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暁の街(メリアルサーレ)~ ダルモサーレ ~ リダンサーレ
39. 藤ゆりの宿に行く
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※同日の芽芽視点に戻ります。
****************
ぽかぽか太陽とそよ風に揺られながら、終点に到着した。
「精霊の羽音が次、鳴るまでここで待つんだよ、いいね?」
御者のお兄さんが、わざわざ念押ししてくれる。『精霊の羽音』は、時計塔の鐘の音のことだ。どの街の広場にも必ずあって、ここみたいな街壁を超えた外側でも聞こえる仕組みらしい。
「アリガト」
ぺこりとお辞儀をした。
お腹が空いてきたので、荷物からウーナさんが作ってくれた焼きサンドイッチを取り出して頬張る。
濃い紫色のクルミが入った薄紫もち麦パン。両面に蝶々模様の焦げ目が付けてあった。
内側には青葉(緑じゃなくて青)の刻みハーブを混ぜた青いクリームチーズが塗られ、黄色の二十日大根と黄人参の発酵漬け、それからピンクペッパーみたいなスパイスをまぶした真っ赤な薫製肉が何枚も薄切りにして挟んである。
精霊四色のお餞別だ。しょっぱ味がちょうど良い。
愛は食べると元気が出る。
食事が終わって、しばらくすると従業員っぽい年輩の女性が通ったので、「トイレ!」と焦った声音でお願いして場所を案内してもらう。小屋の奥の個室に入ると、フィオをリュックから出した。
おトイレだけでなく、ちょこっとストレッチもしてもらってから、ふたたび外の停留所へ。
長椅子のような褐色の大きな一枚岩の上に腰かけ、何台かの馬車を見送っていると、親方みたいな貫録のあるおじさんがやってきて、一台の幌馬車に乗るように促された。
「めりあるされ?」
「そうだ、これに乗ったままで終点だからな?」
こくん、と頷いて、お礼を言う。新たな馬車代を渡そうとしたら、すでに受け取っていると言われてしまった。うう゛、どこまで優しいのだオルラさん。
手帳に『三泊四日分の宿泊代&食事代&馬車代……合計?』と書き加えておく。いつか鶴の恩返しが出来ますように、と願いをこめて千鳥文様で囲んでおいた。
さわやかな日差しが、幌馬車の天井を通して入り込んでくる。
いくつか駅を通過して、いったんお客が捌けたところで、今度はエトロゥマさんの作ってくれた紫カボチャと赤法蓮草のパイを戴く。青玉葱と青タイムと黄色のチーズも入っていて美味しい。
こっちのほうが小ぶりだけれど、初めての市場で親切な赤フグおじいさんがくれた売れ残りと同じ形だった。
今なら判る。風の日、風の精霊にちなんだ楓葉型だ。
おそらく卵黄を塗って照りを出した表面には、炒ったカボチャの種も載せてある。精霊四色を一粒ずつ。四葉のクローバーみたいな飾り方は、爺様によると『精霊十字』という紋様らしい。
幸運を願うしるしだ。
フィオには、リュックに入れた果物を中でお腹が空いたときに齧るように伝えてある。
食べて、動いて、しっかり体調管理して。
そしたらきっと青い馬の連峰まで辿り着く。絶対に。必ず。
居心地の良いあの家に戻りたくなる気持ちを押し殺して、何度も何度もパイを噛みしめた。
みんなから貰ったパワーでフィオを助けるのだ。
****************
メリアルサーレに到着した。
他のお客の様子をこっそり観察したら、街壁の正門で止まりもせずに皆さくさく歩いていく。ちょうど同じ頃に何台か、他の馬車から降りてきたお客が結構いたので、その中に紛れ込んだ。
初の正門くぐりで心臓バクバクだったけれど、門番に呼び止められることはなかった。
というか、大の男三人が横の詰所から出て、壁面にもたれておしゃべりしている。あれって……日光浴だよね、揃って太陽の方角を向いているし。
