日高見の空舞う鷹と天翔る龍 地龍抱鷹編

西八萩 鐸磨

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沖黒の章 膽澤鎮守府4

金鶏山

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 太田川の小さな流れを渡ると、のちに奥州の都となる衣関山の見下ろす段丘、平泉邑ひらいずみむらを越えた。
 衣関山には慈覚大師じかくだいし開基の中尊寺があるが、この頃には荒廃していた。


 衣関山の麓を回り込むと目前に衣川が現れた。
 川沿いに路を西行し、戸河内川とかわうちかわの合わさる所で衣川関ころもかわのせきに至った。
 蛇行する衣川と、合流する戸河内川に複雑に囲まれた関は天然の要害であり、磐井郡と膽澤郡いさわぐんの境をなし、これを越えれば鎮守府の管轄。言いかえれば俘囚の長、安倍氏の本拠であった。


 戸河内川の北岸は断崖絶壁であり、南からの侵入をこばむかのようである。
 一方、衣川の南岸は見下ろすかたちの斜面であり、川は深く広いため北進して来た者は一旦とどまらずを得ない。
 元々北伐ほくばつ征夷せいいために造られた関でありながら、その有りようはまるで逆方向(南)を向いていたのであった。


 衣川の北岸側には、川と堀に囲まれ柵をめぐらせた大きな館が点在し、小さな家々が周囲に建ち並んでいるのが見えた。


 戸河内川の北岸側は柵と物見櫓が在るのは判るが、見上げる形のためその全体像はうかがい知れなかった。


 合流部に関内へと続く下り坂のみちと桟橋が在り、川むこうに関門が見えた。


 桟橋の手前まで来ると、槍を持った兵士にさえぎられた。
「陸奥国守、藤原主殿頭登任様でございますね。お待ちしておりました。」
 平時とは思えない重装備の衛兵であった。
「いかにも、膽澤郡の検注のため国守様は参られた。関門を開けてもらおう。」
 経清は一歩前へ出て、よく通る声で威厳を正して応えた。
「分かりました。ただし、なんびとも関に入られる時は下馬して頂きます。また、ひと方ずつ門を通られるように。」
 そう言って、少しもおそれる様子もなく兵士は路を開けた。
 登任は残雪から下馬すると、ぶぜんとした顔を見せながら徒歩で関門をくぐった。経清は自分の馬と共に残雪を引いて、表情を変えずに登任の後に続いた。それを見た他の者も馬を引いて従った。


 両側を柵に囲まれた狭あいな坂道を、門内で待ち構えていた別の兵士に案内されて緩やかに登っていくと、やがて視界が開ける手前で、左手に神社の参道が現れた。


--案内の兵士が立ち止まった。
「これは慈覚大師様ご勧請の月山権現でございます。関内に入られるからには、拝される必要がございます。」
 登任は虚を突かれて思わず経清の顔を見た。
 すると経清は黙って目で頷いた。
 登任は首を振ると、渋々参道を登りはじめた。参道は曲がりくねった急な坂道で、山頂に至るまでに登任は息を切らせた。経清に支えられて、ようやく鳥居の前までたどり着くと両手をひざに当てて腰をかがめ上を見上げた。


 社殿はごく普通のものであった。ただし、その前に横たわる一丈四方もある巨岩が異彩を放っていた。


 兵士はおごそかな顔を一行に向けて、念を押す様に言った。
「この磐座はアラハバキの神におわします。奥六郡をお治めになるからには、かならずあわせて拝されますように。」
 まだ十代前半と思われる兵士のただならぬ威厳の有り様に、思わず登任は後じさった。
「そなたは・・・。」
 兵士は片膝をついて控えると、言上した。
「申し遅れました。安倍頼良が末子、安倍則任あべののりとうにございます。館にて兄貞任並びに宗任がお待ちしております。館は暫く先にございますれば、神拝のあとは馬にてお進み下さい。」
 則任はこの時まだ十四手前であったが身のたけすでに五尺を越え、身のこなしは敏捷で、牡鹿の様な気高さをそなえていた。


 参道を降りると、先は路の両側の柵があいかわらず続いていたが、左側の柵の向こうにはひろびろとしたまきばが広がっていた。
 登任は牧場を見慣れているわけではなかったが、目に飛び込んできた異様な光景に思わず立ち竦んだ。


