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灰色の街(ロザルサーレ)
64. 水と火の夢を見る (16日目)
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※夢の中の芽芽視点に戻ります。
****************
四色四つの月に照らされ、黒光りする大きな鱗。苦しそうだった息遣いも、身体の震えも小さくなっていく。
周囲を背の高い松の木立に囲まれた山奥で、巨体をひっそりと大地に横たえた黒竜は、眠るように息を引き取った。
私はその横に座り込んで、ぴたりと身体を寄せ、手の平で大きな大きな首筋をずっとなでつづける。
――ごめんね、ありがとう。
出会ったのは、数年前。お互い、奴隷としてこの国に連れて来られたのが始まりだった。
すでに英雄として名の知られた将軍は、私のような子どもには逃げる当てもないと高を括ったのだろう。あるいは、魔導士に支払う手間賃を惜しんだのかもしれない。
傍に侍らせる妙齢の女奴隷たちのような、魔術による奴隷契約を結ばされることもなく、下働きとして竜舎に放り込まれた。
竜といえば、村のみんなを殺した恐ろしい化け物だ。母に怒られ、村はずれの花畑の中で不貞腐れていたら、突如大きな影が何体も空をよぎった。逃げまとう村人を、竜から降り立った竜騎士たちが次々と斬っていく。
私は自分よりも背の高い花の中で動くことも出来ず、目の前の悪夢が終わるまで呆然としていた。
しばらくして、隣の国の奴隷商人に見つかり、そこからは『物』としてあちこちを転々として、気がついたら言葉も解らない北の果ての国。
最初は、自分が餌にされたのだと思った。全身傷だらけの黒い竜は、それまで目撃した竜たちよりもずっとずっと大きくて、少し動いただけでも竜舎が軋む。
他の使用人に掃除道具を乱暴に押しつけられて、早く行けとばかりに何度も棒で叩かれて、ようやく自分の仕事がこの竜の世話なのだと理解した。
別にいつ食べられてもいい。そう思っていたのに、竜は人間にはまったく興味を示さず、いつも虚ろな目で竜舎の小さな天窓に映る空を眺めている。
何回か将軍が誇らしげに騎乗する様子を見て、囲われた女奴隷よりも遥かに強力な契約で竜が拘束されていることを知った。
竜が嫌がって抵抗するたび、体内で攻撃魔術が発動するらしく、悲痛な叫び声を上げていたから。痛みにのた打ち回る竜の姿を、将軍は楽しそうに見下ろしている。
これが、この国の『英雄』。
少しずつ、少しずつ、氷のように時の止まったはずの心が、怒りの炎に染まっていった。
ある日、将軍が竜舎にやって来た。王都に攻め込んだ敵を迎え討つのかと思ったら、尻尾を巻いて逃げるらしい。
大きな荷物を運んできた従者は、乱暴にそれを私へ渡した。よろめきながら竜の背に登って、重たい荷箱を鞍に括りつけていると、従者がまくしたてていた訳の解らない北の言葉が急に止まった。下を見ると、大量の血を流してぴくぴくしてる。
その横では、剣を握った将軍が自分も藁まみれになったと悪態をついていた。勢いあまって、バケツや縄に足を取られてしまったようだ。
私は無言で鞍と荷物を結んでいた帯紐を外した。地面に転がる将軍の頭上めがけて、いくつもの重たい貴金属が落下する。竜から降りた私は、気絶した将軍の心臓を、その手元の鋭利な剣で躊躇うことなく貫いた。
そこからは、あまりよく覚えていない。とにかく黒竜を逃がさなきゃ、としか考えてなかった。
魔術なんて使えないから飛ぶことは無理だけど、ずっと世話してきたから背中に乗るのは慣れている。鞍がなくても平気だ。黒い竜の背につかまり、火に包まれた王都から、魔獣の住処と噂された裏山へと一緒に移動した。
これで、この竜は自由になれたのだと単純に考えていた。
でも様子がおかしい。ずっと元気がない。なんだか日に日に弱っていく。
――ごめんね、病気を治してあげられなくて。
鱗がすっかり冷たくなってしまった。私の腕の中では、大きな光の玉が寂しく輝いている。
竜は番と出会ったとき、小さい頃から体内で自分の魔力を注いで作りつづけた分身を交換する。一生でたった一度しか出来ない尊い竜珠。