≪通行税を徴取していた時代が終わったとはいえ、幾らなんでも弛んどる!≫
爺様が憤慨していた。霊山の裏道の兵士も、小屋の中でまったりしてたな。ボードゲームを楽しんでいたんだっけ。
神殿のエリート魔導士が帝国と通じて戦争を画策中だってのに、いろんな意味で大丈夫かこの国。
≪でもまぁ、助かったからいいじゃない。それよりも、この街も赤土で赤石だね≫
≪うむ。同じく火の精霊の加護を受けた中央高地の東側の端ということで、『暁の街』なのじゃ≫
説明を聞きながら、濃淡の丸い赤小石が敷き詰められた石畳をしばし歩く。これから先は土質と海抜が変わるらしい。
「コレ……ソウソウ……アリガト」
道行く人に木製葉書の住所を見せては方向を指さしてもらい、目的の宿が並ぶ通りまでなんとか来れた。
途中で八百屋も発見してフィオ用の果物も購入したし、雑貨屋さんみたいな所で折り畳み傘と小さな瓶も見つけた。
コルクの蓋が付いた瓶は、フィオがリュックの中でもよおしたときの緊急避難対策。身動きのとれない馬車で何かあったら大変だもの。
細かい点まで気がつけたし、今日も幸先が良い。
この街を守護している上の方へ、そっと手を合わせる。
目を開けると、一軒だけ色味の違う家を向こうに発見した。ヨーロッパ中世のような、濃い紅色の漆喰で彩られたハーフティンバー構造の商店が並ぶ中、淡いラベンダー色の漆喰が黒ずんだ木の梁や柱の間を埋めている。
一階と二階の間、窓と等間隔にぶら下がった木の看板が、どれも宿であることを示す六角形。オルラさんたちが紹介してくれた『藤ゆりの宿』だ。
どの宿も花の名前を入れるらしい。そして精霊四色にちなんだ色を一つ。
だからだろう。看板の真ん中には、藤色の百合が描かれている。
ステンドグラスの窓も基調が紫色で、アールヌーボーちっくな曲線の女性らしい雰囲気。うん、悪くなさそう。
ホテルっていうよりも、B&Bのお洒落な民家って感じかな。窓越しに覗いた感じでは、一階手前が飲食を提供するカフェみたいなスペース。
なぜだかエラく重たい玄関扉を全身で押して抉じ開け、宿屋の女将さんが陣取る奥のカウンターへ行く。
「いらっしゃぁぁい」
藤色の細身のドレスに身を包んだ濃紫の髪の美女。薄っすら紫の肌は、近づくと目じりに皺が浮かぶ。実際の年齢は多分かなり上かな。年季の入った色っぽい仕草が、周囲のムキムキマッチョな男性客をメロメロにしていた。
いわゆる『年齢不詳の美魔女』と形容できそうな女性である。初めて生で目撃したぞ。
紫の布を張った長椅子や、一人掛けの木椅子に座った男性陣が四名。お酒を片手に、女将さんの気を引こうとしきりに話しかけている。女将さんはそのつどやんわりと断って、まっすぐ私に向き直り、魅惑的な微笑みを惜しげもなく披露してくださった。
口元の紫ホクロが色っぽさをより強調して、女の私までドキドキしてしまう。確かに黒でも焦げ茶色でもなくて濃い紫だけど、そんなにホクロを凝視しちゃ駄目だってば私。
「どうしたのかしらぁ?」
犬のカチューシャは外で待機なので、現在の通訳担当は爺様。これがなかなかに雰囲気が出ている。爺様に念話で≪流石!≫と喝采を送ったら、心外だったらしく≪そのまんま念話にしただけだ≫と不機嫌な声で弁明されてしまった。
いや別にオカマさん認定したんじゃなくて、純粋に褒めたのだけど難しいな。
≪どうせ褒めるのなら、魔術の秀逸さを褒めろ≫
そこかい。
≪……爺様の魔術、知らないし。あ、そっか、霊山結界の穴。あれはすごかった、天才!≫
リュックの中のフィオも≪うん、すごいと思う!≫とリピートして援護射撃してくれる。おかげで爺様の機嫌が直ったようだ、良かった。
「**********」
女将さんが怪訝そうに何か話しかけてきた。咄嗟に熊のぬいぐるみをちょいちょいと引っ張ってみるが反応がないので、≪爺様!≫と念話でせっつく。