 こうだいな牧場には数百頭の馬群が、ゆうゆうと屯していたのだった。
 そしてその向こうには真新しい豪壮な館が数棟の掘立柱建物と共にたたずんでいた。
 北側と東側を小さな川に、全体を二重三重の柵で囲まれており、容易に近づけない造りになっていた。


 しかし、館が近づいても則任は立ち寄る気配を見せなかった。そのまま館の東側を素通りし、小川を渡ると西へ折れ、牧場の真中をしばらく進み、やがて再び衣川沿いに北上した。


 蛇行する衣川を遥か右手に見下ろしながら山裾の路を進むと、やがて南股川と北股川が合わさる場所へと至った。


 川には桟橋が架けられておらず、馬にて浅瀬を渡った。


 渡り終えると目の前には柵と門があり、更にその奥には、いく段かの段丘が舌状(ぜつじょう)に張り出した地形を巧みに活かして、柵が何重にも張り巡らされていた。


 迷路のような柵の間を通り抜けると、眼前に高さ三十丈ほどの峰が堀と柵に囲まれて現れた。


「あれが衣川の館でございます。」
 先導する則任が振り返り、言った。
 丘の上には国守館をしのぐ大きさと思われる、ひさしの付いた館が見える。


 近づくと、館の西方奥には物見櫓を備えた舘も控えているのが判った。
 周囲には幾つもの掘立柱建物も建ち並んでいる。
『これは・・・、いち俘囚の住まう館ではない。一国のあるじが住まう館と言っても過言ではない。どうしてこのような・・・。』
 まさしく城塞というべき威容に登任は言葉を失っていた。


 のちに安倍舘とも呼ばれる巨大な館は、別名舞鶴舘あるいは落合舘とも称された。
 西方の奥羽の山々からえんえんと続く尾根が東に凹型に突き出し、階段状になっている。北、東、南の三方を衣川に落ち合わさる南股川と北股川に囲まれ、まさに鶴が東を向いて舞い降りたかの様な地勢をしていた。




 高さニ丈は優にある巨大な櫓門を見上げていると、中から緋色の装飾の入った直垂ひたたれを着た、見覚えのある若者が現れた。
 身の丈五尺五寸ほどのすらりとした体躯を登任の前に軽やかに運び、腰をかがめ一礼すると言上した。
「陸奥国守藤原主殿頭登任様、遠路はるばるのごとうらい、恐悦至極にございます。安倍頼良が五男、安倍正任あべのまさとう、多賀国府入府以来のぶさた、大変失礼致しておりました。兄宗任も久方ぶりのご尊顔を拝せると心待ちにしておりましたよし、どうぞ奥へお進み下さい。馬は弟則任にお預け下さい。」
 そう言って、則任に目配せした。
「則任、頼むぞ。」


 登任は、顔見知りのしかも内心お気に入りの正任の出現に、すっかり上機嫌となり残雪から下馬すると、声音を高くして言った。
「おうおう、ほんに久方ぶりであったの。息災であったか?」
 登任は目尻を下げた。
「お陰様を持ちまして、父頼良より黒沢尻くろさわじりの柵を任され、赤子の顔を見るいとまもないほどの毎日忙しい日々を送っております。」
 正任は先を進みながら言った。
「宗任も健勝か?」
 続けて尋ねた。
「兄も常には鳥海柵とのみのさくを任され、日々精進しております。」
 正任は前を向いたまま応えた。
「左様であるか、健勝で何より。入府の折には世話をかけた。この機会に礼を言わねばならぬな。」
 登任は何度も頷いて正任の後を進んだ。


 幅十間奥行き五間の、四面に庇の付いた豪壮な館であった。
 周りを取り囲むように建っている掘立柱建物の西向こうには、母屋とそう大して変わらぬ大きさの舘がやはり、周囲に幾棟もの掘立柱建物を従えて見えている。


 西の空が橙色から紫色に染まり、辺りは夕闇が迫りはじめていた。
 
 室内は既に昏く、 高灯台が灯されている。
 
--漢が二人並んで平伏していた。

 登任らを案内してきた正任が左側の漢の隣に腰を下ろし同じように平伏すると、やや遅れて入って来た則任が右側の漢の隣に平伏した。


 左側の漢が厳かに言上した。
「陸奥守様、此度は衣川柵までの遠路遥々、恙無くご到着あそばされまして、心よりお慶び申し上げます。この安倍宗任、久方ぶりのご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございます。また、四男眞任並びに、五男正任、末子則任、うち揃ってご対応させて頂きますれば、宜しくお引き回しのほどを。今宵は、僅かばかりでございますが、ご饗応させて頂きますので、どうかごゆるりとされて、旅の疲れを癒やされますようお願い申し上げ奉ります。」
 そう言って上げた顔の目元は、懐かしい柔らかさを湛えていた。
「宗任、まさに久方ぶりであったの。健勝そうで何よりである。また入府の折には大層世話になった。改めて礼を申すぞ。」
 登任も破顔し明るく応えた。


