3 / 69
金龍の章 一森山2
高館山
しおりを挟む
翌朝、明るくなると阿倍信夫臣が言ったとおり、大伴刈田臣が数十人の供の者を従えて到着した。しかも、毛並みの良い黒鹿毛の馬を十頭引いてきた。
大伴刈田臣は登任の前に腰をかがめ一礼すると、言上した。
「陸奥守様、遠路御下向頂きまして恐悦至極にございます。これより、刈田郡をご案内させて頂きます、大伴刈田臣と申します。途中、篤借の駅で大伴柴田臣と合流し、柴田郡境まで御一緒させて頂きます。」
そう言って後ろに指図し、一頭の見事な芦毛の馬を引かせてきた。
「陸奥守様におかれましては、長旅でさぞやお疲れのことと存じます。辺境の駄馬ではございますが、名を『残雪』と申します。どうかご遠慮なくお使いになられますよう。お供の方も馬をお使い下さい。」
「なんと温かなお気遣い、しかもかように素晴らしい馬を使わせて頂けるとは、礼のしようもないとはこのことじゃ。」
思ってもみなかった手配に、阿倍信夫臣と同種の抑揚のない慇懃な言上に気づくこと無く、手放しで顔をほころばせた。
篤借の駅で大伴柴田臣と合流し、十五頭の馬と共に上機嫌で馬上の人となった登任一行は、柴田郡境まで来て停止した。
右手には廣瀬川(白石川)が流れ、前方で遠刈田川(松川)が合流している。
遠刈田川の川向うには、やはり騎馬を含む一団が待ち構えており、先頭の馬から一人の人物が下馬して、登任に向かって一礼した。
大伴刈田臣が進み出て告げた。
「あれなるは柴田郡司、安倍柴田臣でございます。ここからは彼の者が案内致しますが、近くに丁度蔵王権現様をお参りできる拝殿がございます。今しばらく時を頂戴して、是非とも御参拝頂ければ幸いにございます。」
そう言って、大伴柴田臣ともども頭を下げた。
すっかり気の大きくなった登任は、何も考えずにおうようにうなづいた。
「なるほど、役行者が開いたという蔵王権現は此の地におわしたのか。金剛蔵王菩薩は霊験あらたかと聞く、是非とも参拝しようではないか。」
蔵王権現あるいは刈田嶺神社は、奥州安倍氏の氏神にして奥州藤原氏の庇護も受けることになるが、山体そのものが御神体と言っていい。
その神を拝するということは、何を意味するのか?本来であれば此の地を治める者として、地神を鎮める心持ちで参らなければならなかった。この時の登任には、そのような心情は微塵も無かったことは確かである。
参拝を終えると、登任は大伴刈田臣らと別れ、浅瀬を選んで慎重にそろりそろりと、騎馬のまま遠刈田川を渡った。
阿倍照良も大伴刈田臣の連れてきた青毛の馬に乗って、平地を往くが如く軽やかに登任に続いて川を渡った。
郎従の2人、藤原経清と平永衡は主人と違って以外に馬の扱いに慣れているようだった。
ようやく渡りきった所に、安倍柴田臣は微動だにせず静かに登任らを待っていた。
連れている騎馬の数はやはり十頭ほどだった。
安倍柴田臣は腰をかがめ一礼すると、やや高いがよく通る声で言上した。歳はまだ若い。
「安倍柴田臣でございます。お待ち申し上げておりました。此処より柴田、玉前の駅までご案内させて頂きます。なお、只今蔵王権現様を拝したところではありますが、途中、金ケ瀬におわします大高山神にも御参拝頂けますでしょうか?」
国府が近づいて逸る気持ちは高まるものの、先刻彼らの目前で、大伴刈田臣の願いを機嫌よく聞き入れた手前無下にも出来ず、頷いた。
すると、後ろに控えている阿倍照良の目が、僅かばかり細くなった。
廣瀬川沿いにしばらく下ると、槻木入間野に至った。