称賛に酔いまくってた爺様がだいぶ遅れて通訳してくれたところによると、単に『一人かどうか』を言い直しただけらしい。
慌てて頷いておいた。生きている人間は一人です、ハイ。
「誰かのお使いかしら? 違うの? 泊まりたいの? 一人で?」
首を左右に振り振り、お次は前後に振り振り。一つ一つの質問に無言で答えていく。
「うーん、うちは子どもはねぇ……」
しぶる美魔女さんに、慌てて木製の葉書を見せる。
「あらあらあら。シャイラとオルラの。あの二人の御両親はお元気そう?」
こくんと大きく頷く。『シャイラ』はオルラさんのお姉さんだ。
「犬も一緒ねぇ……外にいるの? まぁ、彼女たちの頼みだし……いいわ。連れてきなさいな」
精一杯の笑顔でお礼を言うと、カチューシャを呼びに外へ行く。
女王様はしゃなりしゃなりと行進すると、カウンターの前の床にちょこんとお行儀よく座った。なんだコレ、猫被りまくって一体どこのお貴族犬だ。
「まぁ! 大人しいわね」
いえ、数日前に不良の喉元噛み切って地獄に送ってます、約二名ほど。
――とは言えず、愛想笑いしながらカチューシャのモフ頭をなでておいた。
宿帳に、『メメ、旅芸人、南国』と書き込む。アイス棒で爺様に綴りを指定してもらい、オルラさん家で何度も練習したから間違えてないと思う。
出身地が『南国』なのは、国を特定しないほうがこちらの世界ではさすらいの旅芸人っぽいから。長年諸国を旅した爺様の経験上、ボカすほうがそれらしくなると言われた。
よくは解らないけれど、女将さんが得心顔で頷くということは正解なのだろう。
「メメさん、お食事はどうなさいます?」
えーと。語彙が限られているから、疑問詞を使った質問形は困る。とりあえず小首を傾げてみよう。
「お夕食は必要? 明日のご朝食は?」
はい・いいえで答える質問形に言い直してくれた。どちらもすかさず笑顔で頷いておく。
宿代は食事込みで犬同伴なのに、お友達価格でおまけしてもらえた。
お礼を言いながらお金を渡す。ずいぶん昔に竜騎士や魔導士が料金を踏み倒す事件が多発したせいで、前日に精算するのが一般的らしい。役人の中でもエリートだったはずなのだけど……伝統的に腐敗がすごくないか、この国。
小さい頃から、おじいちゃんと旅行するときは事前の手配がおじいちゃん。私が現地での受付の手続きや支払いをさせられたから、今回もそんなに緊張はしなかった。旅の間のお小遣い帳付け係にも任命されてたし。
どれも今こうして役に立っている。
****************
美魔女な女将さんに案内してもらったのは、三階のトイレ付き一人部屋だった。四隅の柱の天井近くに、オルラさん家と似たような守護板が貼りつけてある。でもこっちのほうが小さめ。やっぱり『竜騎士御殿』だったらしい。
一人になると、まずはリュックの口を開けてフィオが出れるようにした。さっき買った果物を詰め込んだ斜め掛け袋を渡し、緑頭巾コートを脱いだ私はごろんとベッドに仰向け状態。
――ほんのり菫の香りがする。
リュックの外に出て、身体をきゅこきゅこと動かすフィオが可愛い。黄色林檎一個を、一生懸命に袋から引っ張りだす姿が超可愛い。食べ終わったミニミニフィオが隣までぴょこぴょこ歩いて来て、私の真似して仰向けになったときのまんまるお腹が超絶可愛い。
絵本で言葉の勉強しなきゃ、と思うけど……瞼が重たくなってきた。
最近、慣れないことばかりで、自分の疲労度が麻痺してきてる。
馬車は座っているだけだから楽だと思ったのに、引っきりなしに知らない人が出たり入ったりして緊張したのかな。
そういや昔から人酔いする性質だったかも、とうつらうつら考えて――寝落ちしていくのに身を任せた。
****************
※お読みいただき、ありがとうございます。
もし宜しければ、感想をぜひお願いします。
「お気に入りに追加」だけでも押していただけると、嬉しいです!
