構です。」

「なぜだ? 人は人の親切はうけいれるものだろう?」

「僕は未成年ですからお酒は飲めません。」

「ミセイネンとはなんだ?」

 俺はこの時、俺をここにおくりこんだ張本人、あの白衣の神さまのことを思い出していた。



「あなたが作った世界?」

「そうだ。おまえは耳がとおいのか? まあ、もう死んでるがな。」

 神さまはまたクックッとひとり笑いし、俺はこの神さまとかいうやつの無神経さにおおいに気分を害した。だが、立場的には俺は最悪に弱かった。もしもこいつ、神さまの機嫌をそこねたりしたら、せっかくの生き返るチャンスを逃しかねなかった。

「ええと、つまりこういうことですか? 俺はこのままの体で元の世界で生きかえることはできないと?」

「そのとおりだ。」

「俺がいたところ、俺の世界の家には帰れないのですか?」

「それはまあ、おまえさん次第だな。」

 神さまはまた意地悪そうにクックッと笑い、まるで悪役を演じるのを楽しんでいるベテラン俳優みたいだった。神さまが手をひとふりすると、いきなり空中になにかが現れた。

「うわわっ。ち、地球儀!? いや、大陸のかたちが変ですね?」

「あんた、いい反応をするのう。そう、ちがう。これは地球ではなく、ワシが作った世界だ。どうだ、美しいだろうが。」

 神さまは自画自賛でご満悦だったが、俺は腰を抜かしそうになった。このオヤジは今、なんて言った?
 「世界をつくった」だって?

「そんなことが本当にできるのですか?」

「そう驚かんでもいい。ワシは神だからな。まあ、これくらいはできてあたりまえだ。」

 そう言いながらも神さまのとくいげな様子になんだか腹が立つが、俺は顔には出さないように気をつけながら質問をつづけることにした。

「その世界って、どんなところなのですか?」

「こまかい奴だな。まあよくある、いわゆるファンタジー系ロールプレイングゲーム風の異世界ってやつだ。なんたらクエストみたいな。ま、行けばわかるさ。」

 かなりアバウトな神さまの説明に、俺はぜんぜん納得がいかなかったのでさらに質問を続けた。

「つまり、あなたが作ったその異世界に、俺にあたらしい体で生きかえって行けと、つまりそういうことですか?」

「ようやく理解したか。まったく、察しがわるい奴だなあ。」

「うーん…。」

 俺は腕組みをして考えこんでしまった。どうせ家には帰れない、家族にも会えないで生きかえる意味があるのだろうか。しかも、このいまいち信用できないオヤジのつくった異世界なんて、どんなところだかわかりはしなかった。そんな俺の迷いに感づいたのか、神さまがまたわけのわからないことを言い出した。

「そもそも、なぜそんなに元の世界に帰りたいのじゃ? そんなに家族に会いたいのか? なぜだ?」

「なぜって…。」

「会社はクソみたいな上司と部下だし、仕事もクソだし、どうせ奥さんとはレスだし、子どもたちとだってほとんど会話はなかろう? バカみたいな金額の住宅ローンだって死んだらはれて完済じゃないか。なぜだ? なぜ帰りたい? それほどまでに、家族というものはあんたにとって大切なものなのか?」

 いっきに神さまにたたみかけられて、俺は反論する機会を奪われて口をひらくことができなかった。神さまの言うことを全否定できない自分の情けなさを感じて、俺はうつむいてしまった。

「それは…わかりません…。」

「わからんのかい!? ふん、まあいいわい。それは生き返ってからじっくりと考えればよかろう。とりあえず、さっさといってこい。」

「え? まだ俺は返事をしていませんが。」

 俺の精いっぱいの抗議を神さまは完全に無視した。

「よいな、慎重かつ大胆に行動しろ。常に警戒をおこたるな。親切なやつ、特に美形なやつには気をつけろ。歯みがきを忘れるな。風呂に入れ。ま、冒険をたのしんでこい!」


 神さまが手をふると、急にひどいめまいがして、俺の意識は急速にうすれはじめ、底の知れない恐怖を感じた。なぜってそれは、俺がコロッケをのどにつめて死んだ時と同じようないやな感覚にものすごく似ていたからだった。
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