ここで右岸側から来た逢隈川に合わさり、川幅は一気に広大になった。
ほどなく玉前の駅であった。
右手には優に幅五百間はある逢隈川、左手には高さ六十丈ほどの千貫松山が見える。
またしても待ち構えている一団があった。
草生した小塚の前の祠を背に、馬から降りて一礼したのは二人だった。
「上毛野名取朝臣と申します。こちらは、湯坐曰理連殿でございます。此処より名取郡をご案内させて頂きます。」
「昨夜の肴は如何でございましたでしょう?お気に召されまして、これからもご所望とあればいつでもお納めさせて頂きますので、お申し付け下さいませ。」
登任はやや鼻白んで、おうように頷いた。
二人の背後の小塚を挟んで向こう側に広がる平地に控えていたのは、五十頭以上の騎馬と百人以上の徒歩の一団であった。
「当地は東山道と東海道の交わる要地であり、郡境でもあります。従いまして、常より備え怠らず治めましております。」
山間のひなびたむらむらをのんきな旅を続けてきた登任には、目の前にぼうばくとひろがる平野と玄々とした人馬の塊の様子に、一瞬空がくらくなった様に感じた。
虚空を眺める登任に、上毛野名取朝臣が言上した。
「武隈の松は当地よりすぐではございますが、平孝義公以来既に絶えて久しく、此処で境迎いたしたくお待ちしておりました。」
登任は我に返り、上毛野名取朝臣に目を転じた。
「そうであったか。そう言えば、法師(能因法師)や左近衛中将(藤原実方)も歌をよんだと聞く。わしも一首|詠じよう。」
湯坐曰理連と別れ、逢隈川から離れた一行は北へと向かった。
左手に山地が連なり、右手には広大な平野が広がっている。
周囲には先程の千貫松山に在ったような小塚や大塚が無数に点在していた。
やがて指賀郷を通り笠島に至った。
登任はふと思い至って、上毛野名取朝臣へ向かって言った。
「そういえば、笠島には実方左近衛中将ゆかりの神がおわしたと思ったが?」
それを聞いた上毛野名取朝臣は、直ちに下馬し平伏すると、言上した。
「如何にも仰せの通り、あれに見えます丘の上に道祖神、その向こうに佐具叡神がおわします。是非とも御参拝頂ければ、神心、民心共に平らかになると存じます。」
「相理解った。総社宮に御挨拶する前に、こちらの二柱にも拝しておかねばなるまい。儂も勅をお受けして下向し未だ任を全うせずに落馬はしたくはない。」
そう言って参道の前で下馬すると、道沿いに立ち並ぶ寺院の脇を登っていった。
参拝の後、暫くして上毛野名取朝臣が言上した。
「もうしばらくで、高舘に到着いたします。麓を流れます名取川を越えれば、遂に宮城郡に入ります。つきましては今宵もう一晩舘にて御休息頂き、明朝いよいよ国府へ入られますようお願い致します。」
見上げると柵が山肌を囲み、櫓が点在し、山頂の舘の在るとおぼしき付近より煙が数条立ち上っていた。
登任は国司として赴任の途上であるにもかかわらず、言われるままに連れまわされているような、違和感を次第に抱き始めていた。
高舘は、阿津賀志山に劣らず威容を見せていた。
舘へ至る道筋には幾重もの堀が廻らされ、囲う柵も十重二十重。しかもあちらには無かった物見の櫓が点在していた。
道幅も馬が三頭並んで進めるほど広かった。
舘の門前には若い漢が平伏していた。
「陸奥守様、陸奥の地まで遠路遥々、御下向頂きまして恐悦至極にございます。陸奥六郡に於いて、俘囚の長として朝廷の御威光を賜り、微力ながらお務めさせて頂いております、安倍頼良が三男、安倍宗任にございます。父頼良の命を受け、本日は陸奥守様をお迎えし、明日多賀国府へ御案内するよう当舘にてお待ちしておりました。どうかごゆるりと御身体を休まれますよう。」