すでに押してくださった皆様、感謝・感激・感無量です。
あなたの日々が愛と光で包まれますように。
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ぽかぽか太陽とそよ風に揺られながら、終点に到着した。
「精霊の羽音が次、鳴るまでここで待つんだよ、いいね?」
御者のお兄さんが、わざわざ念押ししてくれる。『精霊の羽音』は、時計塔の鐘の音のことだ。どの街の広場にも必ずあって、ここみたいな街壁を超えた外側でも聞こえる仕組みらしい。
「アリガト」
ぺこりとお辞儀をした。
お腹が空いてきたので、荷物からウーナさんが作ってくれた焼きサンドイッチを取り出して頬張る。
濃い紫色のクルミが入った薄紫もち麦パン。両面に蝶々模様の焦げ目が付けてあった。
内側には青葉(緑じゃなくて青)の刻みハーブを混ぜた青いクリームチーズが塗られ、黄色の二十日大根と黄人参の発酵漬け、それからピンクペッパーみたいなスパイスをまぶした真っ赤な薫製肉が何枚も薄切りにして挟んである。
精霊四色のお餞別だ。しょっぱ味がちょうど良い。
愛は食べると元気が出る。
食事が終わって、しばらくすると従業員っぽい年輩の女性が通ったので、「トイレ!」と焦った声音でお願いして場所を案内してもらう。小屋の奥の個室に入ると、フィオをリュックから出した。
おトイレだけでなく、ちょこっとストレッチもしてもらってから、ふたたび外の停留所へ。
長椅子のような褐色の大きな一枚岩の上に腰かけ、何台かの馬車を見送っていると、親方みたいな貫録のあるおじさんがやってきて、一台の幌馬車に乗るように促された。
「めりあるされ?」
「そうだ、これに乗ったままで終点だからな?」
こくん、と頷いて、お礼を言う。新たな馬車代を渡そうとしたら、すでに受け取っていると言われてしまった。うう゛、どこまで優しいのだオルラさん。
手帳に『三泊四日分の宿泊代&食事代&馬車代……合計?』と書き加えておく。いつか鶴の恩返しが出来ますように、と願いをこめて千鳥文様で囲んでおいた。
さわやかな日差しが、幌馬車の天井を通して入り込んでくる。
いくつか駅を通過して、いったんお客が捌けたところで、今度はエトロゥマさんの作ってくれた紫カボチャと赤法蓮草のパイを戴く。青玉葱と青タイムと黄色のチーズも入っていて美味しい。
こっちのほうが小ぶりだけれど、初めての市場で親切な赤フグおじいさんがくれた売れ残りと同じ形だった。
今なら判る。風の日、風の精霊にちなんだ楓葉型だ。
おそらく卵黄を塗って照りを出した表面には、炒ったカボチャの種も載せてある。精霊四色を一粒ずつ。四葉のクローバーみたいな飾り方は、爺様によると『精霊十字』という紋様らしい。
幸運を願うしるしだ。
フィオには、リュックに入れた果物を中でお腹が空いたときに齧るように伝えてある。
食べて、動いて、しっかり体調管理して。
そしたらきっと青い馬の連峰まで辿り着く。絶対に。必ず。
居心地の良いあの家に戻りたくなる気持ちを押し殺して、何度も何度もパイを噛みしめた。
みんなから貰ったパワーでフィオを助けるのだ。
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メリアルサーレに到着した。
他のお客の様子をこっそり観察したら、街壁の正門で止まりもせずに皆さくさく歩いていく。ちょうど同じ頃に何台か、他の馬車から降りてきたお客が結構いたので、その中に紛れ込んだ。
初の正門くぐりで心臓バクバクだったけれど、門番に呼び止められることはなかった。
というか、大の男三人が横の詰所から出て、壁面にもたれておしゃべりしている。あれって……日光浴だよね、揃って太陽の方角を向いているし。
≪通行税を徴取していた時代が終わったとはいえ、幾らなんでも弛んどる!≫
