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金龍の章 一森山3
冠川
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翌朝、空は高く澄み渡っていた。
高舘の峰の眼下には広大な平野が遥か向こうまで続き、その先には光る一条の線が、地面と平行に青空との境界を形作っていた。
「あれは・・・」
登任がつぶやいた。
「閖上濱にございます。あの濱に、元正帝の御世に御神体が現れ、当山に羽黒飛龍神としてお祀りしております。」
後ろに控えた宗任が応えた。
東山道を下ってきた登任にとって、出雲で見て以来の海であった。
『出雲の海は北海であったが、あれは東海か。』
「こころなしかひろく、明るい気がする・・・」
目を細めて、再度つぶやいた。
「天照る海にございますれば、この世を産み照らす、廣さ耀さがあるのでしょう。」
天から声が降りてきたような気がして、思わず振り返ると、膝を折り俯いた宗任の横顔に、厳粛な気配を観て、登任は一瞬、動けなくなった。
「さあ、本日はいよいよ国府入りでございます。国府では愚兄貞任が、陸奥守様をお待ちしております。
いざ、ご出立なされますようお願い申し上げ奉ります。」
宗任は一度明るい顔を上げると、再び平伏して、快活さを身に纏いながら、言上した。
高館山を下ると、名取川へ向かって真っ直ぐ進み、浅瀬で渡河した。
雪解けは既に終わり、水量も少なく水も温くなり始めていた。
幾つかの段丘を登り、右手の大きな舘の前を過ぎると、背後に宏大な杜を背負った社の参道に変わった。
宗任は一旦、一行の進行を停めると、下馬し登任の前で膝を折った。
「あれは多賀神またの名を大鷹宮なれば、是非お立ち寄り頂きまして御参拝賜りたいと存じます。」
登任は、宗任の頼みに素直に頷いた。
大木に囲まれた参道を進みながら、登任は何気なく尋ねた。
「大鷹といえば、柴田郡の宮も大高であったな。」
宗任の面差しが微かに鋭くなって、直ぐにいつもの爽やかさに包まれた。
「如何にも。タカの言霊は我らにとって侵すべからざるもの。陸奥守様におかれましても、多賀の国府に入られましたらご配慮賜ります様、何卒よろしくお願い奉ります。」
その声音には、爽やかさに反して有無を言わせぬ威厳があった。
大鷹宮では、大伴宮城連も加わり東へと向かった。
大半の徒歩の者は高舘に残り、名取川を渡ったのは殆どが騎馬だった。
騎馬を主体とした一団はやがて、栖屋の駅に到着し休息を取った後、国分寺と白水権現に参拝した。
「白水権現は当地の産土神なれば。」
宗任の言上に、登任は違和感を覚えた。
国分寺は聖武帝の詔により、国家鎮護のために国府近くに創建されたものであり、ある意味国府の付属寺院的意味合いがあるといえる。
七重塔は承平四年(九三四年)の落雷で消失したとはいえ、依然として陸奥国にとっては重要な寺院であり、ましてや陸奥守たる自分にとっても非常に重要であることは疑いようがない。
然るに、白水権現が霊験あらたかな御神霊であるには違いないものの、国分寺の一隅にあるいわば地主神に当然のように参拝せよとは、要領を得ないのであった。
とは言うものの、噂に聞く歌枕の地である宮城野を目前にして殊更疑義を唱えても、自らを狭量に貶すような気になり、努めて平静を装っていた。
国分寺から北へと延びる路は、見事に整備されていた。
春の宮城野はやわらかな陽射しが注ぎ、花の薫りが漂う、まさに歌枕の地に相応しい情景であった。
左手に小高い丘が見えた。丘の上には柵や櫓で囲まれた大きな舘が建っている。
ここで、新たな一団が合流した。
率いているのは、正任である。
昨夜の内にこの躑躅ヶ岡の鞭舘に戻ってきていた正任は、鮮やかな緋色の馬具を着けた騎乗の人となり宗任の後に続いた。
草深い陸奥の単調な色に飽いていた登任は、この生気溢れる若者の溌剌さも嫌いではないと思った。
或いは、都に残してきた、孫の面影を重ねていたのかもしれない。
やがて路は河にさしかかった。珍しく、河には反りのある大きな土橋が架かっている。
轟の橋という。
宗任は一礼して言上した。
「この河は冠川(七北田川)といい、対岸に見えます社は志波彦神であられます。轟の橋で渡河して卯の方角へ向かえば多賀国府へと間もなく至り、子の方角へ進めばやがて奥六郡に参れます。即ち志波彦神は道祖の神であり岐神であらせられます。また冠川は即ち神降る川でもあります。願わくは国府に御登りになられます前に、禊祓なされますようお願い申し上げ奉ります。」
何時にない宗任の厳粛な様子に、登任は自然と首を縦に振っていた。
登任は冠川で禊をして、志波彦神の御前で祓を受けた。
祓を受けているあいだ、登任は何か不可視の糸でからめめ取られていくような感覚におちいった。
終わって、そくされるまま馬上の人となったが、現実感の無い心持ちで揺られるだけであった。
社の背後の岡の上には、鴻の館と呼ばれる舘が建っていて、一人の漢がその一部始終を、静かに見下ろしていたのだが、登任は全くそれに気づいていなかった。