良く通る腹の底に響く様な声で、宗任は口上を述べた。
まだ二十歳前後と見える若さでありながら、体躯は獣のような俊敏性と堅牢さを持ちあわせ、それでいて何処か雅味を匂わせていた。
その嫌味のない爽やかな立ち居振る舞いに、登任は身体から少し力を抜いて答えた。
「音に聞く安倍頼良殿のご子息か、わざわざの出迎えご苦労であった。御厚情に甘え今宵は当舘で世話になるとしよう。」
阿津賀志山の舘の倍はある広さの大広間に、これまた倍の数の女の下人達が立ち働き、酒肴を並べ立てた。
そして、楽を奏する楽師が入り雅な曲を奏ではじめる。
調度は、御所のものと遜色ないものが並んでいた。
登任を上座に、下座には宗任、上毛野名取朝臣が並んだ。
宗任は酌をしながら言った。
「道中御不便はございませんでしたでしたでしょうか?白河の阿倍陸奥臣殿には、従者を御付けするように頼んでおいたのですが。」
山海の珍味が、都風の味付けで料理されているのに驚いていた登任は、慌てて答えた。
「おお、照良か。良く気の付く者であったぞ。そうか、宗任殿のご配慮か、これまた痛み入る。」
「左様ですか、明日よりは供の者も十分お付けすることが出来ます故、彼の者は本日で役を免じさせて頂きます。」
登任は頷きながら、しばらく前より感じていたことを尋ねた。
「左様か。そう言えばあの者は、随従の藤原経清とは知己の間であったか?」
宗任は、涼しげに答えた。
「ご存知ありませんでしたか?経清殿は曰理郡の出であったはず。若いころに知遇を得られていたのでしょう。」
登任は漸く思い出したのか、膝を叩いた。
「経清が何も申さないので、気が付かなんだわ。道理で、経清も陸奥に明るい訳だ。」
宗任は目元に薄く笑みを浮かべ、頭を下げた。
「かく言う私も、父より曰理郡を任されて鳥海に居ります故、経清殿のことは聞き及んでおりました。」
「成程、今宵の肴が見事なのも合点がいったわ。それにしても、都から遠く離れた地でこのような夜を過ごせるとは思いもしなんだ。礼をいたす。」
俘囚とは思えない雰囲気を醸すこの若者に、登任は少なからず好意を抱き始めていた。
「藤原登任、齢だけは立派に重ねているが、経歴が示すほど能吏とは言えなさそうだな。物産と黄金にしか心が動かぬようだ。」
控えの間で数人の漢達が、座って酒を酌み交わしながら話していた。
上座から経清に向かって落ち着いた声音を発したのは、照良であった。
「流石に照良、いや良照様。お分かりになりましたか。もうすぐ破瓜に達する齢いだというのに、除目され、しかも暫らくは誰も赴任したがらない陸奥の地に下向するとは、思惑が”言わずもがな”でございましょう。」
嘲笑いを堪えながら、経清は安倍良照~安倍家頭領頼良の弟~に一礼した。
「南家の方とはいえ、藤原公任様の家人でもあったのに、舘に宿す度に一々調度を観ては溜息をつき、肴を食しては箸が止まらず。浅ましくて、あれでは公卿にもなれぬ筈だ。」
経清の隣に座った永衡は、斜め下を見ながら酒を舐めた。
「なんだ、公家というからさぞかし立派な人が来るのかと思えば、単に金に目が眩んだだけの強欲爺か。」
良照の横で生意気な口をたたいたのは、頼良の五男安倍正任であった。
正任は一昨年子が生まれ、十代ながら一人前の口を利くようになっていた。
「そのような言い方はするな。本人の前に出たら悟られてしまうぞ。」
良照は苦笑しながら、甥っ子の軽口を諌めた。