私と同じ国から連れて来られた皺だらけのお婆さんが、冷たい水で主の服を洗いながら教えてくれた。
なぜそれが、この手元にあるのか解らない。歩くことも出来なくなった竜が、体内からこの珠を出すと、私に押しつけてきたのだ。
そして長く鋭い爪を一本立てて、トントンと地面を叩く。そっちは知っている。歌が聴きたいときの合図。
竜舎に近寄りたがる使用人はいない。避けられない用事があるとき、どうしても行かざるを得ないときですら、遠くの鐘を鳴らして私を呼びつけるのだ。
だから私は竜舎で、黒竜を相手に沢山おしゃべりした。竜が人の言葉を理解できなかったとしても構わない。気持ちはきっと伝わるし、心は繋がっているから。
村に春が訪れると、我先に咲き誇る色とりどりの小花のこと。
夏の太陽を浴びて輝く、大輪の花木のこと。
秋の風に優しくそよぐ、背の高い花畑のこと。
冬の寒さに負けず、凛と首をもたげる球根花のこと。
私の村には季節ごと、一つひとつの花に捧げる歌がある。一つひとつ唄ってみせた。
時おり歌が終わると、それまでの歌の拍子に合わせるように、竜が指をトントンと動かすことがあった。
何度か繰り返すうちに、どうやら『もっと歌を唄ってくれ』という意味ではないかと思い至る。試しにまた唄うと、うれしそうに目を細めた。
それからは、私たち二人の秘密の合図。
誰もいない鬱蒼とした山の中、紅葉で色づいた蔦を身にまとった木立が並ぶ。私は春の花の歌を唄いだした。それから夏の花の歌を唄って、ちょっと休憩して、秋の花。
唄いながら、横たわったままの竜の首を優しくなでる。黒竜はね、ここをなでられるのが好きなのだ。
次に冬の花の歌を口遊もうとして、ようやく手の先の体温がどんどん失われていくのに気がついた。
それでも頑張って唄ったら、奇跡が起きるんじゃないか。一縷の望みに縋りつくように唄ってみたけれど、苦しそうに絞り出していた呼吸の音がもう聴こえない。
村では人が死んだら、夜空に浮かぶ四つの月のどれかに帰るのだと言っていた。
赤い月には春の花。黄色の月には夏の花。青い月には秋の花。紫の月には冬の花。その月に咲き溢れる天の花を手入れしながら、また地上に生まれるまでの時間を過ごすのだと。
この竜はどの季節に生まれたのだろう。
誕生月でどの月に戻るか判るはずなのだけど、もしかしたら竜は鱗の色で決まるのだろうか。黒は一体どの月なのだろう。
竜の首元にもたれかかりながら、私たちを照らす四つの月を見上げてみる。
お月様、私の竜を返して。それが無理なら、私も一緒の月に連れて行って。
キラキラと輝く竜珠とぎゅっと抱きしめ、月をしつこく見つづける。すると、いじわるな雲がやって来て、どんどん空からも光が消えてしまう。
――うん、解ってた。私は運に見放されているから、願いなんて叶った試しがない。期待なんかしてなかったけど、毎日こんなに頑張ってるんだもん。私、ちゃんと我慢しているよ。だから。
せめて、たった一つくらいは叶ったっていいじゃないか。
頬を伝った涙もすっかり乾いた頃、白い雪が舞うように落ちて来た。口の中に入った欠片が融けて水となる。なんでだろう、不思議と寒くない。
ああそうか、周りに火が灯っているからだ。まるで赤い魚。村の池に咲いた睡蓮の合間を、するりするりと泳いでいた魚だ。炎が尾ひれの先のように閃いて……キレイ。
口を開けると、また雪が融けて、喉を潤す。なんて甘くて美味しい。
この国に売られて来た年、初めて積もった雪を見た。村では『トンボの悪戯』だって呼んでいた。
まれに薄っすら降ったとしても、お日様の熱で融けてしまう。秋に去ってしまった青トンボの置き土産、白い花びらの幻影。
やがて私の周りで、赤魚と青トンボがくるくると踊りだす。ほんのり光る竜珠に照らされ、赤と青が交互に回る。
帰る家はとうの昔に消えた。寄り添う友も去ってしまった。なんでそれでも息しなきゃいけないんだろう。
ひとりぼっちのこんな世界にどれほどの価値があるというの。
――ねぇ誰か、教えてよ。
両腕の中の竜珠に包まれて、そのまま私は目を閉じた。