国守一行が視界の中で米粒ほどになると、漢は巨大な青毛の裸馬にまたがり、官道とは別の道を国府の方角へと疾駆していった。
高舘の峰の眼下には広大な平野が遥か向こうまで続き、その先には光る一条の線が、地面と平行に青空との境界を形作っていた。
「あれは・・・」
登任がつぶやいた。
「閖上濱にございます。あの濱に、元正帝の御世に御神体が現れ、当山に羽黒飛龍神としてお祀りしております。」
後ろに控えた宗任が応えた。
東山道を下ってきた登任にとって、出雲で見て以来の海であった。
『出雲の海は北海であったが、あれは東海か。』
「こころなしかひろく、明るい気がする・・・」
目を細めて、再度つぶやいた。
「天照る海にございますれば、この世を産み照らす、廣さ耀さがあるのでしょう。」
天から声が降りてきたような気がして、思わず振り返ると、膝を折り俯いた宗任の横顔に、厳粛な気配を観て、登任は一瞬、動けなくなった。
「さあ、本日はいよいよ国府入りでございます。国府では愚兄貞任が、陸奥守様をお待ちしております。
いざ、ご出立なされますようお願い申し上げ奉ります。」
宗任は一度明るい顔を上げると、再び平伏して、快活さを身に纏いながら、言上した。
高館山を下ると、名取川へ向かって真っ直ぐ進み、浅瀬で渡河した。
雪解けは既に終わり、水量も少なく水も温くなり始めていた。
幾つかの段丘を登り、右手の大きな舘の前を過ぎると、背後に宏大な杜を背負った社の参道に変わった。
宗任は一旦、一行の進行を停めると、下馬し登任の前で膝を折った。
「あれは多賀神またの名を大鷹宮なれば、是非お立ち寄り頂きまして御参拝賜りたいと存じます。」
登任は、宗任の頼みに素直に頷いた。
大木に囲まれた参道を進みながら、登任は何気なく尋ねた。
「大鷹といえば、柴田郡の宮も大高であったな。」
宗任の面差しが微かに鋭くなって、直ぐにいつもの爽やかさに包まれた。
「如何にも。タカの言霊は我らにとって侵すべからざるもの。陸奥守様におかれましても、多賀の国府に入られましたらご配慮賜ります様、何卒よろしくお願い奉ります。」
その声音には、爽やかさに反して有無を言わせぬ威厳があった。
大鷹宮では、大伴宮城連も加わり東へと向かった。
大半の徒歩の者は高舘に残り、名取川を渡ったのは殆どが騎馬だった。
騎馬を主体とした一団はやがて、栖屋の駅に到着し休息を取った後、国分寺と白水権現に参拝した。
「白水権現は当地の産土神なれば。」
宗任の言上に、登任は違和感を覚えた。
国分寺は聖武帝の詔により、国家鎮護のために国府近くに創建されたものであり、ある意味国府の付属寺院的意味合いがあるといえる。
七重塔は承平四年(九三四年)の落雷で消失したとはいえ、依然として陸奥国にとっては重要な寺院であり、ましてや陸奥守たる自分にとっても非常に重要であることは疑いようがない。
然るに、白水権現が霊験あらたかな御神霊であるには違いないものの、国分寺の一隅にあるいわば地主神に当然のように参拝せよとは、要領を得ないのであった。
とは言うものの、噂に聞く歌枕の地である宮城野を目前にして殊更疑義を唱えても、自らを狭量に貶すような気になり、努めて平静を装っていた。
国分寺から北へと延びる路は、見事に整備されていた。
春の宮城野はやわらかな陽射しが注ぎ、花の薫りが漂う、まさに歌枕の地に相応しい情景であった。
左手に小高い丘が見えた。丘の上には柵や櫓で囲まれた大きな舘が建っている。
ここで、新たな一団が合流した。
率いているのは、正任である。
昨夜の内にこの躑躅ヶ岡の鞭舘に戻ってきていた正任は、鮮やかな緋色の馬具を着けた騎乗の人となり宗任の後に続いた。
草深い陸奥の単調な色に飽いていた登任は、この生気溢れる若者の溌剌さも嫌いではないと思った。
或いは、都に残してきた、孫の面影を重ねていたのかもしれない。
やがて路は河にさしかかった。珍しく、河には反りのある大きな土橋が架かっている。
轟の橋という。
宗任は一礼して言上した。
「この河は冠川(七北田川)といい、対岸に見えます社は志波彦神であられます。轟の橋で渡河して卯の方角へ向かえば多賀国府へと間もなく至り、子の方角へ進めばやがて奥六郡に参れます。即ち志波彦神は道祖の神であり岐神であらせられます。また冠川は即ち神降る川でもあります。願わくは国府に御登りになられます前に、禊祓なされますようお願い申し上げ奉ります。」
何時にない宗任の厳粛な様子に、登任は自然と首を縦に振っていた。
登任は冠川で禊をして、志波彦神の御前で祓を受けた。
祓を受けているあいだ、登任は何か不可視の糸でからめめ取られていくような感覚におちいった。
終わって、そくされるまま馬上の人となったが、現実感の無い心持ちで揺られるだけであった。
社の背後の岡の上には、鴻の館と呼ばれる舘が建っていて、一人の漢がその一部始終を、静かに見下ろしていたのだが、登任は全くそれに気づいていなかった。
国守一行が視界の中で米粒ほどになると、漢は巨大な青毛の裸馬にまたがり、官道とは別の道を国府の方角へと疾駆していった。
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