「あの方は、利に聡いだけなのです。」
諦め顔の経清であった。
大伴刈田臣は登任の前に腰をかがめ一礼すると、言上した。
「陸奥守様、遠路御下向頂きまして恐悦至極にございます。これより、刈田郡をご案内させて頂きます、大伴刈田臣と申します。途中、篤借の駅で大伴柴田臣と合流し、柴田郡境まで御一緒させて頂きます。」
そう言って後ろに指図し、一頭の見事な芦毛の馬を引かせてきた。
「陸奥守様におかれましては、長旅でさぞやお疲れのことと存じます。辺境の駄馬ではございますが、名を『残雪』と申します。どうかご遠慮なくお使いになられますよう。お供の方も馬をお使い下さい。」
「なんと温かなお気遣い、しかもかように素晴らしい馬を使わせて頂けるとは、礼のしようもないとはこのことじゃ。」
思ってもみなかった手配に、阿倍信夫臣と同種の抑揚のない慇懃な言上に気づくこと無く、手放しで顔をほころばせた。
篤借の駅で大伴柴田臣と合流し、十五頭の馬と共に上機嫌で馬上の人となった登任一行は、柴田郡境まで来て停止した。
右手には廣瀬川(白石川)が流れ、前方で遠刈田川(松川)が合流している。
遠刈田川の川向うには、やはり騎馬を含む一団が待ち構えており、先頭の馬から一人の人物が下馬して、登任に向かって一礼した。
大伴刈田臣が進み出て告げた。
「あれなるは柴田郡司、安倍柴田臣でございます。ここからは彼の者が案内致しますが、近くに丁度蔵王権現様をお参りできる拝殿がございます。今しばらく時を頂戴して、是非とも御参拝頂ければ幸いにございます。」
そう言って、大伴柴田臣ともども頭を下げた。
すっかり気の大きくなった登任は、何も考えずにおうようにうなづいた。
「なるほど、役行者が開いたという蔵王権現は此の地におわしたのか。金剛蔵王菩薩は霊験あらたかと聞く、是非とも参拝しようではないか。」
蔵王権現あるいは刈田嶺神社は、奥州安倍氏の氏神にして奥州藤原氏の庇護も受けることになるが、山体そのものが御神体と言っていい。
その神を拝するということは、何を意味するのか?本来であれば此の地を治める者として、地神を鎮める心持ちで参らなければならなかった。この時の登任には、そのような心情は微塵も無かったことは確かである。
参拝を終えると、登任は大伴刈田臣らと別れ、浅瀬を選んで慎重にそろりそろりと、騎馬のまま遠刈田川を渡った。
阿倍照良も大伴刈田臣の連れてきた青毛の馬に乗って、平地を往くが如く軽やかに登任に続いて川を渡った。
郎従の2人、藤原経清と平永衡は主人と違って以外に馬の扱いに慣れているようだった。
ようやく渡りきった所に、安倍柴田臣は微動だにせず静かに登任らを待っていた。
連れている騎馬の数はやはり十頭ほどだった。
安倍柴田臣は腰をかがめ一礼すると、やや高いがよく通る声で言上した。歳はまだ若い。
「安倍柴田臣でございます。お待ち申し上げておりました。此処より柴田、玉前の駅までご案内させて頂きます。なお、只今蔵王権現様を拝したところではありますが、途中、金ケ瀬におわします大高山神にも御参拝頂けますでしょうか?」
国府が近づいて逸る気持ちは高まるものの、先刻彼らの目前で、大伴刈田臣の願いを機嫌よく聞き入れた手前無下にも出来ず、頷いた。
すると、後ろに控えている阿倍照良の目が、僅かばかり細くなった。
廣瀬川沿いにしばらく下ると、槻木入間野に至った。
ここで右岸側から来た逢隈川に合わさり、川幅は一気に広大になった。
ほどなく玉前の駅であった。
右手には優に幅五百間はある逢隈川、左手には高さ六十丈ほどの千貫松山が見える。