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今日も明日も、太陽のように元気に過ごせますように。
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四色四つの月に照らされ、黒光りする大きな鱗。苦しそうだった息遣いも、身体の震えも小さくなっていく。
周囲を背の高い松の木立に囲まれた山奥で、巨体をひっそりと大地に横たえた黒竜は、眠るように息を引き取った。
私はその横に座り込んで、ぴたりと身体を寄せ、手の平で大きな大きな首筋をずっとなでつづける。
――ごめんね、ありがとう。
出会ったのは、数年前。お互い、奴隷としてこの国に連れて来られたのが始まりだった。
すでに英雄として名の知られた将軍は、私のような子どもには逃げる当てもないと高を括ったのだろう。あるいは、魔導士に支払う手間賃を惜しんだのかもしれない。
傍に侍らせる妙齢の女奴隷たちのような、魔術による奴隷契約を結ばされることもなく、下働きとして竜舎に放り込まれた。
竜といえば、村のみんなを殺した恐ろしい化け物だ。母に怒られ、村はずれの花畑の中で不貞腐れていたら、突如大きな影が何体も空をよぎった。逃げまとう村人を、竜から降り立った竜騎士たちが次々と斬っていく。
私は自分よりも背の高い花の中で動くことも出来ず、目の前の悪夢が終わるまで呆然としていた。
しばらくして、隣の国の奴隷商人に見つかり、そこからは『物』としてあちこちを転々として、気がついたら言葉も解らない北の果ての国。
最初は、自分が餌にされたのだと思った。全身傷だらけの黒い竜は、それまで目撃した竜たちよりもずっとずっと大きくて、少し動いただけでも竜舎が軋む。
他の使用人に掃除道具を乱暴に押しつけられて、早く行けとばかりに何度も棒で叩かれて、ようやく自分の仕事がこの竜の世話なのだと理解した。
別にいつ食べられてもいい。そう思っていたのに、竜は人間にはまったく興味を示さず、いつも虚ろな目で竜舎の小さな天窓に映る空を眺めている。
何回か将軍が誇らしげに騎乗する様子を見て、囲われた女奴隷よりも遥かに強力な契約で竜が拘束されていることを知った。
竜が嫌がって抵抗するたび、体内で攻撃魔術が発動するらしく、悲痛な叫び声を上げていたから。痛みにのた打ち回る竜の姿を、将軍は楽しそうに見下ろしている。
これが、この国の『英雄』。
少しずつ、少しずつ、氷のように時の止まったはずの心が、怒りの炎に染まっていった。
ある日、将軍が竜舎にやって来た。王都に攻め込んだ敵を迎え討つのかと思ったら、尻尾を巻いて逃げるらしい。
大きな荷物を運んできた従者は、乱暴にそれを私へ渡した。よろめきながら竜の背に登って、重たい荷箱を鞍に括りつけていると、従者がまくしたてていた訳の解らない北の言葉が急に止まった。下を見ると、大量の血を流してぴくぴくしてる。
その横では、剣を握った将軍が自分も藁まみれになったと悪態をついていた。勢いあまって、バケツや縄に足を取られてしまったようだ。
私は無言で鞍と荷物を結んでいた帯紐を外した。地面に転がる将軍の頭上めがけて、いくつもの重たい貴金属が落下する。竜から降りた私は、気絶した将軍の心臓を、その手元の鋭利な剣で躊躇うことなく貫いた。
そこからは、あまりよく覚えていない。とにかく黒竜を逃がさなきゃ、としか考えてなかった。
魔術なんて使えないから飛ぶことは無理だけど、ずっと世話してきたから背中に乗るのは慣れている。鞍がなくても平気だ。黒い竜の背につかまり、火に包まれた王都から、魔獣の住処と噂された裏山へと一緒に移動した。
これで、この竜は自由になれたのだと単純に考えていた。
でも様子がおかしい。ずっと元気がない。なんだか日に日に弱っていく。
――ごめんね、病気を治してあげられなくて。
鱗がすっかり冷たくなってしまった。私の腕の中では、大きな光の玉が寂しく輝いている。
竜は番と出会ったとき、小さい頃から体内で自分の魔力を注いで作りつづけた分身を交換する。一生でたった一度しか出来ない尊い竜珠。
私と同じ国から連れて来られた皺だらけのお婆さんが、冷たい水で主の服を洗いながら教えてくれた。
なぜそれが、この手元にあるのか解らない。歩くことも出来なくなった竜が、体内からこの珠を出すと、私に押しつけてきたのだ。
そして長く鋭い爪を一本立てて、トントンと地面を叩く。そっちは知っている。歌が聴きたいときの合図。
竜舎に近寄りたがる使用人はいない。避けられない用事があるとき、どうしても行かざるを得ないときですら、遠くの鐘を鳴らして私を呼びつけるのだ。
だから私は竜舎で、黒竜を相手に沢山おしゃべりした。竜が人の言葉を理解できなかったとしても構わない。気持ちはきっと伝わるし、心は繋がっているから。
村に春が訪れると、我先に咲き誇る色とりどりの小花のこと。
夏の太陽を浴びて輝く、大輪の花木のこと。
秋の風に優しくそよぐ、背の高い花畑のこと。
冬の寒さに負けず、凛と首をもたげる球根花のこと。
私の村には季節ごと、一つひとつの花に捧げる歌がある。一つひとつ唄ってみせた。
時おり歌が終わると、それまでの歌の拍子に合わせるように、竜が指をトントンと動かすことがあった。
何度か繰り返すうちに、どうやら『もっと歌を唄ってくれ』という意味ではないかと思い至る。試しにまた唄うと、うれしそうに目を細めた。
それからは、私たち二人の秘密の合図。
誰もいない鬱蒼とした山の中、紅葉で色づいた蔦を身にまとった木立が並ぶ。私は春の花の歌を唄いだした。それから夏の花の歌を唄って、ちょっと休憩して、秋の花。
唄いながら、横たわったままの竜の首を優しくなでる。黒竜はね、ここをなでられるのが好きなのだ。
次に冬の花の歌を口遊もうとして、ようやく手の先の体温がどんどん失われていくのに気がついた。
それでも頑張って唄ったら、奇跡が起きるんじゃないか。一縷の望みに縋りつくように唄ってみたけれど、苦しそうに絞り出していた呼吸の音がもう聴こえない。
村では人が死んだら、夜空に浮かぶ四つの月のどれかに帰るのだと言っていた。
赤い月には春の花。黄色の月には夏の花。青い月には秋の花。紫の月には冬の花。その月に咲き溢れる天の花を手入れしながら、また地上に生まれるまでの時間を過ごすのだと。
この竜はどの季節に生まれたのだろう。
誕生月でどの月に戻るか判るはずなのだけど、もしかしたら竜は鱗の色で決まるのだろうか。黒は一体どの月なのだろう。
竜の首元にもたれかかりながら、私たちを照らす四つの月を見上げてみる。
お月様、私の竜を返して。それが無理なら、私も一緒の月に連れて行って。
キラキラと輝く竜珠とぎゅっと抱きしめ、月をしつこく見つづける。すると、いじわるな雲がやって来て、どんどん空からも光が消えてしまう。
――うん、解ってた。私は運に見放されているから、願いなんて叶った試しがない。期待なんかしてなかったけど、毎日こんなに頑張ってるんだもん。私、ちゃんと我慢しているよ。だから。
せめて、たった一つくらいは叶ったっていいじゃないか。
頬を伝った涙もすっかり乾いた頃、白い雪が舞うように落ちて来た。口の中に入った欠片が融けて水となる。なんでだろう、不思議と寒くない。
ああそうか、周りに火が灯っているからだ。まるで赤い魚。村の池に咲いた睡蓮の合間を、するりするりと泳いでいた魚だ。炎が尾ひれの先のように閃いて……キレイ。
口を開けると、また雪が融けて、喉を潤す。なんて甘くて美味しい。
この国に売られて来た年、初めて積もった雪を見た。村では『トンボの悪戯』だって呼んでいた。
まれに薄っすら降ったとしても、お日様の熱で融けてしまう。秋に去ってしまった青トンボの置き土産、白い花びらの幻影。
やがて私の周りで、赤魚と青トンボがくるくると踊りだす。ほんのり光る竜珠に照らされ、赤と青が交互に回る。
帰る家はとうの昔に消えた。寄り添う友も去ってしまった。なんでそれでも息しなきゃいけないんだろう。
ひとりぼっちのこんな世界にどれほどの価値があるというの。
――ねぇ誰か、教えてよ。
両腕の中の竜珠に包まれて、そのまま私は目を閉じた。
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