爺様が憤慨していた。霊山の裏道の兵士も、小屋の中でまったりしてたな。ボードゲームを楽しんでいたんだっけ。
神殿のエリート魔導士が帝国と通じて戦争を画策中だってのに、いろんな意味で大丈夫かこの国。
≪でもまぁ、助かったからいいじゃない。それよりも、この街も赤土で赤石だね≫
≪うむ。同じく火の精霊の加護を受けた中央高地の東側の端ということで、『暁の街』なのじゃ≫
説明を聞きながら、濃淡の丸い赤小石が敷き詰められた石畳をしばし歩く。これから先は土質と海抜が変わるらしい。
「コレ……ソウソウ……アリガト」
道行く人に木製葉書の住所を見せては方向を指さしてもらい、目的の宿が並ぶ通りまでなんとか来れた。
途中で八百屋も発見してフィオ用の果物も購入したし、雑貨屋さんみたいな所で折り畳み傘と小さな瓶も見つけた。
コルクの蓋が付いた瓶は、フィオがリュックの中でもよおしたときの緊急避難対策。身動きのとれない馬車で何かあったら大変だもの。
細かい点まで気がつけたし、今日も幸先が良い。
この街を守護している上の方へ、そっと手を合わせる。
目を開けると、一軒だけ色味の違う家を向こうに発見した。ヨーロッパ中世のような、濃い紅色の漆喰で彩られたハーフティンバー構造の商店が並ぶ中、淡いラベンダー色の漆喰が黒ずんだ木の梁や柱の間を埋めている。
一階と二階の間、窓と等間隔にぶら下がった木の看板が、どれも宿であることを示す六角形。オルラさんたちが紹介してくれた『藤ゆりの宿』だ。
どの宿も花の名前を入れるらしい。そして精霊四色にちなんだ色を一つ。
だからだろう。看板の真ん中には、藤色の百合が描かれている。
ステンドグラスの窓も基調が紫色で、アールヌーボーちっくな曲線の女性らしい雰囲気。うん、悪くなさそう。
ホテルっていうよりも、B&Bのお洒落な民家って感じかな。窓越しに覗いた感じでは、一階手前が飲食を提供するカフェみたいなスペース。
なぜだかエラく重たい玄関扉を全身で押して抉じ開け、宿屋の女将さんが陣取る奥のカウンターへ行く。
「いらっしゃぁぁい」
藤色の細身のドレスに身を包んだ濃紫の髪の美女。薄っすら紫の肌は、近づくと目じりに皺が浮かぶ。実際の年齢は多分かなり上かな。年季の入った色っぽい仕草が、周囲のムキムキマッチョな男性客をメロメロにしていた。
いわゆる『年齢不詳の美魔女』と形容できそうな女性である。初めて生で目撃したぞ。
紫の布を張った長椅子や、一人掛けの木椅子に座った男性陣が四名。お酒を片手に、女将さんの気を引こうとしきりに話しかけている。女将さんはそのつどやんわりと断って、まっすぐ私に向き直り、魅惑的な微笑みを惜しげもなく披露してくださった。
口元の紫ホクロが色っぽさをより強調して、女の私までドキドキしてしまう。確かに黒でも焦げ茶色でもなくて濃い紫だけど、そんなにホクロを凝視しちゃ駄目だってば私。
「どうしたのかしらぁ?」
犬のカチューシャは外で待機なので、現在の通訳担当は爺様。これがなかなかに雰囲気が出ている。爺様に念話で≪流石!≫と喝采を送ったら、心外だったらしく≪そのまんま念話にしただけだ≫と不機嫌な声で弁明されてしまった。
いや別にオカマさん認定したんじゃなくて、純粋に褒めたのだけど難しいな。
≪どうせ褒めるのなら、魔術の秀逸さを褒めろ≫
そこかい。
≪……爺様の魔術、知らないし。あ、そっか、霊山結界の穴。あれはすごかった、天才!≫
リュックの中のフィオも≪うん、すごいと思う!≫とリピートして援護射撃してくれる。おかげで爺様の機嫌が直ったようだ、良かった。
「**********」
女将さんが怪訝そうに何か話しかけてきた。咄嗟に熊のぬいぐるみをちょいちょいと引っ張ってみるが反応がないので、≪爺様!≫と念話でせっつく。
称賛に酔いまくってた爺様がだいぶ遅れて通訳してくれたところによると、単に『一人かどうか』を言い直しただけらしい。
慌てて頷いておいた。生きている人間は一人です、ハイ。
「誰かのお使いかしら? 違うの? 泊まりたいの? 一人で?」
首を左右に振り振り、お次は前後に振り振り。一つ一つの質問に無言で答えていく。
「うーん、うちは子どもはねぇ……」
しぶる美魔女さんに、慌てて木製の葉書を見せる。
「あらあらあら。シャイラとオルラの。あの二人の御両親はお元気そう?」
こくんと大きく頷く。『シャイラ』はオルラさんのお姉さんだ。
「犬も一緒ねぇ……外にいるの? まぁ、彼女たちの頼みだし……いいわ。連れてきなさいな」
精一杯の笑顔でお礼を言うと、カチューシャを呼びに外へ行く。
女王様はしゃなりしゃなりと行進すると、カウンターの前の床にちょこんとお行儀よく座った。なんだコレ、猫被りまくって一体どこのお貴族犬だ。
「まぁ! 大人しいわね」
いえ、数日前に不良の喉元噛み切って地獄に送ってます、約二名ほど。
――とは言えず、愛想笑いしながらカチューシャのモフ頭をなでておいた。
宿帳に、『メメ、旅芸人、南国』と書き込む。アイス棒で爺様に綴りを指定してもらい、オルラさん家で何度も練習したから間違えてないと思う。
出身地が『南国』なのは、国を特定しないほうがこちらの世界ではさすらいの旅芸人っぽいから。長年諸国を旅した爺様の経験上、ボカすほうがそれらしくなると言われた。
よくは解らないけれど、女将さんが得心顔で頷くということは正解なのだろう。
「メメさん、お食事はどうなさいます?」
えーと。語彙が限られているから、疑問詞を使った質問形は困る。とりあえず小首を傾げてみよう。
「お夕食は必要? 明日のご朝食は?」
はい・いいえで答える質問形に言い直してくれた。どちらもすかさず笑顔で頷いておく。
宿代は食事込みで犬同伴なのに、お友達価格でおまけしてもらえた。
お礼を言いながらお金を渡す。ずいぶん昔に竜騎士や魔導士が料金を踏み倒す事件が多発したせいで、前日に精算するのが一般的らしい。役人の中でもエリートだったはずなのだけど……伝統的に腐敗がすごくないか、この国。
小さい頃から、おじいちゃんと旅行するときは事前の手配がおじいちゃん。私が現地での受付の手続きや支払いをさせられたから、今回もそんなに緊張はしなかった。旅の間のお小遣い帳付け係にも任命されてたし。
どれも今こうして役に立っている。
****************
美魔女な女将さんに案内してもらったのは、三階のトイレ付き一人部屋だった。四隅の柱の天井近くに、オルラさん家と似たような守護板が貼りつけてある。でもこっちのほうが小さめ。やっぱり『竜騎士御殿』だったらしい。
一人になると、まずはリュックの口を開けてフィオが出れるようにした。さっき買った果物を詰め込んだ斜め掛け袋を渡し、緑頭巾コートを脱いだ私はごろんとベッドに仰向け状態。
――ほんのり菫の香りがする。
リュックの外に出て、身体をきゅこきゅこと動かすフィオが可愛い。黄色林檎一個を、一生懸命に袋から引っ張りだす姿が超可愛い。食べ終わったミニミニフィオが隣までぴょこぴょこ歩いて来て、私の真似して仰向けになったときのまんまるお腹が超絶可愛い。
絵本で言葉の勉強しなきゃ、と思うけど……瞼が重たくなってきた。
最近、慣れないことばかりで、自分の疲労度が麻痺してきてる。
馬車は座っているだけだから楽だと思ったのに、引っきりなしに知らない人が出たり入ったりして緊張したのかな。
そういや昔から人酔いする性質だったかも、とうつらうつら考えて――寝落ちしていくのに身を任せた。
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