またしても待ち構えている一団があった。
草生した小塚の前の祠を背に、馬から降りて一礼したのは二人だった。
「上毛野名取朝臣と申します。こちらは、湯坐曰理連殿でございます。此処より名取郡をご案内させて頂きます。」
「昨夜の肴は如何でございましたでしょう?お気に召されまして、これからもご所望とあればいつでもお納めさせて頂きますので、お申し付け下さいませ。」
登任はやや鼻白んで、おうように頷いた。
二人の背後の小塚を挟んで向こう側に広がる平地に控えていたのは、五十頭以上の騎馬と百人以上の徒歩の一団であった。
「当地は東山道と東海道の交わる要地であり、郡境でもあります。従いまして、常より備え怠らず治めましております。」
山間のひなびたむらむらをのんきな旅を続けてきた登任には、目の前にぼうばくとひろがる平野と玄々とした人馬の塊の様子に、一瞬空がくらくなった様に感じた。
虚空を眺める登任に、上毛野名取朝臣が言上した。
「武隈の松は当地よりすぐではございますが、平孝義公以来既に絶えて久しく、此処で境迎いたしたくお待ちしておりました。」
登任は我に返り、上毛野名取朝臣に目を転じた。
「そうであったか。そう言えば、法師(能因法師)や左近衛中将(藤原実方)も歌をよんだと聞く。わしも一首|詠じよう。」
湯坐曰理連と別れ、逢隈川から離れた一行は北へと向かった。
左手に山地が連なり、右手には広大な平野が広がっている。
周囲には先程の千貫松山に在ったような小塚や大塚が無数に点在していた。
やがて指賀郷を通り笠島に至った。
登任はふと思い至って、上毛野名取朝臣へ向かって言った。
「そういえば、笠島には実方左近衛中将ゆかりの神がおわしたと思ったが?」
それを聞いた上毛野名取朝臣は、直ちに下馬し平伏すると、言上した。
「如何にも仰せの通り、あれに見えます丘の上に道祖神、その向こうに佐具叡神がおわします。是非とも御参拝頂ければ、神心、民心共に平らかになると存じます。」
「相理解った。総社宮に御挨拶する前に、こちらの二柱にも拝しておかねばなるまい。儂も勅をお受けして下向し未だ任を全うせずに落馬はしたくはない。」
そう言って参道の前で下馬すると、道沿いに立ち並ぶ寺院の脇を登っていった。
参拝の後、暫くして上毛野名取朝臣が言上した。
「もうしばらくで、高舘に到着いたします。麓を流れます名取川を越えれば、遂に宮城郡に入ります。つきましては今宵もう一晩舘にて御休息頂き、明朝いよいよ国府へ入られますようお願い致します。」
見上げると柵が山肌を囲み、櫓が点在し、山頂の舘の在るとおぼしき付近より煙が数条立ち上っていた。
登任は国司として赴任の途上であるにもかかわらず、言われるままに連れまわされているような、違和感を次第に抱き始めていた。
高舘は、阿津賀志山に劣らず威容を見せていた。
舘へ至る道筋には幾重もの堀が廻らされ、囲う柵も十重二十重。しかもあちらには無かった物見の櫓が点在していた。
道幅も馬が三頭並んで進めるほど広かった。
舘の門前には若い漢が平伏していた。
「陸奥守様、陸奥の地まで遠路遥々、御下向頂きまして恐悦至極にございます。陸奥六郡に於いて、俘囚の長として朝廷の御威光を賜り、微力ながらお務めさせて頂いております、安倍頼良が三男、安倍宗任にございます。父頼良の命を受け、本日は陸奥守様をお迎えし、明日多賀国府へ御案内するよう当舘にてお待ちしておりました。どうかごゆるりと御身体を休まれますよう。」
良く通る腹の底に響く様な声で、宗任は口上を述べた。