 この時、登任本人は気づいていなかったが、経清はその違和感に小さな戦慄を抱いていた。
 館に入って正面に宗任らが並んで平伏して居たということは、主客が逆なのである。
 本来国守たる登任が主であるのだから、上座(室の奥側)に下座(室の入口側)を向いて座るべきであり、対面時の有り様は全く有り得ない状態であった。




 --宴は陰鬱ではなかったが、静かに進んだ。
 女人の数は少ない訳では無いようであったが、奥の方で立ち働いており、登任らの側近くで働くのは専ら家人けにんの方が多かった。従って自然と、良く云えば爽やかな、悪く云えば艶気の無い宴であった。
 それでもどちらかと言えばお気に入りの部類である、宗任や正任らが相手であったためか、登任の機嫌は損なうことはなかった。
 今度は流石に登任が上座に座している。


 宴席には鴨の醤焼きや鮭の笹焼きといった鴨や鮭の料理が並んだ。
 あわびを酒蒸したものや、うなぎの白蒸しなども有り、一見豪華であった。


「時に、本来衣川柵の主たる頼良や貞任がここに居らぬのはどういうことか?」
 暫くすると、登任はふと気がついて宗任に尋ねた。
「仰せごもっともなれど、先に国府にてお迎えした折に、兄貞任が言上つかまつりました通り、父頼良は将軍不在の鎮守府におきまして、俘囚の長として奥六郡の民心を鎮め、賦貢が滞らぬよう腐心しております。また次兄貞任も常には、北方鎮護のため厨川柵において勤めを果たしております故、当柵にはおりません。願わくは、ご寛恕のほど奉りたく。」
 と、宗任は爽やかに応じた。
 あまりにさらりと応えられたためか、酒も入り丁度よい加減になり始めていた登任も、それ以上は言い募ることはなかった。


 翌日より検注が始まった---が、直ぐに終わった。
 
 登任の前に安倍の兄弟達が居並び、宗任が畏まって差し出したのは検注帳であった。
 そしてあろうことか宗任が、あの良く通る腹の底に響く様な声で検注の終了を宣したのである。
「そ、そのようなこと。」
 予想だにしていなかった展開に登任が口を開きかけると、宗任がおもてを上げ、父親に似た龍眼で登任の瞳を静かに見据えてそれを制した。
「膽澤郡の物産は全てこれに網羅してございます。これ以上のご詮索は不要でございましょう。それ(検注帳)をお納めくださいまして、鎮守府へ向けてご出立のご準備をお願い申し上げ奉ります。」
 龍眼の奥の耀きが更に強さを増した。
 登任の顔面は蒼白となり、小刻みに震え始め直ぐにでも卒倒するかの様であった。
 だが、安倍兄弟等から発する気配に圧倒され、為す術が無かった。

 ことここに至り、経清と永衡には安倍氏の思惑が解り始めていた。
 あくまでも奥六郡を実際に取り仕切るのは俘囚の長たる安倍氏であり、朝廷から任じられた国守といえども手を伸ばし入れることが出来ない範疇が存在するということである。

 最後の鎮守府将軍源頼信みなもとのよりのぶおよび陸奥守むつのかみ源忠重みなもとのただしげ以来数十年あまりの間、この地を治めてきた矜持きょうじと自負がそうさせていたのであったとも言える。

 ただ、安倍氏のもつその『矜持』と『自負』そして『威厳』のでどころを突き詰めた時、厳密には俘囚の出ではない経清ら二人には、彼らがまだ感得し得ていない何ものか(根拠)が、存在するということが解ってはいなかった。


 登任が経清と永衡に支えられ室から出ると、陽は中天にあり外はまだ明るかった。
 右手を額にかざし、よろけながら客室に戻る間、晩秋というよりは初冬とも言うべき陸奥の空気は、より一層登任には肌寒く感じられたのだった。
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