まだ二十歳前後と見える若さでありながら、体躯は獣のような俊敏性と堅牢さを持ちあわせ、それでいて何処か雅味を匂わせていた。
その嫌味のない爽やかな立ち居振る舞いに、登任は身体から少し力を抜いて答えた。
「音に聞く安倍頼良殿のご子息か、わざわざの出迎えご苦労であった。御厚情に甘え今宵は当舘で世話になるとしよう。」
阿津賀志山の舘の倍はある広さの大広間に、これまた倍の数の女の下人達が立ち働き、酒肴を並べ立てた。
そして、楽を奏する楽師が入り雅な曲を奏ではじめる。
調度は、御所のものと遜色ないものが並んでいた。
登任を上座に、下座には宗任、上毛野名取朝臣が並んだ。
宗任は酌をしながら言った。
「道中御不便はございませんでしたでしたでしょうか?白河の阿倍陸奥臣殿には、従者を御付けするように頼んでおいたのですが。」
山海の珍味が、都風の味付けで料理されているのに驚いていた登任は、慌てて答えた。
「おお、照良か。良く気の付く者であったぞ。そうか、宗任殿のご配慮か、これまた痛み入る。」
「左様ですか、明日よりは供の者も十分お付けすることが出来ます故、彼の者は本日で役を免じさせて頂きます。」
登任は頷きながら、しばらく前より感じていたことを尋ねた。
「左様か。そう言えばあの者は、随従の藤原経清とは知己の間であったか?」
宗任は、涼しげに答えた。
「ご存知ありませんでしたか?経清殿は曰理郡の出であったはず。若いころに知遇を得られていたのでしょう。」
登任は漸く思い出したのか、膝を叩いた。
「経清が何も申さないので、気が付かなんだわ。道理で、経清も陸奥に明るい訳だ。」
宗任は目元に薄く笑みを浮かべ、頭を下げた。
「かく言う私も、父より曰理郡を任されて鳥海に居ります故、経清殿のことは聞き及んでおりました。」
「成程、今宵の肴が見事なのも合点がいったわ。それにしても、都から遠く離れた地でこのような夜を過ごせるとは思いもしなんだ。礼をいたす。」
俘囚とは思えない雰囲気を醸すこの若者に、登任は少なからず好意を抱き始めていた。
「藤原登任、齢だけは立派に重ねているが、経歴が示すほど能吏とは言えなさそうだな。物産と黄金にしか心が動かぬようだ。」
控えの間で数人の漢達が、座って酒を酌み交わしながら話していた。
上座から経清に向かって落ち着いた声音を発したのは、照良であった。
「流石に照良、いや良照様。お分かりになりましたか。もうすぐ破瓜に達する齢いだというのに、除目され、しかも暫らくは誰も赴任したがらない陸奥の地に下向するとは、思惑が”言わずもがな”でございましょう。」
嘲笑いを堪えながら、経清は安倍良照~安倍家頭領頼良の弟~に一礼した。
「南家の方とはいえ、藤原公任様の家人でもあったのに、舘に宿す度に一々調度を観ては溜息をつき、肴を食しては箸が止まらず。浅ましくて、あれでは公卿にもなれぬ筈だ。」
経清の隣に座った永衡は、斜め下を見ながら酒を舐めた。
「なんだ、公家というからさぞかし立派な人が来るのかと思えば、単に金に目が眩んだだけの強欲爺か。」
良照の横で生意気な口をたたいたのは、頼良の五男安倍正任であった。
正任は一昨年子が生まれ、十代ながら一人前の口を利くようになっていた。
「そのような言い方はするな。本人の前に出たら悟られてしまうぞ。」
良照は苦笑しながら、甥っ子の軽口を諌めた。
「あの方は、利に聡いだけなのです。」
諦め顔の経清であった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる